四章
汰鳥家の台所は二つある。一つは自宅、一つは寺と自宅の間にあり、後者は法要時の食事を作る為の所で自宅の台所よりも広く、冷蔵庫も大きい。――当然、中身もそれなりに上等な物が揃っている。
「茶入れるのに何分かける気だ」
「どうよ?」
煙草をふかし、嵐にも勧めるが嵐は首を横に振って断り、明良の向かいに腰かけた。
「嘘はいけねえんじゃねえの」
「……立ち聞きは良い趣味とは思えないな」
「そらどうも。お前だってやろうと思えばやれるだろうが」
「髭切か?」
「鬼切とも言うだろが。あれなら誰でも鬼を倒せる」
「あれは主人を選ぶんだよ。そもそも実在するかどうかも怪しい刀を話のネタに持ってくんな」
「……えらい虫の居所が悪いなあ」
嘆息して嵐は明良に向き直った。
「当たり前だ。いきなり会って死なせろ言われて気分の良い奴なんかいるか?」
「お前に話聞かせた方が得策だと思ったんだよ」
盛大に溜め息をついて天井を仰ぐ嵐の様子に心配になり、明良はくわえていた煙草を離した。
「おい、大丈夫か?」
「ぼちぼち」
間の抜けた声に、明良の心配は更に膨れ上がった。
「どうするよ」
「どうすっかなー……」
「頼み聞くのか?」
「却下、却下」
天井を仰いだまま、手をひらひらさせる。
「殺しはやらん」
「専門の奴に任せれば」
「嫌だってさ。人生相談なんざ範疇外だしなあ……明良、お前やれ」
人事だと思って構えていた明良は突然話をふられ、焦りだす。
「は!?無理だって」
「人生相談とかもやるんだろ、坊主って」
確かに道を諭す役目はあるだろうがそれとこれとは違う。
そもそも自分の手に負えないと思ったから、嵐を呼んだのだ。ここでバトンを渡されても、成す術はない。
「オレだって鬼は範疇外だよ。お前、友達いるんだろ?そっち方面に」
「鬼に?……まあ、居るっちゃあ居るけどな」
「なら、そいつに頼んで説得でもなんでもしてもらえよ」
「無理だ、そりゃ。あの家古いし。はっきり同族とわかる奴でないと面倒見ねえよ」
「……あいつ鬼だろ?」
ずっと上を向いたままだった頭を下に向け、首の筋肉を揉みほぐす。
「多分。ただ、どうもなあ……」
嵐は言葉をにごした。
「あの天狗が何か言ってんの?」
「ビビって来やしねえ」
いつもなら餌があると言ってほいほいついてくる奴が、今回ばかりは及び腰だ。
鼻の良さ、敏感さは嵐も認めている。本物の鬼は知らないだろうが、危険なものに対しての本能的な危避感が働くのだろう。
「じゃ、なに気にしてんのさ」
「……あいつ」
気配は友人の鬼と似ている。だから鬼だと言う慎の言葉に間違いは無いだろう。
だが言葉の端々には後悔の念すらにじみ出ていた。
生まれつきの――現存する鬼の一員であるならば、あのような物言いをするだろうか。
「……いや、鬼なんだろうけど」
うめきながらテーブルに突っ伏す。疑惑が疑惑を呼び、考えても答えは出ずという悪循環はどうも体内の血糖値を下げるらしい。――盛大な腹の虫が、台所内に響いた。
「……そういや、何しに来たのお前」
ただ愚痴を言いに来ただけならば叩き出すところだが、嵐は勢い良く立ち上がり、冷蔵庫をあさりはじめた。
「飯だ、飯。俺も慎も腹減ってんの」
「あー……あいつね」
「無理にでも食わせろよ」
「嫌だっつってんのに食わせたって意味ねえじゃん。限界知れば自分から食うし」
「今日がその限界だ」
パンやらおにぎりやら缶詰やらを山盛り取り出し、温めるべき物を順にレンジで温めていく。
「で?今日はどうする?」
「食ったら帰る」
「は!?」
「まず、あいつに健康的な生活をさせろ。あんな不健康な顔されちゃ、こっちが参る」
「そりゃそうだけどさあ」
一人で何が出来るとも思えず、何とも頼りない顔で見やるが、嵐は盆に食べ物を山盛り乗せて足早に退室してしまっていた。
予想は的を射ていた。盆の上から文机から展開される食べ物達は、一般家庭の冷蔵庫から繰り出されるものではない。慎はそれらを前にして目を丸くしていた。
「やっぱ儲けてんな、ここ。遠慮なんて馬鹿らしいからやめとけ」
「でも……」
「一週間、ずっと腹っぺらしだろ?そんな奴とまともな会話出来るとは思えないんでね」
「食べたら頼みを聞いてくれるのか」
「さっきよりかは親身になってやるよ」
答えになっていない。嵐は自身の満腹感を得るべく、既にパンを口に頬張っている。
恨めしそうにそれを見ていた慎も、やがて悟ったか、おにぎりに手を出した。それが腹におさまるや否やリミッターが外れたかのような食欲を見せ、あっという間に盆の上からも机上からも、先刻までの食べ物の山は消え失せてしまった。
食後の茶を後から来た明良に貰い、互いにすすりつつ満腹感に浸る」
「ほら見ろ。腹減ってたんじゃねえか」
「断食の辛さがよくわかった。食を断っている間よりも、その後が辛い」
不思議そうな顔をしている二人を見て笑う。
「始め、胃が受け付けないんだ。だから無理にでもつめこまないと」
「あー……それであの勢い」
納得したように、嵐は後方へ投げだした両腕に上半身の体重を預ける。
慎は苦笑し、茶を口に含んだ。
一時、休んでいた手を再び動かして片付けながら明良は嵐を覗き見る。
「どうする、これから」
「一旦、帰るよ」
驚き、思わずむせる慎に嵐は笑ってみせた。
「いや、放棄するわけじゃない。ただ鬼の話だなんて、こいつから何も聞いてなかったから用意も何もしてねえんだ」
「じゃあ……」
期待に身を乗り出した慎を、軽く制す。
「だから人殺しも鬼殺しもやらねぇって」
浮かしかけた腰をすとん、と落とし、明らかに気落ちした様子で嘆息する。
「……あんたに憑いているとかいうのは何とか出来るかもしれない。けどあんたを死なすのはな、やっぱ無理だ」
「……」
「その点についちゃ他の奴にあたってみるが、期待はするなよ」
顔を伏せたまま、慎は反応を見せない。
「――あんたさ……」
「聞かないでくれ」
死ぬ理由を問おうとした嵐の言葉を、強い――今までにないほど強い口調で遮った。
「まだ、聞かないでくれ」
結局、話に進展が見られず、慎に食事はしっかりとるように、と教師の真似事をしてみせてから寺を出た。
呪殺の以来が無かったと言えば、嘘になる。
この仕事を始めて、嵐の裏家業――拝み屋の事が知れ回るのに時間はかからず、そうと知って呪殺の依頼をする人間がいなかったわけではない。
さもしい話だが、少ない依頼の半数を呪殺が占めている。その全てを断っているものだから、年々少なくなってはいるが、無くなる事はなかった。
「……嫌なんだよ」
ぽつりと呟き、歩調を早める。
――刹那。
そよ、と風が頬を撫でたかと思いきや突風が足元をすくい、よろけた嵐の腕を一陣の風が吹き抜けた。
痛い、と半瞬置いて気付く。見れば、ぱっくりと切れた傷口から血が滴り落ちていた。
「――関わるな」
目の前で風がくるくると弧を描き、次第に収束していく。――白い、犬だった。
「おれらに、関わるな」
低く、内臓にまで響くような声で犬は言い放つと、糸がほどけるように空気に溶け込み、かき消えてしまった。
「――おれら……?」
反復してみるが、意味がまるでわからない。
思い当たるフシが無いわけではないが、逆にありすぎでどれがそうなのかわからない。
「関わるなっつっても……」
警告をするぐらいなら、始めから何らかの形で警鐘を鳴らしてくれても良かったのだが。
――参ったな。
腕からは細く、絶えることなく血が流れている。とろとろと流れるそれは指先から、地表に赤い花を咲かせていた。
このまま家に帰るのも気が引ける。母に何を言われるかわかったものではないし、天狗にいたっては大笑いされるのがオチだろう。
「……」
嵐は元来た道を振り返った。
数分も経たぬ内に腕から血を流して戻って来た嵐を、明良は訝しげな顔で見やり、慎は表情を固くした。
さほど深くはなかった傷口を消毒し、ガーゼをあてがい、包帯で巻きつけながら明良は問う。
「ケンカ?」
「……出て早々、んな物騒な事あってたまるか」
心配の一つでもすれば人間性を見直す機会となったのだが、明良は自ら放棄した。ぱしん、と傷を軽く叩き、うめく嵐を尻目にけらけらと笑う。
「だっせぇ。犬にか」
「お前だってやられる」
「オレ、ケンカは強いの」
あながち間違っていない自慢に閉口し、慎を見る。
嵐が傷を抱えて戻って来てから、表情は変わらない、固く、強張っている。
「――慎」
呼ばれ、はっとしてように肩をすくめると気のない言葉で心配してみせる。しかし、心ここにあらずといった感で、表情はぼんやりとしていた。
「何かあるのか?」
慎は苦笑して首を振る。
「ない」
「本当に?」
「ない。早く家に帰った方が良い」
「心配してくれてんならありがたいが、追い払おうとしてんなら心外だ」
まっすぐに、慎は嵐の視線を受けとめた。
そして目を伏せ、僅かに微笑みながら首を振る。
「……そんな事はしない。ただ今は、帰った方が良い」
「寺ん中の方が安全だと思うんだが」
慎は酷く怒りに満ちた言葉で返した。その言葉を発する自分にも、そうせざるを得なくなった事柄に対しても怒っている様だった。
「おれの側の方が危ない」
それ以上の追随を許さぬ口調で、嵐は確かに追求出来ず、二度目の帰路につきながら溜め息をつく。
隠し事を――信用されていなかったのが辛いわけではない。
慎にああ言わしめた自分が、ひどく情けなく感じた。
四章 終り
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