第二十七話 斎藤家家臣、稲葉一徹の苦悩

 「先日、越前より使者が参った」


 四隅に火の灯る部屋で、向かい合う二人

 主君、織田信長と、織田家筆頭家老、佐久間信盛である。

 

 「惟政殿の書状、ですか」

 「此れを読み、其方が何を思うたかを聞かせよ」


 信長から渡された和田惟正の書状には、〈三好勢討伐〉の旨が二枚に渡り書かれている。

 佐久間は揺らめく火に照らし、一行一行、丁寧に読んでゆく。

 書状に目を通し終えた後、佐久間は笑みを浮かべた。


 「悩んでおられますな、殿」


 信長は佐久間の目を見る。

 「分かるのか」

 「体裁のみで、御仕え申し上げてはおりませぬ故」


 信長ははっと笑い、茶の酌まれた湯呑を持った。


 「……まぁ、其れ位分からねば、筆頭家老として務まらぬな」

 佐久間には分かる。否、佐久間にしか分からない。

 普通の者には気付かないであろう、苦々しい微笑みを。

 




 「其方は如何だ」

 信長は元斎藤家家臣、竹中重矩に目を移した。

 重矩も佐久間と同じく書状に目を通す。


 「申し入れを受け入れるか否か、殿は既に心に決めておられるのでしょう」

 やはり重矩の〈眼の良さ〉には感心する。

 重矩は背筋を曲げ、拳を地に置いた。


 「殿、其の為にはまず、やらねばならぬことがございます」

 「ふっ、儂と其方は、同じ事を考えておるな」



 信長は扇を閉じ、重矩に命じた。


 「直ぐに良通に伝えよ」


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 その日、俺は市に赴いていた。

 「やぁ越間、遠藤は?」

 「あぁ、奥に居る」

 どうやら見る限り、店仕舞いの途中だったようだ。


 俺は店の奥へと歩を進める。

 店と屋敷が繋がったような構造になっている為である。

 屋敷に上がると、広間で遠藤が仰向けに倒れていた。


 大きないびきを掻く、其の様を可笑しく感じながら、俺は縁側に続く障子を開いた。

 春風が通る。

 心地良い日差しが部屋の一部を照らす。



 「店閉めて来た。流石遠藤だな、やはり接客は手馴れてる」

 その後、越間が部屋に入り、そのまま木の床に胡坐をかく。

 「疲れたんだろうな。」


 幸せそうな遠藤の寝顔を見るだけで、安心できた。



 「清重、此処に来たのには、何か訳があるんだろう。」

 俺は頷き、越間の方に向き直った。


 「昨日の夜、昭二さんと話した。また、戦が始まる」

 「……そうか」

 越間はそのまま、虚空を見上げる。

 「まぁ、何事も受け入れる必要があるってこった。俺も、お前も。」



 越間の反応は、予想よりも遥かに落ち着いている。

 まあその理由は、俺が一番分かっている訳だが。


 

 

 「そうだ清重、今度はお前も手伝いに来いよ。

  報酬として美味しいもの振舞ってやるから。」

 「ほんとか?」


 美味しい料理かと訊ねたら、美味しいお酒だと言われたから、断っておいた。

 しかし、冗談を信じるのは、少しばかり胸糞が悪いものだな。




 「ふぁ、よく寝た」

 その後、俺は遠藤と共に、来た道を引き返す。

 大きな欠伸をつく遠藤を横目に、俺は考える。


 俺には少しだけ、気になったことがあった。



 冷静な理由、それは俺が良く知っている

 しかし、先程の越間は、どこか違った

 彼の見せた、【覚悟】の形が

 その形は、どこか不規則で捉えがたい


 (何かが、変だ)

 違和感が、俺を支配する



 其の時、小さな花が、目の前に舞う。

 「あ……」

 二人は見上げ、その光景に言葉を失った。



 其処にあったのは、大きな桜の木である

 満開に花を咲かせ、風が吹く度に散ってゆく

 気づけば、足元には桃色の道が出来上がっていた。

 

 

 「気になるか」



 その瞬間、背後から聞こえた声は、俺の背筋を凍らせた。



 俺はゆっくりと振り向く。

 其処に立っていたのは、池田恒興。




 前回の戦において、俺を置き去りにした、あの男である。



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 「何だ、重矩」

 明くる日、重矩は〈信長の指示した〉通り、稲葉の許を訪れる。


 「相変わらずのしかめ面(づら)にございますな」

 「其方の笑う顔は好かぬのだ」

 「はは、そうでございますか」


 早く要件を言えという要望を聞き、重矩は一度、咳払いをする。


 「率直に申しまする。稲葉殿、どうか我が兄に会って頂きたい」

 「!」


 その瞬間、稲葉は重矩の肩を掴む。

 「其方、重治の居場所を知っておったのか!?何故早く言わぬ!?」

 「えぇ、存じておりました。

  若し貴方様に申せば、貴方は美濃を離れてしまう、そう思った故にございます」

 

 稲葉は額に皺(しわ)を寄せ、重矩を睨む。


 「其方の兄は、我らが乗っ取った此の城を返した日から、消えた。

  ならば、今どこで、何をして居るのか

  一つ一つ話してもらわねば気が済まぬ」


 「無論、そのつもりにござる。

  稲葉殿には、悪い事をしてしまいました」


 「……全くだ」

 稲葉は手を放す。

 そのまま目を細め、あの日のことを再び、思い返すのであった。


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 一五六四年(四年前)二月六日

 


 一人の武士を殺したあの日、稲葉良通は当惑していた


  〈し……しげはる……何……を……〉

 斎藤家家臣、竹中重治。

 彼は殺した。

 稲葉山城番、斎藤飛騨守を。

 

 〈一徹殿、此度は私の我儘を聞き入れてくれた其方に、感謝して居る。〉

 重治の言葉に、稲葉は笑みを浮かべる。

 しかし、その奥には、得体の知れない闇が、蠢いていた。


 本当に此れで、良かったのだろうか。


 〈なぁ、重治殿、〉

 重治は稲葉を見る。

 〈儂等は、友でござるか?〉


 彼は稲葉の問いを可笑しく感じたのか、笑う。


 〈何を突然、友に決まって居ろう〉

 その笑みが、稲葉には恐ろしかった。




 重治が斎藤飛騨守を殺した理由。

 其れは過去の出来事にある。

 飛騨守は、病弱で細身の重治を裏で侮辱していたのだ。

 そんな飛騨守の侮辱が日に日に度が増していたのを、稲葉は知っていた。


 〈龍興殿の城を乗っ取る〉


 ある日突然発された、重治の言葉。

 (今思えば、龍興殿の寝首を掻き切るつもりだったのかもしれぬ)

 

 そもそも飛騨守が侮辱し始めたのは、龍興の影響である。

 龍興は功績を遺す重治を徴用せず、寧ろ軽蔑さえしていた。

 しかし、重治は少しも反抗しようとはしなかった。


 あの男は、どんなときも、笑みを浮かべていた。




 稲葉良通は悩んでいた。

 



 儂には、重治の考えていることが分からない。







 「稲葉殿?」

 重矩の言葉によって、稲葉は我に返る。

 そのまま咳払いをし、重矩の方に向き直った。


 「……聞かせよ、其方の兄の事を」

 知らない、だからこそ、知りたいと思う。

 其れこそ、人に備わった本能なのかもしれない。




 「兄は今、北近江に居ます」

 「北近江……?」


 北近江、其処は浅井氏が治める領地。

 今年の初めに浅井家の許へ、お市を嫁がせたことは記憶に新しい。


 「今、北近江の浅井家とは同盟関係にあります。この機に仲間に引き入れろと」

 「まて、それは信長殿の命か?」

 「いかにも、殿の案でもあり、私の案でもあります」


 曖昧な返事を返す重矩。

 (まさか、重治殿が近江に居ることを、殿は知っておられたというのか?)

 




 「稲葉殿、一つお聞きしても宜しいですか?」

 重矩の言葉に、腕を組みながら考えていた稲葉は顔を上げる。




 「いつまで、龍興殿を引きずっておられるおつもりですか?」



 稲葉は目を丸くする。一瞬、彼の言葉の意味が分からなかった。


 「安藤殿も、氏家殿も、皆揃って〈殿〉と呼ぶのに対し、貴方様はいつまでも〈信長殿〉と呼びます。若し未練が残っているのならば、直ぐにお捨てになった方が宜しいかと」


 心が抉られる様な心地がした。

 稲葉はただ、彼の目を見ていた。



 「……一つだけ、教えてくれ」


 稲葉は問う。


 「何故其方は、儂に頼む……?」

 「兄のことは、貴方様が良く知っておられるはずです。私よりもずっと、ずっと」


 それだけを言い残して、重矩は部屋を出る。

 取り残された稲葉は、心の中で葛藤している。





 胸をぎゅっと抑え、稲葉は己にこう問いかけた。

 【自分が、何を知っているのか】を。




 続

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