第3話 深緑の谷エステリア村
太陽が山の稜線から少しだけ顔を覗かせる時間帯……まだ日光も淡く優しい時間帯に、アスカはパチリと目が覚めた。昨日、太陽が完全に沈むと同時に床に就いたため、睡眠時間は十分に確保できている。
「ふわぁ……」
コレットの家は錬金術を実施する一階と、生活スペースである二階に分かれている。後は、歴代のルークウッド家の錬金術師が残した書物が収められた地下一階があるそうだが、それはアスカには関係ないであろう。
「くぅぅ……」
ソファに寝ていた関係か、体が強張っている。アスカは大きく伸びをしながら窓へと近づいてゆく。少しガタつくそれを開けば、清涼な空気がいっぱいに入ってきてとても心地良い。
「しっかし……まさに、映画の世界って感じだよな……」
アスカの視線の先、緑が映える村の様子が一望できる。
深緑の谷エステリア村――それが、コレットの家がある村の名前だそうだ。
視界の先で柔らかな風が吹き、緑が揺れる。その緑に埋もれるように石造りの道がくねくねと続いており、道に沿うようにレンガ造りの民家が立っている。ゴトンゴトンと、重い音をさせながら回っているのは風車だ。恐らく、あそこで麦を挽くのだろう。
「……異世界だな」
アスカは、自分がどこに住んでいたのかは覚えていない。ただ、コンクリートに囲まれた場所だったことは覚えている。そこでは、こんなに良い香りの風は吹いていなかったように思う。
「あ、アスカさん! 早いですね、おはようございます」
「あぁ、おはよう、コレット」
背後から声がかかる。振り返れば、昨日と同じような野暮ったいジャケットを着たコレットが、二階から降りてくる所であった。小動物のようにチョコチョコとした動きで近づいてきた彼女は、昨日と変わらぬ向日葵のような笑顔でアスカに向けてくる。
「今から、パンをもらいに行くんですけど、もしよかったら一緒に行きませんか?」
「パンをもらいに行くのか? 買いに行くんじゃなくて?」
アスカの素朴な疑問に、コレットは頷いて応える。
「皆は共同の石窯でパンを焼いているんですけど……ルークウッドの錬金術師はこの村の管理をする代わりに、パンを焼いてもらえるんですよ」
「コレットはこの村を管理してるのか」
「あはは、管理って言うか、何でも屋みたいな感じですけど。それでどうしますか? もしよければ、村の案内も一緒にしますけど」
「折角だしな、行くか」
「はい!」
アスカがそう返事をすると、コレットは、それはもう嬉しそうに返事をして、家を飛び出してゆく。それを追って外に出れば、優しい風がアスカの全身を包みこんだ。
「アスカさーん、こっちですよー!」
「はいはい」
年季の入った石畳の上を小走りに走るコレットに近寄ると、二人は並んで歩きはじめる。折角コレットが作ってくれた時間だ……アスカは疑問に思っていたことを聞くことにした。
「なぁ、コレット。錬金術師って何をして飯を食ってるんだ?」
「基本的に依頼を受けて、それをこなして報酬をもらうことでご飯を食べてますね。ただ、それは結果論で……錬金術師全体の大きな命題は、魔影大戦で荒廃してしまった地区の普及を成し遂げることですね」
「魔影大戦? なんか、物騒な単語が出てきたな」
眉をひそめるアスカに、コレットは苦笑を浮かべる。
「大丈夫です! 魔影も魔獣も、国の兵隊さん達が大陸の東まで押し込んでくれているんで、実際に戦うことはありませんよー。魔影がどんなものかは私も見たことがないので説明はしにくいんですけど……魔影の定義は、『動物や人に同化して、体を乗っ取ってくる実体を持つ影』と言われていますね」
「何か、アニメとかに出てきそうなモンスターだな」
人や動物の体を乗っ取り、その主導権を握る……考えただけでも身の毛もよだつモンスターである。アスカの言葉にうんうんと頷きながら、コレットは言葉を続ける。
「まぁ、そんな魔影と昔戦争がありまして……その大戦でたくさんの村や街が壊れちゃったり、土地が荒廃したりしたんです。そんな地区を再び人の住める地にするのが、私達の役目です」
「ふむ、明確な目標があるんだな」
アスカの中の錬金術師と言えば、金を錬成したと言って他人をだますペテン師……のような印象があったのだが、どうやらこの世界の錬金術師は、れっきとした職業の一つのようだ。
納得するアスカに対して、コレットはえへへーと嬉しそうに笑う。
「嬉しそうだな」
「錬金術師に対して、興味を持ってくれる人が増えるのは嬉しいです! この村だってお婆ちゃんの代から錬金術で少しずつ、少しずつ、良くしていった村なんですよ。ほらほら、あの風車だって色んな部品にエーテル付与を行って、風がほとんど吹かない日もちゃんと回るように改良してるんですよ!」
「ふむ、それはすごいな」
「はい!」
アスカの返事に、コレットは本当に嬉しそうに笑う。
この子は本当に錬金術師という仕事に誇りを持っているのだと……ひしひしとそれが伝わってくる。自分の仕事が好きだと、大声で言える大人がどれだけいるだろうか……それを考えれば、コレットが錬金術に巡り合えたのは幸せなことなのだろうと、アスカは思った。
「あ、みなさーん、パンをもらいに来ましたー!」
しみじみと感慨深くなっているアスカの隣で、コレットが大きく手を振っている。その方角を見てみれば、大きな窯の前に村人達が集まっていた。まだ少し離れているが、アスカの所まで香ばしいパンの匂いが漂ってくる。
「いよぉーう、コレットちゃん。今日もパンを分けて――」
村人達はコレットの姿を見て、笑顔を返そうとして……固まった。その全員の視線が、コレットの隣にいるアスカの方に集中している。無遠慮というか、呆気に取られたような視線を一身に受け、アスカはスッと目をひそめる。ただでさえ悪人顔なのに、目を細めただけで『さっき、看守を殺して獄中から出てきたばかりです』みたいな顔になった。
途端に、村人たちが色めきたつ。
「こ、こここコレットちゃんから離れろぉいっ!」
「コレットちゃん、そげな悪人に誑かされちゃダメだぁッ!!」
「お、おのれぇ、コレットちゃんを護るんだぁっ!」
わーっと活気づく村人を見て……それから、コレットはアスカに視線を移した。
「あの……皆さんと何かありましたか?」
「初対面だ」
純粋な疑問をぶつけてくるコレットに、ブスッと不貞腐れながらアスカが答える。確かに、鏡を見て自分の悪人顔については確認していたが、ちょっと傷つく。まぁ、それだけコレットが村人に愛されているという証拠なのだろう。
「ほら、俺はここで待ってるからパンを取ってくると良い」
「あ、はい」
コレットはそう頷いて村人たちの方へと駆け寄って行く。そして、コレットと村人が何事か話すと……遠目からでもわかるぐらい、村人たちのテンションが一気にどん底まで落ちた。猛烈に嫌な予感がするアスカに対し、コレットは嬉しそうにぱたぱたと戻ってくる。
「もらって来ました!」
「何を話したんだ……?」
「え、アスカさんは昨日、一つ屋根の下で一緒に一晩過ごしたお客様ですって……」
「言い方!! 言い方、気を付けろよぉぉ!?」
誤解してくださいと言ってるようなもんである。どうもこの少女、天然な部分があるというかなんというか。コレットの言い方で見事に誤解してしまった村人たちは、全員ゾンビのようになっている。
アスカは一つため息をつくと、村人達の方へと歩いてゆく。突然、近寄ってきた天敵に対して村人達はビクッとして構えるが……そんな彼等に、アスカはため息交じりに口を開く。
「昨日コレットに拾われたアスカだ。一つ誤解を解いておきたい……コレットとは一切何もない。恩人に手を出すほど礼儀知らずでもないし、そもそも、エリアルがいるのに事に及べるはずないだろう?」
アスカの言葉にポカンとしていた村人達だったが……理解が及んだのだろう。おぉ、と歓声を上げた。
「お……おぉ、確かに……!」
「エリアルさんがいるのに、男がコレットちゃんに手を出せるわけねぇな!」
「なぁんだ、顔は悪いが、意外といい奴だな! なんかあったら相談に乗るべ!」
「余計なお世話だッ!!」
がっはっは、と笑いながら村人達がアスカの肩を次々と叩いていく。近くで見た感じ、割と高齢な人達が多い……彼等にとって、コレットは自分の娘のような感覚なのかもしれない。
ゲッソリと疲れてコレット元に戻ると、彼女はクスクスと小さく笑っていた。
「アスカさん、お話上手なんですね」
「お前さんの言い回しが下手過ぎるんだよ」
そう言って、二人で肩を並べて家に戻るのであった。ちなみに、その事を家にいたエリアルに話すと、彼女は腹を抱えて大笑いしたのだが……まぁ、栓無い事であった。
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