第十七話 再会は口火となり

 その日弥吉は美濃を発ち、日が沈む頃には尾張に到着していた。


 「殿!三人衆がこちらへ寝返りました!秀吉殿の見事な働きによる結果にございます!」

 「そうか、大儀であった。

  サルはまだ彼方(あちら)におるか。」

 「は!」

 その言葉を聞くと、信長はばっと立ち上がる。


 「兵を挙げる!

  城内にいる全ての者をここに集めよ!!」

 「はっ!」


 返事と共に、弥助は広間を飛び出した。


 信長は弥助に、《誠に寝返ったのか》と訊くことはなかった。それは恐らく、信長が心から秀吉のことを信じていたから。一方で、この頃から信長は秀吉という男の持つ才に気づき始めたという逸話もある。


 弥助は城中を駆け回り、男たちに声をかける。

 「殿の御呼びにござる!!

  皆広間に集まるのじゃ!!」


 それを聞く全ての者は悟る。

 いくさが始まる。


 〈争いの影〉が

 もう直ぐそこまで迫っていることを。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 その日の暮れ

 秀吉は外出し、俺達は宿で寝衣(しんい)に着替えていた。


 (胸騒ぎがする......)

 これからについて何も聞かされず唯一言、この美濃の地に残るという事しか伝えられなかった達志は、心の底に芽生えた不安が徐々に増幅してゆくのを感じる。


 「清重、大丈夫か?具合でも悪いのか?」

 遠藤が青ざめたような、俺の顔を覗き込む。俺はどうにか笑顔を浮かべる。引きつっていたかも分からなかったが、遠藤(かれ)にだけは心配をかけたくなかった。とにかく大丈夫だということだけを伝えたかった。


 「もしかして、あの時秀吉が言ってたこと、

  気にしてんのか?」


 俺は的を得た遠藤の言葉に驚きつつも、ゆっくりと頷く。


 秀吉の言った〈これからじゃ〉という言葉。秀吉と何やら会話を交わした弥助が、その直後に飛び出すように森へ入っていったこと。



 嫌な予感が、当たってしまうかもしれない。


 平仮名三文字が、彼の頭を巡り始める。


 

 遠藤は黙り込んでしまうが、直ぐさま笑顔を見せ、俺の腕を握った。


 「まぁ一仕事(ひとしごと)終えたわけだし、今はそんなこと忘れようぜ。なぁ、市場に行ってみないか?少しは気晴らしにもなるだろ。」

 「え?でも、秀吉さんにあまり出歩くなって......」

 「そんなのあいつが戻ってくる前に帰ってくりゃ問題ないって!さぁ行くぞ!」

 「あっ、ちょっ......!」


 遠藤は俺の腕を引っ張った。あの時赤坂が遠藤にしたことを、いつか清重にもしてやろうと、遠藤は心の中でそう決意していたのだ。





 二人は宿を出たところにある宿場町を散策する。酒屋、骨董品屋、両替屋など、色とりどりの店がずらりと並んでいる。


 「おぉ......」

 俺達は思わず感嘆の声をあげる。織田家の城下町も凄かったが、斎藤家(こちら)もなかなか素晴らしいものだ。


 「遠藤、お前お金持ってんのか?」

 「ふん、こういう時の為に、これを秀吉に貰っておいたんだ。」


 そう言って袖から出したのは、口が紐で結ばれた小さな袋。遠藤によると、この中に硬貨が入っているらしく、本当に困ったときに使うと良いと言われたのだという。遠藤は鼻歌交じりに紐を解くと、そこに入っていたのはくしゃくしゃに丸められた紙。その中に硬貨が一枚。


 「ん?」

 少ない。どう見ても少ない。


 「騙された......のかな?」

 「クッソ!あのドケチ!やっぱり許さん!」

 「現代のお金は使えるわけないしなぁ。」


 遠藤は悩む。このまま見て帰るだけでも良いのだが、それではあまりにもつまらない。別要件があったからだとしても折角この地まで足を運んだからには、何か収穫を得て帰りたいものだった。

 

 「はぁ......仕方ない。見て回るか。」

 苦笑いを浮かべたその時だった。



 「清重、遠藤......?」



 俺達は後ろから自分の名を聞く。この地に自分の名を知っている者はいないと思っていた。その為か驚きを隠せず、思わず声のする方向に目を向ける。

 二人は、そこに立っている青年を知っていた。


 「越間......か......?」

 青年は目に涙を浮かべ、俺と遠藤の方へ走ってきた。


 「きよしげ!!えんどぉ!!!」

 「こ......こしまぁ!!」


 青年は二人に抱きつく。俺と遠藤も思わず歓喜の声を上げてしまった。宿場町に響き渡るその声に反応する様に、周りの人々が俺達の方を向いたが、そんなことも気にならないほどに、三人は興奮していた。


 彼は二年三組の越間幸輝(こしまゆきてる)。神社から山を降りる際に、残党がやって来ることを知らせに来てくれた生徒。


 「おまっ、何してんだよこんなとこで!?」

 「それぁこっちの台詞(セリフ)だ!!」

 越間の目から涙がぽろぽろとこぼれる。


 「やっと......やっと会えたぁ......」

 二人は笑い、越間と共に肩を叩き合う。歓喜の声は鳴り響き、木霊(こだま)している様だった。





 三人は茶屋の縁側に座る。俺と遠藤は皆が離れ離れになったあの時からの出来事を全て話した。話し終えた時、越間はうすら笑みを浮かべ、湯呑みを持つ。


 「そっか......今は織田領に住んでて、その赤坂さんって人の家で暮らしてるのか。その人、きっと優しいんだな。良かったな。」


 越間は茶をぐっと飲んだ。


 「それにしても一ヶ月ぶりかぁ。見間違えたぞ。どうだ?最近の様子は。」

 「お前もな。まあ、ぼちぼちかな。お前は何してたんだ?この辺りに住んでんのか?」

 「あぁ、この辺りの店の人に拾われて、住ませてもらってる代わりに店を手伝ってるんだ。」

 (何だか自分達と似てるな。)


 越間(かれ)も着物を着て、髪を後ろで結んでいる。どうやらこの時代に馴染み始めているようだった。俺はその様子を見て、自らの中に秘めていた疑問を訊ねた。


 「越間、もしかしてお前、あの時からずっと一人だったのか......?」

 

 越間はこくりと頷く。そしてこう言葉を発した。

 「離れ離れになって、今の今までずっと一人ぼっちだった。ハハハ、お前らが羨ましいよ。」


 《羨ましい》。その言葉を聞いて俺は思った。自分は恵まれていたのかもしれない。信長に会った時も、遠藤が居なかったら、きっと今頃死んでいたかもしれないから。


 〈人間(おれたち)は、一人じゃ生きられない生き物なんだ。〉



 

 「清重!遠藤!此処に居たのか!」


 驚いた様に振り向くと、秀吉が息を切らせながら立っている。

 「まず......っ!」遠藤は思わず声を出してしまうが、秀吉には聞こえなかった様だ。


 「直ぐに戻れ!其方らに渡す物がある!」

 それだけを伝えた秀吉は、元来た道を引き返す。心なしか、何処か焦っているように見えた。




 「あの人は......お前たちの仲間みたいだな。」

 そう言って越間は立ち上がる。


 「行ってこい。お代は俺に任せろ。」

 「え、でも......」

 「いいよ御返しなんて。お前らとここで会えただけで十分だ。それにほら、早く行かないと見失っちまうぞ。」


 二人は越間の言葉に負け、甘えることにした。

 「今度会ったら、ちゃんと奢るよ。」

 二人は頭を下げ、秀吉の後を追う為に店を飛び出す。越間はただ、その背中を見ていた。




 越間の顔から、笑顔が消えた。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 美濃の外れにある森の中にやって来た秀吉は遂に立ち止まる。その表情は、怒りに覆われていた。


 「清重!遠藤!!拙者は其方らに出歩くなと言ったな!ここは他国故、我らが潜り込んでおることが知られれば大事(おおごと)じゃ!よく肝に銘じよ!!」


 「ご、ごめんなさい......」

 秀吉は大きな溜め息を吐く。二人は恐る恐る秀吉の様子を見るが、これ以上言うつもりはない様だった。


 「......秀吉さん。どうしてこんな山奥に?」

 「此れを其方らに見せる為じゃ。」


 そう言うと、既にこの場所に到着して居た御付きの者が、二人がかりで大きな木箱を運んでくる。


 「......なんですか、これ?」

 「開けてみよ。」

 遠藤が蓋に手をかけ、開ける。そこに入っている物を見るや否や、二人は固まった。

 

 「っ!」




 そこに入っていたのは、鉄で出来た二人分の甲冑。



 

 二人の顔が一気に青ざめる。


 「三日後の暁、殿が美濃に向けて出立なさる。戦(いくさ)じゃ。」


 《いくさ》が始まる。俺と遠藤は参加するのだ。拒否権は、恐らくない。


 「そんなっ、いくら何でも突然すぎ......!」 思わずそんな発言をしてしまい、俺は手で口を押える。秀吉は睨むように俺を見た。


 「いくさなどそんなものじゃ。清重、其方には申したはずじゃ。《いつ何時命が狙われるかも分かったものではない》と。」


 遠藤の手は震え、大量の汗がにじみ出ていることが見て取れた。

 


 (死にたくない)




 俺は再び目の前の木箱を見て、ごくりと唾を飲んだのだった。




 続

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