二章
図書館には一種独特の雰囲気がある。異様なまでの静けさと何かに没頭する人々の思念が入り混じり――その雰囲気が嵐は嫌いだった。本は好きだが、この不自然なまでの静けさは落ち着く事を許さない。
「お願いしますね」
初老の女性が、念を押す。そわそわしている嵐に不審感でも抱いたのだろうか。
「あ、はい」
「昼間であろうが関係なくありますので。ちゃんと見張って下さいよ」
「特にどこが荒らされるとかは」
「いいえ、まんべんなく」
「……わかりました」
事の発端は昨日まで遡る。
昼間、する事もなく家でごろごろとしていた嵐の元に電話がかかってきた。取り次いだ母から受話器を受け取り、耳に当てる。
「もしもし」
「お忙しい所申し訳ありません。私、尾田川図書館の館長の鈴和と申しますが、頓道(とみどう)嵐さんでしょうか」
「そうですが」
自分でも読むのに困る名字をよく読めたものだな、と感心しつつ言う。女性の声に老いは感じられたが、聡明そうな響きに老いはなかった。
「探偵をやってらっしゃるんですよね」
「あー……」
――やはりそうきたか。
この仕事を始めてから何度目かになる説明をする。
「探偵とは少し違いまして、調査専門に……」
「失礼ながらそれは探偵と変わりないのではありませんか?」
そりゃそうだ、と鈴和の切り返しに納得する。
調査、でひとくくりしてしまうと確かに探偵業と何ら変わりはない。――嵐ですら最初はそう思っていた。しかし、嵐の場合は調査に重きを置いている。浮気や素行調査から、考古、民俗学――とにかく調べ物なら何でも請け負う。
節操無しと明良に笑われたこともあり、近年ではそれを自覚しつつあった。
しかし自覚していてもそこはそれ。調べ屋と看板を掲げた以上、どんな依頼であろうと――例え探偵と間違われようと遂行せねばならない。
自身の生活水準の向上と、親の溜め息の減少の為に。
説明し直すのもどうでもよく思え、適当に相槌をうっておくと、鈴和は本題に入った。
「仕事……と言っても、警備の真似事の様なものなのですが、それをお願いしたいのです」
――嫌な予感がする。
ただの警備であれば、わざわざこんな探偵まがいの人間に頼んだりするわけがない。暗にその意を汲んだか、鈴和は続けた。
「……事が尋常ではありませんので、一般の警備会社に頼むのもひけまして。……それに、そちら様はそういう……」
口篭った言い方は、まるでその言葉を発する自分を恥じているかのようだ。確かに、常識人を自負する人間にしてみたら、言葉にして認めることで己の常識を自身で覆すことになる。それが、正しい反応だ。
「わかりました。詳しい事は直接お聞きしたいのですが」
「ああ……ええ、それでは明後日のお昼の二時はどうでしょう?」
結構です――そう言葉を発した自分を、今更ながらに恨めしく思う。
――犯人が、見えないんです。
鈴和の戸惑った物言いに嵐は更に戸惑う。
彼女の話を整理すると、午後になると必ずどこかの本棚が見事なまでに荒らされるという。その為、職員を多く配置して見回りを実施しても、一向に止む気配がない。遂には監視カメラを導入したが――結果、本が勝手に宙を舞っているという自身の目を疑う映像を映し出した。
「……そら驚くよな」
化け物慣れしている嵐にしてみれば、驚くほどでもない。犯人が見えない――そう言う鈴和の声は震えていたが。
「さて……」
嵐は辺りを見回す。
机に向かっている者は皆、自分の作業に没頭し、本棚を見上げている者は目的の物を探し――どちらも嵐の事など眼中にない。かえってやりやすいが、無視されているようでもあり、やはり居心地が悪い。
「……自分が興味あるとこの方が居やすいよな」
呟き、嵐が足を向けたのは歴史、民俗学等の専門書が並べられている一列だった。
古い紙の匂いと木の香りに、嵐は満足そうだ。いついかなる時も楽しみを忘れないのが彼のモットーである。
「……お」
革装丁の本達が嵐を迎える。
少し埃を被って白くなった本、金字で題名の書かれている本、黄ばんだ紙装丁の分厚い本――自分も読んだ事の無い本達は、本来の目的を忘れさせるのに充分だった。
一冊読めば、また一冊。一ページ読めば、また一ページ――とばかりに本棚の間に座り込み、本の山を作り上げる。座り込んだ周りにはいつの間にか、本の壁が出来上がりつつあった。
何冊目かの何ページ目かで、嵐は顔をあげる。
本に影が落ちたのだ。
「……本、好きなんですね」
「え?」
「君の周り」
男はくすくす笑って指差す。
はた、と気が付けば、自身が図書館荒らしの犯人と成り果てていた。仕事どころか邪魔をしていることに初めて気付く。
「あー……すまん。ここの職員か?」
気さくな雰囲気を持つ男に、嵐も砕けた調子で応じる。男は気を害した風でもなく向かいの本棚に寄りかかった。
「いや。ただ、来ただけだ」
「……何か読みたいのか」
「古い話は苦手だ」
「古かないぞ。別に」
「歴史が苦手なんだよ」
「テストで嫌な思い出がある奴は皆そう言うな」
男は小さく笑う。答えはしないが、黙ることで肯定した。
「すごい量だな」
「……そうか?」
「すごいさ。おれは一冊も読みきれない」
「別に好きなもんだったら楽に読めるだろ」
「おれの友達と同じこと言うんだな」
面白そうに男は嵐を見る。その様子を見て、嵐は第一印象が間違いでなかったことを改めて確認した。
――こいつ。
「君はいつもここに来てるのか?」
「今日はたまたまだ。明日は……どうだかな」
「今度は何かお薦めを教えてくれ」
男は本棚から離れ、散乱する本を拾い上げた。
「薄い方が良いけどね」
はい、と手渡すと、男は軽く会釈してその場を去った。嵐は頭をかき、ぽかんとしてその後ろ姿を見送る。
読み途中だった本を読みきる頃には既に閉館時間も間近となっており、怒り心頭の鈴和を背に本を片付け、そそくさと図書館を後にした。
「ばぁか」
「どっちに対してだ」
前方の木の上で鴉が毛づくろいをしている。
「両方」
「……仕事に関しちゃ怠けすぎたな」
「お前、本当に馬鹿だな」
「あいつに関しちゃ何も言わねえぞ」
「人じゃないのに?」
「幽霊でもないさ」
「どちらでもない奴には関わるな」
「忠告か?」
「誰が。特にお前みたいなこちらとあちらをふらふらしている奴なんか、すぐ引かれる」
「……お優しいことで」
「餌場がなくなったら困る」
「んな呑気な事言って……だから若いんだよお前」
鴉は首をひねり、黒い瞳で問う。呆れた様に嵐は声をあげた。
「少しぐらい気付けって。あいつの周り――」
「周りが何?」
「……気付かねえならいい」
歩く速さを早めた嵐の後ろを、鴉が羽ばたいて慌ててついていく。
「なあ、何が?」
手をひらひらとさせて嵐は鴉を適当にあしらった。答える気が無いと知るや、フワリと上空に舞い上がり、風に乗る。
嵐はその様子を眺めながら、あの男の顔を思い返していた。
――泣きそうだったな。
笑っていても話していても、始終その印象がついてまわり、こちらが泣かせている様な心境に陥った。――なぜ、あんなに悲しそうなのか、見当もつかない。
それに、と思う。
顔に似合わずのあの雰囲気――というか匂い。
嵐は眉をひそめる。
――血、か?
嫌な予感は、図らずも見事的中した。
二章 終り
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