第8話 悪気は無い

「それって、どこの子?」

 小声でのトークは細々続く。

「いや、今は願掛けというか、誰にも言わずにいたいので」

 それ、すごくいい返しだね。それ以上聞かれないやつ。

「じゃあ、うまくいったら教えてよ」

 無理でしょ。

「…まあ、それは、また」

 濁す高野さん。

 …俺と高野さんとのことが公開されることなど、あるのだろうか。

「忙しいのに、頑張ってるんだね」

 米原さんが労った。

「…忙しさに甘えてしまうことはあるんですが」

 高野さんが、少し寂しそうに言う。

 俺のほうこそ頑張らないと。


 しかし、とにかく高野さんのおかげで俺の話は立ち消えた。

 その後、腹も膨れてダラッとしながら係長の子どもさんの話なんかを聞いていたら、ふと畳についていた右手の小指に何かが触れた。

 あ…高野さんの指。

 周りに見えない場所で、ほんの少し触れさせてきた。

 意外と大胆。

 周りから…確かに見えないな。

 こちらからも、少し指を動かしてみた。

 小指に神経が集中する。

 結構、ドキドキするなぁ。

 高野さんの指がちょっと揺れて、撫でるような動き。

 それで、逆にこちらから小指を伸ばして、絡めてみた。

 …高野さんが逃げた。

 やり過ぎました。


 ちょうどそのタイミングでバイトの中村さんがこっちに来た。

「お世話になります」

「いや、こちらこそ」

 係長とミニ乾杯している。

「中村さん、お酒強いの?」

「いえ、大したことないです」

 あ、この返事する人は酒豪だ。

「ここの四人は全員弱いよ。手加減してね」

「いえいえ」

 米原さんが、チラッと俺を見た。

「強いて言うなら、加藤くんが酔ってるのほとんど見たことないけど」

「いやいや、俺、酔うと吐くからリセットされちゃうだけで、めちゃくちゃ弱いです。絵に描いたような酔っ払いにならなくて申し訳ないんですけど」

「なんだ、そっか。そういやそうかも」

 そんな話をしつつ、俺も中村さんとミニ乾杯。

「高野くん、前にも会ってると思うけど、高野くんの穴埋めに来てくれた中村さん」

 米原さんが、高野さんと中村さんを引き合わせた。

「すいません、急な異動で。引継ぎも急だったので適当で申し訳ないです」

 高野さんが恐縮しつつ、中村さんとミニ乾杯。

 とまあ、次々乾杯している割に、中村さんは顔色一つ変えない。

「お仕事は加藤さんから教えてもらって、なんとか毎日終わらせている感じです。みなさん親切ですし」

「総務はみんな仲が良いので、俺も一年半しかいませんでしたけど、すごく居心地良かったです」

 そう言ってから、高野さんが俺の肩をガバッと抱き寄せた。

「加藤は、大学の時からの後輩なんです。いろいろ助けてやってください」

 それを聞いて、係長が声をかけた。

「高野、後輩思いだな!」

 そうしたら、高野さんが、

「俺、半年で加藤にまだ仕事教え切れてあげられなかったので、係長も、米原さんも、加藤のことよろしくお願いします」

と、二人にも頭を下げた。

「高野さん高野さん、俺、大丈夫です。『どんくさい』ですけど、なんとかやってますって」

 心配しないで。

 なんかそのまましばらく、俺は高野さんに肩を抱き寄せられたまま。

 それで俺も、泳いだ手を高野さんの腰に回していた。



 先週、高野さんが『泊めてもらうんだったら、あんまり酔いたくないな』と言っていた意味が今日はすごく分かる。二人で過ごす時間を、酒に邪魔されたくないって思う。酔っぱらってすぐ寝ちゃったら、高野さんのことを眺める時間も無くなる。

 でも、今日は高野さんが酔ってる。肩を組んで支えた。仕方ないよな。好きだった場所から離れる会だったんだから。

「高野、どうすんの。タクシー呼ぶ?」

 課長が声をかけてくれた。

「大丈夫です、今日、うちに泊めますから」

 俺が答える。

「そっか、じゃあよろしくな」

 そうやって、少しずつ解散していく。米原さんが追いかけてきた。

「いいなぁ。二人でお泊り楽しそう」

「酔ってますよ、高野さん」

「酔ってたら、いろいろ訊きだせそうだし」

 三人で歩いた。ちょっと前まで、この三人でよくメシに行ったな。

「私も泊まりたい」

「何言ってるんですか。嫁入り前でしょ」

 適当にあしらったら、米原さんがとんでもないことを言ってくれた。

「この前泊めてくれたじゃない」

「ちょ…、それ、田端さんと付き合う前でしょ!」

 あと、俺と高野さんの間の意思疎通ができあがる前だし、泊めたけど何も無かったし、ちょっと、とにかく…米原さん何で人前で言うかな。


 あ…酔ってるんだ!


 やばい、米原さん、よく考えたら全く口が堅くない。堅くないぞ。

「米原さん、なんにも無かったでしょ。でも人が聞いたら何思うか分からないですよ。だから口にしたら駄目です。今だって」

 チラッと高野さんを見た。

 さっきからぐったりして無反応だけど…聞いたよね、絶対。

「高野くんは分かるじゃん。ここがトモダチだってこと」

 ここ、って言いながら自分と俺を指差した。

「そうでしょうけど」

 以前の、友人関係の三人組なら問題無いよ。

 でも、今は違うんだよ。微妙に。俺と高野さんは友人関係じゃない。

 俺だって、高野さんが吉田先輩泊めたって聞いたら荒れるよ。

 でも、そのことを米原さんに言えないし。

「米原さんは自分を大事にしなきゃいけないし、人聞きの悪い事は言わないほうが良いと思います。それに俺だって…今、大事な時だと思ってるんですから」

 そう言いながら、高野さんを支える手の力をギュッと強くした。

 でも、高野さんは俺を掴み返してこなかった。


  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る