第2話 「力が欲しいか?」おじさん

「……で、びしょぬれで教室にやってきたの? 力雄」


 呆れ顔を浮かべている活発そうなボブカットの少女に、少年、力雄は頭を垂れる。

 力雄の髪は水で濡れており、ツンツンと尖っていたヘアスタイルは完全に垂れ下がっていた。


「……うう。ヒドい目にあった」


「ヒドい目って、あの鬼の風紀委員長。木足 守(きあし まもり)先輩にそんなふざけたことをして、その程度で済んでよかったと思わないと」


 呆れ顔の少女に、力雄は面をあげる。


「その程度って……! 俺は顔を殴られたんだぞ! 将来の超絶イケメン! いつか大量の黄色い熊のぬいぐるみを投げられるようなそんなモテモテの色男になる俺の顔を! 殴られたんだ! 大事件だろ! 美命(みこと)!」


 力雄の幼なじみであるボブカットの少女。太刀宝 美命(たぢから みこと)はぐにゃりと眉を歪ませる。


「……力雄はもう少し鏡を見た方がいいと思うよ?」


「……なに!? そんなに腫れているというのか!? チクショウ! 俺のイケメンフェイスが……!!」


「……鏡じゃなくてお医者さんだね。頭のお医者さんにいこう」


 よしよしと美命が力雄の頭をなでる。


「……なんで頭? まさか! 美命! 俺をイケメンではないと思っているのか!?」


 美命の言葉に、力雄は愕然とした顔を浮かべる。


「そんな……長年一緒に暮らしてきた幼なじみにそんなことを言われるなんて……家族だと思ってきたのに……!」


「私もまさか長年一緒に暮らしてきた幼なじみがここまでヒドい思考をしているなんて知らなかったよ」


 なんでこんなことに……と、美命は額に手を当てる。

 その反対の手には、乾いたタオル。


 それを、美命は力雄の頭に乗せた。


「はい。どうぞ。とりあえず乾かしなよ」


 教師がホームルームをしている間、力雄は命のタオルでゴシゴシと頭を拭いた。



 その日の放課後。


 力雄は一人で家路についていた。

 美命は陸上部に所属している。

 今頃、汗を流していることだろう。


「……帰ったら俺も走るか。モテ男の必須条件。細マッチョを目指して」


 ちなみに、力雄は部活に入っていない。

 モテるなら野球部やサッカー部に入った方が良さそうなモノではあるが。


 その理由を、力雄は美命に『部活なんてした日焼けするだろ! 過度な日焼けは美容の敵だぜ?』と語っていた。


「それに、怪我もするしな……この将来イケメンになる可能性フェイスに傷が入ったら大変だぜ」


 ふっと、力雄はワックスが落ちてさらさらになってしまった前髪を上げる。


「……これはこれでカッコいいかもしれないな。この路線でいくか? いやいや、やっぱりちゃんと整えていないとダラしなく思われるかも……」


 なんてことを考えながら歩いていると、道の先におじさんがいるのを力雄は見つけた。

 今は夕方。

 別におじさんが道にいても不思議ではないのだが……


(……なんだ? あのおじさん)


 そのおじさんのことが力雄は妙に気になった。

 髪はゆるいパーマがかかった、Tシャツに短パン姿のおじさん。


 Tシャツに書かれている言葉が『極上流星 (スーパー)叶えて』

 と意味不明の日本語になっている事以外、普通のおじさんだ。

 美命が好きそうなデザインのTシャツではある。

 彼女はときおり変わったセンスを発揮するのだ。


 そんな、Tシャツ以外普段なら気にもとめないような外見の中年ではあるが……力雄はどうしてもそのおじさんから目をはなせないでいた。


 おじさんは、一歩も動かずにその場に立っている。


(……まぁいいか。さっさと帰ろう)


 力雄はそのおじさんの横を通り過ぎる。

 その時だった。


「力が欲しいか?」


 と、声が聞こえた。


「……え?」


 力雄は振り返る。

 しかし、そこには誰もない。


「……気のせい?」


「力が欲しいか?」


「うおわぁあああ!?」


 背後から聞こえた声に、力雄は飛び上がるほど驚いてしまう。


「ははは……何もそんなに驚くことはないだろう? 若いねぇ」


 声の主。

 さきほどやけに目に付いた妙なTシャツのおじさんが、驚いて腰が抜けてしまった力雄を見て笑う。


「な、なんだよ。なんで後ろに……てか、アンタは……」


「ごめんごめん。謝るからゆるしてよ。おじさんは今ちょっとしたアンケートをしていてね。答えてくれると嬉しいんだけど」


 おじさんがニヤニヤしながら力雄に手を差し出す。

 その手を、力雄はおずおずとしながら掴んだ。


「……アンケート?」


「そう。アンケート。さっきも聞いたけど……力が欲しいか?」


 瞬間。急におじさんから圧力のようなモノを力雄は感じた。

 圧迫感というか、存在感というか。

 ヒリつくような、痛みが肌を走る。


「う……っく」


(……なんだよ、これ?)


おじさんは笑ったままだ。


力雄の人生において、このような経験はない。


高速でダンプカーが向かってくるような感覚に、力雄は息が詰まった。


迫る力。

まさしく、これが迫力なのだろう。



「……力が欲しいか?」


 三度。おじさんの質問。

 力が欲しいか? そんな質問。


(なんだよ、力が欲しいか?て、マンガかよ。ふざけているのか、ちくしょう……)


 しかし、そんな軽口は決していえない。

 おじさんは、そんな軽口をいえる迫力をしていない。

 笑ってはいるが、ふざけているのではない。


 それをイヤでも力雄は実感させられていた。

 力雄は、数瞬迷い、そして力を込めてゆっくりと口を開く。


「ほ……しい」


「……はっきりと」


「欲しい……です」


 いって、力雄は目を閉じた。

 力が欲しいか、という馬鹿げた質問に、真面目に答えてしまった。

 正直言って、恥ずかしい。


(うわぁああああ……なんで俺は真面目に返事しているんだよ! こんなの全然格好良くないだろ!)


 モテる男。略してモテ男として失格だ。


 だが、おじさんは表情を変えずに……笑みを浮かべたままさらに聞いてきた。


「そっか。じゃあ、どんな力が欲しい?」


「……どんな?」


「そう。どんな力を君は望む? 君は何をしたい? 望みはなんだ?」


 おじさんの問いに力雄は迷うことなく口を開いた。


「……モテたい」


「……ん?」


 おじさんが、眉を上げる。


「俺は……モテたい! モテる力が欲しい!」


 はっきりと、力雄は言った。

 言い切った。


 力雄の答えを聞き、おじさんは固まる。


 そして、

「……はっ」

 と息を吐くと、大きく口を開けて、声を出して笑いはじめた。


「は、ははははは! モテたいか! モテる力を望むか! 三十過ぎの中年ならそんな望みを持ってもわからなくはないけど、君の年でそんなことを望むんだ!」


 腹を抱えて笑うおじさんを見て、力雄は後悔した。


(……何を俺は真面目に答えているんだ。こんなの笑われるに決まっているじゃないか)


 もう、その場から走って去りたかった。

 力雄はゆっくりと立ち上がる。


「……じゃあ」


「……待った少年。ごめんごめん。笑ったことを気にしているなら謝るよ。それに、君が望むなら僕は君にその力を与える」


「……はぁ?」


 おじさんは、力雄の頭に手を置く。


「……何を」


「……種を蒔いた。期限は一週間だ。一週間の内に君が望んだ力が手に入る。種が芽吹くほどに強く望んだ力がね」


「望みなさい」そう言って、おじさんは去っていった。


「……なんなんだ? 一体?」


 そのおじさんの背中を見ながら、力雄は手を置かれていた頭に自分の手をおいていた。

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