第二十五話 妹 (第1章最終話)

 一五六八年(永禄十一年)一月


 俺達にとっても、織田家にとっても大きな変化を遂げた年が明け、遂にその日がやって来る。

 

 「お市様、支度が出来ました。」

 「はい」

 その日、婚礼衣装を着たお市の姿を一目見ようと、城下は多くの人だかりで溢れ返っていた。



 「おいぃ!どうにかしてくれぇ!」

 俺と遠藤は民の混乱を抑えようと、他の男達と共に城門を押さえる。城門は天守と城下町の間にあり、普段は民は入ることが出来ないという決まりが存在しているが、今回ばかりはそうもいかず、そんな決まりはよそに許しを請おうと、協力して門を開けようとする者達がいたのである。

 そんな民の結束した力は、想像以上のもの。一瞬でも気を抜けば、突破されてしまいそうだ。


 「越間!あいつどこ行ってんだ!?」

 「『俺は店番だからぁ』とか抜かして逃げやがった!」

 「コシマァァァァ!!!」




 俺の叫びが空に響き渡る、そんな冬の日のことである。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 用意された車までの道を、家臣たちは総出で迎える。

 「なんと美しい……」

 彼女を一目見ると、人々は皆揃って感嘆の吐息を漏らしたという。

 

 「来られたぞ。」

 勝家はその言葉に反応する。

 「信じられぬ美しさだ……」

 「あぁ、左様じゃな。」

 周りの男たちは皆、揃ってそう口にする。

 夢か現(うつつ)か。其れすらも分からなくなってしまう程に、彼女の姿は勝家(かれ)の目を奪ってしまった。


 

 勝家は葛藤する。

 このまま何も伝えなくて良いのか。



 勝家は心の中で、迷いを捨てきれずにいる。

 お市は、そんな彼の前を、平然と通り過ぎた。


 行ってしまう

 もう、行ってしまう


 まってくれ




 「おいちさま……っ!」



 抑えきれなくなった彼は、彼女を呼び止めてしまう。

 

 

 この気持ちだけでも伝えなければ、きっと後悔してしまうと思った。




 お市はその声に振り返る。

 勝家の姿を捉えるや否や、彼に向けて一度、会釈した。


 「……っ」

 

 何も言えなかった。

 冷たい風が、彼の袖を揺らす。

 あと一歩のところで、思い留まってしまった。


 どうして、あんな顔をするんだ。

 彼女の中に見え隠れしていた、どこか悲しげな笑顔を。



 行ってしまう

 じわりと、彼の視界が霞む。




 馬鹿だな。叶わぬものと、知っていた筈なのに。



 「勝家殿、いかがした?」

 「……目に砂が入っただけじゃ……っ!」

 佐久間の問い掛けに、勝家は背を向ける。


 勝家の心情を悟った佐久間は笑みを浮かべる。

 彼の一図な心を称えるかの様に、彼の背中を摩(さす)るのであった。


 

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 お市は城門に辿り着く。

 最後に彼女を迎えるのは、兄の信長である。


 「では、行ってまいります。兄上様。」

 信長はそんなお市の頭を撫でる。


 「くれぐれも、身体には気を付けるのだぞ。

 若し何かあれば、御付きの者に直ぐ伝えるのだぞ。」

 「ふふ、兄上様は心配し過ぎですよ。」

 そう言いながらもお市は頷く。

 その様子を見て安心したように、彼は門を開ける。そこには立派な車が一台。



 今は、言うべきではない。

 今するべきことは、市(いもうと)を最後まで見送ることだ。



 「市、達者でな。」

 お市は再び笑みを浮かべ、言った。


 「はい、兄上様もお元気で。」



 彼女の乗った車が動き出す。ゆっくりと、彼女を待つ男のに向かって。

 涙を流す者、旗差を天に掲げて振る者、その車の後を、涙ながらに追おうとする者。

 俺はその光景を静かに見ていた。




 彼女は美しく、花の様な御人だったという。

 暇さえあれば、しばしば城下に顔を出し、多くの民と言葉を交わしていたという。

 また、戦がある度に民の先頭に立ち、民を引っ張る存在であったという。

 民に近い存在であった彼女は、きっと全ての民に慕われていたのだろう。


 近江は、寒いのだろうか。



 お市は、近江の浅井長政に嫁ぐ。

 だが、俺は知っている。

 このまま史実通りに事が進んでしまえば、きっと




 「お隣、いいですか?」

 女性の声によって、現実に引き戻される。

 俺は平然とした態度で、場所を譲る。


 (女中の人か?)

 長い髪。透き通るような肌。彼女は遠ざかるお市の車を眺めている。

 俺はこの人を知らない。見たこともない。

 しかし、美しい御人だ。





 「貴方が、清重殿ですね。」

 




 突然の女性の発言に、俺は驚く。

 「……どうして俺の名を……」

 「殿から噂は聞いております。よほど信頼されているようですね。」


 

 「奥方様!こんな所にいらしたのですか!」

 その時、俺達の許に女中らしき人がやって来る。

 「奥方……?」


 そして俺は気づく。この人は信長の正妻、帰蝶様だと。


 「少しくらい良いではありませんか。松殿、今晩このお方を〈かの処〉まで案内して差し上げて。」

 「なっ!奥方様!」

 「では、お待ちしております。」

 こうして帰蝶はその場を去る。


 

 気付いた頃には、そこには家臣の一人もおらず、お市の車は既に見えなくなっていた。

 


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 「あれ?清重、こんな時間にどうした?」

 「いや、ちょっとな。」


 俺は帰蝶に呼ばれていることを遠藤や越間には言わなかった。その夜、屋敷の外に出ると、昼間の女中が雪のちらつく中で俺を待っていた。


 約束通り案内されたのは、城の階段を何段か上がったところにある一室。



 「ここ……って……まさか……」


 松が障子を開けると、其処に花を生ける女性が一人。

 「清重殿、此方ですよ。」

 清重の来訪に気づいた彼女は微笑む。


 「姫様、じきに夜も更けます。早く終わらせてくださいませ。」

 「分かっておりますよ、松殿。」

 

 俺は恐る恐る、その場に座る。

 「もっとお近づきになって。」

 帰蝶の言葉に返事をし、二歩近づいた。


 まさか、帰蝶の部屋に案内されるとは。


 「あの……一体何の用で……?」

 そう訊ねると、帰蝶は花をその場に置く。そして一歩近づいて、俺の顎を持った。



 「!?」


 「……やはり。殿がどうして貴方様をそこまで気にかけておられるのか、分かりました。

 その目の奥にある〈恐ろしいもの〉を、私は見逃したりは致しませんよ」



 


 何を、言ってる?



 「清重殿。貴方様はまだ気づいてはおらぬのです。己がいかほどの優れた目と才をお持ちか。

 殿は申しておりました。貴方様はいつか、殿と共にこの日本(ひのもと)を動かす、そんな存在と成り得ると」

 「ひのもとを……うごかす……?」

 あの信長が、そう言ったのか?


 「ただ、貴方様はまだ己を知っている訳ではありませぬ。

 だからこそ、私は此処で、貴方様にお伝えせねばならぬと考えたのです。」

 そう言って、帰蝶は再び息を吸い込む。



 「私が言えることはただひとつ。その目を忘れてはなりませぬ。一歩間違えれば、貴方様は日の本の全ての者を、天下を、敵に回しかねません。」



 「……それは、どういう?」

 「それほど、貴方様は恐ろしい存在なのです。」


 おそろしい?俺が?

 

 

 

 その瞬間(とき)

 全身に寒気を感じる。

 同時に、ある映像が脳裏を支配する。



 そこは、軍議が開かれる大広間。

 その中心に座る、一人の男。

 男は碁盤に一つずつ、石を並べている。

 すると、彼の手が止まり、此方を向いた。





 「あの男は、危険だ。だが、巧く扱えば、良い脅威となるであろう。」





 俺の中で、《信長》は不敵な笑みを浮かべ、そう呟くのだった。





 第1章 完

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