第12話 何が起きたか分からない

 ぞっとした。

 何が原因か分からない。


 でも、重作先生の手のひらは危険だ。鉄パイプよりも、ナイフよりも、何倍も恐ろしいモノだと、力雄ははっきりと認識する。


(……ヤバい!)


 力雄はすぐさま逃走を決意する。


 重作先生が一歩、力雄に向けて歩を進めた。


 それに合わせるように、力雄も駆けだした。



 重作先生に向かって。

 拳を握り、重作先生を殴るように。


 (逃げるっ! でも、木足先輩をっ……!!)


「っ!? はっバカが!」


 力雄の行動に一瞬だけ虚を突かれた重作先生だったが、すぐに力雄に向けて手のひらを伸ばしてきた。


 力雄の拳を受け止めるつもりなのだろう。

 そして、おそらくはそれだけで……触れるだけで十分なのだろう。


 それを力雄は認識していた。

 だから、力雄は重作先生の手のひらが拳に触れる前に重心を少しだけズラし、重作先生の手のひらを避ける。


「……なっ!?」


 タイミングを外したことで、重作先生の顔は完全に無防備になっていた。

 そこに向かって、力雄は握っていた拳を開いて振りかぶった。


「っ……!??? ぎゃぁああああ!?」


 その瞬間。重作先生が悲鳴を上げる。


 顔を押さえて、その場を転げ回る。


 力雄は握っていた砂を重作先生の顔にぶちまけたのだ。

 力雄はすぐさま守に駆け寄る。


「木足先輩!」


 力雄は守の顔を手でパチパチと叩いてみるが反応がない。


「こ、この……」


 目に砂が入っていただけの重作先生がゆっくり起きあがろうとしていた。

 すぐさま力雄は重作先生に駆け寄ると、その勢いのまま重作先生の股間を蹴り上げた。


「きゃおっ!?」


 奇声を上げて、重作先生は再び倒れた。


「……逃げないと」


 重作先生が悶絶している間に、力雄は守を抱き抱えるとそのまま走ってその場から離れた。



「……ダメだ」


 守を抱えてそのまま正門から出ようとしたが、力雄の視界の先で正門の門が地面から上がり始めていた。

 今から走って行っても力雄が着くころには完全に門は上がり切るだろう。


 力雄は知らなかったが、力雄が通っている高校の正門は普段は地面に埋まっているのだが、リモコンで開閉出来るようになっている。


 そのリモコンを持っているのは週直を担当している先生で、今週は帰るときも最後まで残っていたように重作先生が担当だ。


 力雄一人なら門が閉まってもよじ登れるが、守を抱えては登れない。


(蹴り飛ばしたときに、ついでにリモコンを奪っておけば……)


 もう、あんなチャンスはないだろう。


 今から重作先生のところへ行っても力雄が与えたダメージは回復しているはずだ。

 次は砂の目潰しは警戒されるだろうし、そうなると打つ手がない。


(あの手は……ヤバい)


 何が危険か。

 力雄には分からないが、重作先生の手のひらが危険なモノであるという確信が力雄にはあった。


 実際、重作先生に触れられた瞬間、守は意識を失っているのだから。


 力雄は自分に抱えられている……重さを感じないため、正確には『モテる力』によって持たれている守を見る。


「とにかく、いったん隠れよう。警察を呼ぶのも後だ。木足先輩をどうにかしないと……」


 警察を呼んでも到着まで数分かかる。

 その間に、重作先生に触られたら終わりだ。

 正門が上がるのを完全に確認せずに、力雄は身を隠しやすい校舎の中に入っていった。




「……ここなら、どうだ」


 肩で息をしながら、力雄はそっと守を廊下に下ろす。

 力雄がいる場所は重作先生がいる校庭とは逆側にある校舎の2階の廊下の中央だ。


 ここなら、移動しているのを重作先生に見られていないはずだし、2階の廊下の中央なら重作がやってきてもわかりやすい。そして仮に重作先生がやってきても、どちら側からも逃げる事が出来る。

 最悪、2階なら窓から飛び降りる事も可能である。


「逃げるなんて久々だから、キツいな」


 はぁ、と大きく息を吐いて、力雄は廊下に寝かせた守を見る。


 本当なら保健室にでも連れて行きたかったが、そんなわかりやすい場所は重作先生にすぐに気づかれるだろう。


「とにかく、木足先輩に意識を取り戻してもらわないと」


 門が上がった正門から逃げることも出来ない。

 力雄は守の顔をのぞき見た。


 綺麗な顔だ。

 目も鼻も整っていて、人形みたいだ。


 人形みたいに……


「……先輩?」


 力雄は守の異常に気が付く。


 動いていないのだ。

 人形みたいに。

 意識を失っても、人は動くのだ。肺とか、心臓とかが。でも、その気配は一切無い。

 力雄は手のひらを守の鼻の位置に持って行く。


「……息をしていない!?」


 力雄はすぐに守の手首を持って脈を調べようとした。

 だが、脈の正確な位置を力雄は知らないし、どちらにしても脈拍のようなモノを感じない。


「……そんな!」


 力雄は守の胸部に耳を当てた。

 思いっきりおっぱいに顔を押し当てる格好になったが、それを喜ぶ心境ではない。


「……何も聞こえない?」


 力雄はしばらく耳を守の胸部に当てて確認してみるが、何も聞こえなかった。


「……な、なんで聞こえないんだよ? だって、そんなのまるで、木足先輩が……先輩が……」


 力雄は自分の耳の中をほじくった。


 耳垢が溜まっているから聞こえないだけかもしれない。

 力雄はもう一度守の胸部に耳を当て、聞こえないから反対側も押し当ててみた。


 もちろん。何も聞こえない。

 守の心臓が動いている気配はない。


 力雄は、守はただ気絶しているだけだと思っていた。

 気を失っているだけだと思っていた。

 でも、これは、今の守は命を……


 どうすればいいのか。何をすればいいのか。

 力雄の思考が乱れていく。

 混乱だ。


「……と、とりあえず救急車。そうだ、あと警察も……」


 まず一番はじめにすべきことをやっと力雄は思い出す。

 自分のスマホを取り出そうとして、力雄はいつも入れているポケットにスマホがないことに気が付いた。


「な、なんで……もしかして、トランクに入れられた時に盗られたか?」


 念のためにほかのポケットを探していると、ぶーんぶーんと何か振動する音が聞こえてきた。

 音の発生源は、守のスカートからだ。


 スカートのポケットに手をいれると、守のスマホが振動していた。


 電話だ。


 相手は重作先生。


 力雄は一度息をのむと、ゆっくり通話をオンにした。

 指は震えていた。


「……はい」


「やっと出たか。どこにいるんだ?」


 重作先生は、いつもの優しい、生徒に人気のある者の声ではなかった。


 苛立ちを隠していない、上から命令するような声のトーンだ。


「……教えるわけがないでしょう。先生はまだ校庭なんですね?」


 外の音が聞こえる。


 力雄の逆質問に重作先生は答えない。

 命令するトーンのまま、重作先生は言う。


「出てこい。出てきたら命(いのち)は助けてやるよ」


「そんなこと、信じられるわけがないでしょう? このまま逃げれば……」


「勘違いするなよ? 助けるのは木足の命(いのち)だ。お前じゃない」


 重作先生の言葉に、力雄は言葉に詰まる。


「今、木足は死んでいるみたいだろう? でもまだ生きている。それをどうにか出来るのは俺だけだ。木足を連れて校庭に来い。お前は殺すが、木足は助ける。モテたいとか言って木足にモーションをかけていたんだ。まさか見捨てたりしないだろ? 15分やるよ。よく考えるんだな。ああ、警察とかに連絡するなよ? 木足が死ぬだけだからな」


 そう言って、重作先生は通話を切った。


「15分……」


 突然突きつけられた選択に、力雄は言葉を失った。

 守を助けるために、正直に重作先生のところに行く、それは力雄の死を意味する。


 でも、このまま連れて行かなければ、守は死ぬのだろう。


 現に、守は死んだように呼吸もしていないし、心臓の音も聞こえないのだから。


 警察や救急車を呼ぶ、という選択もある。

 だが、それは恐ろしい選択だ。


 救急車が来て守が病院で助かればいいが、どうもその可能性が低いように思える。

 なぜなら、守は重作先生に触られただけで、こうなってしまったからだ。

 そんな症状を、普通の病院や医者がどうにか出来るとは思えない。


 それに、警察が来て重作先生に逃げられたり……警察さえも皆殺しにしたら、それこそ終わりだ。

 触られたら殺されるなんて、捕まえることが目的の警察にはどうにも出来ないだろう。



「……どうしたらいいんだよ」


「おやおや。こんな時間まで学校にいるなんて、少年は真面目だね」


 うなだれて、絶望の言葉をつぶやいた力雄に、声をかける者がいた。

 力雄は顔を上げる。

 廊下の先に、その者はいた。


「いや、こんな時間にいるなら不真面目なのかな?」


 あはははと笑うのは、『良い深夜の仕事は疲れている』という言葉が書かれたTシャツを着ている力をあげるおじさんだった。

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