第2話 会えた
金曜日の午後、真面目に仕事をしている…というのは見せかけで、頭の中は高野さんのことでいっぱいの俺。
いかんいかん、仕事…してないじゃないか。
「加藤さん、こちらの伝票処理終わったんで、チェックお願いします」
アルバイトの中村さんに声をかけられ我に帰った。
高野さんが異動してしまった穴を、来年の三月まではアルバイトで埋めることになったのだ。そしてどこからともなくやってきたのが中村さん。大人しい女の子。俺や米原さんより年下だが、落ち着いているし、ミスも漏れも無い。かなりしっかりしている。すごく助かっている。
その中村さん、本当に真面目に仕事をしている中村さんから書類を預かり、チェックをしながら、俺はまたしても高野さんのことを考えた。
真面目に仕事…は、もう諦めた。
ちゃんと遅れないように仕事して、あとミスしなかったらいいや、ぐらいでいいや。今日は自分を甘やかそう。どうしても集中できないんだから。
だって、つい最近まで隣の席に座って毎日顔見て、喋って、帰りも一緒だったりしたのに、もう二週間くらい顔見てないし、メールの返事も来ないし、仕方ないじゃないか。
あ~あ、今後会えた時の、楽しいことなどを想像しよう、せめて。
…うん。楽しいことだけ、考えよう。
……。
…うわあああ、チュッてしたこと思い出しちゃった!
柔らかかったなぁ。
柔らかかった…。
いやいや、落ち着こう。
次会えるの、もしかしたらあれかも。来週の、歓送迎会とか。あれは絶対確実に会える。
来週、高野さんのお別れ会兼中村さんの歓迎会をやろうと係長が声をかけてくれたのだ。総務課オンリーメンバーの飲み会は楽しくて好きだ。高野さんも都合をつけて参加すると言っていた。
やばい、都合つかなかったら会えないじゃんか。
前任の田端さんはお気楽そうに見えたけど、あの人はそういうふうに見せる人だったんだろうな。それに、今は引き継ぎ直後で色々大変なのだろう。
こないだまで、隣の席に座っていた。あれって幸せなことだったんだな、などと思う。もちろん当時は片思いの苦しさで辛い日々だったわけだが。
ふと顔を上げて、また米原さんと目が合う。
からかうような表情で、俺を見ている。
なんだか、恥ずかしくなって俯いた。
高野さん、助けに来てよ…。
そんなことを考えたときだった。
総務課の部屋のドアが突然ふわっと開いて、高野さんが現れた。
わあ!
カッコイイ!
相当カッコイイ。
濃い灰色のスーツがカッコ良く、グリーン系ストライプのネクタイがカッコ良く、そしてなにより顔がカッコ良い。
こんなにカッコ良かっただろうか。2週間ぶりに見るからそんなふうに見えるのだろうか。それより俺ってこんなに高野さんに惚れてたっけ。
係長が「おう!高野!お疲れさん」と声をかけ、米原さんがパイプ椅子を持ってきて座るように勧めている。そして俺はただ呆然と固まっていた。
するといきなり、高野さんが米原さんの椅子を断って俺の傍へ来た。
「どう?」
「ど、どうって…」
どうって、何?
口をぽっかり開けたままの俺に、高野さんがさわやかに微笑んだ。
「仕事。分からないところ、無い?」
あ、そっか。仕事か。
二秒くらい考えて、それから俺は頷いた。
「高野さんの引き継ぎ書、完璧です」
「そっか、良かった。困ったこと、無い?」
困ったこと?仕事では…ありません!
「はい、大丈夫です」
大きく頷いたら、高野さんが嬉しそうに笑った。それから俺の肩に手を置いて、耳元に唇を寄せた。
「今日、とりあえずメシ行く?」
「あ…はい!」
俺が頷くと、高野さんは駅近くの居酒屋に七時に、と囁いた。
耳が、耳が…。
耳…。
やばい、耳。
耳、耳、耳…あわわわわ。
俺が自分を見失っていると、高野さんがサッと離れて行った。
「すいません、ちょっと総務のみんなの顔が見たくて、寄っちゃいました」
「ホームシック?もっと来てよ!」
「忙しそうだな」
「あ、この書類これで合ってるか見てって」
みんなに話しかけられて、高野さんは『みんなの高野さん』になった。
そしてその後、彼は会議があると言って去った。俺は嵐のように訪れた幸運にぼんやりとしていた。
「ねえねえ、さっきナニ内緒話してたの?」
米原さんがコッソリ訊いてきた。
「いえ…」
二人で会うと知ったら米原さんも付いてくると言うだろう。少し前まで三人組でウロウロしていたのだ。しかし、今夜そんな事態は避けたい。
「頑張れよって、それだけです」
俺はそんな嘘をついた。
とりあえずメシ行く?…って言った。
とりあえず…。
とりあえず…。
とりあえずってことは、メシ以外にも何かあっていいよな。そう思っていいよな。うちに来てくれるってことかな。泊まってってくれないかな。何もしませんので!
ちょっとでも長く一緒に居たい。
嫌われたり、引かれたり…してなさそう。忙しそうだったけどニコニコしていたし、それに何より、真っ直ぐ俺のところへ来てくれた。真っ直ぐ。すごく嬉しかった。ああもう…気絶しそう。っていうか、さっき直接攻撃を受けた右耳が、既に気絶しちゃってる。
社内の高野さんファンの女性陣、ごめんなさい。俺、思った以上にめちゃくちゃ好きになってしまっています。すごく頑張ろうと思う。譲れません。絶対に。
高野さんが現れて、そして去った後、俺はそれまで以上に集中力を失って、ぼんやりしていた。
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