第12話 VS デミドラゴン

「ど、どどどどどうしましょう、アスカさん!?」

「どうもこうもない、逃げるぞ!!」


 確かに、アスカも魔力を操って多少なりとも戦えるかもしれないが……所詮は付け焼刃に過ぎない。真っ向から戦うには相手が余りにも強すぎる。ここは逃げの一手しかない。

 コレットの手を引き、雪面を滑るようにして霊峰を下るが……しかし、そんなもので逃げ切れるはずがない。底冷えするほどの咆哮と共に、デミドラゴンが猛スピードで山を下りてくる。

 いや、下りるというよりも飛んでくると言ったほうが的確か。ここに生息しているだけあって、雪上での移動は相当の手馴れている様子だった。


「うおぉぁぁぁぁぁぁ!?」


 接近と同時に、デミドラゴンは大きく前脚を上げると、それを渾身の力で振るってきた。

 回避は――不可能。

 アスカは舌打ちを一つして、コレットを真横に向かって突き飛ばし、自分もその反動で転がった。そして、その間を裂くようにデミドラゴンの腕が雪原を裂く。白の雪原に付けられた傷跡は深く、大きい……もしも、直撃でも喰らおうものならば、一撃で胴体が寸断されてしまうだろう。


「ふっざけんな……! こんな訳わからんところで死んでたまるかッ!!」


 アスカは雪原を転がると、素早く起き上がって転身。

 雪に埋まっていたデミドラゴンの腕に手を当て……思いっきり魔力を流し込んだ。

 ログデュラスの時とは異なり、表面ではなく内部に浸透させるイメージ。そう、炸裂させる部位は表面ではなく……あくまでも、その内側だ。


『ゴグァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!』


 デミドラゴンの前脚が不自然に膨張すると、次の瞬間、血風を周囲に撒き散らしながら大きく弾け飛んだ。肉片と骨片が撒き散らし、雪原が真紅に染まる。

 大打撃を加えることができたが……同時に、デミドラゴンの敵意を買う結果となった。何とか離れようとしたものの、次の瞬間に振り抜かれた尻尾の一撃を回避することはできなかった。


「ぐ……がぁ……ッ!」


 メリメキメキッ! と骨が数本まとめて折れる音を耳にしながら、雪の上を盛大に吹っ飛ぶ。全身が滅茶苦茶に痛いため、一体どこの骨が折れてしまったのかは分からないが……喀血していないところから見て、内臓には刺さっていないのだろう。

 そんなアスカに、まるで、圧し掛かるようにデミドラゴンが飛びかかってくる。背後に飛びすさってこれを何とか回避したが、所詮は素人の立ち回りだ……すぐに、背後の崖まで追い詰められてしまった。


「はぁ……はぁ……はぁ、ぐ……」


 ジリジリと背後に後ずさりながら、何とか周囲に視線を向ける。

 遠くでは剣撃の音……恐らく、まだクリスがミスティックワームの群れと戦っているのだろう。そして、デミドラゴンの背後では、今にも泣きそうなコレットがこちらを見ている。

 恐らく、どうしたらいいのかコレットも分からないのだろう……無意味に手をぶんぶんと振り回している。


 その姿を見て、何としてでも眼前のデミドラゴンを倒さなければと改めて思った。

 コレットの性格上、アスカを見捨てて逃げるような選択肢は取らない……というか、取れないだろう。ならば、ここでアスカが死んだら、次に襲われるのはコレットだ。

 だからこそ、ここで相打ち覚悟でもこのデミドラゴンを倒してしまわなければならない。


 ――なんで……こんな風に思うんだろうな……。


 ぼんやりと自分自身に問うようにアスカは思う。


 恋や愛のような、燃え盛るような感情ではない。


 行き倒れていた所を助けてくれたからという、義務感や恩でもない。


 ただ――繰り返していはいけないと、それだけを思うのだ。


 『何を』繰り返してはいけないのか……それは、ぼんやりと曖昧でよく覚えていないのだが、ただ、とてつもなく悲しい事があったように思う。だから……コレットが死ぬようなことは、身近な人が死ぬようなことは、例えどんなことがあっても繰り返したくない。


「涼香……兄ちゃん、頑張るからな」


 無意識にそう呟いたアスカは、ズキズキと痛む脇腹を庇いながら、真っ向からデミドラゴンへと向かい合う。


「行くぞ、トカゲ野郎。喰い殺されないように、せいぜい気張れよ」


 そう言って、アスカは地面に両手を突き立てて、一気に魔力を流す。次の瞬間、アスカとデミドラゴンが立っていた地点の雪が、一斉に舞い上がった。

 白塵――視界が限りなくゼロになり、彼我の距離が限りなく曖昧になる。アスカはそれを確認した後、あえて後ろに下がった。

 次の瞬間、眼前の空間を薙ぎ払うように尻尾による一撃が通過していった。そのタイミングでアスカは一気に前に出る。右手に可視化できるほどの魔力を漲らせながら、果敢に距離を詰めると、強固な鱗に包まれた後脚に思いっきり手を突き立てる。


 腹の底に響くような轟音と共に左後脚が消し飛び、デミドラゴンが凄絶な悲鳴を上げる。

 アスカの魔力は、コレットのアトリエをエステリア村から星降りの霊峰まで飛ばしても、まだあり余るほどの総量を誇る……攻撃手段が洗練されていなかったとしても、その威力は強力無比だ。


 ――もう一発……ッ!!


 だが、アスカの魔力攻撃が炸裂するよりも先に、デミドラゴンの口腔で魔力がチャージされる方が早かった。レーザーブレスがアスカの肩を抉り、後ろに派手に吹っ飛ばされる。腱をやられたせいか、左腕がもう動かない……残るは右腕だけだ。


「いってぇ……」


 右腕にバチバチと魔力を充填しながら、アスカは絞り出すような声を上げる。

 ごうごうと風が吹いて、互いの間にあった白塵のカーテンが消えうせると、その向こう側では、満身創痍になったデミドラゴンがいた。


『ゴアァァァァァァァァァッ!!』


 それでも、なお闘争心は留まることを知らないのだろう……デミドラゴンは背中の翼を大きく広げると、グラインダーの要領でアスカの方へと突っ込んでくる。

 これだけの巨体となると、純粋にそれだけで質量の凶器だ。何とか回避したいところではあるのだが……背後は崖だ。迂闊に後ろに下がると、そのまま崖下に転落してしまう。


「だぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 ――ならば、翼を破壊して後ろに回り込む!!


 過剰収束させた魔力を右手に、それを振りかぶってデミドラゴンの翼に殴り掛かろうとした……その時だった。まるで、アスカがそうすることを分かっていたかのように、デミドラゴンは翼を畳んだのである。アスカの拳が空を切ると同時に、デミドラゴンの蹴りがアスカの体を容赦なく打ちぬいた。


 浮遊感。


 あまりの衝撃に一瞬意識が混濁して分からなかったが、どうやら断崖絶壁から蹴り落とされてしまったようだ。先ほどまで自分が立っていた崖がスローモーションのようにゆっくりと遠くなってゆく。


 ――あ、そうか……死ぬのか……。


 全身を苛む激痛のせいでどこか他人事のようにそう思ってしまった。下は雪が積もっているものの……立ちくらみがするほどに距離がある。叩き付けられれば終わりだろう。

 確実に待っている死……だが、それよりも眠気と疲労が強くて頭が回らない。

 ただ、遠ざかって行く空と、崖と、降り注ぐ白い雪と……そして、アスカを追いかけるように崖から飛び降りたコレットの姿が目に入った。


「って、おい!?」


 一気に現実感が戻ってきた。

 コレットは手と足をまっすぐにして、弾丸のようにアスカの傍へと落下すると、その体をやんわりと抱きしめた。


「コレット!! お前いったい何をして――」

「頑張りましたね、アスカさん……ただ、その体で無茶をし過ぎですよ」


 違和感があった。

 普段のどこか頼りなくも元気溌剌な声とは異なり、落ち着いたしっとりとした声。アスカを見つめるその瞳には深い慈愛と敬意が浮かんでおり、思わずこちらが背筋を正しそうになってしまう。何よりも……その額に、左右対称の紋章のようなものが輝いているではないか。


「コレ……ット?」

「大丈夫、恐れないで。貴方の背中には蒼穹を駆ける翼があります。重力は貴方を縛り付ける戒めとはならないのです」


 そう言って、コレットは己の胸元からペンダントを取り出し、それをアスカに見せた。

 以前、エリアルがアスカに向けて示して見せた『雷禍』のエーテルが埋め込まれたペンダントだ。コレットは穏やかな視線でそれをアスカに握らせると、アスカの右手を包み込むように自身の両手を重ねた。


「貴方の中に眠っている力を私が解放しましょう。さぁ、目を閉じて、心を鎮めて、そして、貴方の全てを私に委ねて」

「…………………………」


 絶体絶命という言葉ですらも生ぬるい状況の中で、けれど、コレットの言葉は何よりも優先すべきことのように感じられた。まるで、彼女の言葉そのものが、アスカの運命を導く標であるかのように。


 アスカが目を閉じると、コレットの手に包まれた右手の甲が燃えるような熱さに襲われたが……それでも心はざわつかない。まるで、『そうあることが当然であるかのように』、アスカの心は全てを受け入れていた。一体この状況は何なのだろうかと、頭の片隅で疑問を浮かべていると、優しく囁くようなコレットの声が聞こえてきた。


「契約は成りました。さぁ、その『雷禍』のエーテルに秘められた力を解き放ち、今こそ翼を広げるのです。力ある言葉は、貴方の心が誰よりも知っているはず……」


 アスカの持っている『雷禍』のエーテルが輝きを増し、ゆっくりと砕けてアスカの手に吸収されてゆく。そして、それと同時に『雷禍』に対応したドラゴンの姿と言葉が、まるで浮かび上がるように心の中に現れてゆく。すぅ、とアスカは息を吸うと、静かに、けれど、確固とした口調でその力ある言葉を形にした。




「其は天に轟く雷光の化身! 万象を断つ金色の両翼に紫電を纏わせ、一陣の迅雷と化して天を駆けし者! いざ顕現せよ! 汝の名は――ブリッツ・クティノス!!」




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