二章

 昼も近いというのに喫茶店は閑古鳥が鳴いていた。

 店主の趣味でやっているような店で、集客を特に目指しているわけでもなく、店内に流れるジャズと微かなコーヒーの香りと――言っては何だが人の無さも丁度良い。

「お前好みだな」

 店の奥の席について早々、槇が言う。どうやら槇も気に入った様で、やってきた店主に嬉しそうにパフェを頼む。

「生クリーム多めでな」

「槇さん」

 呆れる嵐に、店主は微苦笑して返した。

「暇ですし、パフェ頼むお客さんも珍しいですから」

 店主の人の好さに救われた気がして、カウンターの奥へと消える店主を見送っていると、槇が声をひそめて身を乗り出した。

「お前、あれじゃオレが阿呆みたいじゃないか」

「あんな頼み方する人、見たことがない」

「疲れた頭にや糖分が必要なんだよ」

 常々、刑事は頭脳勝負と言っていた槇を思い出し、嵐は小さく嘆息して槇の手中の葉書を示す。

「で、何ですか」

「あ?……ああ、まあ待て」

 パフェを運んできた店主に愛想をふりまき、カウンターの向こうへおさまるのを見届けた。

「……だから」

 明らかに白色の面積が多いそれを前にして、槇は当初の目的を忘れてしまったようだ。すっかり魅入られた槇に、怒気をはらんだ嵐の声が届く。

「……槇さん」

「一口ぐらい食わせろよ」

「話すつもりがないなら俺、帰りますよ」

 ケチだな、と口の中でもごもご言いながら、槇は葉書をひらひらとさせた。

「あまり他人に聞かれちゃな。まずいんだよ」

 なら、なぜ自分に、と言いたげな嵐の顔を覗き見て槇はにやりとする。

「お前向きのヤマだからさ」

「……犯罪の片棒担ぐ気はありませんよ」

「信じろよ」

 信じて良い目を見た覚えがない。

 肩をすくめる動作に言外にその意を汲み取ったか、槇は眉をひそめた。

「先輩を敬えっての」

「尊敬に値するだけの事を、今までにしてくれたならしますよ」

「したじゃねえか」

「肝試しと称して墓場に連れてって?」

 槇はぐ、と言葉に詰まった。

「あの後、あそこらをうろつく人たちの話し相手をさせられて大変だったんですけどね。誘った本人は逃げてるし」

「怒るなよ。あの時は本気で気分悪くなってさ」

「槇さんは大体がそういう体質なのに」

 怪訝そうな顔をする。

「いい加減幽霊の一つや二つ認めたらどうです」

「怖くてそんなの出来るか」

「じゃあ俺にも無理なこと言わんで下さい」

「その割には、諾々と従ってるじゃねえか」

「どこ通ってきたんだか知りませんがね」

 自覚がないのかしないのか、恐らくは後者である槇に説明をするのは骨が折れる。

「槇さん厄介事ふっかける時、いつも変な雑鬼連れて来るんですよ。引き受ける引き受けないに関わらず、それら全部こっちに来るから」

 ならば引き受けてさっさと処理してしまった方がこちらにも都合が良い、と続けた。

「諾々とじゃなくて渋々ですが」

「……言うなよ、気付かないようにしてきたのに……」

「もうこっちに移ったみたいだからいいですよ」

 気付かないふりをしていても、慣れない人間──槇のように人外の者に対して恐怖心のようなものを抱く人間など、あちら側もすぐそれとわかるものだ。

 こいつは見える、と。

 それに対処するにはむしろ堂々とすることであり、その上で相手するなり無視するなりの態度を取る。変な度胸ばかり身についている槇だが、そういった本質的な恐怖心には抗えないようだ。

 もっとも、それが自然なのだろうが。

「それで俺向きって何ですか」

 それた話の筋を戻す。槇は目を細めて嵐や自分の背後を見たりしていたが、得心がいったように話し出した。

「オレの後輩で交番勤務の高仲ってのがいてな、元ネタはそいつなんだ」

 槇の後輩というと、随分苦労しているだろうなと内心同情した。

「高仲んとこは住宅街が主で、まあ田舎っちゃ田舎なんだがな。それで二週間くらい前か、交番に女子高生が来たんだと」

 自分とは縁遠い人間だな、などと考えていると察したように「お前とは縁遠いな」と「付け加え、槇は続けた。

「その子……間宮って言うんだけどな。間宮は最近誰かに尾けられてるってんで、高仲んとこに来たそうだ」

「ストーカーですか」

「ところがそうでもないらしい」

 槇は生クリームをすくった。

「ストーカーは何らかの形で対象と接触しようとするだろう。手紙でも電話でも。自分の存在を知らせたいからさ」

 長いスプーンの先にある生クリームを、槇はひょいと口に運んだ。

「ところがだ。間宮の場合はそうじゃない。ただ立ってるだけ」

「は?」

「面白いだろ。間宮の行動範囲内でただ間宮の目につく所に立ってるだけなんだ。

 刑事が事件を面白がってどうする、とは言わなかったが楽しそうな槇の顔はどう見ても野次馬根性丸出しだった。

「そいつは最初間宮の行動範囲の一番遠い所に立ってたんだが、それが段々範囲を狭めてきたんだな」

 槇は長いスプーンをふらふらとさせる。

「最初は駅の向こうだったのが次は線路ってな具合だ。それが段々範囲を狭めてきて、遂には家にまで来た」

「それで」

「それだけさ」

 事情を判断しかねている嵐に、槇は息をついてパフェにスプーンをさした。

「ドアを叩いてそれだけ。何もしない。二、三回叩いて帰ったそうだ」

「ただの変質者じゃないんですか。そういうストーカーもいるかもしれない」

「高仲もそう思って訊いたんだ。心当たりは無いのか、って。その答え聞いてなあ、オレはお前向きだと思ったのさ」

「……で、何て」

 今まで聞いた中ではどう考えても、自分向きではない。厄介な警察沙汰を嵐に押し付けようとしているように見え、半ば嵐は飽きていた。

──パフェは俺が奢るのか?

 目下気になるのはそれだけである。

 気づかぬ槇はにやりと笑ってみせた。

「そいつは雨の日にしか現れないのさ」

 飽きていた嵐の頭に言葉の一石が投じられる。──雨。

 それ自体に何ら怪しい所はないが、今までの話の流れからすると奇妙な違和感がある。

 表情の変わった嵐を見て、槇は「ついでに」と付け足した。

「そういう変質者がいるっつう報告はない」

「精神的快楽があるんじゃないんですか、雨に。そういう倒錯した精神の持ち主なら」

「そんなのが居たら学校通じてオレんとこまで話があがってくる。晴れた日には絶対現れないし……追い討ちかけると、間宮以外には見えないんだってよ、そいつ」

 確かに追い討ちだ。間宮自身に何らかの障害があって、見えないという可能性もあるが──見えないという事実自体、既に常識の範囲外にある。

「高仲も対応の仕様がねえだろ。一応、毎日間宮の家の辺りを重点的に巡回してるようだが」

 一通り話し終わり、槇はパフェをつつき始める。

 我慢していたのだろうか、スプーンを口に運ぶ速さは目を見張るものがある。

「どうする。お前向きだろうが」

 嵐は盛大に溜め息をついて、うらめしそうに槇をねめつけた。

「わかりましたよ。でも俺に出来ることなんて高が知れてますからね。俺の範疇外のことだったら槇さんに押し付けますよ」

「絶対お前向き」

「話聞いてみないとわかりません」

「いや、お前向きだね」

 あまりにも強気で言うため、嵐は何故、と問うた。

 すると槇はウエハースをひとかじりし、咀嚼して飲み込む。

「オレの第六感がそう言ってるんだ。間違いねえよ」



二章 終り

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