待合所にて

本章


――落ちてますよ。


 大きな手が、赤い巾着袋を差し出す。


――気をつけて下さいね。


 抑揚のない声でさらりと言い、男は去る。

 そうして気付いた。


――言い忘れた、と。


本章

『……車両事故のため、只今上下線とも運転を見合わせております。お急ぎのお客様には大変ご迷惑をおかけして……』

――なるほどな。

 木のベンチにもたれ、嵐は一人納得した。どうりで待てど暮らせど電車が来ないはずである。

 しかもこんな田舎――地元の人間には失礼だが――の小さな駅ともなれば、人の姿など滅多に見ない。

 単線しか乗り入れておらず、上下線ホームがそれぞれあるだけで立派なものだ。昼間のこの時間にこれだけ人がいないのには少々集客力に難ありかとも思えたが。

「……間に合わねぇな」

 ポツリと呟き、肩の力を抜いた。

 本業である調査業を無難に終え、さて帰ろうとした時に何処で調べたのか、出先に明良から電話がかかってきたのだ。

『ヒマ?』

 電話口に出た途端言う言葉がそれか、と腹立たしくなった。

『これからうち来いよ。頼み事あるんだ』

「……帰って寝たいんだ」

『親父の頼みなんだって。な、来いよ』

「親父さんの?……」

 記憶にある限りでは、どうも声のでかい坊主だという覚えしかない。あのどら声で怒鳴られるのもな、と渋々承諾し、今に至る。

 もとより急ぐ気など微塵もなかった為、だらだらと駅に来たはいいものの――電車が止まっているなど予想外だった。

 ましてや、田舎の小さな駅舎の待合所である。エアコンなどあろう筈がなく、季節外れのだるまストーブの隣で扇風機が首を回しているだけだ。しかも、先刻からその度にぎしぎしと何とも頼りない音がする。止まるのも時間の問題の様な気がしてきた。

「……さてどうするか」

 窓を少し開けてみるが、押し寄せる熱気にすぐさま閉める。

――帰るか。

 無理に行く必要もない気がする。

 どら声の一つぐらいだったら、耳栓で対処の仕様もあるだろう。

 怠け心が首をもたげ、帰ろうかと腰を浮かせた時、ひんやりと涼しい風が頬を撫でた。うっすら汗のにじんでいた肌が瞬時にして冷える。

「――失礼ですが」

 日傘をたたみながら、着物姿の女性が待合所に入る。淡い黄色が目に映えた。切れ長の目は強い印象を与えたが、笑んだ瞬間に失せる。後頭部で綺麗にまとめられた髪は黒く、美しかった。

「電車は来ておられないのでしょうか」

「ああ、車両事故みたいですよ」

「どれくらいかかりますか」

「さあ……俺も二十分くらい待ってるんで。まだかかると思いますよ」

「そうですか」

 女性はしばらく考えた後、嵐が座っているベンチの左隣のベンチに腰掛けた。丁度、扇風機の風が届く範囲で、時折ささやかに女性の持つ風呂敷包みの端が揺れる。

「今日は、いつもより涼しいですね」

 ふいに女性が口を開いた。

「そうですね。まあいつもよりは……」

 いつも、が常に真夏日な為、涼しいと言っても汗ばむことに変わりはない。

「あなた様は今日はお友達のところへ?」

「はあ、まあ……そうですね」

 くされ縁とも言うべきか。一応は友達の域に入るだろう。

「あなたは今日はどちらに?」

「お礼参りに伺おうと思いまして」

「お礼?」

 嵐は思わず風呂敷包みを見る。女性はくすり、と笑った。

「ええ。これを渡しに。いつぞやご親切を賜った時、お恥ずかしいことに礼を述べるのを忘れてしまいまして」

「忘れて……」

 女性は苦笑した。

「まさか声をかけられるとは思わないもので」

「ああ……そうですね」

 嵐は笑って返す。

「……電車来ませんね」

「お急ぎですか?」

「あまり夜遅くてもご迷惑でしょうし」

「じゃあ……」

 立ち上がり、窓の外を見る。暇そうなタクシーが一台、止まっていた。

「タクシー使いますか?俺、呼んできますよ」

「いえ、お手をわずらわせてはご迷惑でしょうから」

 慌てたように女性は手をひらひらとさせた。

――本当に大丈夫か。

 元が世話焼きな性を持つ嵐だが――特にこの人は心配だ。

 嵐のそんな様子を察したか、女性はふわりと笑ってみせる。

「ご心配をおかけしているようで。でも暗くなる前に戻れば大丈夫ですから」

 女性の気丈な言葉に安堵する。

「慣れているんですね」

「そうでもしなければ、今は大変ですから」

 ふと耳を澄ませるとセミの声が代わり始めていた。女性も気付いたように窓を見る。

「ヒグラシですね」

「……電車、来ませんね」

 待合所から線路を覗きこむが、ヒグラシの声以外聞こえない。

 気付けば陽も傾き始めていた。橙色が待合所にさしこむ。女性はしばし考え、嘆息した。

「仕方ありませんね」

 すっ、と立ち上がり女性は嵐の方へと進んだ。

「どうぞ」

 言って、風呂敷包みをさしだす。

 薄桃色の手触りのいい風呂敷包みは重かった。とても女性が持ち歩いていたとは思えない。

「さしあげます」

「……お礼の品なんじゃ」

「このまま持ち帰っても悪くなってしまうだけなので。あなた様にはご縁があるとお見受けしましたから」

 にっこりと微笑まれるも、素直に喜べない。

「いや、でも」

「どうぞ、お持ちになって下さいまし」

 更に言い募ろうとするが女性は日傘をさしていた。

 そのまま軽く会釈すると線路へ歩き出す。

「……おいおい」

 何もわからないわけではあるまいに、と続いて嵐がホームに出る。しかしそこに女性の姿はなく、閉じられた日傘がホームの柱にたてかけてあった。

 そして更に歩を進めた時、目の端を光るものが横切った。

「……そっちから帰るんですか」

 夕陽に染められた線路には美しい輝きを放つ、狐がいた。その輝きは金色というにふさわしく、流れるような毛並みは三つに割れた尾まで続いている。

「近いのですよ」

 穏やかな口調は、聞き覚えがあった。

「気をつけて下さいよ」

「ありがとうございます。……久しぶりに楽しい時間を過ごさせて頂きました」

 情報交換程度の会話でも、数少ない話せる相手の出現に、彼女の心は踊ったのだろう。

「どうも。楽でしょう、そっちの方が」

「本当に。人の姿などたまにとるだけで充分ですね」

「お礼の品、本当に貰って良かったんですか」

「申し上げたでしょう」

 踵を返した狐の声は、戸惑う人間を笑っているようだった。

「あなた様には縁がおありの様だと」


終章

 夜の寺というものは、その雰囲気の所為なのかそれともただ単に気候の関係なのか、異様に涼しく思えた。縁側でぶらつかせている足がひんやりとしている。

「――遅かったなあ」

 荒い足音と共に、ランニングにズボン姿の明良が縁側をやってくる。手持ちの盆の上には晩酌用の酒と、剥いた夏みかんが乗っていた。

「電車が止まってたんだよ。それでも来たんだから誉めるぐらいはしろ」

「へいへい」

「来たら来たで、明日とか言われるし」

「仕方ねえだろ。急に法要入っちまったんだから。泊まればいいし」

「寺は面倒臭いのが集まってきやがるからな……」

 うなだれるが、明良はいそいそと冷酒をぐい飲みに注いでいる。恨めしそうに天を仰いでみたところで、ほくほくと嬉しそうに鳴く鴉を目にするだけだ。

――どいつもこいつも。

 そんな嵐の胸の内など露ほども知らず、明良は既に二杯目に行こうとしている。

「飲まねえの?」

「飲む」

 変な効果のある酒なら飲まないが、と心の中で注釈を付け加え、一息で飲み干した。

「……強いよなあ、お前」

「お前もな」

 言い、二杯目を注ぐ。

 共に一升瓶を一晩で空けた仲である。誰が強いとは、言い合うだけ不毛というものだろう。

「けどさあ……」

 明良は夏みかんをつまんで口に放り込み、飲み込む。

「つまみに、みかんってどうよ。土産はありがたいけどさ」

「美味いだろが」

 確かに美味かった。市販のものよりも酸味も甘味も数段上で、実もぎっしり詰まっている。

「そら美味いけど。珍しいな、お前が土産持参って」

「もらいもん」

「は?貰ったって?風呂敷ごと?」

「風呂敷ごと」

 明良は口笛を吹いてみせた。

「へえ、気前良い奴がいるもんだな。どこで?」

「駅で。……えらい根掘り葉掘り聞くな」

 ああ、と言って明良は後ろに伸ばした両腕に体重を預ける。

「見たことあるんだよ、あの風呂敷」

 三杯目の酒を飲もうとぐい飲みを傾けたところで、嵐はその動きを止めた。

「ええと……ああ、あん時だ。お前が酒探しに行ってる時にさ、会った女の人が持ってた気ぃすんだよなあ」

「よく覚えてんな」

「その人が巾着落としてさ、オレが拾ったのよ」

「お前が?」

 信じられない思い聞き返す。ただのトラブルメーカーだという印象しかない明良が、誰かに対して親切を働くなど聞いたことがない。――今聞くまでは。

 嵐のそのあからさまな態度に、明良は眉をしかめた。

「失礼な奴だな、お前。オレだって親切ぐらいするぞ」

「いや……」

 この様子からすると、明良はその女性の正体を知らないようだ。――仮にも寺の坊主が狐の変化ひとつ見破れないようでは。

「笑うもんかあ?」

「じゃなくて……」

――ああ、確かに。

 あの狐の言ったことは正しかったのだ。

 縁がある。

 事実、嵐は明良の友人だし、明良はあの女性を知っていた。嵐を通してあの狐――尾が割けていたから妖狐と言うべきか――妖狐は明良が見えたのかもしれない。そして縁がある、と。

 そうしてこの夏みかんを渡したのなら、遠まわしにせよ妖狐は目的を果たしたことになる。

「お前、めでたい奴だな」

「だから、何で笑ってんだよ……」

 訳がわからないといった風に、明良は天を仰いだ。

――めでたい奴だ。

 妖狐のような気まぐれ者が律儀にもお礼をしようなど、滅多にない。気付かなかったにせよ、その恩恵を受けた明良は確かにめでたい奴だ。

――偶然?

 もしかしたら、あの妖狐は――……

 そう思うと、やはり笑いが止まらない。

 腹を抱え、喉をならして笑い続ける嵐を、明良は覗きこんだ。

「……おーい」

「いや、いやいや……お前も難儀な奴だな」

「何でお前に同情されんだよ」

「知らないってことも難儀だな。本当に坊主かよ。髪も剃らねぇで」

「オレんとこは剃らなくていいの」

「はいはい」

「何がおかしいんだよ」

「とりあえずおめでとう」

「……おめでとうって何が」

「はい祝杯、祝杯」

 まともに取り合わず、空になっていた二つのぐい飲みに酒を注ぐ。明良に持たせ、自分も持つ。

「……訳わからん」

「全部が全部わかっても面白くないだろ」

――例えば無意識の親切の様に。その行いに対し、妖狐が抱いた想いまで人が計る事は出来ない。――それを推察する楽しみぐらいはあっても。

 笑いあってぐい飲みを合わせると、それらはチン、と小さな音をたてた。



待合所にて 終り

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