第22話 夜会話①

「う……むぅ……」


 夜中、アスカは喉の渇きを感じて目を覚ました。窓の外を見てみれば、まだ月が空高くに上っており、夜明けは遠いようだった。アスカは荒っぽく前髪を掻いて立ち上がる。

 このアトリエは現在、街道のすぐ傍に停泊している。ナターシャの治療に大分時間が掛かり、結局、深夜になってしまったからだ……明日、近くの街までリディアの馬車と一緒に移動し、そこで今後のことを考えようということになっている。

 ちなみに、アトリエのすぐ外では、盗賊達に寝込みを襲われないように、エリアルが寝ずの番をしてくれている。アスカ達よりもよほど鋭敏な嗅覚を持っているエリアルにかかれば、盗賊の感知など楽々だろう。


「……クリスはぐっすり寝ているな」


 アスカが寝ているのとは別のソファーで、健やかな寝息を立てているクリスを見て、アスカは苦笑を浮かべる。基本的に一階では男性陣が、二階では女性陣が眠りについている。

 水瓶の水を飲むために、アスカはあくび交じりに歩きだし……そして、不意にアトリエに光が灯っているのに気が付いた。覗いてみれば、そこには火を使っていない不思議なカンテラを傍らに置いて、コレットが一人で熱心に書物を読んでいた。

 感心感心……と言ってやりたいところではあるのだが、この少女、どうも思い込むと根を詰める所がある。アスカは霊水で水差しを満たし、コレットの元へとやっていく。


「寝たんじゃなかったのか?」

「あ、アスカさん……。アスカさんこそ、寝たんじゃなかったんですか?」

「喉が渇いてな。起きたらコレットが何か作業をしてたんで、こっちに来た。んで、何をして……いや、お前さんのことだ。ロード・オブ・トワイライトのことを調べてたんだろ」


 アスカの言葉に、コレットは淡く微笑んだ。

 コレットはリディアに向かって、『錬金術師として全力を尽くす』と言った。

 だからこそ、この少女は本当に錬金術師として全力を尽くして、ナターシャの中に潜むロード・オブ・トワイライトを何とかしようと思っているのだろう。

 少なくとも、コレットは字面だけの言葉で『全力を尽くす』などと言える性格をしていない。難儀だな……と、アスカは思うが、同時にそれがコレットの魅力であり長所でもある。


「何か目星はついたか?」

「いえ……こんな事例見たことも聞いたこともないのが本音です」


 机の向かい側の椅子に座ったアスカに、コレットは小さく頭を振りながら本を閉じた。その顔には焦燥と疲労が見え隠れしている……よほど必死に探したのだろう。


「正直、ロード・オブ・トワイライトと呼ばれる存在は、生命を乗っ取る異形の存在――つまり、『魔影』の一種なのではないかとも疑ったのですが……それにしては、ナターシャさんが正常すぎると言うか。どうも違うように思えてしょうがないんです」

「ドラゴンと同じ神獣という線はないか?」


 アスカの言葉に、コレットは何とも言えない表情をして首を傾げた。


「確かに、ドラゴンになったアスカさんと一戦交えることができる存在なんて、まさに神獣としか言いようがないんですが……うーん……十分あり得る可能性ではあると思いますが、私としては懐疑的です」


 ただ……と、言葉を繋いで、コレットは口を開く。


「明日、実際にナターシャさんに色々と聞いてみるつもりなんですが……まるで、そのロード・オブ・トワイライトはナターシャさんの中に封印されている、もしくは、ナターシャさんという殻を突き破って出てこようとしているように思えるんですよね」

「それは同意だな」


 アスカ達が戦ったロード・オブ・トワイライトの右腕だが、上腕部を切断した後、自分の意志で、虚空の中に戻っていった……つまり、戻ることは自分の意志でできる可能性が高い。とすれば、やはり何らかの拘束がされており、それを破って出ようとしていると考えた方が自然だろう。


「一応、アスカさんが持ってきたガントレットの破片なんですけど、エーテルまで分解してみた所、四つのエーテルに分離できました」


 そう言って、コレットは立ち上がると錬金釜の傍らに置いてあった、鉄製の容器を取って戻ってきた。そこには、透明なエーテルが二つと、赤いエーテル一つ、そして……どす黒いエーテルが一つ置いてあった。


「『硬質』『反射』『焦熱』……そして、『呪怨』です」

「……『呪怨』、ねぇ」

「はい、『呪詛』の上位エーテルです。中位エーテルの『焦熱』と形質エーテルの『硬質』『反射』も優秀で珍しいエーテルです……正直、まさかこんなものが取れるとは思いませんでした」


 アスカは『呪怨』のエーテルをまじまじと見て、渋い表情をした。


「これはドラゴン変身には使いたくないな……」

「同感です。どのように左右するか分かったものではありませんから。一応、保存はしておきますが、使わないようにしてくださいね」


 そう言って、机の端に寄せた後で、コレットは腕を組んでうーんと唸る。


「学院でも色んなエーテルを見てきましたが、『呪怨』なんて初めて見ました。こんなものが、自然物に含まれるものだろうか、という疑念もありまして……」

「なら、人工物だって言いたいのか?」

「そう説明された方が、しっくりきます」


 こくんと素直に頷いたコレットを前に、アスカはあの禍々しい殺気を放つ、鎧の化け物を思い出す……あれが人工物だった場合、何の目的があって創られたというのか。そもそも、人類に制御可能なものなのかもわからない代物である。


「ますますわからんな……」

「もっと古い文献をあたる必要があるかもしれません。場合によっては、錬金都市アルケミアにいる、私の師を頼ろうかと思っています」

「今回の件、明らかに異質だしな。それが良いかもしれん」


 そう言いつつ、アスカは内心で吐息をつく。

 恐らく相当な難題なのだろう……明らかに、コレットの表情に気負いを見て取ることができる。クレッフェル姉妹を助けるために頑張るのは良いが、少々背負い込み過ぎているところがあるようだ。クレッフェル姉妹のことを、『他人事』と割り切れないのだろう。

 だから、アスカとしてはコレットの肩の力を抜くために、笑み混じりに言葉を紡いだ。


「まぁ、コレットの好きにやると良い。錬金術でもダメだったら、後は俺が何とかして――」

「ダメ! それは……ダメです!」


 しかし、それは思いのほか強い口調でコレットに遮られてしまった。

 まさか、この少女が他人の言葉を強引に断つようなことをするとは思わず、驚くアスカに対し……コレットは俯き、喘ぐように言葉を繋げる。


「だって、アスカさんが何とかする事態って、アスカさんがドラゴンになって戦うってことじゃないですか! そんなの、ダメです。わ、私がアスカさんと幻獣契約したのは、錬金術を手伝ってもらうためであって……ボロボロになりながら、戦ってもらうためじゃないんです……っ!」


 そう言って、顔を上げると、キッとコレットはアスカを睨み付けた。


「こ、今回だってそうです! 私に何も言わずにクリスさんと一緒に飛び出して行って! また、血塗れになって帰って来るんじゃないかって、わ、私がどれだけ……どれだけ心配したと思ってるんですか……ッ!」


 この時になって、アスカはようやく理解した。

 コレットがリディアに向かって『協力できるのは錬金術師として』と、珍しくすげなく返したのは、アスカを戦場に立たせないためだったのだ。星降りの霊峰の時のように、戦場に立って、傷を負って死にそうな目に合わないように……。


 ――本当に……不器用って言うかなんて言うか……。


 リディアやナターシャを助けてあげたい。

 でも、アスカを頼って戦場に赴かせるようなことはしたくない。

 だから、自分の一人の……錬金術師コレット・ルークウッドの力で何とかするしかない。

 きっと、コレットはそんな風に思って、今回の事態の何もかもを自分一人で背負いこもうとしているのだろう。『少々背負い込み過ぎる所がある』……どころの話ではなかった。


「何も説明せずに、アトリエを飛び出して不安にさせたか……すまん」

「本当ですよ。アスカさんが飛び出して行った後、爆音みたいなのが連続するし。火柱が上がるし……挙句の果てに、『呪怨』付きのあからさまに訳有りの物体を持って帰ってくるし……」

「アトリエに危害が及ぶと思ったんだ。まぁ、言い訳か」


 アスカがそう言うと、コレットはその場ですっくと立ち上がり、机をぐるっと回ると、アスカの隣の椅子に座った。そして……流れるように、アスカの服の裾をギュッと握ってくる。

 まるで、親に甘える子供のような図に、アスカはコレットに半眼をよこした。


「何してんの」

「なんか……アスカさんが、勝手にどっか行っちゃいそうな気がして……」

「旦那の浮気を心配する嫁かっ!」

「浮気、するんですか?」


 じぃぃぃ、と上目遣いで見つめてくる。

 最近になって分かったのだが、これはコレットなりに相手に甘えている時の仕草だ。滅多にないが……二人きりになった時に、ごくまれに発動する。ここで厳しくビシッと言えればいいのだろうが、普段一人で頑張るコレットの姿を知っているアスカとしては、何となく突き放せない。

 この男も大概甘い。


「浮気も何も、俺は誰とも――」

「私と契約してます」

「あくまでも業務上のものだろ」

「……………………」

「あーもう、そんな目で見るなって……」


 ぷぅっと頬を膨らませ、視線で責めてくるコレットを前にして、アスカはバリバリと頭を掻く。まるで、駄々をこねる子供を相手にしているようだ。助けを求めるように周囲に視線を巡らせるが、もちろん誰もいない。

 何とも甘ったるいこの空気に、なぜか追い詰められているような気分になる。

 そんなアスカの態度が気にくわなかったのだろう。

 コレットは餅のように膨れ、アスカの服の裾を持ったまま腕をプラプラさせている。


「こらこら、服の裾が伸びるだろーが」

「浮気、しませんか?」

「はいはい、浮気しません。コレットさん一筋です……」

「ふふふ」


 アスカが観念したかのように言うと、コレットは満足そうにニコニコと笑みを浮かべた。

 けれど、コレットはそれでも服の裾を離してくれず……結局、朝方になって彼女がもたれかかって寝落ちしてくるまで、ずっとそのままなのであった……。

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