第15話 力雄逃走


「……くそ!」


 反転して、力雄は走る。

 掴まれば止められる。

 止められたら、殺される。

 逃げるのは当然だろう。


「逃げるな!」


 そんな重作の声に答えるように、力雄は急に止まる。


「……っこれならどうだぁ!!」


 そのまま、力雄は校庭にすぐ近くに止まっていた赤いスポーツカーを重作の車を放り投げる。

 車だろうが、力雄は片手で投げられるのだ。

 飛んできた自分の車に重作は目を見開く。


 勢いは止まらず、車は重作に激突した。


 だが、衝撃音はまったく出ない。

 車は、重作に止められていた。


「バカが! 俺は止める事が出来るんだよ。大きさに関係なくな。こんなデカくて触りやすい奴、砲丸よりも……」


 重作の言葉が途中で止まる。


「……気づいたか」


 力雄が、にやりと笑う。

 その手には、いつの間にか炎がついたライターが握られている。

 重作の目線の先は、濡れている地面があった。


 水で濡れているのではない。


 重作は目線をあげる。

 自分が止めている自分の車。


 それの、給油口。

 そこの部分にぽっかりと穴が開いている。


 ツンと鼻を突くにおいがする。


「……このにおいは……」



「ガソリンだ」


 力雄は持っていたライターを投げる。

 ライターの炎が、地面をぬらしていたガソリンに引火した。

 

 炎がガソリンを伝い、給油口に走り、車を爆発させる。


 ……ということを力雄は目論んでいた。


「……なんでだ?」


 いつまでも爆発しない車に、力雄は疑問を口にする。


「俺の力は止める力だ。ガソリンがこぼれるのを止めるくらい出来るに決まっているだろ? まぁ、最初に意識していなかったから、もう一度触る必要があったけどな」


 両手を車に当てていた重作が、車から身を出してくる。 

 給油口からは、傾いているはずなのにガソリンは一滴もこぼれていない。


 こぼれそうな一滴さえ、滴になりかけたまま止まっている。


「砲丸、ナイフ、車……これで終わりか?」


 にやりと、重作が笑う。


「じゃあ、あとはお前を触るだけ、だなぁ!!」


 重作が、再び力雄に向かって走り始めた。


「っひ!? ……ぁあああああああ!」


 おびえたような声を出し、力雄は走る。

 重作に背を向けて、それは、まさしく逃走だった。


(……ち、早いな)


 重作は舌打ちをした。


 スタイルを保つため、ひいては女子生徒に好感を持たれるために日々ランニングを欠かさない重作だが、それでも力雄の逃走に追いつける気がしなかった。

 力雄も日頃鍛えているということだろう。


(……いや、アイツ確か中学の時は……)


 少し調べて知った、中学生の時の力雄の評判を思いだし、重作は眉を寄せる。

 中学の時の評判が本当なら、追いつくのは難しいだろう。

 力雄は一目散に、校舎に向かって走っていた。


(正門に向かわない? 校舎に向かって何をするつもりだ? 木足の回収? それとも……まだやるつもりか?)


 力雄がさきほどあげた、おびえたような声。

 今思うと、どこか演技臭い声だった。


(おそらく、あいつはさっきまでどこかの校舎に隠れていた。罠でも仕掛けたか? それとも、遮蔽物があれば戦える、なんてことを考えているのか?)


 それは、中学の時、あのような評判を得ていた力雄ならあり得る発想だと重作は思った。

 

 そう思い、そして重作は、吹き出してしまう。


(どっちにしても……そう考えているなら、バカなガキだ! 車に火をつけた時は少しは関心したんだがな!)


 力雄は一目散に、第二校舎……力雄が先ほどまで隠れていた校舎に向かっている。


 その足取りに迷いはない。迷い無く、力雄は校舎に入ろうとして……力雄の体は宙に浮いていた。


「……なっ!?」


 宙に浮くというより、まるで倒れた状態で静止しているような体勢の力雄は、驚愕の顔を浮かべている、


「なんで……これは……?」


 空中で体をひねった力雄は、また止まる。

 制服の至るところが伸び、まるでどこかに引っかかっているようだ。


「残念。逃げるのはここまでだな」


 力雄が混乱しているなか、ゆっくりとした足取りで重作が近づいてくる。


「く……っそ!」


 力雄はもがくが、もがけばもがくほど制服が何かに引っかかっていく。 

 力雄は何に自分の制服が引っかかっているのか目を凝らす。


 それは、透明な細くて短い棒状のモノ。


「これは……釣り糸?」


 よく目を凝らせば、透明な一センチ程度の長さの釣り糸が空中に沢山浮いている。

 いや、停止している。


「お前は15分で罠を準備したかもしれないが、俺は一週間は時間があったんだぜ? しかも俺の『御術』は『止める力』このくらいの罠は準備しているに決まっているだろ?」


 よく見ると、釣り糸以外にもコンビニの袋のようなモノも浮いている。


「各校舎の入り口と、校門、裏門。それぞれの場所に釣り糸の罠を設置済みだ。目立たないようにコンビニ袋に入れて、隠すように空中に固定して、お前が通過するタイミングで停止を解除してパラパラばらまいてな」


 ふりかけをかけるような仕草をしながら重作は語る。


「校門に向かってくれたらその場で終わったんだけどな。変な場所に逃げやがって。こっち側は見えなかったから罠の作動も出来なくて、正直困ったよ。困って……ムカついた」


 重作が、何かを投げつけてきた。

 とっさに力雄は手を顔の前に持ってくる。


 重作が投げつけたのは、砂だ。

 おそらく、校庭で拾ったのだろう。


「……っ!?」


「一応お友達感覚の先生を目指していたけど、それでも先生に砂を投げつけるのはよくないよな? ましてや砲丸、ナイフ、車なんて問題外だよなぁ?」


 ニヤニヤ笑いながら重作が近づいてくる。

 釣り糸に引っかかっているだけならよく見れば逃げられるだろう。

 そう思い力雄は少しでも距離をとろうと手を顔の前からどけようとする。


「……っなぁ!? くうっ!?」


 だが、動かない。

 まったく手を動かすことが出来ない。


「投げた砂を止めた。どうだ? 砂粒に拘束される気分は? 砂粒で足止めされた気分はどうだ?」


 重作は自分の足を上げる。

 その足底が向いているのは力雄の股間。

 指の隙間から、それを見ていた力雄は息をのむ。


 蹴られる。

 その確信があった。


 しかし、重作は足を上げたまましばらく動かず、そして下ろしてしまった。


「……ちっ。糸が邪魔で無理だな。くそ」


 重作はその場で立ち止まる。


「……ふぅ。さて、いろいろ、いろいろ邪魔をしてくれたわけだが……気はすんだか? 太刀宝?」


 勝ち誇る。

 そんな顔で重作はしっかりと力雄を見下ろしていた。

 力雄は唇を噛み、重作をただ睨む。


「俺が触る。それだけで俺はお前の心臓を止めることが出来る。俺に一回殺されたからそれはわかるだろ?」


 にやりと重作は笑みを深める。


「……やっぱり、俺は一回、アンタに殺されていたのか」


 力雄にとって重作の言葉に、驚きはなかった。

 重作が止める力を持っていると聞き、今日の放課後、自分に何が起きたのか力雄はなんとなく予想できていた。


「階段で足をとられた感覚があった……いや、あれは止まったんだ。アンタがしたんだろ?」


「そうだ。ジュースをこぼして、拭くついでにお前の足に触った。階段から落とすために……いや、お前を殺すためにな」


 くっくっくと重作はのどを鳴らす。


「木足の目の前でお前を階段から落とす。そのあと、物音に気づいたフリをして俺はおまえたちの前に現れた。『何をしたんだ、木足!』と木足をしかりつけてな。お前の容態を見るフリをして気絶したお前に触る。心臓を止める。『……死んでいる』って言った時の木足の顔は最高だったな。絶望に染まって、お前にすがりついてな」


 重作の笑みがどんどん、どんどん深くなる。


「木足は絶対に自分に汚点をつけることが出来ないからな。お前の死体の隠蔽に協力するって言ったらゆっくりうなづいていたよ。放心したような顔で……レイプ目ってああいう目のことを言うんだろうな。あんなに気が強かった木足が俺の言うことをホイホイ聞いて……」


 重作の笑みは、もう一言で言って醜悪だった。

 およそ、人のする笑みではなくなっている。


「同じ『御術』の持ち主であるお前を殺す。そして木足の弱みを握り、俺のモノにする。途中までは上手くいっていたんだけどなぁ。止まっていた、殺していたはずのお前が動き出すなんて正直驚いた」


 ふぅ、と重作は息を吐く。

 笑みが消えた。


「驚いたが……罠を仕掛けていたように、完全に予想外というわけじゃあない。正直まだ俺もこの『御術』を使いこなせているわけじゃないしな。何回も失敗してきたんだ、今回もそのうちの一つだ」


「……何回も失敗って」


「そうだ。あの火事の時、木足を拘束していたのは俺だ。俺が木足にあの旧校舎を掃除するようにお願いして、大量の机と椅子で拘束した。『御業』を使ってな。いや、思い返してもあれは失敗だったな。旧校舎で動けない女子生徒を襲うってのは憧れのシチュエーションだったが、ちょっと無理があった。火事なんて起きたしな」


「……憧れ?」


 力雄の疑問に、重作はまた笑みを浮かべる。


「ああ、憧れだ。お前もあるだろ? アダルトビデオとか見てさ、『女の子にああいうことをしたい』ってやつ。フェ○とか、3○とか」


 気分がいいのだろう。

 笑い出しそうな勢いで重作は語る。

 自分の趣向を。


「俺はなぁ『時間停止モノ』が好きなんだ。動けない女の子をなめ回したり、いろいろイタズラしたりな。特に『女子校生モノ』の『時間停止』なんて最高だぁ」


  おそらく、重作は今までこんなことを語ったことはないだろう。

 腐っても、一応この男は教師だ。


 だが、今の重作はタガが外れていた。


 一度語ったことによって。

 一度、力をあげるおじさんに語ったことによって、重作は自分の願いに素直になっている。


 素直に、願いを、願望を、欲望を、語ることに夢中になっている。



「次に俺は『壁尻モノ』が好きでな。そう言う意味で旧校舎は失敗だ。二番目に好きなことなんてするもんじゃない。計画も穴だらけで、せっかく木足を拘束しても、肝心の尻が机から出ていなかったからな」


 素直に願望を語っている重作の目は、キラキラしいていた。

 キラキラしていて……何も見ていない。力雄さえも。


「まぁ、でもすぐに出来ることがあれくらいだったからな。俺の『御術』は知っているとおり、直接触ったモノだけを止めることが出来る。いくら女子生徒を触って、止めて、『時間停止モノ』みたいにやりたい放題したいと思ってもさ、今時男性教師が女子生徒に触るなんて簡単じゃないんだよ。だからちゃんと計画を練ることにした、そして、練習もすることにした」


「……練習?」


「ああ、いきなり本命の木足じゃなくて、そこらの可愛い女子生徒に試そうと思ってな。本命を二番目のシチュエーションで狙うべきじゃないが、本命じゃない奴なら何をやってもいいだろ? だから、清掃活動の時に一年の女子を海に落とすことにした」


「……は?」


 力雄の目が、大きく開く。


「溺れた生徒を助けるために体に触れるのは当たり前だろ? いや、むしろ尊敬さえされることだ。だから清掃活動に指定されていた海岸にいくつか仕掛けをしていてな。どれが効果的か試していたんだよ。結局、細かく切った釣り糸に足をひっかけた女子生徒がいたから助けようとしたんだが……邪魔をされた。お前にな」


 重作が、ずいっと顔を力雄に近づける。

 二人の間で、小さな釣り糸がキラリと光った。


「結局、一年の女子生徒……太刀宝 美命の体を触って動けなくして俺の人形にすることができなかったが……代わりに貴重な情報を知った。そう思うと成功かもな、あの日の実験は。お前がおれと同じ『御術』を持っているとわかって、俺はお前を殺して木足を思い通りにする計画を立てることが出来たんだからな」


 ニヤニヤと、重作はまた醜悪な笑みを浮かべる。


「さて、あとはお前を止めて、殺してしまえば終わりだ」


 重作は、手で覆われた力雄の顔にむけて手を伸ばす。

 そして、力雄の手に触れる寸前。

 重作の手が止まった。


「……殺すんじゃないのか?」


「……殺す前に、一つ提案をしようか。お前、俺の仲間にならないか?」


「……はぁ?」


 力雄の手の前で手を止めたまま、重作は言う。


「あのおじさんの話だと、この町には『御術』って力を与えられた奴がほかにもいるそうだ。今回はお前が『御術』持ちだと俺が看破したから教えてくれたが、ほかの奴にもそうだとは限らない。俺の『止める力』は無敵だ。最強だ。だが、お前がさっきしたみたいに不意打ちも考えられる。俺の『御術』は触ったら止められるが、触らなかったら止められないからな」


少しだけ、力雄から重作の手が遠くなる。


「お前の『御術』はモノを持てるだけの下らない能力だが……それでも無いよりマシだろう。それに……」


 重作は、鼻息を小さくならす。


「お前の願いも、『モテる事』なんだろ? 俺も同じだ。『モテる』ために、俺はこの『御術』を『止める力』を手に入れた。同じ『モテる力』同士、俺たちは仲良く出来るんじゃないかと思うんだ」


 ニヤリと、爽やかに重作は言う。

 その顔は、確かに女子生徒から人気の、生徒と友達感覚になれるイケメン教師の雰囲気がある。


「仲間になれ、太刀宝。そうすれば、たまになら木足を使わせてやる。ほかにも、気になる女子生徒がいるなら止めてやるぞ? たとえば、太刀宝 美命とかな? おまえたち血はつながっていないんだろ? 俺の『止める力』を使えば大丈夫だ。気づかれずに、何でも出来るぞ?」


 友達を遊びに誘うように、気安く重作は力雄を誘う。


「大丈夫だ。俺が、先生が、お前もモテモテにしてやる。この最高の『モテる力』『止める力』を使ってな。二人でハーレムを作ろうぜ? なぁ? この町を、二人のモテモテパラダイスに変えるんだ」


 重作は、また力雄に自分の手を近づける


「……返事を聞かせろ、太刀宝。『モテる』か、『死ぬ』か。先に言っておくが、今回止めたら、ただ止めるだけじゃなくてその後にちゃんと心臓を突き刺して殺すからな?」


 重作の問いに、力雄は口を開いた。


「……さい」


「ん? なんだって?」


 力雄は顔を手のひらで覆っている状態だ。

 声がこもって聞こえにくいのだ。

 重作は体を力雄に近づける。


「もっと大きな声で、はっきりと……」


「うるさい。気持ち悪いんだよ、お前」


「……は」


力雄の予想外の返事に、重作が眉を寄せたときだった。


「……あ?」


 がっしりと、力雄が重作の腕を掴んでいた。


「……なんで、お前、俺の腕……?」


 急に、重作は体が浮き上がる感覚を覚える。


「……を?」


 急激な上昇感。


 それが終わった時、重作はなぜか暗闇の中に浮かんでいた。

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