二章 翠の国ウィンフィールド――英雄の条件

第16話 プロローグ――私の中の化け物

 ナターシャ・クレッフェルは、生まれてから頻繁に同じ夢を見ていた。

 夢の内容はいつだって同じだ……真っ暗な世界に自分と、そして、まったく同じ姿をしたもう一人の自分がいるのだ。


 目の前にいるのはいつもの自分――年齢は十二歳。腰まで伸びた純白の髪はゆるく編んでリボンで結んである。頭の上には、獣耳が出るように穴の開いた、漆黒のつば広の三角帽子が乗っかっている。起伏の少ない幼児体型の体には、帽子と同じく黒のローブ。顔立ちは、素朴というか飾り気がないというか……どこか暗く、パッとしないとナターシャ自身は思っている。


 ただ……目の前にいる自分の表情には漲るような自身が溢れていて、凶悪な笑みがいつだって浮かんでいる。そして、もう一人の自分は絶えず繰り返すのだ……。

 



 返せ、返せ、その体を俺のものだ……と。




 怨嗟の如く繰り返しながら、ゆっくりと近づいてくる。

 そして、その姿もまた次第に変わってゆく。指先から、金属光沢を持った鎧へと、少しずつ、少しずつ、まるでナターシャに見せつけるように。

 そうして、全身が変わり果てた時、そこにいるのは中が空っぽのフルフェイスの鎧だ。

 本来、人が入っているべき場所には真っ暗な闇がわだかまっていて……覗き込めば逆にこちらが落ちてしまいそうなほどに、深く、昏い。

 



 返せ、返せ、返せ、返せ……それは、俺のものだ……。




 そうして、ゆっくりと持ち上げた手が、ナターシャの顔をつかんで――



 ―――――――――――――――


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


 ナターシャは全力で叫んで、寝床から飛び起きた。

 全身にビッシリと汗を掻いており、まるで短距離走を走った後のように息が荒い。心臓が小さな体の中で跳ねまわり、頭は酸欠状態のようにくらくらしている……目の前の光景すらも歪んで見えるほどだ。


「ちょっと! 大丈夫っすか、ナターシャ!?」


 声が聞こえてきて振り向けば、そこには心配そうに自分を見る姉――リディア・クレッフェルの姿。ゆっくりと自分自身を落ち着けるように深呼吸を繰り返し、周囲を見回せば、そこは見慣れぬ宿屋の一室だった。


 ――そうか、私は今、旅をして……。


 ようやく自分の状況を確認できたナターシャは、ホッと吐息をついて、リディアに笑みを向けた。


「うん、大丈夫。起こしちゃってごめんね、姉さん」

「いや、それは別にかまわないっすけど……また夢?」

「うん……もう、嫌……」


 意図せずに弱音がこぼれる。一度弱音を吐いてしまえば、そこからはあっという間で……ぽろぽろと涙が零れるのを止められない。生まれてからずっと泣き続け、数え切れないほどに弱音をこぼしたのに、少しも強くなれない自分がナターシャは大嫌いだった。

 そんなナターシャをリディアが柔らかく抱きしめる。


「大丈夫、大丈夫……そんなリディアを何とかするために、今は旅をしているんっすよ? アタイが何とかしてあげるから、もう泣かないで欲しいっす」

「ありがとう、姉さん……」


 優しい笑みを浮かべる姉に、心の底から礼を言ってもたれかかるリディアだが……それでも、心の奥底では分かっていた。




 例え誰であっても、私の中に潜む化け物を殺すことなどできないのだと……。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る