第10話 すれ違い
自分と高野さんの前髪をかきあげて、おでこをくっつけてみる。
熱い。
「ほら。俺のおでこ、冷たいでしょ」
「…うん」
両耳の後ろにも手をあてた。やっぱり熱い。
「ほら」
「うん」
高野さんが目を閉じた。
「加藤の手、冷たくて気持ちいい」
「…冷やしましょ。熱測らなくていいから。保冷剤持ってくるんで」
両手を離して、そっと高野さんの髪を撫でる。いつもより赤い唇を見た。耳の淵や、目の下の膨らんだところなど、いつもよりピンクに染まっている。
そんな様子を少し見つめて、身体を起こそうとしたら、高野さんが手を伸ばして、俺の両頬を手で囲むように捕らえた。
「え?高野さん?」
「加藤…」
高野さんの唇が、多分『すきだよ』って動いたと思うんだけど、音としては俺に届かなかった。ただ、ふわふわと動いていたその唇が、そのままその俺の唇を塞いだ。
あ、熱い。
熱あると、唇も熱いんだ。
そんなことを考えていたら、高野さんが、俺の下唇を柔らかく噛んだ。
「…ッ」
背筋に電流が走ったみたいな何かに震えた。
あの、こら、病人!
不意打ちに驚いて、焦って、思わず高野さんの胸を少し押してしまった。
…高野さんが、ゆっくり離れていった。
「…はぁ」
俺は大きく深呼吸をした。一度の深呼吸じゃ足りなくて、しばらく肩で呼吸する。
「あの…ごめん」
高野さんが、謝ってきた。
「いえ…」
何か言いたいけど、言葉が出てこない。心臓バクバク鳴ってる。聞こえそう。それを誤魔化したいからこそ、何か喋ろうとするけど…言葉が出てこない。
「あの…」
目の前にある高野さんの唇が、腫れたみたいに赤い。熱のせいなのか、それとも俺のせいなのか。目の遣り場に困って、視線を逸らした。
「えっと、冷やすもの…取ってきます…」
何とかそう言ったけど、身体が起こせない。腰が抜けたみたいに力が入らない。
そんな自分がおかしくて、ちょっと笑ってしまった。
「…加藤?」
「いや、なんでもないです」
「……」
「…保冷剤、ちょっと待ってくださいね。ちょっとだけ」
腕の力で無理に起き上がる。
もう一度深呼吸をした。
「高野さん、…駄目ですよ」
熱があるのに。
「ごめんって」
高野さんが、力なく笑った。
「とにかく、休んでください」
「…はい」
この時俺は高野さんへの態度として決定的なミスを犯していたのだが、気が付かなかった。
米原さんが家に泊まったことについて、思ったほど修羅場にならなかったことにホッとしていたし、それで油断もしていた。けど、それは揉め事が嫌いだとか、我慢強いっていう高野さんの性格によるものだったのだ。
「高野さん、着替えます?」
「…ん…」
「俺の部屋着、置いときますね。ちょっとコンビニ行ってきます」
男同士、職場のロッカーも一緒で高野さんの着替えは見慣れているが、今日は見てはいけない感じがすごくあった。さっきから高野さんに触れた過ぎる。
スポーツドリンクを買いに部屋を出た。
弱っている高野さんにドキドキする俺は変態か。
高野さんは俺を好きだと言うけれど、一体何が良いんだろうな。
でも…何年も好きでいてくれたんだ…。高野さんって結構健気。
本当に今度、一緒に出かけたいな。
家に帰ると高野さんはちゃんと着替えていた。着替えて、眠っている。枕元に脱いだものが畳まれている。畳まなくてもいいのに…。
やっぱり着替えの時、傍にいてあげれば良かったと反省した。
自分はソファに寝ることにして、高野さんの様子を眺めていた。
ひたすら眠っているのを見て、疲れているんだなと思う。
自宅から通っている。通勤に片道一時間ちょっとかかるんだったっけ。
…うちに住めばいいんじゃないかな。睡眠時間は伸びる。
狭いか。
俺、もう少し広いマンションに引っ越そうかな。それか、ルームシェア?…でも、ちゃんとしたご飯は用意できないや。普段炒め物程度の料理しかしていない。もう少しいろいろ作れるようになった方がいいかな。
社会人になってたかだか半年程度で、こういうことを真剣に考えるようになると思っていなかった。
何が高野さんにとってベストなのか分からないけど、落ち着いたらそういうの、相談したい。
ドン引きされたらどうしよう。
「加藤、加藤」
翌朝、高野さんに揺られて目が覚めた。
「え…あ、高野さん、大丈夫ですか?」
高野さんは、もう自分の服に着替えていた。
「大丈夫。加藤は寝ててくれれば」
「え?何?今何時…」
身体を起こす。時計を見たら八時だった。
「熱、下がったから。帰るよ」
「大丈夫ですか?駅まで一緒に」
「ううん、大丈夫だから」
高野さんがそう言って、俺の手を自分のおでこに連れていく。
「熱、ないだろ」
確かに、もう熱は無い。
「大丈夫。安心して」
「…はい」
今日も仕事なんだろうか。
「あの、高野さん、無理しないでくださいね」
「ありがとう。じゃあ」
部屋着で駅までついて行ったら迷惑だろうか。…そんなことをぼんやり考えているうちに、高野さんは部屋を出ていった。
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