第9話 飛翔するアトリエ
「実はこのアトリエ、飛ぶんですよ」
コレットのその一言で場に沈黙が満ちた。
ふふーん、とコレットは得意そうにしている……不意に、アスカは自分の方がおかしいのかと思ってクリスの様子を窺ったが、彼もまた口を開けて唖然としていた。
良かった、と内心で安堵しながらアスカは呼吸を一つ。そして、痛ましげな表情にならないように気を付けながら、ポンッとコレットの肩を叩いた。
「そうな、飛ぶかもしれないな。けど今は現実を見ような?」
「あ、信じてない! その顔、可哀そうな人を見る顔ですね!? 本当なんですってばー!!」
そう言って、コレットはアトリエの窓の方へと向かうと、その下の方でしゃがみこんで何やらガシャガシャとやり始めた。アスカは困惑してエリアルに意見を求めようとしたが……彼女は、大きくため息をついて一言。
『ずっと使っていなかったけど、本当さね』
「え、コレットの妄想じゃないのか?」
「むがー!」
どうやら聞かれていたようだ。
怒るコレットを視線で宥めた後、エリアルが気だるげにアスカの方を向いた。
『そう言いたくなる気持ちも分かるけどねぇ。でも、先々代がこのアトリエを改造してね……地下一階は石造りだが、このアトリエの一階から二階は浮遊樹と呼ばれる代物で作られているのさ。魔力の込められた燃料さえあれば、飛ぶことができる』
「あー! 燃料切らしてる!?」
どうやらダメらしい。
「本当にお前さんは期待を裏切らんなぁ……」
「うわぁぁん、アスカさん、どうしましょ――おぅ!!」
縋り付いてくるコレットに三割デコピンを喰らわせながら、アスカは思案する。燃料というものが具体的にどのような物かは見ていないので分からないが……要するに、魔力があれば飛ぶのだろう。
「コレット、燃料を入れる場所はどこだ?」
「え? あ、あそこの下にハッチが開いているので、そこに……」
コレットが指差した場所に向かって歩を進めると、確かにそこは床がハッチ状になっており、中は煤(すす)で真っ黒になっていた。恐らくは、アスカが破砕してしまったインフェリオリスのように高価な物ではなく、魔力貯蔵量が少ないが、その分安い物体が入っていたのだろう。
アスカは跪くと、そこに躊躇い無くズボッと手を突っ込んだ。
「魔力があれば飛ぶんだろう。好きなだけ食わせてやるから頼む……飛んでくれ」
そう言って、アスカが量を調整しながら少しずつ、少しずつ魔力を流し込んで行くと……やがて、地響きを立ててアトリエ全体が揺れ始めた。しかし、その揺れは徐々に静かになり、代わりに浮遊感のようなものがアトリエを包み込んだ。
「う、うわ、本当に飛んでる!?」
「と、飛んだ! 飛びましたよー!」
アスカはその場に跪いているため分からないが……どうやら、クリスとコレットの言葉からすると無事に飛ばすことができたようだ。これで、エリアルを救う最低条件はクリアできただろう。
内心でホッと安堵の吐息をついていると、コレットがアスカの背後に立つ気配がした。
「アスカさん、ありがとうございます。なんか、何もかも頼りっきりですね……」
「気にするな。コレットは行き倒れの俺を助けてくれた……その恩を返しているだけだ」
「……はい」
コレットの声は少しだけ落ち込んでいたが……アスカの言葉を聞いて元気を取り戻した様子だった。えへへーと笑い声が聞こえてきて、コレットがアスカの隣にしゃがみ込む。
隣を見れば、コレットが近距離で満面の笑みを浮かべていた。
「アスカさん、その姿勢だとご飯、食べられませんよね? だから、私が手作り料理を、あーん、で食べさせてあげますね!」
「マジかよ、さては新手の拷問だな?」
「なんでそうなるんですか――!?」
こうして、何とかアトリエを飛ばすことに成功したアスカ達は、一度アトリエを地面に下ろし、急いで食料と備品を詰め込むと、一路、星降りの霊峰を目指して飛行を開始したのであった……。
―――――――――――――――
深緑の谷エステリア村から、星降りの霊峰に向かって、割とハイスピードで北上中……アスカは気になっていたことをコレットに聞くことにした。
「そもそも、何でアトリエを飛ばそうなんてトンデモ発想に至ったんだ?」
燃料ハッチに片手を突っ込んだままのアスカに背を向け、クリアポーションを大量生産していたコレットは、声を掛けられて嬉しそうに寄ってきた。
「それはですね、一言で言うなら、どこでも安定した錬金を行うため! ですね」
「ほぉ」
「このアトリエを見てもらっても分かりますが、錬金術を本格的に行うには、たくさんの器具が必要になるんです」
確かに、コレットのアトリエには沢山の道具が入っている。巨大な錬金釜は言うに及ばず、ガラス器具に陶器炉、更に錬金を行うための材料と思われるモノもたくさん棚に入っている。その総量は重量換算にしてみれば相当なものになるだろう。
「色んな土地に行って、色んな人のために錬金術を振るおうと思ったら、移動だけで大変になるんですよね……。これ全部とは言いませんけど、錬金釜を一つ持って行くだけでも大荷物です。一式持って行こうと思ったら馬車何台分も必要になってしまいます」
「あー確かにな……普通の錬金術師は移動に関してはどうしてるんだ?」
アスカの問いに、コレットは困ったような表情を作った。
「それこそ、先ほど言ったように馬車を何台も手配して、最低限の荷物を持って移動……そして、移動先で仮のアトリエを作って、そこを拠点にして活動――という形式になります。錬金術師のお給料が高いのは、そういう裏もあるからなんです」
「確かにそれは大変だな。大名行列みたいなもんか……」
もしくは、キャラバン隊とでも言おうか……何台もの人間と馬車を借りて、移動するだけでも莫大な費用が掛かることだろう。人足の移動中の食費だって馬鹿にならない。
「最近では、錬金術師を呼び込むために、街に貸しアトリエを作るところなんかも増えているそうです。優秀な錬金術師が一人居つくだけで、街が色々と賑やかになりますからね」
「ほぉう。コレットがエステリア村で大事にされているのもそういう理由か」
「今の私は、クリアポーションしか作れませんけどね……」
そう言って、コレットは自嘲気味な笑顔を浮かべるが……そのクリアポーションだってしっかりと効果がある訳だし、コレットは十分地域の役に立っているはずである。
ただ……それを言っても彼女にとっては気休めにしかならないだろう。アスカはそれが分かっているから、口を噤むことにした。
「それにしても……どうして、クリスはあんなに顔色が悪いんだ?」
話題転換の意味も込めてアスカが言うと、コレットもそれにつられて視線を向ける。
そこでは、眠っているエリアルに背を預ける様にして座っているクリスがいた。顔面蒼白……というほどではないが、明らかに顔色が悪い。
「良く見てますねぇ、アスカさん」
「やることがないんでな。ちょっと、話しかけてきてやってくれないか?」
「あ、はい。クリアポーションも持って行きます」
そう言って、コレットが作りかけだったクリアポーションをガラス容器に入れ、クリスの方へと近づいていく。そして、一言二言話しかけると、クリスが恥ずかしそうにアスカのほうへと向いてきた。
「アスカさん、心配をおかけしてしまったようで……すみません」
「それは構わんのだが、大丈夫か? もしかして酔ったか?」
このアトリエ、アスカの世界にある飛行機に比べて、少々揺れる。もしかしたら、船酔いに陥ってしまったのかもしれない。そんなアスカの心配に対し、クリスは若干青ざめながらも手を振って答えてみせる。
「あぁ、いや、違うんです。別に船酔いということはありません。ただ……」
「ただ……?」
「…………高い所が苦手なもので」
「高所恐怖症か……」
パーフェクトにみえたこの少年の意外な弱点を発見した気分だった。
「星降りの霊峰はかなり標高が高いらしいが……いけるか?」
「あぁ、戦闘中や緊張状態なら特に問題ないんですけど……どうも、気が緩むと高さを実感してしまってダメなんですよね……」
『見た目相応に愛らしい弱点じゃないかい。アスカも見習いなよ』
「わ、エリアル。そんなこと言ったらだめですよ!」
――俺の弱点はコレットの飯だ、とか言ったら泣くだろうなぁ……。
割とガチ泣きしそうな気がするので、ここは話題の方向性を変えることを選択した。
「そういうエリアルはどうなんだよ。調子、良いのか?」
『悪くはないが、良くもないってところかね……まぁ、すぐにくたばるようなことはないさね』
口ではそう強気に言っているものの、実際の彼女はエステリア村を経ってから、ほとんど眠って過ごしている。体調の劇的な悪化は見られないが、少なくとも、ぼんやりとしていていい状況ではないのだろう。
「コレット、目的地まではあとどのくらいだ?」
「明日には蒼の山麗に到着すると思いますが……このアトリエのおかげで蒼の山麗は素通りすることができます。ただ、問題になるのが……空の幻獣への対策です」
「待て待て! ……撃ち落とされるかもしれないってことか?」
「え、えーと、そういうことですね……」
「武器は詰んでないのか?」
アスカが言うと、コレットはとても申し訳なさそうな表情をして肩を落とした。
「実は私、その、戦闘で扱う道具を錬金・取り扱う免許を持ってないんです……戦術錬金術師って言うんですけど。その、必要ないと思ってて……」
「でも、それならマズイな……どうするか……」
呑気に乗り込んで、地上と空中から同時攻撃を受けて撃墜されるなど冗談ではない。幻獣が多数生息しているということは、魔法を使ってくるということだろう……。
「すまんエリアル。億劫だろうが何か良い案はないか?」
アスカはこのアトリエに対する知識が浅い。ここはコレットの他に知恵袋ともいえるエリアルの意見を聞いておいた方が良いだろう。
エリアルは気だるそうに吐息をつくと、ゆっくりと身を起こして地図の方へと近づいてゆく。
『方法……と呼べるかもわからないが、星降りの霊峰からは雪解け水が流れ、川となって流れている。この近辺には強力な幻獣や動物が集まっていることが多い。だから、ここを迂回して進む……ぐらいしかないかねぇ』
「それも確実な方法ではないが、やらないよりはましと言ったところか」
ううむ、とアスカが考え込むと……不意に、視界の端でクリスが手を上げた。
「どうしたクリス。吐くのか?」
「ああ、いえ、そうじゃなくて……多少の量なら、僕が撃ち落とせると思います。一応、魔法使えますので……大砲代わりになることぐらいできます」
「おぉ、ありがたい提案だが、大丈夫か?」
もう、見るからにフラフラしているのだが……彼は、グッと拳を握りしめると強く頷いた。
「大丈夫です! 父と母と剣の御名において、必ずや無事にこのアトリエを星降りの霊峰まで導いてみせます!」
「そ、そうか。頼もしいぞ!」
妙に切羽詰まっている感じはするものの、それでも、この少年が『できる』と断言すると不思議と信じたくなる……そんな雰囲気がある。
「よし、それじゃあ、クリス、蒼の山麗では頼んだぞ」
「はい!」
そう言って、クリスは明るく返事をしたのであった……。
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