第十八話 初陣!

 「それに際し、其方ら

  ひとつ頼み事を任されよ。」


 そう言って懐から取り出されたのは一枚の紙。それを渡された俺達は顔をしかめる。そこに描かれていたのは美濃の全体図。秀吉によると、美濃に忍ばせた間者に描かせたものだという。


 「殿の御到着までに陣の位置を決め、砦を築き、陣を張り、殿を御迎えする。

  それが拙者を含む、其方らの役目じゃ」


 よく見ると、その地図には幾つかバツ印が書かれていることが分かる。秀吉はこの為に予(あらかじ)め、陣となる場所の候補を挙げていた様だ。


 「全部、三日以内に......」


 実を言えば、織田家の重臣たちが無理難題と評したのはこの部分である。三日以内に敵地に砦を作ることすら困難だが、それに加え、到着する前に信長にその地を伝えねばならない。となれば、実質準備期間は三日もない。


 (失敗したら、死ぬ?)

 地図を持つ手の震えが止まらない。

 冷静になろうと小さく深呼吸する。



 「......清重、先ほどはあのように申したのだが、拙者もな、動くには流石に早過ぎるとは思っていたのだ」

 秀吉の呟きに、

 地図に目を落としていた俺達は顔を上げる。


 秀吉は、三人衆を織田(われら)に寝返させることが出来れば、彼方(あちら)から自主的に人質を差し出してくる筈だと二人に言った。この時代では主君に仕える代わりに、その家に人質を差し出すことが規則(ルール)として成り立っている。それは主君への忠誠を示すものであって、裏切るようなことがあれば、人質の身は保証しないという主君の警告でもあった。


 「殿は村井殿、島田殿の二人を人質の受け取りに向かわせた。拙者がそれを聞きつけたのは昨晩のこと。しかし、殿は明日出陣なさる。これが如何なることか分かるか?」


 俺たちは気づいてしまった。いくらなんでも早すぎる。人質は女性や子供もおり、自分たちが歩いたあの距離をこの短時間で歩くことは不可能だろう。明日の朝までに尾張に人質が到着できるとは到底思えない。それに話を聞く限り、寝返りは人質は主君の元に到着して初めて成立する。しかし、信長は確実に三人衆と人質の到着を待たずして、美濃に進攻しようとしている。これでは単なる口約束と変わらない。


 「拙者が策を講じたあの夜、殿にこう囁かれたのだ。《其方は美濃に残れ。人質を待たず、直ぐに向かう。》と。」


 もしもそのことが三人衆に伝われば、彼らは共謀して織田家を裏切る可能性だってあることを三人は十分に理解していた。


 (信長はそれを知ってて、あえて動いたのか?)


 信長が気づかない筈がない。その可能性は大だが、どう考えてもデメリットの方が多く、御付きの者を含め誰一人として、この時まで信長の真意に気づくことが出来ずにいた。


 「……今は殿を信じるしかない。其方ら、拙者らと共に何処に砦を築くかを考えよ。」


 二人は地図をじっと眺める。バツ印は幾つか付いているがそれらは単なる候補に過ぎない。



 「実を言えば、殿は瑞龍寺山(ずいりょうじやま)に陣を敷くと申しておる。」

 「え?ならそこでいいんじゃ......」

 「否、地図を見れば分かるのだが、瑞龍寺山と稲葉城とは案外距離がある。山で一続きとなってはいるが、稲葉山城よりも低く位置し、敵城全体が見えぬ。陣を敷くには少しばかり不適じゃ。我らは殿にそう伝えたのだが、殿は拙者に任せると仰せられた。」


 「瑞竜寺山......」

 俺は顎に手を置き、信長が其処(そこ)を選んだ理由を考える。



 (恐らく全ての場を考慮して考えた場所である筈だ。信長は何を考えている?)

 距離、高低差、一続きという面をそれぞれ考慮する。死と隣り合わせの状況で、頭を巡らす。



 「......あ」


 そして気づく。信長がその地を選んだ理由(わけ)を


 「秀吉さん、ここは瑞龍寺山にしましょう。」

 「なぜだ?」

 秀吉は直ぐ様、俺の発言に反応した。


 俺は自身の推論を語る。語り終えた時、遠藤と秀吉は目を見開いていた。

 「そうか、

  だから殿は其方らに残れと仰せられたのか」

 「え?」

 「いや、拙者が以前申した《その景色を目に焼き付けておけ》という言葉はな、殿の御言葉なのじゃ。拙者はその意味を知らぬまま其方らに伝えていたのだが......成程、そういう事だったのじゃな」


 「す、すげえよ清重......」

 遠藤は自分を褒めてくれた。だが俺にとって本当に凄いと思ったのは信長だ。これらを一瞬のうちに頭の中で処理し、最適策を講じたのだ。その結果が信長の言う瑞龍寺山。

 秀吉とて頭は切れるが、信長はそんな彼以上に切れ者だ。


 (やはりこの男、殿に気に入られておるだけあるわ。)

 殿に似ておる。長年見てきた自分の目は間違ってはいなかった。そう確信した秀吉は頬を緩ませる。

 


 「皆の者!瑞龍寺山に陣を敷く!

  今直ぐ向かうぞ!」

 

 秀吉は再び歩き出し、達志と遠藤は慌てる様に、秀吉(かれ)と御付きの者の後を付いて行く。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 「龍興様、織田が不穏な動きを見せておる様です」

 「そうか」

 (そうか、って......)

 斎藤家当主、斎藤龍興と話す家臣は、小さく溜息を吐く。


 「我ら斎藤家が負けることはない。現に信長はこれまで何度と対峙し、何度と追い返しておるだろう。此の堅城がある限り、我らが負けることはないのだ。」


 (織田信長はそんなに甘い男ではない)


 斎藤家三代で作り上げたものに酔いしれていたのは龍興のみで、家臣は皆、織田の脅威を十二分に理解していた。



 「やはり龍興殿は

  信長殿を下に見ておられる......」

 「このままで誠に良いものか......」

 

 其の夜、織田との情勢について斎藤家の家臣が集まり、語り合う。それを見ていたのは、西美濃三人衆の一人、稲葉良通。彼は突如として立ち上がり、歩き出す。


 「稲葉殿。何処に行かれるのですか?」

 訊ねられた稲葉は、小声でこう言った。

 「......ちと厠(かわや)へな。」




 部屋を出た稲葉は、険しい顔で縁側を歩く。


 《頑固さは其方の取柄(とりえ)じゃ。しかし、今は少しくらい甘えても良いのではないか?》


 稲葉は安藤の言葉を脳裏で反芻する。彼にとって織田に仕えることは、今になってみると既に心に決めていたことだったのかもしれない。

 

 稲葉は目を細める。その時だった。




 「随分と険しい顔をなさっておりますな」



 後方から聞こえた男の声に目を見開き、稲葉は振り向く。

 「重矩(しげのり)......」

 重矩と呼ばれた青年はうすら笑みを浮かべる。


 「稲葉殿。

  もしや、織田に寝返るおつもりで?」


 稲葉の心臓がどくんと鼓動を打つ。

 「何故それを......」

 「あぁ、やはりそうなんですね」



 しまった-



 稲葉はばっと手で口を覆う。稲葉は重治に弄ばれた心地がして、気分が悪かった。


 「何故ですか?

  まさか、織田の者に説得されたとか......」



 ドッ



 稲葉は突然刀を取り出し、重矩を壁に押し付け、彼の喉に突きつける。


 「誰にも喋るな......」

 「おや、私は何も話しませんよ。寧ろ私も、是非協力させて欲しいと思った次第でございましてな」

 「......協力だと?」

 「はい」


 竹中重治。

 後の《竹中(たけなか)久作(きゅうさく)》は、にこりと笑みを浮かべながら稲葉の顔を見ていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 俺達は朝から晩まで、見回りの目を盗み少しずつ砦を築いた。それは殊(こと)の外(ほか)重労働であったが、ヘトヘトになりながらも、二日目にはどうにか完成した。


 その翌日、信長が出立する日。

 大急ぎで砦を作り陣を張った地で、俺達は鎧の着付けを行う。


 「おぉ、士(つわもの)らしくなってきたではないか。」既に着け終えた秀吉は腕を組む。


 当時の甲冑は二十キロを超えると言われる。想像以上に重く、立ち上がるのも精一杯なほど。これを着て戦うとなれば、かなりの体力が必要だと実感した。


 戦が始まる。鼓動の速さが収まらない。


 遠藤は近くの川で汲んできた水を飲んでいる。俺も先ほど飲んだばかりだというのに、喉が渇き始めている。それは恐らく暑さと鎧のせいだけではない。戦が始まることへの緊張、死と隣り合わせが続くこの状況のせいでもある。少なくとも遠藤の組んできた水は、このペースでは直ぐに無くなってしまいそうだ。


 (朝でも辛いのに、真昼になったらどうなってしまうだろうか。)


 「陣は此処(ここ)だと、殿に御伝えしたか?」

 御付きの者の返事を聞き、秀吉は頷いた。


 「皆の者!これより殿を御迎えに上がる!急ぎ支度せよ!」

 秀吉の一声に皆が動き出す。場にピリッとした空気が漂う。遂に信長が到着する様だ。


 「清重、行くみたいだぞ。」

 遠藤の言葉に我に返った俺は頷く。




 陣に続く山道には、兵が何百人という行列を作っていた。

 「これ、全員織田の兵......?」

 「これで全部じゃない。もっと他にもいる。」

 「......昭二さん!」

 「はは、鎧もなかなか様になってるじゃないか。」


 俺と遠藤が振り向くと、そこに立っていたのは三鷹昭二。彼は笑顔を浮かべ、久しぶりだなと一言。

 

 「俺は今日は陣につくつもりだ。ただ殿の命があれば戦場(いくさば)にも向かう。」

 三鷹は平常そうに見える。二十年もこの時代にいると、戦も怖くなくなるのだろうか。俺は三鷹に訊ねた。


 「いや、怖いさ。出陣の前の晩はいつも眠れない。目を閉じると、瞼の裏に戦場(いくさば)で死んでいく友の顔が浮かんでは消える。」

 「そう、なんですか......」


 それを聞いて、俺は俯く。その反面、戦が怖いと聞いた時に、俺の中で安堵の感情も生まれていた




 怖いという感情を忘れてしまうのは、本当に怖いことだと思うから。




 「殿の御成だ!頭を下げよ!」

 その言葉に、全員が道の隅へ寄る。

 「おっと、信長のお出ましだ。清重くん、遠藤くん。頭を下げるんだ。」


 そう言って三鷹は礼をする。周りの兵たちも同じように頭を下げていることを知り、二人も同じ様に礼をした。俺は耳を立て、馬が闊歩する音が少しずつ大きくなっていることを悟る。


 俺は少しだけ顔を上げ、その存在を目で確認する。



 そこには、黒の鎧を纏った織田信長が、堂々とした風貌で馬を操作する。

 その姿には戦国大名というべき、畏怖する程の貫禄があった。


 「殿!お待ちしておりました!」

 秀吉の言葉に、信長はうむと頷く。


 「サル、儂の申した通りであっただろう。」

 「は!殿のお考え、誠に正しうございました!」

 信長はふんと鼻を鳴らし、大儀であったと頬を緩ませる。


 「達志はおるか。」

 「は、ここに。」と秀吉が此方を指差す。


 俺は突然の指名に驚くが、動揺を見せない様に深々と頭を下げた。信長は馬を下り、二人の前に立つ。

 「まずもって、そちにはひとつ、儂の頼みを受けてもらう。」

 「は、」と返事をした俺を、信長は睨むように見る。その反面、俺達は俯いていたが、鋭い視線を感じていた為、その顔はどこか引きつっていた。




 「達志。率直に申そう。どんな道を使っても良い。これよりそちは、敵陣に向かい進軍せよ。」




 続

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