第8話 海での『モテる力』の使い方

 美命を視認した瞬間。力雄は、駆けだしていた。


 悲鳴を聞いて固まったように動きを止めている同級生たちを押しのけながら堤防まで力雄は走った。


「……美命!!」


 美命はばしゃばしゃと苦しそうに海面を両手でたたき、もがいている。


「大丈夫か太刀宝! 今先生が助けてやるぞ!!」


 遅れてやってきた引率の重作先生が服を脱ぎ始める。

 細身のイケメンマッチョが服を脱ぐ。


 そんなどうでもいい重作先生を無視して、力雄は海に飛び込んだ。


 同級生たちが騒いでいるが、力雄は一心不乱に泳ぐ。


 美命は、泳げないのだ。


(……待ってろよ!)


 発見が早かったからだろう。

 幸い、そこまで遠い位置に美命はいなかった。

 バシャバシャと暴れていた美命に、力雄は抱きつく。


「……美命!」


「ら……力雄?」


 暴れていた美命は、力雄の顔を見て、落ち着く。

 しかし、息は荒い。


「た、助けて……私、泳げ、な……」


「わかっているから、しっかり掴まってろ」


 ぎゅっと力雄は美命を抱き寄せると、美命は素直に力雄にしがみつく。


「……よし、戻って……」


 美命が落ち着いたのを確認して、力雄は戻るために浜辺の方を見る。


「……な、なんで」


 いつの間にか、浜辺が遠くなっていた。


 離岸流。


 沖に向かって流れる強い流れ。


 それに力雄たちは捕まってしまっていた。


「……くっ! はぁ! はぁ!」


 泳いで戻ろうとするが、どんどん浜辺は遠くなる。


 力雄が飛び降りた堤防からも離れていく。


 冷たい海水に流されながらただ遠ざかっていく陸地を見て、力雄の脳裏にふっと言葉が浮かぶ。


(……死)


 それが浮かんだ瞬間。


 力雄の足が急に重たくなった気がした。


「はっぶっ!?」

「きゃっ!?」


 沈んだ体を何とか足を動かして力雄は浮かす。


(……くそ! 重い! 服が! 重い!)


 美命を助ける事に必死で気が付かなかったが、死を意識した瞬間、力雄は自分の服の重さを感じるようになった。


 水を吸った衣服は、重い。

 溺れたモノを助けようとして、その人も亡くなるのは、衣服を身につけたまま助けようとし、そのまま満足に泳げなくて溺れてしまうからだ。


 まさしく、今の力雄の状況そのものである。


 必死に立ち泳ぎをしつつ、力雄は美命を抱きしめる。


(……脱ぐか? ダメだ、脱げない)


 履いているジャージを脱ごうとしたが、美命を抱きしめながら、泳ぎながらジャージを脱ぐ余裕がない。


 その間にも、どんどん浜辺が、堤防が遠ざかる。


 とにかく、美命を離さないようにぎゅっと力雄は強く美命を抱きしめた。


「ら……力雄!」


 美命が、息を切らしながら力雄に呼びかける。


「な、なに……?」


「わ……私ね……わぷっ!?」


 波が、力雄たちの顔を覆う。


「……ぷっは!?」


 すぐに海面に上がるが、また波が襲ってくる。

 それでも、力雄は美命を離さない。


 美命も、しっかりと力雄にしがみついている。


「力雄……私……ぷっ!?」


 美命は何かを力雄に伝えたいようだが、波が邪魔をして何を言いたいのか力雄には分からないままだ。


「……もういいから、黙れ。無駄に体力……ぶっ!?」


「……でも、だって、このままじゃ私……」


「助けるから、あとで、言え!」


 そう言って、力雄は自分を鼓舞していた。


 正直、足がもう限界だった。

 感覚が無くなっている。

 それでも、必死に動かし続けていた。


 そうしないと、美命が死んでしまうから。


 だが、そんな力雄の努力もむなしく、大きな波が力雄たちを海中に引きずり込んだ。


 上も下も分からなくなるような感覚を覚えながら、力雄は美命を離さないように力を込める。


(……くそ!)


 遠く離れてしまった浜辺、堤防、そして海面を見て力雄は思う。


(せめて、何かに掴まる事が出来たら……)


 もう、足は満足に動かない。

 バタ足であそこまで浮き上がるのは難しいだろう。


 手を使うにも、片手だけで泳ぐのは厳しい。


 もう片方の手は、美命を抱きしめていなくてはならないのだ。

 だから、せめて何かに掴まることが出来れば、もう一度上がれる。


 海岸に、大量に打ち上げられていた流木でも、発砲スチロールでも、ペットボトルでもエロ本でも、何でもいい。


 それこそ藁にもすがる思いで、力雄は手を伸ばす。

 だが、何もない。

 手のひらに感じるのは、海水の冷たさだけ。


(……くそ、こんなことなら浮き輪でも持ってくれば……いや、モテる男ならサーフボードかヨットか……)


 サーフボードで颯爽と美命を助ける妄想をして、フッと力雄は笑う。


 そんな感じで美命を助けたら、力雄はきっとモテモテだろう。


(そう、何せ俺はモテ男。『モテる力』なんてモノを……ん?)


 そこで、力雄は気が付いた。





「……太刀宝!」


「ミコッチ!」


 大きな波に飲まれて消えた力雄たちを、同級生たちが呼ぶ。


 服を脱いでいた重作先生は、力雄が飛び込んだ後『二人は無理だ』と慌てた様子で車に戻り、消防への連絡とロープを探しに向かっている。


 あと数分で救助が来るだろう。


 だが、間に合わなかった。


 上がってこない力雄たちに、皆の間にあきらめが広がった。



 そのときだった。


「……ぷはっ!」


 海面から、人の顔が出てきた。


「……太刀宝だ!」


 力雄が海面に顔を出し、そのまま浜辺に向かって泳いでいく。


「すげぇ! あいつ、美命ちゃんを抱えたまま泳いでいるぞ!」


 ぐんぐんと浜辺に向かう力雄に、同級生たちはエールを送る。


 そして、力雄は無事に浜辺に到着した。


 そのまま、美命と一緒に力雄は浜辺に倒れ込む。

 美命は意識を失っていた。


(……た、助かった)


 背中に感じる砂の感触と、太陽のまぶしさに泣きそうになりながら力雄は何度も息を吸う。


(気づかなかったら、死んでいた……『モテる力』がなかったら、死んでいた)


 なぜ、力雄が疲労困憊のなか浜辺まで泳げたのか。


 それは、力雄が『モテる力』を使ったからだ。


 モノを持てる『モテる力』


 モノを持てるのだから、海水も『モテる』のではないか。

 力雄はそう考えたのだ。


 それに気づいて、実際に力雄は海水を『持つ』ことに成功した。

 そのあとは、海水をまるでロープのように持ちながら、何とか浜辺まで泳ぎきったのである。


 力雄の呼吸が落ち着くころには、救助隊と救急車が到着し、力雄と美命はそのまま救急車に乗せられる。


 またか、と力雄の顔を見て眉をよせた救急隊のお姉さんに力雄は笑顔を浮かべながら病院へと運ばれていった。





「……ちっ!」


 そんな救急車を見て、舌打ちをしている人物がいることを力雄はもちろん知らなかった。

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