五章

「……ここまで馬鹿とは思わなかった」

 出かけようとする嵐の頭上から呆れた様な声が降ってくる。見上げれば一羽の鴉が滑空し、目前の木に止まった。

「本物の馬鹿だったのか」

「言いたい事はそれだけかよ」

「心配してほしいなら、もっと自重するんだね」

「お前も心配したいならついてこいよ」

「やだね。あいつの匂いがついて雑鬼が寄り付かなくなる」

「……餌第一か」

「当然。死なない程度に行ってらっしゃい」

 自分に正直な鴉は一声鳴いて、上空へ戻って行った。

 小鬼に出会ってから十四回目、慎に出会ってから三十回目のやりとりだ。

 始めは嫌味のつもりで数えていた嵐だが次第に馬鹿らしくなり、二十回を超えたあたりからそれだけ不毛な会話をしていたかと思うと、脱力を禁じえなかった。

「ちょっと、また出掛けるの?」

 さあ行こうとした嵐の出足を、絶妙なタイミングで母がくじく。

「出掛ける。何か買って来いって?」

「違うわよ最近通り魔だか放火魔だかがうろついてるみたいだから、気をつけなさい」

「……放火魔に気をつけろっていうのは無理かと……」

 出会い頭に殴られる事はあっても、放火される事は無いだろう。

――捕まえる?

 母は息子に何を期待しているのだろうか。

「また馬鹿言って。何があるかわからないでしょう。気をつけるにこした事は無いじゃないの」

「わかった。……行ってきます」

 今度こそ、と出した足が地を踏みしめる間もなく母はまた声をかけた。

「……なに?」

 げんなりしつつ振り返る。母は玄関から口の周りを手で囲って、大声で言った。

「帰りにお味噌買ってきてちょうだい」


 遅刻の理由を嵐から聞き、目の前に座る少女はけらけらと笑った。

「やっぱあんたのお母さんだわ。面白い」

「どういう意味だ、それ」

「で、味噌買ってくの?」

「あの人には俺も親父も敵わないよ」

「偉いわねぇ」

 笑いながら言い、アイスコーヒーを一口含む。

「それで用って?」

「ああ、悪いな、わざわざ」

「いいって。たまには外出たいし」

「姉さんは元気か?」

「元気よ。あれを普通に元気って言うかはわからないけど」

「……すまん」

「やあね、何言ってんのよ。で。用件は?」

 少女に促され、嵐はぽつぽつ話しだす。

 小鬼の事、慎の事、そして鬼は死ねるのかという事。全てを聞いた少女は感心した様に息をついた。

「あんた内容の濃い日々送ってんのね」

「それで済むかよ。で、どうだ」

「まずその慎って男ね。どの一族にも属してないのは変だわ」

「葵には?」

「さあ。ウチんとこは大きいから、どうかしら」

「庚(かのえ)に聞いてみることは?」

「先代ならともかく今のはねえ。……あまり葵に関わらない方が良いわよ」

 苦笑しつつ警告する。

 やんわりと、押し戻された気分だった。しかしそうされても仕方ないだろう。

 葵は日本において随一の勢力を持つ鬼の一族である。その歴史は古く、また現存する鬼の一族の中では最も精霊としての力が強い。下手に手を出して、無事に済むような一族ではないのだ。

 この少女――丁(ひのと)も葵の中では高位に位置する。そのような人物と嵐が何故知り合いかはまた別の話だが。

「その人が生粋の鬼で、しかも一族から離れてフラフラしてるような人間だったら、噂の一つぐらい流れてくるわよ」

「やっぱ生まれつきじゃねえか」

「それくらいはあんたもわかるでしょ。ウチらと違うって」

 丁は頬杖をつく。

「人が鬼になる事は不可能でないわ。人を恨むとか喰うとか……ま、どれも通説にすぎないけど」

「じゃあ元は人か」

「聞いた限りじゃね。そいつが死にたいって?」

「死にたいって」

 言って、コーヒーをすする。丁は怪訝そうな顔をしてみせる。

「簡単な事じゃないわよ」

「俺も言った。でも死にたいらしい」

「……鬼切ならね」

「……あいつと同じ事……」

「明良?でも、それが一番早いわよ」

「俺らの業界じゃ無い事になってる」

「あるわ」

 グラスの中の氷をストローでつつきながら、至極あっさりとした口調で言う。あまりにも普通である為、嵐は一瞬聞き間違えたかと思った程だ。

「どこに、とか聞かないでよ。あんた聡いからわかるだろうけど」

 察しがついた。――同時に丁が言えない訳も。

「まあ、あっても使えないし無いのと同じか」

「……他に方法は」

「首や胴を断たれればさすがに死ぬわね」

 げんなりしつつ、嵐は勘弁とばかりに手をひらひらとさせた。

「……なら、火かしら」

「火?」

「清められた火なら、多分」

「護摩壇の火とか?」

「極端な話、神社仏閣を燃やした火でも多分ね」

「……物騒だな、おい」

 ここまで話しておきながら、今更に話の内容の異常さに気付く。時折通る店員や客が訝しげな顔で見ても文句は言えまい。

「それだけ強いって事。死んだって良い事ないって言ってやりなさい」

 結局答えにも何もなっていない。

「小鬼は?」

「雑鬼が鬼の骨を集めるなんて初耳だわ。式なんじゃないの」

 式、とは人に使役される雑鬼や精霊の総称である。使役する者の力に応じて、式の力も左右するのだ。

 あの小鬼から感じる気配は――雑鬼というには強すぎる。

 それに、と嵐は言う。

「……土の匂いがした」

 話しつつ自分でも変な事を言っているという自覚はある。

 しかし、小鬼と話している間は始終、よく肥えた腐葉土の香りがついてまわった。庭の香りとは違う、湿り気を帯びた香りだった。

「……精霊かしら。そんな匂いがするなんて」

「お前でもわからんか」

「あんた、私を何だと思ってんの」

「俺よりかはこっちの業界に詳しいだろう」

 にわか拝み屋の嵐の知識など、とるにたらないものだ。

 何百年も生きた知識を持つ鬼に比べれば、披露するだけ無駄というものである。

「生まれた時からこっち側に身置いてたら、嫌でも吸収するわよ」

「そうか?」

「そんなもんよ。他に用無いんだったら私、もう行くけど」

「働き過ぎは良くねぇぞ」

 立ち上がりざま、丁は苦笑しつつ返した。

「依頼主達にもそう言ってやってよ」

 じゃあ、とだけ言うとすたすたと喫茶店を出て行く。その後ろ姿が店を出て見えなくなってから、嵐は肩の力を抜いた。

――さすがに。

 最古の鬼とはよく言ったものだ。

 こうして話すだけで、その気配の強さに圧倒されそうになる。

 自身を律し、常に気を張ってなければおぞらく話す事もできまい。

 慎の気配とは雲泥の差だ。――血の匂いを除いては。何度も会い、既に鼻も麻痺した様だが、こうして外の空気を吸った後ではやはり際立ってわかる。

 聞いてみようにも聞けず、だらだらと寺に通い続ける毎日だ。

「今日はどうするか……」

 慎の頑固さは筋金入りで、初めは諭そうと頑張っていた嵐も今は茶のみに徹している。

 だが頼みを聞くつもりもなく、考えあぐねいていた。

 いかにして慎の考えを曲げるか。

「……何するかな」

 考えつつ、コーヒーをすする。既にそれは、ぬるくなっていた。



「……遊びに来てんの?」

「一々確認するなよ」

「やる気あるのか」

「今やってる事ならな」

「……負けてるじゃんか」

 覗き込んだオセロ盤は見事に白一色で、黒は端で縮こまっている。

 嵐とオセロ盤を挟んで向かい側に座る慎は、自身の勝利に目を丸くしていた。

「驚いたな」

「……何に」

「弱いんだ」

「あーこいつ本気で弱いから。オレにだって負けるもん」

 背後から茶茶を入れる明良をねめつけ、溜め息をつく。

「オセロは苦手なんだ」

「そういや将棋と碁は得意だな、お前」

「爺さん婆さん相手に打ってたからな」

 自宅周囲の環境の所為か、お年寄りとの付き合いは深い。その上家族までもが古い体質の人間である為、オセロよりも将棋や碁の方が馴染みがあった。

「……そうだ、檀家さんからおかず貰ったんだけど食うか?」

「もうそんな時間か」

 見回せば、空は鮮やかな赤色に染め上げられている。総じて木々も家々も道も、自分らも橙色に染められていた。

「なら、家に電話してくる」

 寺の縁側でオセロをしていたのが幸いして、明良の自宅まではそう遠くない。

 席を立った嵐の後ろ姿を見て、慎はくすりと笑った。

「どうした?」

「いや……偉いんだな」

「あいつの両親、そういうとこ厳しいから。大学ん時もあんなだったぞ」

「へえ」

「じゃ持ってくるから、ここ片付けといて」

「ここを?」

「いいじゃん、ここで。ついでに蚊取り線香もよろしく」

 のんびりとした足取りで歩いていく明良の背を見て、苦笑する。

――面白いな。

 世話になって一週間以上経つが、その時々の嵐と明良の行動に驚かされる。

 今日とて、寺の縁側で夕飯を食べるという。

 いつだか寺の階段で酒を酌み交わしていた時。それを見ていた近所の人間も加わり、大宴会となりはてたこともあった。

 どれも、慎にはやれなかった事である。

 かつて人であった時にやれなかった、事だ。

 自嘲気味に笑い、立ち上がる。

――まだ誰かを羨むことがあるとはな。

 オセロを自身が使わせてもらっている部屋に置き、蚊取り線香を取りに本堂に入る。

 外界の音が遮断され、ひんやりとした空気が自然と姿勢を正させた。荘厳な金細工が天井から吊るされ、その中に鈍く光を放つ本尊が鎮座している。薄く開かれた目はどこへ行こうとも見ている様で、気味が悪かった。

「……いいご身分だ」

 吐き捨てる様に言い放ち、本尊の左隣へ回り込もうと前を横切る。

 その時、激しい耳鳴りが慎を襲った。頭にまで響く音に眉をひそめ、その場にうずくまる。

 耳を抑えても、音は直に頭に響く。わんわんと響く音に視界が揺らぎだした時、白いものが前を横切った。

「……許してくれ」

 それは白く輝く犬で、本堂の入り口から慎を見つめている。

「……本当に、許してくれ」

 犬はすっ、と目を細めて閉じていた口を開く。そうして肢を一歩踏み出した時、ばん、と強い音がした。

「慎!!」

 うずくまる慎に駆け寄る嵐を確認すると犬は踵を返し、夜闇に溶け込んで消えた。

「どうした、何だあれは」

「……よく、わかったな」

 顔面蒼白で声は震えている。

「勘は良いんだよ。それよりあれは」

 意気込む嵐に対し、慎は二つ三つ深呼吸して後、低く言い放った。

「気にするな」

「気にするな?」

 慎の態度の腹立たしさがこみあげ、思わず声を荒げて肩を掴む。

「いい加減にしろ!俺はもうあの犬を見た。親切にもあれは、警告までしてくれたよ。俺は充分当事者だ。それでも」

 嘆息して気を落ち着かせ、肩から手を離す。手にはうっすら、汗がにじんでいた。

「それでもお前は気にするな、か?」

「……嵐」

 ぽかんとしていた表情から転じて、慎はくつくつと笑い出す。既に顔色は良く、声には張りが戻っていた。

「……叱ってんのに笑うかお前」

 肩を震わせて笑う慎を前にし、声を荒げた自分が恥ずかしく思えた。

「君がそこまで怒るとは思わなくて」

「あのな……」

「それに」

 顔をあげ、嵐の手を指差す。

「汗でびっしょりだ。肩が濡れた」

 決まりが悪そうに手をぶらぶらと振り、ズボンに掌を強く擦りつけて拭き取った。

「洗ってくる。お前も着替えろよ」

「なんで」

「お前こそ汗でびしょびしょだ」

 言われれば成る程、どうも冷たいと思ったら湿っている。先刻の出来事が体中の汗腺を全開にしてようだ。

――ああ、冷たい。

 つまめばまだ、じんわりと水がにじんだ。

 立ち上がり退室しようとした嵐に、背後から声がかけられる。

「話そう」

 声が響いた。

 低く、しかし決意に満ちた声が。

「君に、話そう」



五章 終り

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