三章

 槇の後輩だというからどれだけ奇特で奇妙な人間かと思えば、予想は綺麗に裏切られた。

「ああ、先輩の大学時代の。そりゃ大変だったでしょう」

 お茶をなみなみと注いだ茶碗を二つ事務机に置き、高仲は交番の入り口に立つ。

「今日もこうやっていきなり来るわけだし」

 イスに座り足を投げ出している槇は小さくうめき、机に置いたまま湯飲みに口をつけて茶をすすった。こぼさぬようにとの知恵なのだが、どうにも行儀が悪い。

「まだお茶入れ慣れてないんですよ。すみませんね」

「いいからそいつに説明してやれ」

 犬でも追い払うような手振りで促す。

 スポーツ刈りの高仲は好青年と言うにふさわしく、はきはきとした口調で話し出す。不服も言わないことから、どうやら槇について自分以上に悟ったらしい。

「ええと初めまして。高仲良司といいます」

「頓道嵐です」

「同年かな。おれは三十才」

「じゃあ高仲さんは先輩ですね」

 三十才とは思えぬ風体に少し驚く。高仲はあはは、と笑い、話し出した。

「話はどこまで聞きましたか」

「おおまかな所までは」

「じゃあ全部?」

「あれで本当に全部ですか、槇さん」

 確認をとると、槇は大きく頷いた。

「全部ですね」

「それで、何か……感じるとかは」

 恐る恐る尋ねる高仲に苦笑して返す。

「話だけじゃわかりません。訓練した人ならともかく、俺は素人もいいとこなので」

「そういうものなんですか」

「さあ。そういう知識もあまり無いもんで」

「へえ、霊能力者って皆話聞いただけとか、写真見ただけでわかるもんだと思ってました。少し皆に自慢出来るな、生で霊能力者見るの初めてだから」

 おや、と思い槇を見やると、槇は物凄い形相で見返した。

──成程な。

「……俺は霊能力者とは違いますけど、意外と身近にいるもんですよ」

 嵐を身代わりにして自身は蚊帳の外か。

 初めから嵐にまかせるつもりで話を持ち込んだならば、さすがと言うべきか呆れるべきか。

 特に感づく様子も見せず、高仲はまた笑って話し出した。

「間宮さんの話では心当たりは全く無いらしいです。……無いと言っても今のご時世じゃね、どこで恨まれてるかなんてわからないですけど」

「他の人に見えないっていうのは」

「……うん、見えませんね。彼女には見えるみたいですけど。おれは見たことありません」

「どんな格好かわかりますか」

 高仲は少し視線をさ迷わせ、答える。

「帽子にコートだったかな……すみません、あまり覚えてなくて」

「いや、そういうもんですから。雨の日ばかりなんですか」

 これにははっきりと答えた。

「おれには見えないので何とも言えませんが、現れるのは雨の日だけみたいですね。巡回は天気に関わらず行ってますが」

「はあ……じゃあ、梅雨の時期なんか大変だったんじゃないんですか」

 ご苦労様だな、と心の端で同情していると、高仲がきょとんとした顔で口を開いた。

「そういやそうですよねえ……」

 自身でも初めて確信を得た、という風に高仲はぽつりと呟く。

「何で梅雨の時に来なかったんだろう」

「二週間前でしたっけ」

 高仲は頷いた。

「そうです。長雨が続いてますよね、その走りの頃だったと思います」

「降り始めですか?」

「二週間と言ってもきっちり二週間前ってわけじゃなくて、大体です。すみません、記憶があやふやで」

 またもや謝る。そのでかい体で頭を下げられるとこちらが申し訳ない気になり、嵐は苦笑して結構ですよ、と言い、質問を続けた。

「なら最近になって?」

「それも違うんじゃないかなあ……話を聞いていて不思議だったんですが、彼女の口ぶりだとそれ以前にもあったような感じなんですよね。……失礼」

 霧雨のようになった雨が中に吹き込み、高仲は交番の扉を閉じた。

「それで聞いてみたんですよ。今までは大丈夫だったんですかって。そしたら今までは大丈夫だったんです、って返されて、その時はああそうですか、で納得したんですが……よくよく考えれば変ですよねえ……」

 事態の奇妙さになりと潜めていた、彼本来の冷静さが姿を現し始めたようである。

「……言葉遊びみてえだな」

 それまで熱いお茶と格闘していた槇がぽつりともらす。

 とんとん、と机をせわしなく指先で叩きながら言った。

「どっちにでも解釈出来る。過去にも同じ事があったがそれ程じゃなかったの「今までは」と、それまでは無かったの「今までは」」

 目は真剣そのものだ。その目を見て嵐はあることを思い出していた。

──そういえば槇さん。

 いつ勉強しているのかわからないほどに自由気儘に学生生活を謳歌していたが、単位ギリギリで教授がお情けで受けさせたという試験を満点で合格し、留年を免れたという噂を聞いたことがある。

 当時は真偽の程が定かではなく、圧倒的に虚偽説の方が濃かったが──

「その女子高生、ただの馬鹿か策士のどっちかだな」

 この目を見て、はっきりとこの男は確かに頭が良いのだなと納得した。

「どっちだと思う」

 槇は高仲に訊く。高仲は肩をすくめた。

「わかりませんね。策士にしても何にしても丸め込まれた方なので」

「で、お前は」

 今度は嵐へ訊く。高仲にしてみれば非常識な世界の専門家であり、彼も興味津々で嵐を見る。

「言葉遊びは槇さんに任せますが……どっちかと言うと俺向きです」

「それで?」

 槇は頬杖をついた。

「梅雨の時に来なかったなら怪しすぎますし、二週間前に来たにしても事態の変化が急すぎますね。何だか訳がわからない」

「お前にくっついてる変な奴は」

 高仲はぎょっとしたように槇を見て、嵐は息を吐く。

「鴉ですか、槇さん持参のですか」

「両方」

「鴉はさっきから向かいの木に止まって、聞き耳たててますよ。後で意見訊いてみますが期待しないで下さい」

 それと、と嵐は自分の隣を見る。、高仲にはただ汚い白い壁が見えるだけだが、嵐だけではなく槇にも何かが見えるようだ。

「槇さん、本当にどこ通って来たんですか」

「……なに?」

「小さい男の子なんですけどね、ずっと同じことしか言わない」

「何をだ」

 嵐は視線を隣──更には自分の膝上ぐらいにまで下げて、それから嘆息した。

「傘を知らないかって」

「オレぁ知らねえぞ」

「……まあ後でお寺に連れて行きますけど。とりあえず訳わかりません」

「さっきからそれだけだな」

「大体、俺に話もってくること自体間違ってるんですよ。何度も言ってると思いますが、俺に出来るのは避けるだけです」

「でもやるんだろうが」

「必要に迫ってですよ。やらないと俺に寄ってくる。関わらないで済むならそっち選びます」

「わかったわかった」

 うるさそうに顔をしかめ、槇は立ち上がる。

「とにかく何もわからねえんじゃ、どうしようもない。間宮ん家に行く」

「じゃあ、おれ案内しますよ」

 高仲は奥からレインコートを引っ張り出す。

「交番空けていいのか」

 珍しく槇がまともに心配してみせた。

 高仲は制服の上から透明なレインコートを羽織り、帽子を被る。

「もうすぐ巡回行ってる奴が帰って来るんで。……ああ、ほら」

 雨にうたればがら一台の自転車が滑り込む。レインコートについて沢山の水滴をはたき、その警官は交番に入るなり、ぎょっとしたような顔になった。

「……ええと?」

 戻ってみれば大所帯の交番に二の句が次げない。高仲が二、三、説明してようやく状況が飲み込めたようで、人懐っこく笑い「気をつけて」と言うと、交番の奥へ消えた。

「じゃあ行きましょう。傘はあるんですよね」

 扉をからりと滑らせる。

 途端に雨の匂いが中へ滑り込み、いつの間にか冷え込んでいた空気にぞくりとした。

「まだ霧雨ですね。レインコート使いますか」

「あ、平気です」

「しかし、しみったれた降り方だな」

 隣で傘を開きながら槇がぼやく。嵐も開きながら霧雨を見上げた。──風情があって良いと思うが。

 見る人によって受け止め方は変わる。忌々しそうに雨を見やる槇を先導するように歩き出した高仲が、苦笑しつつ振り返った。

「おれも嫌です。巡回の時に異様に濡れるから」

 違いない、と槇は笑う。その後に続きながら、嵐は渦中の男を考えた。

 雨の日に来る男。

 晴れの日ではなく確実に雨の日に、ただ立っているという男。

──寒くないのか。

 いや、既に人外の者かもしれないが。

「頓道!」

 ぼんやりとしていた嵐を少し先を行く槇と高仲が振り返る。

「はいはい、行きますよ」

 溜め息まじりに呟き、小走りで二人に追い付いた。その後ろをすい、と鴉が小馬鹿にするようについていく。

 三人と一羽の影を、霧雨が段々と見えなくしていった。



三章 終り

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