五章
「……何だその態度」
嵐を見た途端の天狗の逃げっぷりに呆れたように言う。朽ちた門をくぐった嵐を視認した途端、天狗はすばらしい瞬発力で嵐との間に五メートルの距離をとり、木の上に飛んだ。
「……っお前! 何だそれ!」
「それ? ……この中身か?」
リュックを掲げる。わなわなと震えた指で天狗は指した。
「そうだ! 何で鬼がその中にいる!?」
「……これが鬼? 何か勘違いしてないか」
「しない! 鬼を退治しろとは言ったが連れてこいなんて言ってないぞ!」
「あー……もう。……そりゃ気配は鬼に似てるだろうけどよ」
小さく息をつく。
「人恋しさで呪詛まで使った奴だしな。気配は鬼に近いだろう」
それに、と嵐は天狗を見てにやりとした。
「こいつはかなり年季の入った奴だ。……お前より数百年先輩だよ。その気配にびびってんじゃないのか?」
「誰が!」
「なら降りてこいよ」
にやにやとする嵐に易々と挑発されるあたり、若さが窺える。及び腰ながら天狗は木を降り、嵐との間を二メートル縮める。
「……別にとって食やしないよ」
「うるさい」
「じゃあ通してくれよ……」
用件は済ませたはずである。鬼をどうにかして雑鬼を戻せ――少女が鬼であったかどうかはともかくとして、雑鬼は戻っているはずである。
そう思い振り返った嵐は、息を飲んだ。
「……!」
怪訝そうに天狗がそろりと近付く。
「……なに驚いてんの?」
「家が……」
目に入るのは朽ちた門、その奥には朽ちた家。入る前に見た姿と同じだ。――そして入った後に見た姿とは違う。
「あんなだっただろう。最初から。それよりお前だよ」
「……なにが」
「途中でなげだしたら食ってやろうと思って、待ってたら……七日も!」
天狗の言葉に嵐は目を丸くした。
「七日? 三日だろう」
「七日だ。時の感じ方に関してはお前より鋭敏に出来てる」
「……なんてこった……」
嵐は頭に手をやった。あの家と外ではおそろしく時間の流れが違う。そう――世界が違うのだ。
「……人が入ったら、出てこれないっつったな」
「うん。お前だけだ」
そうか、と合点がいく。正当な手順を踏まなければ、あの世界を脱することは出来ない。海山も嵐も盃を持っていた為、脱する事が可能だった。
どちらの世界にも近しい盃は、道を作る。
しかし持たない人間は――偶然をひたすら待ち、迷うしかない。おそらくはあの四人も。
「運が良いな、お前」
八重歯を見せて、天狗が笑った。
「……まったくだ」
大きく溜め息をつくと、天狗の横をすりぬけて早足で歩いていく。突然の行動に、驚いた天狗も早足でついていく。
「……何だよ」
「お前、もう雑鬼を引き連れてるぞ」
言われれば、頭や肩に数匹まとわりついている。それらを手で払った。
「そりゃありがとよ。だから何だ」
「お前といると餌に困らなそうだ」
嵐は歩くスピードを早めた。
「……却下!」
小走り気味な嵐についていくべく、天狗は翼をはばたかせる。
「お前に許可なんか求めてない。おれの意志だからな」
「ああ、そうかい」
嵐は更に足を早めた。
「もっと早く走れないの?遅い」
「ならさっさと行けよ」
「雑鬼はお前の周りにしかいない。……おっと」
ふわりと天狗は上空に舞い上がった。天狗のお陰とは思いたくないが、車の音が近い。その中に、人の声が混じっていた。
「……ー……い……おー…い」
声は段々と近付いてくる。嵐が立ち止まり息を整えていると、いたぞ、という声と共に数人の男が向かってきた。その内の一人は、あのタオルの男だった。
「あんた、無事だったのか!」
「……もしかして死んだと思われてました?」
「七日も見掛けなけりゃそう思うだろう。しかし無事でよかった」
一同に安堵の様子が見える。
「すみません。大丈夫です」
まさか数日妖怪にお世話になってましたとも言えない。
「バス、出てますか?」
男たちは驚いた様子だった。無理もない。彼等にしてみれば嵐は一応遭難しかけた人間であり、大丈夫といっても休息は必要だろうと思う。それをバスは来るか、と問う。自分でもおかしい、と思う始末だ。
「そりゃ来るには来るが……休んだ方が良い」
「いえ、急ぎの用があるんで」
言って、リュックを示す。すみません、と一礼して、困惑気味の男たちの間をすり抜けるようにして歩いて行く。その途中、嵐は振り向いた。
「そうだ、熊はどうにもできないみたいです」
始め何のことだかわからなかった男は、ようやく思い出したようだ。
「あ、あぁ……そうかい」
再び、嵐は一礼して小走り気味に歩いて行く。その後ろをすい、と一羽の鴉が近からず遠からずの距離を保って飛んでいった。
「……変な奴だな……」
男たちもぽつりぽつりと帰り始める。
そのずっと先で、嵐は鴉と言い合っていた。
「……何で来るんだ……」
「餌場」
「……勝手にしろ……」
カア、と一鳴きして上昇する。ふと見上げれば、青空が広がっていた。
五章 終り
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