第十二話 布石
三鷹は全てを話し終わると、ふうと息をつく。
「その日から、俺は〈ミタカショウジ〉という人格を捨て、別人の人生を歩み始めた。これにてめでたしめでたしという訳だ。」
三鷹昭二という人格は死んだ。否、死んだのではない。自分自身の手で殺したのだ。生きるために。恐らく、彼のした覚悟は相当なものだっただろう。
「俺は元の時代に全く未練がない訳じゃない。息子や妻に会いたいという気持ちは山ほどある。あの朝、玄関で出迎えてくれた二人のことは、今でも忘れられない。何も考えず笑顔振りまいてな、呑気なものだ。あれが暫くの別れになるとも知らずにな......」
「昭二さん……」
「俺は乱世で生きたこの二十年間、二人のことを一度たりとも忘れようとはしなかった。毎日妻と息子のことを思い出しては、何百年後の世界で元気に過ごしていることをただ願っていた。でも、それでも忘れちまうんだ。実を言うとな、今では二人の顔も、よく思い出せないんだよ。」
三鷹は笑いながらそう言う。その笑顔の中にはどこか悲しさが混じっていて、俺達は耐えられなかった。
「だから、君たちに頼みがある。」
三鷹は俺達の方を向き、笑顔を見せる。
「私は今まで森可成として、何百人という人をこの手で殺めた。私はとんだ人殺しだ。こんな穢れた身体では、元の時代に居場所はない。だが、君たちはまだ若い。元の時代に帰るんだ。そして、もし帰ることが出来たならば、私の妻に会ってくれないか。そして、《三鷹昭二(わたし)は死んだ》と、そう伝えてほしい。」
「昭二さんはそれで......
本当にいいんですか......?」
三鷹は何も言わずに一度、頷く。
「よく思うんだ。
ここで一生を終えるというのも、
一興かもしれないってな。」
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「殿、何用にございますか?」
秀吉は信長に大部屋へ来るように言われる。向かった先には信長、勝家、使いの者ただ一人。達志達の姿はそこになかった。
(何処に行った……?)
そう考える暇もなく、信長は語り始める。
「サル、其方は今、赤坂の屋敷にいるのだな」
「は、」
「そして、あの者等も」
「は……」
信長は脇息に頬杖をつく。
「サル、何故あの者等はそちの屋敷におる」
「どうやら赤坂殿が連れて参ったようなのですが、何も言わずという訳にもいかず、此度あいさつに参ったという訳にございます」
「赤坂はあの者等のことについて何か知っておるのか?」
「いえ、何も存じ上げてはおりませぬ」
その時、信長はふっと笑った。
「この儂の問いに答えぬのは言語両断と刀を引いてみたが、思い通りにいかぬものだ。どうやら記憶を失っているようじゃ」
「記憶を……?」
秀吉がぽかんとしている所に勝家が寄り、耳打ちをする。
「……あの男は殿が何者か訊ねた際、
何故か急に苦しみだしてな、
庭に汚物を吐いたのだ。」
「おぶ……っ!?
もっ、申し訳ございませぬ!私の管理不足にございます!どうかお許しくだされ!!」
「だから先程申したであろう。あの者等は記憶を失っておると。可成によればあれは一種の病のようなものらしい。無理強いさせた儂にも責任はある。その件は許そう。」
秀吉がほっと胸を撫で下ろすと、
勝家が再び耳打ちをする。
「あの者達は今、森殿の許におる。
安心せよ。」
「何が安心だと?」
「ふぁ!?
いやっ、なんでもござりませぬ!!」
勝家の動揺する姿が、秀吉には何やら可笑しく見えた。
「では殿、先程仰られた、刀を取り出したというのは……」
「唯の脅しじゃ。客人を殺す訳が無かろう。むやみに人を斬ることはせぬ。それこそ武士(もののふ)としての恥じゃ。」
何処かで言われた様な言葉が
秀吉の胸にぐさりと刺さる。
「サル!」
感傷に浸る暇もなく、
秀吉は返事をしてかしこまる。
「あの者の記憶が戻るまで、清重達志をそちらの下で暮らすことを許す。ついでだ、遠藤とやらも許してやれ。」
「は、殿、その後は......?」
「儂の配下に置く。」
信長はそう言ってにやりと笑う。勝家は信長の顔を見て、ずっと胸の中に抱えていた疑問を訊ねた。
「殿は何故、それほど清重とやらに興味がおありで?」
「......そちに申す事ではない。ただ、ここで会(お)うてみて分かった。やはり奴は何処か、儂に似ておるわ。」
そう言って信長は大部屋を後にする。勝家は信長の言葉を反芻する。刀を見るだけで怖気付く男と殿の何処が《似ている》のだろうか。勝家にはどうしても分からなかった。
殿は、あの者から何を見出したのだろうか。
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「あら、もう終わったのですか?殿。」
信長の向かった先は、小さな部屋。そこには女性が一人、信長(かれ)の帰りを待っていた。
「待たせたな。帰蝶。」
「私は待ってなどおりませぬ。
思ったよりも早うございましたね。」
信長は帰蝶と呼ばれた女性の側に座り、背中に手を当てる。
「......殿、まだ早うございますよ。」
帰蝶は恥ずかしそうに呟く。
信長はその様子を見て、笑う。
「はは、ぬしは誠に愛い奴じゃ。」
信長は帰蝶の膝を枕に仰向けになる。
「何か良いことでもあったのですか?」
信長は帰蝶の言葉に反応する。
「いつにもなく嬉しそうでしたので。」
「分かるのか。」
「分かります。夫婦(めおと)ですから。」
信長は仰向けのまま、目を閉じる。
「面白い奴に会うた。
あやつのあの目、儂の持っておらぬ目だ。」
「殿が面白いと仰るなんて、よほどの才をお持ちの方なのでしょうね。私も会ってみとうございます。」
「いや、まだ足りん。今のあやつには目の前しか見えておらぬ。しかし、あの者はいつか、儂の目となりうる逸材かもしれぬ。」
帰蝶は微笑み、信長の頬をつぅっと撫でる。信長は刀を突き付けたあの時を思い出していた。遠藤が刀に目を向けているのとは違い、達志は信長から一度たりとも目を逸らさなかったのだ。普通は遠藤の様に武器に目が移ってしまうものだが、達志は違う。信長にはまるで、死を間近にする状況においても、澄んだ目で相手の隙を伺っているかのように思えた。
偶然かもしれない。しかし、一瞬だが目を見た瞬間に身体が止まってしまったのは事実である。
平然とした態度を取っていたが、新参者にしてやられたと、内心そう思っていたのである。
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日が傾いてきた。三鷹は二人に帰るよう勧める。その際に秀吉だけでは頼りがいが無いから、使いを出してくれると言ってくれた。
「あ、ありがとうございます!すみません、何から何まで迷惑かけて......」
「迷惑......?」
三鷹は少々考える素振りを見せ、ふっと笑う。
「あぁそうか、そういうことか。ははは、安心せよ。殿は君たちを本当に殺そうとしたわけじゃないんだ。」
俺と遠藤は固まる。
「二十年も傍にいるから分かる。あれは本気じゃない。どうやら君たちを脅して、試していたみたいだ。」
試すとは、何を試していたのだろうか。ますます意味が分からなくなってしまった。
「恐らく、君たちに何か価値を感じたんだろう。あぁ、もし気分を悪くさせてしまったなら済まない。できるなら良い意味で捉えてほしいな。」
俺達は顔を見合わせる。とにかく信長は怒ってはいないようで、少しほっとした。
「清重、遠藤、喜べ。我らの屋敷で暮らす許しを得たぞ。」
城門で待っていたのは、秀吉だった。その言葉を聞き、俺達は笑顔を浮かべる。それと同時に、他のクラスメイト達のことが頭に浮かぶ。
彼らはうまくやっているのだろうか。それだけが気がかりで、帰り道は少しだけ足取りが重かった。
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ある夜のこと。
信長は家中の重臣たちを集める。部屋の隅に揺らめく蝋燭(ろうそく)の炎だけが彼らを照らす。彼らの表情に名をつけるならば、深刻という言葉が最も相応しいだろう。
「皆、よくぞここまで耐えてくれた。
ようやくだ」
信長は碁盤に碁石を一つずつ置いてゆく。六つ目の石を置いた時、彼は鋭い目で顔を上げる。
「これで、
斎藤家の城を奪う為の布石が整った」
信長の言葉に、全員がざわつく。その場には三鷹と秀吉もいたが、驚きを隠せずにいた。
尾張国の上側に位置する美濃国。そこを収めている斎藤家は、代々信長にとっても攻めるのが難しい主城が存在し、これまでに何度か落城を試みたものの、失敗に終わっていた。
「殿!落城させる策を思いついたのですか!?いやぁ腕が鳴りまするなぁ!」
織田家重臣、〈佐久間(さくま)信盛(のぶもり)〉は立ち上がるが、信長はそれを横目にこう言った。
「否、我らはまだ攻めぬ」
その言葉が発せられた瞬間、彼らは皆静かになった。信長はゆっくりと立ち上がる。
「斎藤家の城はかなりの堅城じゃ。むやみに攻めたところで、どうなるかなど分かりきっておる。」
「で、では、どうすれば……」
信長は立ち止まり、振り返る。そして人差し指を頭に当て、にやりと笑う。
「ここを使うのだ」
斎藤家との決戦、《稲葉山城の戦い》の足音が、すぐそこまで迫っていた。
続
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