第16話 『モテる力』VS『止める力』
「……はぁ?」
何が起きているのか。重作はわからなかった。
なんで力雄が自分の腕をつかめていたのか。
なんで砂の拘束をしていた力雄の手が動いていたのか。
そして、ここは、どこだ。
上昇感が、浮遊感に変わり。
それがさらに落ちていく感覚に変わって、重作は始めて下を見た。
落ちていく先を見た。
小さく見える、光。
自分が住んでいる町。
自分が教鞭をふるっている学校が見える。
自分が今いる場所が遙かに高い空にいるのだと重作はようやく知った。
「な、なんだこれは!?」
叫ぶように……いや、実際に絶叫しながら重作は言う。
今、重作はかなり高いところにいる。
100メートルか、200メートルか。
いや、下手すればもっと上かもしれない。
落ちれば、確実に死ぬ。
地面にたたきつけられてぐちゃぐちゃになって、死ぬ。
重作は、寒ささえ感じるほどに血の気がなくなった脳をどうにか動かす。
「と……止まれぇ!!」
あわてて、重作は自分の服を止めた。
それは、重作が置かれた状況を考えると、とても冷静な判断だっただろう。
いきなり上空にいて、落ちていた事を考えると、十分に素早く、的確な判断だった。
しかし、それでも遅い。
「っがぁ!?」
重作は、体に走った痛みに叫びをあげる。
重作は、落下を阻止するために自分の服を止めた。
自分の体そのものを止めたら、意識もどうなるかわからない。
力雄の様子を考えるに、おそらく意識も止まるのだろう。
そうすれば、重作は永遠に上空で止まったままだ。
だから、重作は自分の服を止めることにしたのだ。
その判断は的確で、だからこそ重作に痛みが走った。
止める。という事は速度を急激に0にする事だ。
簡単に言えば、とても固い壁にぶつかるのと大差はない。
重作は、自分の服を止めた。
自分の服を、上空に固定したのだ。
だから、重作の体からしてみれば、服の形をしたコンクリートにぶつけられたのと変わらない。
人の体は、たとえば2階の高さ。数メートルの高さから落ちても骨折する。
重作の反応は的確で、かつ速かったが……それでも数メートルは余裕で落ちていた。
痛いと感じるには十分すぎるほどの衝撃を、重作はその身に受けることになったのだ。
「……お、折れてはいないみたいだな。く、くそ。なんでこんな……」
重作は視界を下に向けて息を飲む。
まだ高い。途方もない高さだ。
「な、なんで俺はこんなところに……」
言いながら、重作は自分の思考を整理する。
自分に何が起きたのか整理する。
「……投げられたのか? 俺は? 太刀宝に?」
重作の中で、確かに記憶している直前の出来事。
重作は力雄に手を掴まれた。
だから、力雄に投げられたと考えるのは当然の帰結である。
しかし、それならそれで疑問はある。
「……バカな。あいつは完全に拘束されていたはずだ。釣り糸と、それに砂粒で。釣り糸は服に引っかかっていただけだが、砂粒はそれこそ完全にあいつの手の周りを覆っていた! 固定していた! 動けるはずが……!」
でも、力雄は確かに動かしていた。
動かして、そして重作を投げたのだ。
ならば、考えるのは『あり得ない』ではないだろう。
考えるのは『どうして』だ。
「……まさか、まさか」
そして、重作はその『どうして』にたどり着く。
「まさか、あいつ、『持った』のか? 『モテる力』何でも持ち上げる事の出来る力。俺の『御術』で止めた糸を! 砂粒を! 持ち上げたのか!?」
重作は、下を見る。
力雄の姿は見えない。
高すぎて、そして暗すぎてよく見えない。
「……くそ!」
重作は、慌てて自分の服の停止を解除する。
だが、長くは解除しない。
すぐに止める。
「……っうぐ!?」
それでも、反動は来た。
体が悲鳴をあげる。
「は、はやく降りないと……」
だが、痛みにくじけている時間は、重作には無かった。
力雄が重作の『御術』で止めたモノを『持てる』というのなら、急がなくてはならない。
(……逃げて警察に通報! 俺の落下地点に罠を設置! もたもたしていたら何をされるか分からん!)
風はない。風があればそれに乗って落下地点を元の場所からズラす事も出来ただろうか。
(……いや、風に乗って落ちる場所をズラせるほど長い時間落ちるのは無理だ。体に負担がかかりすぎる!)
どっちにしても、重作はこのまま素直に、少しずつ落ちていくしかない。
「くそ! あのガキ! 絶対にゆるさん! もっと早く……確実に殺しておくべきだった!」
ガクガクと少しずつ、だが着実に重作は落ちていく。
力雄が重作が止めたモノを持てるというのなら……力雄は重作にとって確実に殺しておかなくてはならない敵になる。
格下だと余裕を持って見下し、仲間にしようなど考えられる相手ではなかったのだ。
(くそ! 本当に、どうして気がつかなかったんだ? あいつが俺が止めたモノを持てる事に! あのとき気がついていれば……!)
力雄が重作が止めたモノを持った時を、重作は見ていたはずなのだ。
それは、旧校舎の火事の時。
重作が守を拘束しようと止めていた机が、まるで火山の噴火のように吹き上げられたのだ。
止めていたはずの机が飛んだ事に、その時の重作は特に疑問を持たなかったが、今なら分かる。
あの時は炎の熱で机は飛んだという見解がされていたが、あれは力雄が持ち上げたのだ。
力雄が持ち上げて、投げ飛ばしたのだ。
今の重作のように。
「……殺す! 殺す! 殺す!」
地面が見えてきた。
案の定、力雄の姿はそこにはない。
警察に通報して逃げたか、校舎で待ちかまえているのか、それとも、重作が着地する瞬間に罠でも仕掛けるのか。
「やれるもんならやって見ろ! 全部俺が止めてやるよおぉおおお!! 警察だろうが! 車だろうが炎だろうが何だろうがなぁあああ!」
あと10メートル。
あと10秒もあれば地面に着地出来るだろう。
もう、重作に怖いモノは無かった。
たとえ警察に追われることになっても、今の重作なら逃げきれる。
何でも止める事が出来るのだ。
問題ない。
重作は地面を見ていた。
何が来ても対応出来るように。
着地する瞬間。
それは重作が力雄に何か出来るようになるタイミング。
何か反撃出来るようになるタイミング。
だから、重作は思ったのだ。
思ってしまったのだ。
力雄が重作に何かするのも、重作が着地するタイミングだと。
「……ごぼっ!?」
突然、横から何かが重作にぶつかった。
ぶつかって、重作の呼吸を奪う。
「がぼぼぼっ!?」
突然の襲撃に、突然の呼吸困難に、重作は混乱する。
混乱して、それでも自分に何が起きたのか、自分の周りにあるものが何か理解した。
(……み、水!?)
そう、水が文字通り固まりとなって重作の周りを覆っていた。
(な、なんで……?)
重作は慌てて周囲を見渡すと、重作の横側、力雄逃げ込もうとしていた校舎の5階。トイレの窓が開いている。
そこには力雄が立っていて、何かを握っていた
。
(あれは……ホース? なんでそんなモノを?)
力雄が握っていたのは、トイレの掃除のときに使っているホースだった。
それを4本。まとめて持っている。
そのホースから水が流れていて、その水が重作の周りを覆っている。
(ホースから水が流れて……いや、あれは、まさか、水を持っているのか!?)
力雄が水を持てる。
その事を、重作は知っている。
なぜなら重作が力雄が『御術』を使えると知ったのは、力雄が清掃大会の時に海に落ちた命を助けるために水を持って海岸まで泳いだのを見ていたからだ。
だから、力雄が水を持てることを知っているが……それでも、こんな使い方をしてくるとは思わなかった。
流れる水が落ちずに力雄に持たれたままになるなんて思わなかった。
「がぼぼぼっ!?」
(く、苦しい!?)
突然、水中に入れられたのだ。
何の準備もしていない。
呼吸は長くは続かないだろう。
本能的に重作は自ら出ようと服の停止を解いて水面に上がろうとする。
「……逃がすかよ」
その動きに合わせて、力雄がホースの向きを変える。
(空気! 空気!)
どんなに上に泳いでも水が追ってくる。
停止を解除しても、重作の体が落下することはない。
水が周りにあるということは、その水に浮けるからだ。
だから、重作は下を見て、そちらに向かって泳ぎ始めた。
もちろん、その動きに合わせて力雄もホースの向きを変える。
水は重作を追う。
だが、重作はそれでもよかった。
地面まであと一メートル。
もう、重作を覆う水は地面についている。
そこまで来て、重作は使う。
『止める力』
重作の『モテる力』
水を止める。
その位置で止める。
重作の『止める力』の止め方には、いくつかのタイプがある。
一つ目が、物体そのモノを固定して、動けなくする止め方。
重作が守や力雄に使った止め方だ。
止めたモノを、その場から動かす事が出来るのが特徴だ。
次に、物体の位置を固定する止め方。釣り糸や砂粒に使った止め方だ。
今回は、それを重作は使った。
水を、その位置だけで止める。
するとどうなるのか。
重作は正直しらない。
やったことがないからだ。
今まで、この位置を止める使い方は、一つ目の物体そのモノを固定して使う時と同時に使ってきたからだ。
基本的に重作は『止める力』を物体にしか、固体にしか使ってきていない。
精々、野良猫相手に動きを止めて、そのあと解除してちゃんと動くのか確認したくらいだ。
水を止めるなんてやってみようと思った事もない。
だが、力雄が水を持てるなら、重作だって水を止めることが出来るはずだ。
水の固まりをその位置で止めて、そこから泳いで逃げることが出来るはずなのだ。
重作は、水の固まりをその場で止めて、上に向かって泳いでみる。
泳いで上昇する事が出来た。
水面が近くなる。しかし水の固まりは動かない。重作を追ってこない。
水の固まりをその位置で固定することに成功した。
(……やった!)
そうすれば後は簡単だ。
水面まで泳いで息を吸い、そのまま水がない場所まで泳げばいい。
この程度の高さからなら、空中に出ても問題ない。
2階から落ちる程度の衝撃だろう。
それなら、『止める力』を使えばどうにでもなる。
重作はとりあえず息を吸おうと全力で水面に向かって泳ぐ。
あと一メートル。
50センチ。
30センチ。
(……空気!)
もう、水面まですぐそこ。
と、その時だ。
ぐんっ!と、水面が、水の固まりが急上昇して重作を水面から、空気から遠ざけた。
「……バカが。俺はお前が『止めた』モノでも『持てる』んだよ。もう忘れたのか?」
「……がぼぼぼ」
吸えると思った空気が吸えなくて、重作はすぐに気絶した。
動かなくなった重作をしばらく眺めて、本当に気絶したことを力雄は確認すると、力雄は水を持つことをやめる。
水の固まりは、本来そうであるように球体状から姿を変え、一気に地面に落ちていく。
大量の水が地面をぬらし、洪水のように流れていく。
その水の流れが引くと、校舎の脇にある側溝に重作が倒れていた。
泥だらけになっていた重作を、力雄はただ冷たい目で見下ろしていた。
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