三章
ここが通常と違うと、はっきりわかるまでに時間はかからなかった。布団を敷かれ、寝ても外は明るく、起きたところでその明るさは変わらない。朝、昼、夜を隔てるものが何もないのだ。
唯一、自分の腹時計だけだ信用出来るかと思えば日頃の不摂生がたたり、一番信用のおけないものと成り果てていた。ただ食事の内容が、時刻の変化を告げていた。
朝と思える刻にはあっさりと。昼と思える刻には軽めに。夜と思える刻には豪勢に。――曖昧だが、わかりやすい。
「時計ないんだな」
三日目――勝手に思い込んでいるさけだが――に尋ねる。少女はただ、頷いただけだった。
家には少女しかいない。だから、彼女の働き振りには目を見張るものがあった。
食事は必ず定時――三日でわかったのはそれぐらいだが――に出され、美味いことこの上ない。風呂は毎日湯を取り替えてあるし、布団は常に気持が良い。一流の旅館にでも泊まった様なもてなし具合だ。
しかし、合点のいかないことがある。晴れている日などこの三日無かった。――布団など干せるはずがない。
それに、と嘆息する。
「働いてるとこなんて見たことねぇ……」
よく働いているであろうことは明らかだ。自分はその結果を受諾している。ただ、その経過を――見たことがない。
どうもわからないことが多すぎる。その割には嫌な気配もないから、のんびりしているのだが。
天井に向けて両腕を思いっきり伸ばし、室内を見回す。うっすらと暗い家の中はそう広くない。畳の部屋が四つ、西側に小さな台所と風呂場、洗面所があり、東側に居間や客間を固めた形になる。更に庭もあり、ささやかながら菜園があるのに気付いたのはつい先程の事だ。
隣の部屋へ視線を転じれば床の間に昼顔がいけてある。
薄桃色の花が三つ。昨日は百合だった。強い芳香はまだ部屋に漂っている。ぶらりと隣の部屋に入ると、更にその香りが強くなった。
「こういうの、嫌いじゃないけどな」
呟いて寝転ぶ。床の間の大きな柱が目の端に入った。大黒柱の様で、太く大きい。これもまた年月を感じさせず、見事に磨き上げられていた。
「……ふう」
起き上がってあぐらに頬杖をつく。ごろごろするのは好きだが、始終違和感がつきまとうのは疲れる。
――だが。とりあえずは何も感じないのだ。それは清々しいほどに。
「さて……どうしたもんか」
これだけもてなされ、家捜しする気もおきない――が、手ぶらで戻ったところで無事に済む保証はない。
「なるようになるか……」
半ば自分に言い聞かせるように、嵐は立ち上がった。少女に見付からぬよう祈りつつ、台所に足を忍ばせる。
小さな台所だった。一瞬自宅の台所が思い浮かんだが、すぐに振り払う。こちらの台所の方が生活感があって綺麗だ。生活感の無い綺麗さとは違う。シンクは綺麗にふかれ、窓際には一輪、昼顔が置かれている。食器棚の食器も、きちんと整頓されていた。
落ち着いた空間だった。台所でその人の為人がわかる人間もいるらしいが、もしこの台所を見たら何と言うだろう。
――鬼、とは言わないだろうな。
いつでも誰かを迎えられる、そんな空間に見える。
「すんません……」
後ろめたい気にかられつつ、シンク下の戸を開けてみる。糠づけの瓶、調理器具、歪曲した排水管が暗がりに陳列していた。――目的のものは、無い。じゃあ、と立ち上がって動いている気配のない冷蔵庫を開けてみるが――
「……無いよな、やっぱ」
見事なまでに空っぽだった。やや苛立ちつつ、ばたん、とドアを閉める。次は食器棚、次は床下、と台所内を這い回ったが、どこにも目当てのものはなかった。
「……風呂場か……?」
風呂場に移動し、脱衣所からバスタブにいたるまで調べていく。――しかしあるはずもなく、のそりと風呂場から立ち去った。期待して探すよりも、期待しないで探す事の方がむなしいことに気付き、結局は元の部屋に戻り、座り込む。
「そもそも、普通とは違うんだよな、ここ」
今更ながらに思い、激しく後悔した。そうと気付けば無駄な労力をさく必要がなかったものを。
――じゃあ、どうする。
問うてみたところでわかるわけがない。堂々巡りをした挙げ句、結局は元のところに立ち戻っただけだった。
――庭でも掘るか。
死体でも出たらちょっとまずいな、などと考え、ふとあることを思い出した。
――殺人が、あったんだよ。
四人分の死体があるというなら、これぐらいの敷地があれば場所に困らないだろう。庭だろうが床下だろうが――よりどりみどりという言葉は不適切だろうか。
急に、不安になった。背筋をうすら寒いものが這い上がってくる。本当に気温が下がった様に感じ、右手で左腕をおさえる。
――何だか、迷い込んでないか。
自称他称そう頭の回転の早い方では無いが、いつもより判断力が鈍っている。
もてなしの連続にうかれ、冷静な判断が出来なかった。
――だからって焦りは禁物だ。
時間はかかっても――いや、出来るだけ早く見つけ出し、ここを去る必要がある。
ぜんは急げとばかりに立ち上がった時、突然、手首を掴まれた。
「うあっ!!」
突然すぎて驚き足を滑らせる。踏ん張ろうとしたが無駄だった。どすん、と尻をしたたかに打ちつけ、ついでとばかりに頭も床の間にこん、とぶつける。
「いってぇ……!」
更にぶつけた衝撃で花瓶まで倒れ、中の水から花から全部頭に被り、いい気付となった。
そのまま悶絶するわけにもいかず、憤然とした表情のまま体を起こす。
明らかに少女は申し訳なさそうな表情をして歩み寄り、着物の袖で嵐の顔を拭いた。
――むしろ風呂に。
悪意がないのがわかるため、怒る気にもならない。出来るだけ明るい声で申し出る。
「……風呂、わかしてくれるかな」
少女の動きは迅速だった。といってもガスな為、スイッチ一つで少しすればわきあがる。
それまで、少女はタオルで嵐の頭から肩から拭き、体を暖めるつもりか酒まで持ってきたが、それは丁重に断った。
濡れたシャツも乾くからと言って着替えを受け取らず、籠にひっかけ、湯船につかる。まだ後頭部がずきずきと痛んだ。
――あれは我ながら情けない。
受身の一つでも出来れば良かったのだが、生憎その術を身に付けていなかった。あんなに大きな音をたてて転ぶとは思いもよらない。
――大きな?
嵐は首を傾げた。尻を打ちつけた時、すさまじく大きな音がし、床も少しばかり揺れた。
――頭をぶつけた時は?
大きくはない――小さく軽い音だった。
こん、と。
あれだけ作りのいい大黒柱を隣に置いて、そんな軽い音で済むだろうか。同じ職人が作ったのならもっと重厚な――ぶつけた当人が言うのも何だが、重みのある音がしてもいいはずだ。
それなのに、と思う。軽い音になるのは――職人側に事情があったか、年月によるものか――何かがあるか。
「……何かねぇ……」
怪我の功名とはよく言ったものである。
「確かに……」
ずきずき痛む後頭部に今は感謝しておこう。一段落したら湿布の一つでも貼りたいところだが。
風呂から上がり、まだ湿っぽいシャツを羽織って床の間のある部屋に行く。雨は小降りになっていた。
畳に水の跡がいくつか見受けられるものの、花瓶は直され、今度はニッコウキスゲがいけられている。その花瓶をよけ、床の間を叩いた。
こん、こん、と軽く奥に響くような音がした。
逸る気を抑えつつ、床の間を隅から隅まで見回す。
――あった。
壁側に少し間を置いて二つ、手をかけられるような隙間があった。手をかけ、力を込める。ぴったりとはまっていた床の間の板はびくともせず、動く気配はない。更に力を込め、引き上げるが――駄目だった。
「引いても駄目なら……」
痛む手を隙間にかけ、力一杯押す、
すると、ぎし、と音をたて、突然、板が下に向かって外れた。慌てて両腕で踏ん張り、引力に従おうとする板を引き上げた。
息を飲む。
ほの暗い穴底は見えず――ただ鮮烈なまでの芳しい香りが、鼻孔をくすぐった。
三章 終り
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