第17話 ちょっと、もっと
「俺に当たらないでください。ちゃんとやってます」
不機嫌な高野さんの声。
「そっちこそ…全然じゃないですか」
洗面所からボソボソと。誰と喋っているんだろう。まあ、俺には関係ないから盗み聞きはするまい、と思っていたのだが、
「誰のせいで忙しくなったと思ってるんですか」
という声が聞こえてきた。
…電話の相手、田端さん?
「そりゃ、そうですけど」
あ、俺と同じ反論されたんだな。誰を異動させるかは会社が決めるから俺は悪くないっていう理屈。
「まあ、いいですよ。もう切りますよ。人のこと構ってる暇、無いでしょ。もう絶対、絶対に、かけてこないでください」
田端さん確定だな。
「いや、ちょ、別にこれから何も!ないです。ないです。俺はただ先輩として。…もう、やめてくださいよ、そういうこと言うの」
ん?何を言われたんだろう。
しばらくして、洗面所から高野さんが戻ってきた。
疲れた顔。
「田端さんですか?」
こっちから先にそう言ったら、ちょっとビックリした顔をした。
「…よく分かったね」
「すみません、盗み聞きするつもりは無かったんですけど、ちょっと聞こえちゃって。田端さん、さっきまでここに来てたんです。追い返しましたけど」
「聞いた。加藤に追い出されたって。ここに来る前に俺に電話かけてきて」
「そうだったんですか」
「加藤が寂しがっているから会いに行けって言われて、すごく気になって、家出て、もうすぐ着くって時に…加藤からもメールが届いて」
そういうタイミングだったのか。だから、メールしてすぐうちに来たんだ。
それにしても、もしかして…と、ちょっと気になっていたことを訊くことにする。
「田端さん、知ってるんですか」
俺と、高野さんのこと。
「いや、田端さんが知っているのは俺のことだけ」
「高野さんの?」
「うん。あの人、俺のこと滅茶苦茶チェックしてたんだよ。今にして思えば、俺が総務に配属されたもんだから、米原さんと付き合ったりしないか見張ってたんだと思う。で、一年まあ無事に過ぎたんだけど、そういう状況で…」
「俺が入社してきたんですね」
高野さんが頷いた。
「気が付いたらバレてた。かなり早い段階で、高野くんに浮いた話が無い理由が見えてきたって言いだした」
うわあ。想像つくなあ、その状況。
「俺は肯定したつもりはなくて、田端さんにとっては、確たる証拠もないはずなんだけど、でも…とにかくあの人は確信を持って俺に『王子のお気に入りの加藤くん』って何度も言ってたな」
怖いシュチュエーションだな。
「おまけに、加藤のことも米原さんに近付かないかダブルチェックしてたよね。加藤と田端さんで飯とかよく行ってたから、俺のことばらされないかハラハラしたよ」
「…仲良いね、みたいなことは言ってましたけど、特にヘンな事は言ってませんでしたよ」
それが多分田端さんのモラル。他人の気持ちを自分が勝手に言いふらすようなことはしない。そこは誠実。
「普通の独り暮らしのメシ仲間でした」
「そうみたいだね。まあ…それはそれで、羨ましかったりしたけど」
…そうなんだ。
へへへ。
そうやって聞くと照れるなぁ。
「まあ、とにかく田端さんの中じゃ、俺の片想いってことになっているから」
別に、両想いってバレてもいいけどね。
「…で、今の電話は?」
「さっき、加藤くん寂しそうだよっていう電話があって。今のは『会えた?』って確認の電話」
田端さん、何やってるんだか。
「で、田端さんは米原さんと会えたんですかね」
「会えなかったみたいだった。今日はどっかホテル泊まるって言ってた」
それで、高野さん『俺に当たるな』って言ってたのか。
だいたい分かった。
で、まあ次に自分のことを考えよう。
部屋の入り口でスマホを握りしめて立ち尽くしている高野さんの傍へ行く。普通に正面から抱きしめて、それから普通に正面からキスをした。
「え?あ、加藤」
いきなりの展開に高野さんがビックリして固まった。
「続き。さっきの」
どうでしょうか。
「あ、うん、はい」
今度は高野さんからキス。
…震えるなぁ。
「田端さんに電話します?こっちはうまくいってますって」
顔を覗き込んだら、高野さんは少し焦った表情を見せた。
「え?いやいや」
「俺は別に誰かに知られてもいいですよ。見せびらかすつもりは無いけど、わざわざ隠す気もありません」
「いや、俺は…そんな勇気ないよ」
…うん。
多分、そうなんだろう。高野さんはとても慎重だし、周りに気を遣う。
「ごめん」
高野さんが謝るから、俺は首を横に振った。
「いや、それは個人の感覚だと思う。謝るようなことじゃないんですよ。それより」
ぎゅーっと抱きしめる。
「そういう俺の感覚とか、高野さんの感覚とか…そういうの、もっと情報交換し合っていきましょうよ。分かんないから。俺、そこが不安で仕方が無い。何をやっちゃったら高野さんは困るんだろうとか、めちゃ悩む」
悩み過ぎて吐きそう。
「…うん、そうだね」
高野さんが、俺を抱きしめ返す。
「俺の何が高野さんを傷付けるか分からないし、連絡が無いとひたすら不安だし、でも高野さんは連絡を取るのが面倒なタイプかも知れないし、俺は人前であんまりベタベタするの苦手ですけど、二人きりだったら滅茶苦茶ベタベタしたい」
言い切ったら、高野さんがちょっと笑った。
「そうなんだ」
「はい」
そうなんですよ。だから…ちょっと…もっと、ベタベタさせてください。
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