第七話 さらば。


 (早......っ!?)

 達志は秀吉の刃先を間一髪防ぐ。そのまま一歩、後方に引いて距離を取り、相手の間合いを伺う。男は再び刀を構えながら、達志を睨んでいた。


 普段持っている竹刀とは全く違う。達志には重い刀をあそこまで早く振り下ろすことは出来ない。


 (刃先を見ろ......)

 相手の動きを見ているだけでは駄目だ。一度でも刃に触れれば終わり。手汗が止まらない。柄には鮫革と呼ばれる滑り止めが付いているが、それでも滑ってしまいそうなほどだ。


 「よく避けたな、大したものだ。しかしそれくらいでもなければやり甲斐がない」

 恐ろしいほどに冷静な秀吉(おとこ)は、死の淵に立っている状況でも、笑っていた。


 落ち着け。

 正面から言っても無理だ。

 なら


 達志は彼の目をしっかりと捉え、走り出す。


 その方向は、




 秀吉(あいて)の真正面。




 「な......!」

 その場にいる者達は、達志の行動に驚く。


 「うつけめ!死にに来たか!!」

 そう言って秀吉は低い姿勢に切り替え、刀を横に構える。


 その時、達志が秀吉の視界から消える。


 (消え......!)

 何が起こった。


 ふと下を見ると、目一杯屈み込んだ達志が、秀吉の足を狙って刀を振っていた。

 

 「っ!」

 秀吉は飛び上がり、空中で刀を持ち変える。達志はすぐさま天を向き、次の一歩を踏み出そうとした。


 しかし、足が動かない。


 「......!」

 しゃがんだ体制では、第一歩が遅くなる。

 隙を見た秀吉は刀を振り下ろした。

 達志は横へ避け、地を転がる。


 「くっ!!」

 直ぐに立ち上がろうとするが、足に力が入らない。達志は自分の足を見て、固まった。




 足に深い傷が付き、多量の鮮血が流れている。



 その瞬間、彼は激しい痛みに襲われた。




 「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」




 痛い痛い痛い痛い痛い痛い


 達志はその場に倒れる。

 斬られた。今までにないほど傷口が熱く、痛い。


 あまりの痛みに、立ち上がる事すら出来ない。


 「清重ぇぇ!!」

 遠藤が叫び立ち上がろうとするが、秀吉がそれを見て刀を向ける。


 「邪魔をするな」


 達志は草の上で苦しむ。血だまりが其処等へ広がってゆく。気づけば、目の前に足が見える。秀吉(あのおとこ)の足だ。


 達志の目の前に、秀吉が立っていた。



 「思ったより手こずったな。しかし、もう終わりのようじゃ。少しは楽しませてもらったぞ」

 秀吉は顔にかかった血をペロリと舐め、刃を下に向け、腕を振り上げる。




 どうやら、これまでのようだ




 秀吉は笑いながら、勢いよくその腕を振り下ろした。


 



 キィィィン



 お社に響き渡る金属音。

 秀吉は下を見るや否や、目を丸くした。


 秀吉の放った今真の一振りを、

 達志自らの刀で防いでいた。


 「こやつ、まだやるか」



 生徒たちはその光景に釘付けになる。


 意識がはっきりしない。焦点が合わない。腕に力が入らなくなってくる。達志は徐々に押され、秀吉の刃が達志に近づいて行く。


 「きよしげ......!」

 気づけば、田渕たちは目に涙を浮かべていた。


 もう、やめてくれ。




 「しぶといぞ......」

 そう言って秀吉は腕の力を入れる。達志は悲痛な声を上げ、精一杯腕に力を入れる。


 「ふざけんな......っ」


 達志の言葉に、秀吉は反応する。



 「ふざけんな!!何で俺たちがこんな目に合わなきゃならねえんだよ!!」


 「......愚かなざまだ。早く黙って貰おうか」

 そう言って秀吉は再び力を加える。

 達志の目に、大粒の涙が溢れて来た。


 「教えろよ、なあ教えてくれよ!!俺たちが何したってんだ!!俺はまだ死にたくねえんだ!!助けてくれ!誰か早く戻してくれ!!早く元の時代に戻せ!!戻せぇぇぇぇ!!」

 「黙れ!!」

 秀吉の刃が、首元に当たる。

 達志は、全力で叫ぶ。



 「こんなふざけた世界

  糞食らえだぁぁあぁぁあぁああぁ!!」





 「......っ」











 途端に、刃が首元から離れる。

 ガシャッという音が聞こえ、達志は秀吉が刀を下ろしたことに気づいた。



 「ふざけた世界……か。」


 秀吉は俯いたまま、固まっている。


 「......愚かだ。其方は誠に愚かな男だ。

 しかし何処か、我が殿に似ておるな。」


 秀吉はそう言って、呟く。

 意識が朦朧としている達志は、何が起こっているのかが分からなかった。


 秀吉はゆっくりと立ち上がり、懐から布を取り出し、刀の血を拭く。



 「......我が殿は尾張のうつけものと呼ばれ、その奇行も数知れず。また逆らう者には容赦をせぬ様なお方だ。しかし、殿は多くの家臣に信頼を置かれ、親しまれておる。何故だか分かるか?」



 突然語り始める秀吉に動揺したのか、その場において答えるものはいなかった。


 「あの方は、我らと見ている世界が違うのだ。明日生きておるかも分からぬ戦乱の世。しかしあのお方は、十、いや、百年先の世を見ておる。側から見れば誰からも馬鹿にされるうつけ者。しかし、拙者はそんな〈織田信長〉という男に惹かれたのだ」


 秀吉は刀を鞘にしまい、達志の目の前で屈み込む。


 「お主は先程、〈ふざけた世界など糞食らえだ〉と言ったな。我が殿も同じ事を言っておられた。お主の言う通り、この世は当たり前の様で、当たり前ではないのだ。それを皆は知らぬ。百年と続く乱世の中で、それこそが当たり前になってしまっている。しかし、殿は違う。この乱世を終わらせると、本気で思っていらっしゃるのだ」

 秀吉は目を細める。


 「やはり其方は我が殿に似ておる。故に、ここで殺すには惜しい」


 そう言って立ち上がり、達志の手から刀を奪い取る。彼の手には既に力が入っておらず、何も抵抗することはなかった。秀吉はその刀を鞘にしまい、達志に背を向ける。


 「......清重といったか。お主にはまた何処かで会える気がする。その時は、敵同士かも知れぬがな」


 そう言い残して、秀吉はそれ以降振り返ることなく、山の中へと去って行った。

 



 遠藤達は呆然としていたが、

 我を取り戻すや否や、達志の元へ駆け寄る。

 「おい!清重!しっかりしろ清重!!」

 「待て!揺らすな!」


 鹿島は遠藤の隣でしゃがみ、彼の脈を確認する。

 「......大丈夫だ、死んではない。恐らく多量の出血のせいで気を失ってる。とにかく血を止めよう。誰か布をくれ。上着でもいい。」

 鹿島は慣れたような手つきで手当てを進める。


 「すまん、俺のせいで......」


 救急の手当てを終えた鹿島は俯く。達志がこんな目にあったのは、自分があんな行動を取ったからと、自らを戒める。そんな鹿島に誰も声をかけられず、立ちすくむ。


 暫くして、達志の流血が止まった頃になって、田渕は口を開く。


 「なぁ、山を下りてみないか?もうあいつらには追いつけないかもしれないが……」


 そこにいる全員は顔を見合わせる。たとえ山本たちに追いつけないとしても、いつまでもこうしているわけにいかない。


 「…その前に、ひとついいか?先生だけ付いてきてくれ。お前たちはここで清重を看ておいてくれ。」


 「鹿島?」


 何のことか分からないまま、彼らは敷地の隅へと向かう。そこには、無残な死体が一つ。


 「......ぅ」

 田渕と校長は目を逸らす。腐敗が始まっている死体には、流石の鹿島も目を細めた。これを生徒たちに見せてしまっては、トラウマを増大しかねない。


 先生たちは再び地面を掘る。そこに今吉先生を入れ、埋める。山のようになった土に木の棒を刺し、彼らは手を合わせる。


 守れなくてごめん。生徒たちを守ってくれて、本当にありがとう。


 先生は何も言わなかったが、遠藤達には彼らが何をしに行っていたのかが分かっていた。目を覚まさない達志を含め、この場にいる者の中で今吉先生の最期を見たのは二人だけだが、他の生徒も今吉が死んだことは知っている為だ。しかし、先生たちが戻ってきても、生徒たちが何かを尋ねることはなかった。


 「待たせたな。よし、行くか。」

 今だに目を覚まさない達志を田渕が抱えようとしたその時だった。

 

 「せんせい、

  俺に持たせてくれませんか?」


 遠藤の言葉に、田渕はなぜかと聞く。深い意味はなかったが、遠藤は皆を助けてくれた達志に感謝をしたいという気持ちがあったことを話す。


 「そういうことならわかった。任せる。気をつけろよ。重かったら変われよ。」

 遠藤はうなずき、達志をおぶって、山を下り始めたのだった。


 「......草が深いな。」

 田渕は呟く。この世界では夏だ。草が伸び切っているのは当たり前のことである。道なき道を進んでいる為、自分がどこにいるかも分からなくなりそうだった。ただ下っているから、山の出口へ進んでいるのは間違いない。逆に言えば、それしか道を確認するすべはなかった。


 山を下り始めて十五分ほど歩いた時、先頭を歩いていた鹿島は、前方から何かがやって来るのが見える。何だと目を凝らすと、制服姿の男子生徒が走って来る。


 「あぁ!せんせい!やっと見つけた!」


 彼の姿を間近で見た田渕達は、言葉を失った。

 顔に切り傷があり、制服もボロボロ。何があったのかと尋ねると、その生徒は涙ぐみながらこう言った。

 

 「山本先導で皆で山を下りてたら、刀持った人たちに囲まれて襲われて、何人かが目の前で殺されて身ぐるみを剥がされて......僕たちは逃げたんですけどみんな離れ離れになっちゃったんです」

 「バラバラに......なっちゃったのか?」


 男子生徒は頷く。

 「多分その人たち、こっちに向かってます!だから早く逃げた方が良いです!」


 彼はそれを伝えにわざわざ来てくれたのか。田渕は歯を食い縛った。もしその人たちに囲まれたら、まずい。そう思った彼は俯く。


 「みんな、提案がある。」

 全員が田渕の方を見る。田渕は顔を上げ、こう言った。


 「ここでお別れだ。

  みんな、バラバラに別れよう。」


 全員の目が丸くなる。


 「なぜだ!?」鹿島は田渕に迫る。

 「その人たちは恐らく山賊だ。もし全員で固まっていれば、囲まれたときにリスクが高い。それに、彼らが本当に山賊でこの山に住み着いているとしたら、この山を熟知しているはずだ。全員で逃げたとしても追われる可能性は高い。なら、皆で何方向にも分かれて逃げた方が良いだろう。」


 「......もし後に出会えなかったら?土地勘がない以上、こんな広い森じゃ集合場所なんて決められないだろう。」




 「そうだな、もう会えないかもしれない。だから言ったんだ。《お別れ》だと。そうだな、どうせならこの機会に互いのことをさっぱり忘れてしまうのもいいかも知れんな。」




 鹿島は田渕の胸ぐらをつかむ。


 「お前、ふざけてんのか?」

 「本気だ。こんな時に冗談なんて言う訳がないだろ。」



 田渕は笑う。鹿島にはそれが、自暴自棄のようにしか見えなかった。しかし、何方向にも分かれて逃げるなら、確かにリスクは少ない。


 しかし、ここで一度離れ離れになってしまえば、二度と会えなくなるかもしれない。現に山本たちはバラバラになってしまっている。なら、全員で出会うことはほぼ不可能だろう。生き残ることを考えれば、否定する理由は見つからなかった。



 「本当に、それでいいのか?」

 田渕は目を閉じ、ゆっくりと頷く。鹿島は暫く黙っていたが、大きなため息をつき、田渕の目を見た。



 これも、俺たちに与えられた宿命なのかもしれんな。



 「......分かったよ。俺の負けだ。逃げよう。もう否定する理由も思いつかない。」


 そう言った鹿島は、笑みを浮かべた。鹿島たちに賛同するようにその場にいる全員が頷き、全員が離れ離れになることを受け入れたのだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 「田渕先生、遠藤と清重、俺と校長先生、他の生徒三人は別々に、それぞれ逃げろ。俺が合図をしたらそれぞれ指示した方角へ走れ。分かったな?」


 鹿島はそう言うと、全員が返事をした。

 もうすぐ離れ離れになる。遠藤の中に様々な不安が襲いかかってきた。


 うまく逃げ切れるだろうか。そして逃げ切ったとしても、これからどうしていけばいいのだろうか。飯はどうすればいいのだろうか。寝床は?


 「なあみんな、行く前にひとつ、聞いてくれ。」

 田渕の声に、全員が反応する。



 「俺たちはもう、会うことはできないかもしれない。これから、どうしていけばいいか分からなくなる時があるかもしれない。それでも、これだけは心に留めておいてほしいんだ。」



 田渕はその場にいる全員の目を見た。

 「絶対に死ぬな。生きている限り、いつか会える日が来るかもしれない。そして、みんなで生きて元の時代に帰ろう。だから死ぬな。絶対だ。いいな?」


 全員が頷く。覚悟を決めた顔だった。それを見た田渕は笑みを浮かべる。


 その時だった。遠くの草むらから音が聞こえ、その音は徐々に近づいている。田渕は視線を感じ、目を細める。もう時間がない。少しばかり名残惜しいが、出発だ。

 



 「今だっ!!」


 彼らは離れ離れに走り始める。誰も、後ろを振り返ることはなかった。



 「清重、俺達を守ってくれて、ありがとな......」

 遠藤は深い森を走りながら、背中に抱えている達志に語り掛ける。達志は何も反応しなかった。それでも遠藤は笑みを浮かべる。そして実感する。息が上がる。鼓動が早くなる。足が重くなる。ああ、俺は生きている。俺たちは生きている。この世界で生きているんだ。と。


 こうして遠藤と達志は、誰もいない深い山奥へと、向かっていくのだった。






 

 各々が領地を広げるために武器を持ち、殺し合う戦国時代。


 ごく普通の高校生は、ある日突然そんな時代に放り投げられた。


 彼らはこれから何度も希望や絶望を繰り返し、もがきながら、足掻きながらも、精一杯生き、抗い、精一杯走り続ける。


 いつか、会える日を待ちわび、


 いつか、元の時代に戻れる日の為に。


 

 これは、そんな世を精一杯生きる者たちの、物語である。




 続

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