第五話 一夜の夢現(ゆめうつつ)
夕陽が沈んでゆく
どれほどの距離を走ってきただろうか。山本はただ神社を目指して道なき道を走る。既に制服はボロボロで、足には力が入らず、何度躓いても、その度に立ち上がってはまた走る。
「あ、あぁ......!」
神社の屋根が遠くに見える。その存在に気づいた山本の表情が自然と綻(ほころ)ぶ。
〈彼処(あそこ)に行けば、皆がいる〉
彼は飛び出す勢いで走り出した。
「っ!」
その瞬間、彼は目の前に現れた男と衝突し、その場に尻餅をつく。
「山本!」
聞き覚えのある声がする。彼はゆっくりと目線を上げ、その正体を確認した。
「田渕先生......!」
目の前にいたのは、懐中電灯を持った田渕。彼は山本の前に屈み、両肩を掴む。
「どこに行ってたんだ!!
俺がどれだけ心配したと思ってる!?」
その顔は、《本気》だった。
彼は辺りが暗くなった後も、一人でずっと山本のことを探してくれていたのだ。
道なき山をがむしゃらに走っていた時は、ここまで一生たどり着けないとさえ思っていた。あんなことを言ってしまった自分を迎え入れてくれるのだろうかと心配にさえなった。
斯くして山本は気づく。
心配してくれる人がいることは、幸せなことなのだと。
「すみませんでした。」
田渕は突然の出来事に硬直する。
彼の謝る姿を見たのは久方ぶりだった。
何かあったのかと彼を不審に思うが、それは教師としてあるまじき行為だと思い直し、目の前の生徒の素直さを認めることにした。
(こいつ、きっと根は良い奴なんだな。)
ただ、不器用なだけで。
田渕の表情が和らいだ。山本は田渕に一礼をして、彼の横を何事もなかったように通り過ぎる。しかし、田渕には分かっていた。
ボロボロになりながらも無事神社に到着できたことを心からほっとしているのを、必死に隠そうとしていることを。
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先生と生徒は、山の中を流れる小さな川を見つけ、そこで身体を洗う。その後大広間へ集まり、木を集め、ライターを使って部屋の囲炉裏(いろり)に火をつけ、生徒達はそれを灯り代わりにする。辺りにコンビニも自販機もない為、殆どの者は昼の弁当の残りを食べたり、分けてもらったりして腹を満たしていた。
「遠藤?どうした?」
遠藤は壁際で、呆けた様に座っている。
「んあ......ごめん、少し眠くてな。」
周りを見渡すと、横になっている者が大半である。達志には全員が疲れ切っているように思えた。訳の分からない事が続いたことに加えて、家に帰ることが出来ない為、体力的にも精神的にも仕方のないことなのだろうと、自分の中で納得する。
その時、部屋の外からぱたぱたと足音が聞こえ、勢いよく障子が開く。
そこに現れたのは、山本と田渕。
「山本!」
達志は立ち上がる。その声に応えるかのように、多くの者が起き上がった。
「どこ言ってたんだ!
なんでそんなにボロボロなんだよ!?」
生徒の言葉を横耳に、
山本は全員の前に立つ。
「皆、心配かけてごめん。この通りだ。」
山本は深く頭を下げる。
彼は遠藤の方を見る。遠藤は目を逸らし、山本の顔を見ようとはしなかった。
「遠藤、あんなことしてしまって本当にすまなかった。取り乱してたんだ。皆も訳分かんねぇって思ってるはずなのにな。」
遠藤はふんと鼻を鳴らし、「もう良いよ。」と一言。それを聞いた達志は胸を撫で下ろす。相手の顔を見ずとも、遠藤が放ったその一言は、仲直りの印であることを達志は知っていた。
「山本くん、すまなかった。私も少々苛立っていたようで、つい言い過ぎてしまった。教師としてあるまじき行為だ。謝らせてくれ。」
教頭先生は彼の側へ歩み寄り、深々と礼をする。山本は苦笑いを浮かべ、大丈夫だと応えた。
本当はいい奴なんだ。達志は彼の事を少しだけ知れた気がして、嬉しかった。
「なあ、皆。疲れてる所申し訳ないんだが、少しだけ俺の話を聞いてくれないか。」
その言葉に、多くの視線が再び山本に向けられる。先程とは一変、深刻な表情を浮かべていた。
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「武将......?」
山本はこくりとうなずく。山本は今までに起こったことを全て、余すことなく語った。
「三つ目の山を越えたところだ。時代劇に出てくるような武士が二人、馬に乗ってたんだよ。」
「やっぱり......」
全員の目が田渕の方に集まる。何かに気づいたように山本の目を見る田渕。
「やっぱり、〈あれ〉と関係してたんだな。」
「あれ、って......」
生徒たちは田渕の言葉によって気づく。和尚さんの自殺、気温上昇、景色の変貌、それに加え、不可解な要素がもう一つあった。
あの《現象》だ。
「あ」
その時、生徒たちは勘づいた。
あの現象とこの状況が
繋がっているのだとしたら。
田畑と森に囲まれた光景。
冬なのに夏のような気候。
そして、和尚さんのあの言葉。
〈いざ、あの素晴らしき世へ。〉
馬鹿馬鹿しく、漫画みたいな話だ。
しかし、あの現象が関わっていないとは、どうしても思えない。現に、あの現象に関わった者しか、ここにいないのだから。
田渕は、俯いた。
「俺達は、〈タイムスリップ〉しちまったんだ
恐らく、戦国時代に......」
全員が言葉を失う。
あくまで推測だ。
だが、誰も異論を唱えることはなかった。
あの現象と和尚さんの異変がきっかけかどうかは分からない。しかし、関係があるのは確かだろう。
少なくとも、何処かの場所へ冬の夕方から夏の昼間にタイムスリップした。とでもすれば辻褄が合う。いや、合いすぎるのだ。
しかし、自分たちがこんな目に合わなければならない理由が、生徒達にはどうしても分からなかった。
沈黙が続く。暫くしてそんな空気を壊すかのように、校長が手をぱんぱんと叩く。
「ま、まあ、とにかく今日はもう休みましょう。皆さんも眠いでしょう。明日の朝には、元の景色に戻っているかもしれませんしね」
校長は彼らをなだめるように言う。校長の言う通り、これ以上考えても仕方ないと考えた生徒たちは、寝ることに決めた。
大部屋は部屋の真ん中にある障子で半分に分けられる為、男子と女子で部屋を半々に分ける。誰も一方の部屋に入らないことを約束して、囲炉裏の火を切った。布団がない以上、床が畳であることが、唯一の救いだった。
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真夜中、田渕は神社の縁側に座っていた。生徒達は疲れているのか、ぐっすりと眠っている。空には満天の星が光り輝いている。都会では普段見ることのできない様な光景だ。
彼は携帯電話を取り出し、電源をつける。
「1/4 午前9:26」
時間表示も日付表示もまるで出鱈目(デタラメ)。いや、出鱈目というと語弊がある。この時間は恐らくタイムスリップ前の時間と等しい。だとすれば実質皆の身体は夜の間ずっと起きていたということになる。生徒達だけでなく先生達も疲れているのは当然だ。
田渕はじっと待ち受け画面を見ている。田渕と女性の間に、小さな子供がいるスリーショット。田渕はそれを見るなり、目を細める。
「秋穂......」
その時、背後から足音が聞こえた。田渕は驚きつつも振り向く。その正体が分かった時、田渕はほっと息を吐いた。
「お前も眠れないのか?」
そこに立っていたのは、清重達志。
田渕は微笑んで訊ね、隣に座るよう促す。
「これは俺の奥さんと息子だ。もうじき小学生でな。だんだん生意気になりやがる。ははは、まあ男はそれくらいじゃなきゃな。」
待ち受け画面を見せながら発するその声は、どこか寂しそうにも聞こえた。奥さんも息子もいるのに、こんなことに巻き込まれてしまったんだと思った達志は、静かに俯く。
「僕たち、本当にタイムスリップしちゃったんですかね......本当に帰れるんですかね......」
それを聞いた田渕は空を見上げる。
こんなことを訊ねるべきではなかったと達志は後悔した。より帰れなくて辛いと感じているのは、この人の方に違いないのに。
「帰れるさ。いや、帰るんだよ。必ず。」
達志は田渕の思いがけぬ言葉に驚く。どうすればその様に前向きに考えられるのだろうか。
(あぁ、凄いな。)
大人は皆そうなんだろうか。皆、誰かの為に前向きでいられるんだろうか。だとしたら、俺はそんな大人になれるんだろうか。
達志は心の中で落ち込んでしまう。
「清重、まだ眠くないか?」
田渕の言葉に、達志はこくりと頷く。
「そうか。じゃあせっかく二人きりになれたんだ。少しお前の父さんの話をしようじゃないか。」
達志の父、清重政虎は高校時代剣道でインターハイ3連覇を成し遂げ、『現代の武蔵』と恐れられた男。卒業後は警察官として勤務しながら、母校、北大宮高校剣道部の指導をしていた。その時高校生だった田渕は政虎の指導を受けていたと、母親から聞いたことがあった。
「清重先生は本当に厳しい人でなあ、そりゃ毎日しごかれたよ。全く。」
「すみません......」
達志は苦笑いを浮かべながら、政虎との日々を思い返していた。男の剣道姿を知っている者は皆、鬼の様な人だったと口にする。しかし、自分に対しては、怒られた記憶がないというほど優しかった。彼は、剣道をする姿をいつも背中で応援してくれていた。
「あれから五年か。」
田渕は何処か遠い場所を眺めるような、そんな目をしていた。
何処からか、蝉の鳴き声が聞こえる。
政虎は五年前、達志が中学一年の時、病に倒れ、この世を去った。
彼の葬式には、警察官や剣道関連のお偉いさんが沢山来ていたという。しかし、そこには田渕の姿はなかった。
「きっと、怒っていただろうな」
「......先生は、
どうしてお葬式に行かなかったんですか」
「お前がそれを聞くのか」
田渕は驚いたような表情を見せ、目を細める。
「実はな、清重先生が亡くなったって話を聞いた時、丁度研修で海外にいたんだ。すぐ帰国の準備をしたが、結局間に合わなかった。本当に申し訳ないよ。」
〈俺、学校の先生になります。
先生みたいに剣道を教えたいんです。
もしその夢が果たせる日が来たら、いつか会いに行きます。〉
後悔している。高校の卒業式の日、あの日にした約束を、果たすことは出来なかった。
田渕は最後まで、会うことは出来なかった。
〈はは、そりゃ楽しみだ。
その時には酒でも飲んで話し合えたら良いな。〉
記憶の中で、政虎はふっと微笑む。
〈卒業おめでとう。
いつまでも待ってるぞ。〉
「二年前の四月、新入生の名簿の中から、お前の名前を見つけた。」
達志は田渕の方を見る。俯きながら話す田渕は、強く拳を握りしめていた。
「驚いたよ。先生の言う息子の名前と一致しているんだから。まさかと思って慌てて父親の名前欄を見た。これは運命だと思った。嬉しくてたまらなかったんだ。清重、お前を見る度に、先生を思い出す。構え、蹲踞(そんきょ)の姿勢、どこかそっくりだ。流石親子だな。」
清重はその言葉に、微笑む。
「清重先生はまさに鬼の様な男だと、剣道界では有名な話だ。でも、その分可愛がってもらったよ。試合で負けた日にゃ、飯に行こうと言って奢ってくれた。冗談を言い合った時もあった。あの人は、本当にいい人だ。」
「そう言って貰えて、父も喜んでると思います。」
「そうか......いや、何も罪滅ぼしって訳じゃない、ただ純粋にそう思っただけだ。」
田渕は笑みを浮かべて立ち上がった。
「さて、眠くなってきたなぁ。そろそろ寝よう。お前も疲れてるだろう。」
達志は大広間へ戻る。達志はクラスメイトが熟睡していることを確認し、壁を背に座る。
父さん
我慢していた彼の目から、
次々と大粒の涙が溢れ出てきた
「ううぁ......ひっ......ぁあぁ......」
達志は部屋の隅で
皆を起こさない様に
静かに、ただ静かに泣き続けた。
深夜、田渕はふと目を覚ます。何かの気配を感じ、田渕はその気配の先を見る。
人影が動いている。田渕は驚いて跳ね起きた。男はゆっくりと田渕の方を見る。月光によって照らされた男の顔には、見覚えがあった。
「おま......えは......」
そこにいた鎧武者の顔は、何処か笑っていた。
田渕の記憶は、そこで途切れたー
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「......清重!清重!」
「......えん、どう?」
遠藤の声で、達志は目を覚ます。
床が冷たい。下を見ると畳が広がっており、辺りには幾人のクラスメイトが眠っていた。
「っ!!」
彼は飛び起き、そのまま縁側へ駆け出す。
「......うそだろ......」
蝉の鳴き声が辺りに響き、日が照りつける。暑さに汗がにじむ。
戻っていなかった。
「清重......」
遠藤は弱弱しい声で訊ねるが、達志には何も、聞こえてはいなかった。
「おぉ清重、お早う。」
呆然と立ち尽くす達志の横を何人かの生徒が通り過ぎ、縁側で靴を履き始める。
「お前ら、どうしたんだ......?」
「飯が無いから朝食を採ってくるんだよ。今吉先生と一緒にな。」
そう言うと、後ろから今吉が歩いてくる。
「他の先生は昨日沢山働いてたのに、俺だけ何もしないってのも悪いしな。そうだ、よかったらお前たちも行くか?」
気は全くと言っていい程乗らなかったが、全員分採るなら大勢で行った方が良いに決まっている。二人は彼らと共に行くことに決めた。
「よーしこの辺りかなぁ......痛って!!このへん針付きの草多いぞ!いってぇな!!」
(そんな所から
無理に入ろうとしなくてもいいのに.....)
俺達を元気づけようと必死なのが、生徒たちには丸分かりだった。
今吉は針のある草が少ないという単純な理由で、神社の敷地の端から森に入ろうとする。
「ここなら入れそうだな......」
その時、彼はふと立ち止まった。
ガサ、ガサ、
目の前から聞こえる、草の音。
(誰かが来る?)
そう思った時には、男が目の前の草むらから現れていた。
目の前に現れたのは、着物を着た侍の様な恰好をした男。身長は低い。その男は何も言わず、今吉の存在に気づくと、彼の目の前に立った。
「なんだアンタ......」
男の頬には、赤い傷跡が付いている。
生徒たちはその男の風貌に、目を丸くした。
「すまない......ちょっと聞きたいんだが、ここはどこだ?なんでそんな恰好をしてる?」
奇抜な様相の男に少しばかり怖気付いてしまうが、今吉は訊ねる。
男は目を細め、口を開いた。
「其方......残党か何かか?」
「......え」
その瞬間、男は今吉にしがみつき、今吉は草むらに押し倒される。
「んな......っ!!」
驚いた今吉は馬乗りにされる。今吉は抵抗して男の肩を掴むが、ぴくりとも動かない。
「御免。」
そう言い、男は懐から短刀を取り出し、彼の首に突きつける。
ザクッ
清重達は目の前の光景に言葉を失った。
宙に飛び散る大量の血。今吉は掠れるような叫び声を上げる。そのまま抵抗して男を掴んでいた手が地面に落ち、力が抜けた様に動かなくなった。
男は短刀を抜き、血を飛ばす。その時、生徒達の姿が視界に入った。
「貴様らも、こやつの仲間か」
血みどろの男の目は、生徒の姿を捉えたまま、笑っていた。
続
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