第7話 エステリア村攻防戦
幻獣とは魔法を使うことができる生物の事を指す。
そのため、人間も厳密に言えば幻獣の枠に入るのだが……まぁ、今はそのことについては置いておこう。そして、現在、エステリアに向かって驀進しているログデュラスもまた、この幻獣と言われる枠に入る生物である。
ログデュラス――その姿を一言で言うなら、装甲で武装したサイというのが的確だろう。
硬質化した肌が、まるで鎧のように全身を包みこみ、鼻の先についた鋭い角は敵を問答無用で貫く。更に、突進の際には、全身に風の魔法を纏うことにより、爆発的な推進力を生み出すことが可能であり……重量と加速から生み出される威力は凄絶の一言に尽きる。
本来は草食性の大人しい幻獣なのだが、繁殖期に入ると非常に獰猛になる。また……昨今では、ログデュラスの角が高値で売買されていることもあって、これを狙う冒険者や盗賊が増えている訳だが……。
「んで、その馬鹿が角を狙った挙句、怒らせてしまい……エステリア村の方へ助けを求めて逃げ出したってところか?」
「推測の域は出ませんが、恐らくは。怒ったログデュラスは人間のにおいに過敏になりますから、怒りが発散されるまで片っ端から人間を攻撃するはずです。あくまでも文献からの知識ではありますが……」
御者台で馬を走らせながらクリスと会話をしていたアスカは、苦々しい表情を浮かべた。どの世界にも人の迷惑を省みないバカはいるものだが……本当にいい迷惑である。
恐らく、今頃ギルドでは冒険者を募り、緊急討伐隊が組まれている頃だろうが、それでは遅い。その間に、少なくともエステリア村の方で被害が出てしまうことだろう。
ちらりとアスカが振り向けば、そこでは荷台に座り込んで、青白い顔で必死に祈りを捧げているコレットの姿がある。痛々しいほどに切実なその姿を見ていると、胸が痛くなってくる。
「コレット、エステリア村の近くに、そのログデュラスが生息している森はあるのか?」
「はい、近い所に。ただ、基本的にログデュラスは怒らなければ大人しい幻獣ですし、その森には立ち入り禁止の看板も出ていたはずですが……」
「………………あぁ、くそ……ッ! お、村が見えてきた――」
視界が開け、村が視野捉えられるところまで来て……アスカは絶句した。
ちょうど、サイを二回りほど大きくしたような幻獣が、風車塔に突進し、これを破壊するところだったのである。あれほどコレットが自慢していた風車塔が、根元から爆散し、大きな音を立てて崩れ落ちてゆく。
「あぁ、風車が……!」
背後から、コレットが息をのむ音が聞こえてきたのは、きっと、聞き間違いではない。
「アスカさん! コレットさん! 僕が先行して抑えつけます! 皆さんは他の方々の避難を!」
「あ、おい!」
アスカの静止の声を聞くよりも早く、クリスがひらりと疾走する馬車から飛び降り……次の瞬間、全身に風を纏った。そして、荷馬車を牽いている馬よりも早く駆け出すと、一直線にログデュラスの方へ、土煙を巻きあげながら爆走してゆく。
「うお、すげぇ……って、感心してる場合じゃない! コレット、大丈夫か!」
「は、はい、大丈夫です」
「俺達も行くぞ、コレットには悪いが人命優先だ!」
「りょ、了解です!」
何とかエステリア村に辿り着いたアスカは、馬車を緊急停車して、御者台から飛び降りた。村の方を見てみれば、損害は思ったほど少なく……目立った損壊箇所は、先ほど見えた風車だけだった。
それもそのはず……ログデュラス二体を、エリアルが一人で相手していたのだから。
『オオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!』
エリアルが咆哮を上げると、それに呼応するように空気中の水分が凝固……瞬く間に水の槍と化してログデュラスに殺到する。精密なコントロールが為された水の槍が、装甲の間隙を縫うように見事に命中。血しぶきをあげ、ログデュラスの一体が倒れるのを見て、アスカはおぉ、と小さく感嘆の声を上げた。
エリアルが幻獣であることは知っていたが……こうして実際に戦う姿を見ると、本当だったんだと、実感できる。これならば安心かと、アスカが安堵の吐息をついたその時。
「エリアル! だめぇぇぇぇぇぇッ!!」
「うお、コレット!?」
コレットが転がるようにしてエリアルの方へと駆けだしたのである。一体何事かと理解できないアスカは、コレットを追うようにして走り出す。
そして……すぐに、その理由が理解できた。
エリアルの体がふらりと揺れると……そのまま、音もなく崩れ落ちてしまったのだ。アスカから見ると、特に攻撃を受けた様子はなかったのだが、コレットには何か心当たりがあるのだろう……必死にエリアルの名を呼んで縋り付いている。
そうしている間にも、残った一体のログデュラスが、突進の予兆の如く、地面を足で激しく掻きはじめた。その瞬間、全身が目で見えるほどの暴風に包み込まれ始める。これが、先ほどクリスから聞いた『風を纏った突進』なのだろう。
「だ、ダメ! 来ないで!」
コレットが悲痛な叫びを上げて、エリアルを庇うように立ち塞がる。不退転の意志を瞳に漲らせ、両手を広げて立ち塞がるその姿は凛として美しいものの……同時に、酷く儚い。
「あ、あの馬鹿!? あんなので止められるわけないだ――」
タンクローリー/大切な/家族/鮮血/瓦礫/悲鳴/怒号/爆発/呆然/夢/
その瞬間、アスカは自分でも意識していない無意識の部分で理解した。
あぁ……繰り返しちゃいけない、と。
「わ、わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
悲鳴のような、咆哮のような、怒声のような、様々な感情を内包した叫び声を上げながら、アスカはログデュラスへと突進した。そして……幻獣がコレットに向けて突進するよりも早く、風の層に手を突っ込んで、ログデュラスの装甲に手を付いた。
「ぐぅぅぅ、があぁぁぁぁッ!!」
凄まじい勢いで循環するその風の層は、言ってしまえばそれ自体が武器だ。当然のごとく、アスカの手が、腕が、一気に裂けて血が迸った。動いている無数のカミソリの中に手を突っ込んだようなものだ。
だが、アスカは歯を食いしばって痛みに耐え、全力で手に意識を集中する。
思い出すのはコレットのアトリエで鉱石を爆散させたときのこと。
全身から力という概念そのものが流出するような感覚。
己の中にある激流の流れを変え、外へと逸らす感触。
それを、今この場で再現する。
「弾けて吹き飛べぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
次の瞬間、『力』が生まれた。
透明な爆弾が炸裂したかのごとく、アスカとログデュラスが、左右に弾かれて吹き飛んだのである。
アスカは石壁に背中から激突。息がつまり、視界が明滅する。いっそ、この場で気絶できればどれだけ良いかと思ったが……まだ、この場で楽になる訳にはいかない。
顔を上げれば、ログデュラスもヨロヨロと立ち上がるところだった。先ほどアスカの手が触れていた装甲は、べっこりと凹み、どれだけ強大な力が炸裂したのか分かるというものである。
ただ……逆に言えばそれだけだ。
四肢は未だ健在にして、その瞳には危ういほどの闘争心が溢れている。完全にアスカを『敵』として認識したのだろう……再び、足で地面を掻き、風を纏い始めた。
――今からじゃ接敵は間に合わない。
腹が決まったということなのだろう……死地に至って、アスカの思考が鋭く、怜悧に、研ぎ澄まされてゆく。己の死を隣に置きながらも、現状を冷静に分析。次に打つべき一手が幾つも、幾つも、脳裏をよぎってゆく。
そして……次の瞬間、ログデュラスが地を駆けた。
あの巨体からは考えられない初速を以って、一気に加速したログデュラスが、アスカを粉砕せんと向かってくる。これに対して、アスカは……地面に両手を付け、膝をついた。端から見れば自殺行為としか思えないそれは、しかし、起死回生を掛けた一手に他ならない。
ログデュラスが接近し、あわや、アスカが轢き殺されるという……その刹那。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
アスカは全力で地面に対して魔力を流し込んだ。まるで、地の底で噴火が起こったように、アスカを中心とした地面一帯に亀裂が走り……轟音と共に爆散した。
これにはログデュラスも抗えなかったのだろう。まるで、ジャンプ台に乗せられたかのように、斜め上方に吹き飛ばされ、空高くに打ち上げられる。そして――墜落。
そこに、すかさずアスカは駆け寄り、相手の装甲に手を沿えると……。
「すまん」
再度、大音量が響き渡って装甲が激しく凹み……そして、ログデュラスは沈黙した。
それを確認したアスカは大きく息をついて、その場に座り込んだ。今更ながらに手が、足が、恐怖に震えてくる。自分のことながら、あの状況で良く動いてくれたものである。
「アスカさん!」
「おぉ、クリス。そっちは大丈夫だったか?」
名を呼ばれて振り返れば、大剣を軽々と片手に持ったクリスが、猛烈な速度でアスカの方に向けて駆け寄ってくる所だった。慣性を無視したかのようにピタッと止まったクリスは、アスカとログデュラスを見比べて目を丸くした。
「……もしかして、お一人で倒されたんですか!?」
「死に物狂いだったけどな。クリスの方は何とかなったか?」
「あ、はい。少し手こずってしまいましたけど……」
実際、クリスの体には傷一つついていない。どうやらこの少年……アスカがこれだけ苦戦した相手を、苦も無く倒してしまったようだ。
「アスカさん、歩き方から見て戦闘経験はないものだと思っていましたが……」
「いや、ないよ。さっきのが初陣だ」
「すごい! 初陣でこのクラスの幻獣を倒してしまうなんて! しかも素手で! アスカさん、戦闘の才能が有りますよ!」
目をキラキラさせて、尊敬の眼差しを送ってくるクリスだが……アスカからすれば、若干十歳ちょっとでログデュラスを倒してしまったクリスの方がスゴイと感じる。
年下の少年の前でこれ以上へこたれている訳にはいかない。アスカは意地で何とか立ち上がると、大きく深呼吸を繰り返した。生きて空気が吸えることが、こんなに美味いと感じられる日が来るとは思わなかった。
と……その時だった。
「あ、アスカさぁぁぁぁん!」
「うわっぷ」
ぽふっと温かくて柔らかいものが、腕の中に飛び込んできた。
見てみれば、コレットがべそべそと涙を流しながら、抱きついてきたところだった。彼女は、涙を流したまま、アスカの胸にぎゅーっと顔を押し付けてくる。
「良かったよぉぉ……も、もうダメだって思ったら、あ、アスカさんがドカーンって! わ、私、な、何もできなくて……ごめんなさい、ごめんなさい……」
「一宿一飯の恩を返しただけだ。気にすんな……それより、エリアルは?」
血の出ていない腕でポンポンとコレットの肩を叩きながら視線を向けてみれば、エリアルがゆっくりと立ち上がっているところだった。そして、相変らずゆっくりとした歩き方で、のっしのっしと近寄ってくる。
『世話を掛けたねぇ、アスカ。そして、そこのハーフエルフの少年』
「あ、はい! お互い無事でよかったです!」
「エリアル、そっちの方こそ大丈夫なのか?」
直立不動になるクリスの横で、アスカが心配そうに尋ねれば、エリアルはゆるゆると首を横に振る。
『あんまり大丈夫じゃないねぇ……ま、ともかくアンタの腕も治療しないといけないね。一度、アトリエに戻るよ、ほら、コレットも行くよ』
「あ、うん」
こうして、ログデュラス襲来による被害は、三人の若者達の活躍によって、最小限の被害に抑えることができたのであった……。
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