第19話 幸と不幸
「朝メシ、どっか寄ります?」
声をかける。高野さんが目を覚ました。
「あ…おはよう。何時?」
「まだ7時過ぎです。職場近いから、俺は8時半過ぎに家を出ても大丈夫ですけど…」
高野さんは、何か早朝から仕事あります?
ベッドに横たわる彼を見下ろす。
適当に貸した俺のTシャツ。俺が着るとただのTシャツだけど、高野さんが着るとパジャマ代わりにしてもカッコ良く見える。
その高野さんが、目をこすりながら俺を見上げている。
カッコ良くもあるが、可愛くもある。
「ん…じゃあ、8時前に出て、会社の手前の喫茶店行く?」
ユルめの提案。
「了解です」
俺が頷くと、それを合図にしたみたいに高野さんがベッドから身体を起こした。
「Yシャツ借りていいかな」
「もちろん。ネクタイは?」
「職場に予備があるから大丈夫。シャワー借りるよ」
「どうぞどうぞ」
そんな会話を交わす。高野さんが立ち上がる。俺よりちょっと高いくらいの身長。言われた通り、二人でここで生活するのは狭いだろうと思う。
「確かに狭いですね」
「は?」
「いや、昨日高野さんが、ここで二人で住むのは狭いって言ってたから」
「ごめん、気にしてた?」
「いや…ちょっと残念だと思ったんですけど、確かに狭い」
俺が諦めてそう言うと、高野さんがちょっと照れたような顔をした。
「まあ、狭さもあるけど、俺まだ加藤と暮らすとかできないな。面倒臭がりで片付いている部屋もすぐにグチャグチャになるし、呆れられると思う。一緒に住んだりしたせいで速攻で振られる気がする」
そんな言い訳を聞いている間、びっくりして口が開いた後、なんだかジワジワ来てこっちも照れた。
本当に…。
なんでも、言ってみるまで分からないな。
「俺、そんなに心狭くないですよ」
「いや、多分俺って我慢できないレベルの気がする。まだ良い先輩でいさせて」
ふふっと笑っている。軽く睨んでみる。
「俺の覚悟を舐めてもらっちゃ困る」
「はいはい」
高野さんが、『俺の覚悟』をサラッとかわして部屋を出る。
すごく好きだと思う。
嬉しい。
シャワーの音。
覗くほど変態じゃない。
机の上の高野さんの鍵束に、勝手にこの部屋の鍵を引っ掛ける。
やっぱ外す。
ソワソワする。
やっぱり鍵を一緒にした。
…好きだと思う。
高野さんと出勤した。更衣室から、それぞれの部署へと分かれる。
また夜に会えたらいいのに。
合鍵を鍵束に掛けたことを、朝飯のために寄った喫茶店で打ち明けた。
「遠慮せずにいつでも来てくださいね」
先輩と後輩の立ち位置で話す。
高野さんは、鍵が増えていることに多分気付いていた。
優しく笑った。
そういう、柔らかい空気感に包まれて、かなり幸せな気分で職場に行ったところ、かなり暗い表情の米原さんがそこに居た。
「…お、おはようございます…」
できるだけ静かに挨拶をして席に着こうとしている俺に、係長が「頼むよ」って目配せをする。
少々面倒臭いが、好奇心が無くも無い。
そういや昨日田端さんを追い返した?らしい米原さんだ。
「あれから…?」
田端さんと…何が。
そっと声をかける。
米原さんがチラッとこっちを見た。
「…あのあと突然うちに来たから、とりあえず追い返した」
ああ、やっぱり。
「米原さんって、女子高生みたいですね」
素直にそう言ったら、ちょっと怒っている。
「親もいるし、夜に急に来られても」
「確かに。あの人、なんでも急ですもんね」
「そうなの。とにかく相談とか報告とか何も無いから、めっちゃくちゃ振り回される。もう…疲れた」
「今日、会いますか?」
訊いたら、米原さんの目が本気で泳いだ。
「どうしよう。…どうしようかな。どうしよう。ちょっと…もしかしたらもう自信ないかも」
田端さんとのこれから。
本気で疲れた表情の米原さんに、すごく同情する。俺も昨日までこんな顔をしてたかも知れない。高野さんもだけど。
こんなにも先のことが不安になるのは、相手の気持ちが分からないから。そして、相手がこれからどうしていこうって思っているか見えないから。
俺だって、今でも先のことは分からないけど、でも、高野さんの事を信用してるし、困ったらできるだけ素直にそう言えば、きっと高野さんも心情を打ち明けてくれると信じられるから、だから、今は気持ちが落ち着いている。
高野さんが昨日来てくれて、俺を落ち着かせてくれたんだ。
「自信無いって、言いました?」
田端さんに。
「言ったかな…分からない。忘れた。…昨日は取り乱してしまって。あんまり勝手だから…」
米原さんが大きなため息をつく。
「どう思う?加藤くんだったら、どうする?」
俺の素直な感想を言っていいのだろうか。
…まあ、いいか。
「俺は…あの人のこと好きですよ。でもそれは、家族になろうとか思っているわけじゃないからかも。身内だったら、ちょっとしんどくなるかも知れません」
俺の言葉を聞いて、米原さんはデスクに突っ伏してしまった。
「わかる…ほんと、それ」
「すいません、俺の勝手な感想なので、あんまり気にしないで」
「私も少し前まで、そういう自由なところに魅かれてたんだと思う」
「……」
わかります。
ああいう人って、すごく魅力的ですよね。
「自由さに憧れることと、近くへ行くことに、こんなにも差があると思わなかった」
米原さんは、すごく凹んでいる。
田端さんを好きになった自分と、田端さんについて行けないと思い始めた自分とのギャップが、一番彼女を苦しめているのかも知れない。
そんな米原さんに、言ってみてもいいだろうか。
ちょっと酷い言葉を。
米原さんは何て答えるだろうか。
興味がある。興味本位で訊くなんて鬼だと思うけど。
「別れます?」
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