第10話 蒼の山麗を抜けて
蒼の山麗……星降りの霊峰へと続くその山麓は、一見すると穏やかで美しい光景が広がっているように見える。天に向けて葉を広げる木々や、雪解け水が形成する麗らかな小河、踏むたびに小気味よい音がする下草など、そこには人が分け入らないが故の、幻想的ともいえる美しさがある。
だが……豊かな生態系を誇るということは、つまり、そこには弱肉強食の掟もあるということに他ならない。自己防衛のために魔力を身に着けた幻獣や、幻獣でこそないがその圧倒的身体能力で獲物を狩る猛獣、さらに、空から一方的に相手を攻撃する術を身に着けた翼獣などなど……その種類は多岐に渡る。上級錬金術師と、雇われた冒険者のパーティーが、ガイドなしにこの森に入って行って、数日後に死体となって見つかったことなど枚挙に暇がないほどだ。
そして、現在……アスカ達は、空飛ぶアトリエでこの蒼の山麗の上空を飛んでいた。
まっすぐに星降りの霊峰を目指すというよりは、少し川を迂回するように進む進路を取っていたのだが……それでも、この見慣れぬ闖入者を攻撃する獣は後を絶たなかった。
「ひ、ひえぇぇぇぇぇぇぇ……」
盛大な爆発音と共に、アトリエが微かに揺れ……そして、窓の外で巨大な翼を持った『何か』が炎に包まれて落下していくのが見えた。そして、続けざまに風の唸る音がアトリエのガラスを叩き、ぶつ切りの肉片と化した『何か』も落ちてゆく……。
「本当に、クリスが一緒に来てくれて助かったわな……」
相も変わらずアトリエの動力となっているアスカは、そう呟いて吐息を漏らした。
現在、クリスはこのアトリエの屋根に上り、一人で対空迎撃を行っているのである。魔法が使えるといった言葉は本当だったようで、先ほどから轟音と共に雷が落ちたり、風の刃が発生したり、大火球が飛んで行ったりと、凄まじい活躍である。
もし、クリスがいなかったら、今頃このアトリエは完全に沈んでいたであろう。
ちなみにだが、このアトリエの持ち主は、今にも泣きそうな表情で舵を取っている。まぁ、クリスが迎撃、アスカが動力を担当している今、舵取りができるのはコレットしかいないわけだが。
「コレット、状況はどうだ!」
「ストレスと恐怖で胃の方に穴が開きそうです!」
「お前さんの状況じゃなくて、アトリエの状況だ!!」
「そんなぁ~! うう、ぐす、な、何とか星降りの霊峰へと近づけそうです! でも、結構うじゃうじゃ幻獣が飛んできてるというか! もう、生きてる心地がしません――!」
そうこうしている間も、次々と爆音が鳴り響いては、煙を引いて幻獣の死骸が地面に落ちてゆく。修羅場に慣れているのだろう……ただ一人、余裕なエリアルが疑問を浮かべて眉を寄せている。
『あの剣、やはりイクスエクレールじゃ……なら、その使い手ということは……』
何か思わせぶりなことを呟いているようだが、今はそれに意識を向けられるほど余裕がある訳ではない。アスカはアトリエに魔力を食わせながら、コレットに問う。
「コレット! 俺の方はまだ余裕がある! これ以上高度は上げられないのか!」
「無理ですー! 現在の高度が、限界です!」
「このアトリエの中にある諸々を投げ捨てて軽くなれば、まだ高度を上げられないか!?」
「あー! ダメ! ダメですよ! ここにあるのは、錬金術を行う上で非常に貴重なものばかりなんですから! 捨てちゃダメー!! わわわ、なんかでっかいのが来ましたよっ!?」
アスカもガラス窓から外を見て、思わず引きつった声がこぼれた。
図鑑の中でしか見たことないような、プテラノドンを大きくしたような幻獣が突っ込んでくるではないか。あんなのに突っ込まれたら、こんな薄っぺらいアトリエなど一瞬でがれきの山に成り果ててしまう。
「く……ッ! コレット、アトリエを旋回して回避を……!」
「すみません! このアトリエ、そんなに小回りが利かないんですー!」
一瞬、腰を上げそうになったアスカであったが、それよりも早くクリスが幻獣の背中に飛び乗った。そして……背中の大剣を抜き放つと、これを一刀両断に伏した。
そう、まさに一刀両断としか言えない豪の斬撃……幻獣は二等分にされ、そのまま地上へと落ちていった。
ホッとしたのもつかの間……何か、バチバチと小さいものがガラスに当たる様な音が連続して聞こえてくる。昔、家に侵入してきたカナブンが、蛍光灯に体当たりを仕掛けた時、こんな音がしてたなぁと、嫌な予感を抱きながら振り抜けば……反対側の窓ガラスに、びっしりと蜂のような生き物がへばり付いていた。
一匹一匹が冗談のようにデカい……スズメバチが小さく見えるほどである。
「コレット! 後ろの窓だ!」
「え? …………にぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
「落ち着け! あの蜂モドキが入ってこれそうな場所はないか!?」
「だ、だだだだだ台所の通気口が……」
言われるよりも早く、アスカは駆け出すと、小さなテーブルの足を魔力で吹っ飛ばし、天板のみにすると、それで素早く通気口を塞いだ。
「釘! 打ちつける物ないかうおぉぉぉぉぉぉ!?」
言っている間に、アスカが抑えつけていた天板を蜂モドキの針が貫通した。直径がペットボトルの蓋ほどもある針だ……こんなもんで毒でも流されようものなら、即死だろう。
「アスカさん、釘です! あと、アスカさんの魔力供給が止まった為、アトリエが今にも堕ちそうです!」
「だぁぁあ、忙しい!」
包丁の柄で強引に釘を止めると、アスカは慌ててハッチの中に腕を突っ込んだ。すると、先ほどまで不気味な音を響かせていたアトリエが安定し始める。
「大丈夫ですか、アスカさん、コレットさん!」
窓に張り付いていた蜂モドキを炎波で一掃しながら、クリスが声を掛けてくる。あちらも相当に疲弊しているのか、クリスも肩で息をしている。
「こっちは何とかやってる! クリスの方も大丈夫か!」
「はい! コレットさんのクリアポーションがたくさんあるおかげで、満足に動けてます!」
「良かった、クリスだけが頼りだ、あと少し……頼むぞ!」
アスカの言葉に、クリスはとても修羅場にいるとは思えないような笑顔を浮かべて頷いた。
「任せてください!」
そう言うと、再び屋根の上に戻ってゆく。
「ふふぅん、私のクリアポーションのおかげだそうですよ!」
「はいはい、せやな……」
先ほどまで半泣きでアトリエの中を駆けまわっていたというのに、調子が良いものである。
アスカは額にベッタリと張り付いた冷や汗を拭いながら、眼前に迫りくる巨大な星降りの霊峰を窓から見上げる。霊峰と言えばアスカの住んでいる世界では恐山などがあるが……なるほど、確かに眼前にそびえ立つ山からは、言葉にならない神性さをひしひしと感じさせる。
まさに、人間が踏み込むなど恐れ多いとばかりに、そびえ立つ霊峰に、アスカがごくりと喉を鳴らした……その直後だった。
――ん……?
アスカが頂上付近に視線を向けると、そこにキラリと光る何かを見つけたのである。それは、光の反射かと思ったアスカだったが……瞬く間に大きくなっていくのが分かり、一気に血の気が引いた。
「まず――」
最後まで言葉になることはできなかった。
驚異的な温度を持った熱線が、まるでバターを溶かすようにアトリエの端を切り取っていったのだから。幸い……と言って良いのか、誰一人としてその直撃は受けなかったものの、剥離したアトリエの残骸が、ガラガラと蒼の山麗へと落ちてゆく。
「ひっ……」
コレットが完全に恐怖で息をのみ、固まってしまっている姿を見たからこそ、アスカの復帰は早かった。恐らく、彼女が怯えている姿を見なければ、こうも早く正気には戻れなかっただろう。
「え、エリアル、今のはなんだ!?」
『気を付けな! 恐らくデミドラゴンによるレーザーブレスだよ!』
「気を付けろったって、山頂付近から狙撃してきてるんだぞ!? 無茶だろ……!」
星降りの霊峰はもう目と鼻の先だが……それでも、頂上付近から射撃した挙句、着弾させてくるなど冗談ではない。二度目の明滅が確認された瞬間、再び背筋が凍るような魔力の波動が発射された。
次は完全なる直撃コース……アトリエの中の誰もが死を覚悟した瞬間。
「やぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
アトリエの屋根に陣取っていたクリスが、ブレスに剣を叩きつけた。
ヂィィィィィンッ!! という鉄が悲鳴を上げるような音とともに、ブレスがクリスを支点として真っ二つに裂ける。まるで、海を割る聖者が如き、凄まじい偉業を為した少年は、完全にブレスを真っ二つにしてから膝をついた。
「だ、大丈夫か、クリス!?」
「何とか……何とかなりました! でも、そんなに持ちません!」
破壊されたアトリエの隙間から屋根上を見上げれば、そこでは、真っ赤に焼けた手を冷やしながら、クリアポーションを一気飲みしているクリスの姿があった。
あの少年、弱音こそ吐かないが相当無茶をしている。
「も、もうちょい、もうちょい……ッ!!」
誰もが息をのむ中、ブレス三射目が発射されると同時に、アトリエは星降りの霊峰に胴体着陸を決めた。大きな衝撃が走り、アトリエ内部の物が盛大にひっくり返ったが……三射目のブレスは、アトリエをギリギリ掠めるようにして通り過ぎていった。
しんしんと雪が降り積もる中、先ほどの喧騒が嘘のように静寂が過る。
誰もが疲れ切り、声さえあげられない……蒼の山麗を通り過ぎるだけでこれだけ疲弊するとは思わなかったというのが正直なところだ。これでは、星降りの霊峰に登るのはどれだけ大変なことになるのか……。
一瞬、全員の心に絶望が過りかけたその時――
「さぁ、行きましょう! これからが本番ですよ!」
最初に声を上げたのはコレットだった。
その声に触発されて顔を上げてみれば、そこには弱々しいながらも笑みを浮かべて、アスカに向けて手を差し伸べているコレットの姿があった。
何だかんだで、土壇場のメンタルが最も強いのはこの少女なのかもしれないと……そんなことを思いながら、アスカはその柔らかな手を取る。
「よし、そうだな」
コレットの手を引っ張って立ち上がったアスカは、頭上を見上げる。
天高く立ち塞がるは霊峰。アトリエが不時着したところは、ちょうどよく岩陰となっており、幸いにも、周囲に幻獣や猛獣の気配はない……アスカ達が行って戻ってくる間に、荒らされたりすることはないだろう。
クリスが目を回しながらやって来るのを確認して……アスカは、登頂へと挑むのであった……。
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