第二十八話 天性の才能人
「やぁ、清重」
俺に向けて、微笑みを浮かべる男が一人
俺は目の前の存在に、目を細める
この男は今更、何をしに来たというのか
「花は好きか?」
恒興の問いに、俺は答えなかった。
「儂は好きじゃ。為す術無く散りゆく様、誠に儚うござる。其方もそうは思わぬか?」
恒興は歩を進め、木の幹に触れる
「然し、幾ら散りとて、一年(ひととせ)周(まわ)ればまた新たな花を咲かせる。
見よ、形は強かで、しっかりとした幹じゃ」
「何の用ですか、ただ声を掛けに来た訳じゃ無いですよね」
恒興は不敵な笑みを浮かべながら、俺を見る。
「この桜は、其方を嗤っておるぞ」
「……どういう意味ですか」
「そのままの意味じゃ」
この時、遠藤は気付く
俺の手が、ずっと震えていたことを
「まぁ、先の戦で、少しは強くなって貰わねばな」
そう言って俺の横を通り過ぎる
「なんだあの人……」
遠藤の言葉を横に、俺は振り返る。
遠ざかる恒興の背中を見て、俺は唾をのんだ。
風が再び、桃色の花を散らせる
未だに手は震え、喉はカラカラ
心臓が強く脈を打つ
これで分かった
俺は、あの人が苦手なんだ
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数刻前
「何故拙者に頼むのですか?」
書を読む秀吉は、目の前の男にそう訊ねた。
其の日、突然屋敷にやって来た男を、秀吉は招き入れる。
言わずもがな、その男こそ稲葉である。
彼がこの状況で先(ま)ず当てにしたのは、秀吉だった。
そこで秀吉は、彼の提案を耳にするのだった。
「儂はあやつの友であった。故に分かる。
あの者は、一筋縄ではいかぬ。易々と説ける男ではない。しかし悩んでおった矢先、あの時我々に説いた其方のことが、頭に浮かんだのじゃ」
稲葉は秀吉に、自分が近江に行く際に付いてきて欲しいと言った。そして、織田家に仕える旨を、重治に説いてほしいという。
無茶を申すなと、秀吉は呆れた様に頭を掻く。
「確かに、重治殿が天性の戦上手だというのは有名な話にござる。しかし、そもそも拙者は其の者に会うたことがありませぬ。どう説けば良いと申しまするか?」
「織田に志願してもらう為じゃ。無論、其方だけに任せるわけではない。
極力儂が話す様にはする」
当然だと、秀吉は書を閉じる。
(殿がその男を欲しいと申すならば、断る理由も無い)
面倒は極力増やしたくないが、
こればかりは仕方ないだろう。
「……良いでしょう。拙者も行きましょう」
「か、かたじけない!」
秀吉は息を吐く。
こうして稲葉が此処に来たのも
恐らく自分の見込んでの事だろうと、己を納得させた。
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秀吉の屋敷に戻った俺達は、下駄を脱ぐ。
(……ん?)
下駄が一足分多い。
来客が来ているのかと思いながら居間に向かうと、其処に居たのは二人の男。
秀吉は俺達の存在に気付くと、その場に座るよう催促する。
「清重殿、遠藤殿。美濃で会うて以来じゃな」
俺達は稲葉に向けて一礼する。稲葉(かれ)は二人に笑みを浮かべた。
「清重、遠藤、其方らは此処に残れ」
「え?」
そう言って、秀吉は稲葉を見た。
「長政殿の許に向かう」
その目は、本気である。
意味が分からずにいた俺達は、秀吉の様子に呆然としていた。
「殿、これより近江に参ります」
明くる日の朝、稲葉達は信長に謁見する。
信長はその言葉を聞くと、にやりと笑みを浮かべた。
「頼りにしておるぞ。ぬしら」
信長(かれ)の発する言葉に、二人は凍り付く。
その言葉は一見、決まり文句のようにも聞こえるが
裏を返せば、〈失敗する訳が無い〉という意味合いも含まれている。
しかも、口にするのは信長である。
失敗すれば、どうなるか分かったものではない。
あの秀吉ですら、固まってしまう程だ。
やはり、恐ろしい御方(おとこ)だ。
義龍、龍興には無かった恐ろしさを、稲葉は改めて実感するのだった。
「重治殿を味方に……成程、良い考えだな」
赤坂は腕を組み、考える素振りを見せる。
その前で俺は、名の知れぬ不安を抱えていた。
何だろう、この胸騒ぎは
俺は胸をぎゅっと押さえる
心の何処かに不安を抱えているのは、きっと俺だけではない。
きっと、秀吉自身も抱えてる。
俺の様子を感じ取った赤坂は、俺の頭に手を置く。
「……!」
「藤吉郎は、口だけは一丁前じゃ。
なに、案ずる必要はない」
そう言って頭をくしゃくしゃと撫でた。
其の時、俺は勘付く。
この不安の正体が何なのか。
秀吉は、大きな賭けに、出る気なのかもしれない。
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明くる日、秀吉たち一行は北近江に辿り着いた。
第一印象は、畑が充実していることである。
見る限り、武士は勿論、商人や百姓の顔色も良く見える。
「良い所じゃな」
秀吉の言葉に、稲葉は頷く。
(民は皆、食事に困っていないのだろうな……)
主君の長政には、それ程の器量があるのだろうか
城番に刀を預け、二人は城に入る。
其処で出迎えていたのは、一人の男。
「其方らが稲葉殿と木下殿か。よく参られた、歓迎しよう」
其の男こそ、浅井家当主、浅井長政。
まさか殿様直々に出迎えてくれるとは。
流石の二人もこれには驚いていた。
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浅井長政は、家老や郎党に思いやりのあることで有名な男。
民のことも普段から必死に考えているのだろうと、二人は思った。
「此方は、我が殿からの貢物(みつぎもの)にございまする」
そう言って差し出したのは、大量の甘柿。
「ほぉ、甘柿とは作るのが難しいと聞くが……」
長政は其れを嬉しそうに受け取る。
「お二人とも、よくいらっしゃいましたね」
「お市様、お元気そうで何よりです」
其処にやって来たのは、以前信長が浅井家に嫁がせた、お市の方。
長政はお市がやって来たことに気付くと、笑みを浮かべる。
見る限り、長政と上手くやっているようだ。
「そういえば、其方は龍興殿の家臣ではなかったか?」
「は、先の戦で、信長殿が私を引き入れて下さった次第にございます」
「成程……織田の功績、儂の耳にも届いておるぞ。
義龍殿の頃と比べ、幾ら斎藤家が力が劣っていたとしても、あの城を落とすのは至難の業。
其方の殿、いや、義兄上(あにうえ)はやはり、凄まじい御方なのだな」
皆が笑顔を浮かべている中、唯一人、稲葉だけが無反応だったことに、秀吉は気付いていた。
「直経(なおつね)、その者らを重治殿の許へ連れて行きなさい」
「は、」
威勢の良い返事と共に、立ち上がる一人の男。
名を、遠藤直経(えんどうなおつね)という。
直経は、浅井家の重鎮である。
知勇兼備として知られ、長政からも手厚く徴用されているという。
「此処じゃ」
直経によって案内されたのは、城下の端にある、古い屋敷。
(……こんな場所に居るのか?)
「幾年前、重治殿は我が殿を訪ねてきたのだ。
我等も重治殿の知力は知っておった故、ぼろ臭い屋敷では勿体無いと、良い屋敷を勧めたのだ。
しかし、重治殿は〈此処で良い〉と言って譲らなかったのでな。
此処に住ませておるのだ」
「やはり、変わらぬな……」
直経の説明に稲葉は呟き、屋敷の扉を開ける。
その瞬間、白い煙が目の前に現れる。
「うっ」
二人は思わず、手で鼻と口を覆う。
(思ったよりも酷いな……)
二人はゆっくりと玄関を上がる。
埃が凄く、床も腐っている。
人が居る気配もない。
秀吉はゆっくりと寝室の戸を開ける。
其処に広がった光景に、彼は目を丸くした。
そこには、一人の男が背を向けながら座っている。
(……あれか?)
其の男は二人の気配に気づいたのか、ゆっくりと振り向く。
男は顎まで髭を生やし、破れた着物を着ている。
「間違いない……重治殿じゃ……」
稲葉はそう呟く。
天下の戦上手の面影は、もはや何処にもない。
しかし、何十年も、傍にいたからこそわかる。
この男は紛れもなく、竹中重治その人である。
男は二人を見るや否や、ふと笑顔を浮かべた。
「久方振りじゃな、一徹殿」
その男、名を竹中重治は、後(のち)の世を生きる人々に、こう呼ばれることになる。
軍才神の如し
稀代の戦上手
天下の名軍師、〈竹中半兵衛(たけなかはんべえ)〉と。
続
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