第十三話 交渉

 「頭を……?」

 信長は座り、盤に置かれた六つの碁石を眺める。中心に黒石が四つ、端に白石が二つ。信長は木箱から白石を一つ手に取る。


 「外側から崩すことは無駄な兵の消耗に繋がる。相手が籠城の構えならば、先に兵糧が尽きるのは我らの方じゃ。ならばどうするか。」


 信長は勢い良く、並べられた四つの黒石の中に白石を置く。パチンという乾いた音が、部屋中に鳴り響いた。



 「内側から崩すまでよ。」



 内側から。家臣たちは信長の意図に気づいたのか、白石を見てあっと声を上げる。



 斎藤家は領主龍興となってからというもの、以前に比べまとまりが無くなり、家臣団の信頼も薄まっている。幾年前には家臣に城を奪われたという話もある程。それでも国が落ちないのは、前当主、龍興の父である斎藤道三他、先祖代々敵から守り抜いてきた城があるからだ。

 しかしながらこれは他国からすれば好機であり、信長は斎藤家の家臣らを我らの元に寝返らせようとしていることは、想像に難くなかった。



 「美濃の重鎮とやらに説き伏せ、我らに寝返させる。これが儂の最初の策じゃ。」


 信長は端に置いていた二つの石を、

 黒石の近くに移動させる。


 美濃の重鎮、通称西美濃三人衆は斎藤家の有力な国衆である、稲葉良通、安藤守就、氏家直元の三人を指す。彼らは戦でも政治でも功を奏し、斎藤家でも特に重要な役割を担っている。


 「お待ちください。重鎮となれば、当然ながら見返りも多く、今だ斎藤家に忠誠を誓っているに違いありませぬ。どう説き伏せるおつもりで……?」


 「其方らに任せる。とは言っても難しいだろうな。先ずはその者達を、稲葉山城から誘(おび)き出す。話はそれからじゃ。」


 「し、しかし、誰がその役目を担う?」


 重臣達は目を見合わせる。話を聞く限り、かなり無理のある役目であることは全員が理解していた。勿論信長も理解しているが、それが前提でなければ、国を落とすことは出来ないことも分かっていた。


 (誰がこの役目を果たすことができようか。)


 信長は白石を持ち、頭を巡らす。勝家は直ぐに血が上ってしまいそうで危うい。丹羽は冷静沈着だが、相手に説く力は比較的弱い。


 「殿、そのお役目、私にお任せください。」


 声のする方を見ると、秀吉が力強い目で信長を見ていた。まるで、言葉を発さず目のみで訴えている様に見えた。


 信長の中に、秀吉という選択肢は無かった。しかし、信長は顎に手を当て再び考える。秀吉がこの役目を担った時、どうなるのかを様々な視点から考える。


 「サル.....できるか?」

 「はい。私に策がございます。必ず、この手で説き伏せてご覧に入れまする。」


 間髪入れることなく返答した秀吉に信長は笑い、秀吉(かれ)の目の前に立つ。


 「......なかなかの自信だな。良いだろう。その策とやら、儂に聞かせてみよ。」


 秀吉は頷く。

 その顔は笑っているようにも見えた。


 信長は秀吉の申し出を受け入れ、秀吉にこの役目を任せることにしたのだった。


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 「お早うございます。」

 「おぉ達志、お早う。飯が出来ておるぞ。冷めぬうちに食べると良い。」

 

 この時代に来て、一ヶ月が経とうとしている。未だ元の時代へ戻る術は見つかることなく、赤坂の屋敷に住み続けている。


 俺は正座をし、小さな木の机に並べられた食事を見る。そこにあるのは、米、味噌汁、焼き魚。以前は好き嫌いも多かったが、この時代に来て食事の有り難みを知り、今では何でも食べられる様になった。


 「どうだ?ここにも慣れたか?」

 「はい、おかげさまで。」


 食事を終えた俺に赤坂は話しかける。彼は見知らぬ自分たちにとても優しくしてくれる。


 「赤坂さん。あの、秀吉さんは......?」

 「あぁ、昨晩殿に呼ばれ、城に参った次第だ。彼方(あちら)の方で床に着いているのだろう。」


 (何の用だろう。)

 深夜に呼ばれるということを考えると、何か重大なことなのかもしれない。


 「そうじゃ、今遠藤が外で薪を切っておるから、手伝ってくると良い。」

 「あ、はい!」


 赤坂は俺達が城から屋敷に戻った日に、あることを頼んだ。それは、俺達がこの屋敷に住むことと引き換えに、この屋敷で働くということ。





 玄関から音が聞こえ、赤坂が向かうと、秀吉が少し息を切らして草履を脱いでいた。


 「藤吉郎。何用だった。」

 「赤坂殿、少しばかり家を開けまする。お役目を任されました。」

 「良かったではないか!殿から直々のお役目なのであろう!」


 赤坂は秀吉の表情を見る。その顔はどこか険しく、眉間にしわが寄っている。

 「いかがした?」

 秀吉は草履を脱ぎ、立ち上がる。


 「赤坂殿。一つ頼みを聞いてくだされ。」





 外に出た俺は、鉈(なた)を振り上げて薪を割っている遠藤の姿を見つける。真夏だからか太陽は高く昇り、遠藤は既に汗だくだった。


 「遠藤、バテちまうぞ。変わるよ。」

 「え......あぁ、ありがとう。」


 俺は鉈を受け取り、振り上げる。すると意外と鉈が重く、バランスを崩し倒れそうになる。しかし何とか踏ん張り、鉈を振り下ろす。パコンという音と共に、薪が真っ二つに割れる。その音に爽快感を感じ、次々に薪を乗せ、割り始める。


 遠藤は影が伸びている縁側に座り、俺が薪を割る光景を見ていた。彼はふと懐古の念にかられ、微笑する。


 「なあ、清重。俺たちがこの時代に来なければ、風呂沸かす為に薪割ったり、洗濯する為に川行ったり、そういう色んなこと経験することなく生きていってたんだろうな。」

 「何だよ、急に。」


 俺は薪を持つ手を下ろし、笑みを浮かべた。遠藤も自分自身が少し可笑しくなる。


 「そう思うと、この時代にいることが、悪い部分だけでは思えなくなってきた。」


 

 そうかもしれない。でも、帰れる時が来たとして、もしこの時代に未練が出来てしまったら、俺はどうするだろうか。



 「どうしたんだよ。」

 遠藤の言葉に我に帰る。額に汗がにじむ。俺は再び笑い、着物の袖を捲(まく)る。


 「帰るぞ。全員で、必ず。」


 遠藤は目を丸くするが、すぐに頬を緩ませ、頷いた。



 「二人とも、ご苦労じゃな」

 そんな二人の許に赤坂がやって来る。彼は二人が割った巻物の量を見て、驚愕した。

 「おぉ!よく頑張ったな。お疲れの所悪いのだが、藤吉郎が其方らを呼んでおる。大広間に来てくれ」



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 「これより拙者は美濃に向かう。殿から直々にお役目を貰ったのだ」

 「みの......?」


 美濃国のことは授業で少しだけ学んだことがある。しかし、知っているのは尾張国の上側にあることだけで、ほとんどは知らない。

 「そこで、其方らには頼みがある。」

 秀吉は、睨むように俺達の目を見る。


 「其方らも同行せよ。」


 静寂が広がる。

 風に揺れる草の音だけが、聞こえる。


 俺達はその言葉に、固まってしまった。



 「ちょ、ちょっと待ってください!」

 《いくさ》。その三文字が頭の中を横切る。秀吉は俺達の青ざめた顔を見て、ふっと笑う。


 「違う、いくさではない。

  安心せよ、三人衆の元へ交渉に行くだけだ。」


 それを聞き、俺達は少しだけ安堵の表情を浮かべる。交渉のみなら、誰も死ぬことはなさそうだ。


 「それで、どうして俺たちが?」

 秀吉は頭をかく。まるで、少しだけ言いづらいと言うような、気まずいような表情を浮かべていた。


 「......儂には策がある。その策の前提として、西美濃三人衆を斎藤家の堅城、稲葉山城から誘き出さねばならぬ。その為に、其方らが必要なのだ。」


 予想通りだ。何かあるとは思っていた。信長から与えられた役目に、まさか自分達が関わることになるとは。


 「俺たちは......何をすれば......」

 遠藤が恐る恐る訊ねる。


 「城に潜り込み、三人衆に接触を図るのだ。顔を知られておらぬ其方らなら、容易に潜り込めるだろう。心配するな、儂が付いておる。何かあれば其方らを守る所存だ。」


 そうは言っても、顔を知られていないのは俺達のみであって、作戦の鍵となるのは変わらない。


 「出立は明日の早朝。

  支度をして、今宵は早く床につくのだぞ」


 秀吉は笑みを浮かべ立ち上がり、大広間を出る。


 もし正体がバレて仕舞えば、どうなるだろうか。いくら秀吉がいるからといっても、生きて帰れる保証なんてない。



 やはりこれは、ただの交渉などではない。


 死と隣り合わせの、戦だ。



 「清重。」

 俯く俺に話しかけて来た遠藤は、再び頬を緩ませた。


 「生きて、帰るんだろ?」


 俺はその言葉に頷く。そうだ、死んではならない。



 死んでいった者達の為にも。




 俺達の《初陣》は、もうそこまで迫っている。



 続

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