第17話 おじさんとの会話
大量の水が学校の中庭に溢れていく。
その中心には意識を失っている重作がいて、それをホースから手を離した力雄が見下ろしていた。
「お見事お見事……」
そんな二人に、ぱちぱちと軽く手を叩きながら力をあげるおじさんが近づいてきた。
「いや、漫画のようなバトルだったね。お見事。能力を使っての逆転劇。興奮したよ」
はははと笑っているおじさんの声は、冗談のように真がない。
「まるでこういうのに慣れているみたいだったけど……経験したことがあるのかな? 漫画バトル」
おじさんはにやにや笑っている
「……あるわけないだろ」
そんなおじさんを力雄はにらみつけながら、しかし淡々とした口調で言う。
「…そんな事より、聞いていいか?」
「なんだい? おじさんに答えられることなら何でも答えるよ?」
「コイツになんで力をあげた?」
おじさんは、まだ冗談のように軽い雰囲気で答えた。
「コイツって、仮にもこの若者は、君にとっては先生だろ? コイツって言い方は関心しないな」
軽く、どこまでも軽く、おじさんは言った。
さすがに苛立ちを押さえきれなくて、力雄はおじさんに向かう。
「おお、怖い怖い。なるほど、君は怒れる子なんだね。相手の年齢や立場に関係なく。そういえば地の文もいつの間にか重作先生じゃなくて重作になっていたね」
ははは、と何がおかしいのか分からないが、力をあげるおじさんは笑う。
力雄はリュックに手を入れると、まだ残っていたナイフを一本取り出し、おじさんにむけて振り下ろす。
「危ないなぁ。やめてくれよ。おじさんは漫画のようなバトルは嫌いなんだから」
そのナイフを、おじさんは人差し指と中指ではさみ、止めていた。
「……っ!?」
「怖い怖い。人にナイフを振り下ろすなんて普通は出来ないよ? やっぱり経験あるでしょう? 漫画バトル」
「……ナイフを指で挟んで受け止めるような奴に言われたくないんだけどな」
「これは、たまたまだよ。ほら、おじさんは平和主義だから。ピースをしていたらたまたま……ね?」
そう言って、おじさんは力雄のおなかに手を当てる。
瞬間、衝撃が走り、力雄の体がくの字に曲がる。
「……かっ!?」
そのまま、ナイフを落とし、力雄は崩れ落ちてしまった。
「……さて、話をしようか。漫画的なバトルじゃなくて。平和的なお話。いいよね?」
力雄が落としてしまったナイフを拾い上げながらおじさんは言う。
「……っか! はっ……!」
「横隔膜が痙攣して返事が出来ないか。返事がないなら肯定と受け止めよう。声を出さないモノに、権利はないからね」
おじさんはナイフをくるくると手で回し始めた。
「さて、まずは、少年が聞きたがっていた質問に答えるとしよう。あ、言っておくけどおじさんははじめから少年の質問には答えるつもりだったからね? ちょっと寄り道したけどさ」
投げたナイフを、トンとおじさんは額に乗せる。
「いや、確かに誠実さを欠いていたかもしれない。でもさ、いきなり答えたらおもしろくないでしょう? 少年の質問は、答えようと思ったらそれこそ一言で終わる質問なんだし。それで答えてしまったらそこで終わりじゃないか。それだと足りないよ。尺が。もっと伸ばさないと」
どこから取り出したのか分からないが、おじさんはさらにもう一本ナイフを取り出して、投げて、
額に乗せていたナイフにさらに乗せる。
「少年は答えがすぐになくてイライラしたかもしれないけどね、あんまり短いと……ね。ああ、分かったそろそろ真面目に答えるよ。なんであの先生……いや、若者……青年って言葉もあるか。とりあえずそこで倒れている若者に力をあげたのかって質問に答えるとしよう」
さらに一本、おじさんはナイフを投げる。
見事に、おじさんの額の上で3本のナイフが一列に並んだ。
まったく、微動だにせず、ぴっしりと並んで、立っている。
「少年の質問に答えるなら、それはもう一言しかない。こう答えるしかない。それは『願っていたから』だ。あの重作という若者は、強烈に願っていた。だから与えたんだ、力を」
「『願っていた』って。アイツが願っていたのは、『女の子を自由にする』って願いだろ? 動けなくして、自由にする。そんな願い、『願っていたから』なんて理由で……」
まだ動けないが、声は出せるようになった力雄がおじさんを睨みながら言う。
そんな力雄をおじさんは見下ろしていた。
額に乗っているナイフは、ぴくりとも動かない
「もしかして少年は『女の子を自由にする』なんて願いは叶えるべき願いではない、なんて言いたいのかな?」
「当たり前だろ! そんな願い! 叶えていいわけが……」
「願いに優先順位はない。貴賤はあるがね。誰かの願いは叶えるべきで、誰かの願いは叶わないべきだ。そんな事、他者が口を出すべきことではない。決めることではない。ましてや、おじさんのようなモノは、絶対に判断してはいけないんだよ」
そのときのおじさんの目は、今までとまったく違っていた。
へらへらとしたような目ではなく、ただ真剣に、力雄を見ていた。
そのおじさんの目に力雄は息をのんだが……それでも、力雄は口を開く。
「……優先順位はないって。でも、アイツの願いは叶えてはいけない願いだ。あんな願い……」
「たとえば、の話をしようか」
おじさんは、目を閉じた。
「『皆を幸せにしたい』という願いと『お金が欲しい』という願い。どっちの方が優先順位が高いと思う?」
「そんなの、『皆を幸せにしたい』って願いだろ」
「それはなぜだい?」
「いや、『お金が欲しい』なんて個人的な願い、優先度が低くて当たり前だろ? お金が欲しかったら働けばいいんだし……」
「そうだね。そのとおりだ。そう思う人が大半だろう。でもね、『皆を幸せにしたい』って願いの行き着く先が、少年には分かるかい?」
おじさんは、皮肉をこめるように、ためて言う。
「それは、戦争さ。『皆のために』『幸せのために』そんな願いを突き詰めると、結局はそうなる。そうなってしまう。前の大戦なんてそうだろ? 『幸福は勝利の先にあり』そんな大言で始まったんだぜ?」
おじさんは薄く目を開けて笑っていた。へらへらとした様子でもなく、何か、あきらめるように。
「それに、忘れているかもしれないが、おじさんは願いを叶えるわけじゃない。願いを叶えるための『力』を与えるだけだ。その『力』で何をするかなんて、願いが立派で素敵で、高尚で崇高であるほどに分からなくなる」
おじさんは、また視線を力雄に戻す。
「というのが、おじさんの答えだ。『願っていた』から『力』をあげた。おじさんは誰にでも、どんな願いでも『力』をあげる。そこに優先順位はない」
また、おじさんの目はへらへらとしたモノに戻っていた。
だが、力雄は、何もいえなかった。
言えるだけの知識がない。経験もない。
そして、このおじさんはきっとそれらを体験してきたのだと分かり、反論する余地がなくなっていた。
でも、納得は出来ない。
だから、力雄はおじさんをただ睨んでいた。
「ふむ……意志は曲がらないか。いいね。その意気。では、もう一つ。こんな言葉を贈ってみるか」
おじさんは額に乗せていたナイフをトンっとジャンプして宙に浮かせる。
そして、一瞬のうちにそれらを全て掴んでしまった。
「もしかしたら忘れているかもしれないけど……あの若者の願いは『モテる事』だったんだぜ? 君と同じ。『モテる力』それがあの若者の『御術』だ」
「……違う! アイツの願いと俺の願いは……!!」
即座に反論した力雄の目の前に、ナイフが刺さる。
おじさんが持っていた3本のナイフだ。
「……どう違う?」
力雄は一瞬言葉に詰まる。
だが、ナイフに目線を落とし、それをしっかりと掴んだ。
「……モテるってのは、好意だ」
「……うん?」
「モテるってのは、『皆から好かれる』ってことだ! 『愛される』ってことだ! アイツみたいに、無理矢理、暴力的に、強引に、何も抵抗出来ない奴を自分の思うままにすることじゃ、ない!!」
力雄はナイフの一本を引き抜き、おじさんに向ける。
おじさんは、目を見開いていた。
「……なるほど。それが君の『モテる』ということか。正論だ」
おじさんはそのまま力雄の横を通り過ぎ、びしょ濡れで倒れている重作のところへ向かう。
そして、重作の頭を掴んだ。
おじさんの手……正確には重作の頭が淡く光り、その光がおじさんの体に入っていく。いや、戻っていく。
「……『御術』を回収した。これでこの若者はもう『御術』を使うことは出来ない。あの女の子も元に戻るだろう。あとは、警察とかが何とかする」
そう言っておじさんは立ち上がった。
「では、少年。おじさんはそろそろ行くよ。そのナイフは君にあげよう。君なら上手に使える……いや、『モテる』だろ?」
おじさんはスタスタと歩いていく。
「……待った」
そのおじさんを、力雄は呼び止めた。
「……なんだい? 少年」
「何でも答えるって言ったよな? じゃあ聞くけど、『お金がほしい』と願っていた人はどうなった?」
力雄の質問に、おじさんは固まっていた。
完全に虚をつかれた。
そんな感じだ。
「ふ、まさかそんな質問がくるなんてね。もっと聞くべきことがあるだろうに。だが、まぁいい。その質問にもおじさんは一言で答えるよ。実に簡単な答えだ」
ふっと笑い、おじさんは言う。
「……死んだよ。過労死だ。『お金が欲しいなら働けばいい』少年の言うとおりだ。正論だ。常識だ。尊い事だ。労働は。だから働いて、彼女は死んだ」
おじさんの答えに、力雄はまたしても何も言えなくなった。
言えなくなって、おじさんを見ることも出来なくなった。
「……基本的におじさんは聞かれないと答えない主義なんだけど、今回は特別だ」
しょうがない、そう言いながらおじさんは右手にパーを作り、左手にチョキを作った。
「これが何か分かるかい? 少年?」
「……パーとチョキ。じゃんけんか?」
「違う。これは数字だ。7。おじさんはこの町で7人に力の種を蒔いた。『御術』を、『願いを叶えるための力』を得られるようにした」
おじさんの話に、今度は力雄が目を見開く。
「君とあの若者も含めると残り5人。『御術』持ち同士は惹かれあう。何も起きなければいいね。漫画的な事が」
そう、笑いながら言い。
おじさんは今度こそ去っていった。
一人残った力雄は、おじさんが残していったナイフを握りしめていた。
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