第2章 将軍絶命篇
第二十六話 とある噂
春が来る。
一五六八年、四月
俺たちがこの時代に来て、九ヶ月が経つ。
俺は領地の隅の山を、闊歩していた。
鶯の鳴き声が閑散と響く
まるで草木が生きているように、春風に揺れる。
山を抜け、辿り着いたのはある男の屋敷。
「おぉ、よく来たな」
男の声に、俺は笑みを浮かべる。
清重達志、それが俺の名である。
九か月前、俺たち北大宮高校二年三組は、突然クラスごと別の時代にタイムスリップしてしまった。
多くもの国衆に分裂し、領地と権威を求め人々が争う戦乱の世、
そう、〈戦国時代〉である。
この時代に、秩序など存在しない。
必要なのは、知識と生き抜く力。
この九ヶ月間、俺は生きることに必死だった。
この時代に来て初めて、俺は生きる意味を知り、
初めて、生きたいと思うようになったのだ。
帰る方法は今だ、見つかっていない。
だから今、俺はこの時代に生きる一人として、此処に居る。
「まあ座っててくれ。ん、そういえば遠藤くんは居ないのか?」
「今日は越間の店番を手伝っているそうです。」
その男はふうんと相槌を打ちながら、手際良く洗濯物を取り込む。
その男の名は、三鷹昭二。
俺達と同じ様に、約二十年前にこの時代にやって来たという。
元は自衛官として勤務し、妻と息子が居たにもかかわらず、別れを告げることなくこの時代に飛ばされてしまった。
俺は三鷹の背中を眺める。
彼は表向きでは、〈森可成(もりよしなり)〉として生きている。
森可成は、織田家生粋の槍使いとして実在した武将である。
何故森可成として生きているのか。話すと長くなる為、此処では割愛する。
敢えて言えば、何処(どこ)か胸が苦しくなる理由だ。
「待たせたな、茶でも入れよう。」
三鷹は取り込みが終わると直ぐに台所に向かい、茶を点てる支度をする。
最近は、そんな彼の屋敷に通うのが日課になりつつある。
以前と違い、岐阜城下(以前の稲葉山城下)に屋敷が移ったからだ。
三鷹は俺の前に茶を置く。そこで俺はあることに気付く。
「茶柱」
「お、本当だ、縁起が良いな。」
三鷹は笑みを浮かべ、俺の前に座る。
普段は此処で他愛もない話をするのだが、今日は違う。
「実は最近、妙な噂を聞きつけてな。」
「噂ですか?」
彼は何か大事なことを話す時、必ずその一言から始まる。
「足利義昭という御方を知っているか?」
「はい、知ってますけど……」
歴史の授業では必ずと言っていい程取り上げられる、室町幕府十五代将軍、足利義昭。
「殿は、足利義昭公をこの岐阜城に迎え入れようとしている。」
「……?」
三鷹によると先月、義昭の兄で、十三代将軍である義輝の従弟である義栄(よしひで)が、朝廷からの将軍宣下によって十四代将軍として就任したという。
「それが、義昭公を迎え入れるのと、何の関係があるんですか?」
俺はそう訊ねる。すると三鷹は一から説明すると言い、茶をごくりと飲む。
そして、ゆっくりと語り始めた。
「……そもそも義栄が将軍になったきっかけは、過去に義輝が暗殺されたことにあったんだ。」
一五六五年、義輝暗殺の中心となった三好三人衆が、その弟である義昭の暗殺を企てた。
これにより義昭は三人衆によって捕えられ、二ヶ月間、幽閉されることになるのだが、義輝の頃の幕臣達の手助けによって、義昭は難を逃れた。
そのまま伊賀国(現在の三重県)に逃れた義昭は、南近江を収める六角氏に許可を貰い、幕臣の一人、 和田惟政の居城である和田城に身を置くことになる。
義昭が足利将軍家の当主となることを決意したのは、それからのこと。
義昭は京に近い有力大名と親密なやり取りを通じ、上洛の機会を伺っていた。
その機に、和田惟政が尾張国の織田家に上洛を要請する。
「当時、殿は斎藤龍興の存在によって躊躇していた訳だが、織田家への要請を知った龍興は、織田家と斎藤家の休戦に応じてきた。」
「それは、斎藤家にも要請が来て、龍興殿がそれを受け入れたから?」
「そういうことだ、流石理解が早い。ただ、そう巧くはいかない訳だな。」
「どういうことですか?」
「裏切ったんだ。斎藤家が織田家を。」
その言葉に、俺は目を丸くした。
一五六六年八月、織田家は上洛の為に南近江を通じて兵を起こす。
「この時、私も上洛軍に参加していた訳だが、あの時のことは今でも覚えている。」
山道を歩く俺の横を通過した、一筋の閃光。
気づけば、私の隣の男の額に矢が刺さり、その場に崩れ落ちた。
龍興の離反。織田家は龍興の兵の襲撃に会い、あえなく撤退。
「それと同時期に、六角氏の離反が判明する。どうやら三好三人衆と内密にやり取りしてたみたいだな。」
同年九月、義昭は越前の朝倉義景の許へ移る。
義景は義昭やかつての六角氏に比べ、積極的な上洛をする意思を示さなかった為、現在まで長引き続いているという。
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「そして、義栄の就任を受けて、先日和田惟政が三好氏討伐の要請をしに来た。
ここまでくればもう分かるだろう。
殿がその申し入れを受け入れない筈がない。そういうことだ。」
語り終えた三鷹は息を吐く。
「恐らく殿は、義昭公を将軍に立てることを機に上洛し、権威を利用しようとしている。」
信長が義昭を将軍に立てる。それは即ち、将軍義昭誕生の〈立役者〉となるということ。そうなれば恐らく、義昭は信長に易々と頭は上がらないだろう。
そのための第一段階として、義昭の申し入れを受け入れる。
〈三好氏討伐〉の申し入れを。
やはり、戦の運命からは逃れられない。
「さ、そろそろ飯を炊くかな。清重くん、手伝ってくれ。」
「あ......はい!」
俺は立ちあがる。
〈逃げるな〉
己の中でそう言い聞かし、俺は一歩踏み出す。
続
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