第三話 素晴らしき世

 集団が見えてくる。ここまでかなりの速度で登ってきた為、達志の足にはかなりの疲れが溜まってしまっている。


 前方遠くから微かに鹿島先生の声が聞こえる。流石は元自衛官というべきか。おそらく鹿島が先頭で、後方に続く疲労困憊な生徒達に声をかけながらすいすい登っているのだろう。田渕は集団の一番後ろに位置しているのが見え、彼に追いつこうと重い足をどうにか動かそうとする。


 田渕は後ろから聞こえてくる足音に気づき、振り返る。

 「清重!お前っ、後ろにいたのか!」

 達志は膝に手をつく。


 (どれだけ長いんだこの階段は。)と達志は田渕を見て、苦笑いを浮かべた。




 〜 一時間前 〜


 「やっと着いたか......」


 階段を登り切った教頭先生は、階段に座って一旦休憩を挟むことにした。


 冬の風は冷たいが、階段を上るという有酸素運動のおかげで、身体はよく温まった。今はその冷たさが心地よく感じる。ふと彼は、高校時代の自分を思い出した。昔の自分なら、こんな階段も苦なく登れていたはずだ。若いころにいくら運動していても、年を追えば結局落魄れてしまう。


 最近、こんなことばかり考えてしまうな。と彼は俯いて苦笑する。



 その瞬間。


 彼は目を見開く。



 頭の中に、映像が流れ始める。


 目の前には戦の後の景色。鎧を着た男たちがそこら中に血を流して倒れている。自分の手元には刀。その刃には血が垂れている。自分が斬ったと思われる人物が一人、目の前に倒れていることに気づく。教頭はゆっくりと近づき、その男の頭をつかんで顔を覗く。

 私は息を飲んだ。




 私は、この男を知っていた。

 



 「っぁあっ!!」


 意識が途切れ、彼は我に返る。荒くなった呼吸に加え、身体がぶるぶると震えている。それは寒さのせいか、それとも―


 教頭は両手で顔を覆い隠す。

 〈私は何も知らない〉のだと

 何度も自分自身に言い聞かせた。


 「はぁ、はぁ、」

 足音が聞こえる。その声を聴くや否や、教頭は首を振って立ち上がる。


 「......やっと来ましたか。校長先生。」

 校長の姿が見えると、彼はどこか引きつった様な、笑みを浮かべた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 田渕と共に息を切らせながら最後の一段を登り切った達志は、目の前の光景に暫く言葉を失う。


 深い森の中にある神社。この神社の存在を知ったのは高校に入学してすぐだが、普段は先ほどの階段の途中から立ち入り禁止の看板が立っている為、写真にも残されておらず、実物がどんなものかを見たことがなかった。実物は鳥居も木で出来ており、柱は年月の風化を感じさせる。趣深く、とても風情のある神社だ。


 「よーし、よく頑張ったな!清重、早く中に入れ。どうやら暖かい鍋があるらしいぞ。」


 出迎えてくれたのは鹿島である。達志が到着した頃には、殆どの人が既に社の中に入っていた。


 (こんな場所で鍋って......)

 そう言いたくなる気持ちをぐっと抑え、少しでも早く温まりたいという思いで、達志は社の中に入っていった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 一月四日 午後四時二十一分

 異変発生まで、残り五十分


 「皆さん、

 ようこそおいでくださいましたね。」

 全員が集まっている大広間。鍋に箸を突いている間に、この神社を管理している和尚(おしょう)さんが彼らの前で挨拶をする。


 「この神社には特定の名が無く、誰が建てたのかも分かっておりませんが、外見を見てもわかるように、この神社の歴史は長いと言われております。専門家によれば、お社に使われております一番古い木材はおおよそ戦国末期から江戸初期のものであると言われ、現在では市の文化財に申請をしております。」

 約四百年も前の建物だと聞いて、驚きよりも、なおさらこんな所で鍋をしても大丈夫なのかという心配の方が大きかった。



 「木に囲まれてる場所って、なんだか落ち着く。私、こういう場所好きかも。」

 達志の横にやって来た唯が隣に座る。

 「なかなか渋いんだなお前。」


 達志たちの生活は鉄やコンクリートが溢れている。自然があるとすれば、ここか近所の公園くらいか。


 (たまにはこういう所もいいのかもな。)


 達志はごくりと鍋の汁を飲み干した。



 

 生徒たちはその後、和尚さんのお経を聞き、絵馬に受験に対しての目標などを書き奉納する(敷地内の大木に吊るす)ことになっている。そして締めには、和尚さんのお話を再び聞いて終了。一連の流れで一時間くらいはかかるという。もっと長いものかと思っていた生徒たちは一時間と聞いて、ほっと胸を撫で下ろす。登りは大変だったが、帰り道は下りの為すぐに降りられるだろう。


 「ではこれから別の部屋に向かいます。

 みなさん、付いてきてください。」

 そう言って歩き出した和尚さんの後を、生徒たちはついて行く。


 達志は廊下を歩きながら辺りを見回す。所々に木が精巧に編み込まれている部分がある。驚くほどに良い造りだ。昔にもこんな技術があったんだなぁと心の中で感心する。


 彼らが訪れたのは、大きな部屋。まず行われたのが、和尚さんのお経読みを聞くというもの。三十分間ずっと正座をして聞くため、終わった頃には殆どの者が足が痺れて歩けなかった。その後、別のお坊さんが絵馬を持ってやって来る。それを受け取った和尚さんは絵馬を配る途中に、あることに気づいた。


 「辰馬、そういえばまだ鍋を片付けていませんでしたね。私が配っておくから、片付けてらっしゃい。」

 「分かりました。」

 辰馬と呼ばれたお坊さんは、そう返事をして部屋を出て行く。


 「絵馬か......」達志は何を書こうかと考えるが、一年後ということもあり、受験がどんなものかがよく分からない。達志は遠藤に話しかける。

 「そうだよな、俺もよく分かんないから、別のこと書くことにした。」

 「別のこと?」

 「例えば将来の夢とか......」

 達志は少し考える素振りを見せる。


「......わかった、ありがとう。」


 達志はそう言って、笑顔になった。


 一月四日 午後五時

 異変発生まで、残り十分


 少しの休憩を挟んだ後、皆が絵馬に書き始める。思い思いの願い事を書き、和尚さんに奉納する。その時、急に尿意を催した達志は、遠藤に話しかける。


 「すまん、ちょっとトイレに行きたい。

 戻ってこなかったら、これ結んでおいてくれないか?」


 遠藤はああと言って絵馬を受け取り、達志は部屋を出る。それからすぐ絵馬を結ぶ時間がやってきて、遠藤は一緒に結んでおいた。その時ふと絵馬に書いてある言葉を見る。


 【みんなが合格できますように。】


 「はは、あいつらしいや。」





 「はぁ、漏れるとこだったぁ」

 トイレから出てきた達志は、お腹を抑えながら廊下を歩く。

 外は少しばかり雲がかってきた。天気予報では晴天の予報だったのだが、何やら雨でも降りそうな予感がした。


 「帰る頃に降らないでくれよ......」

 達志は苦笑いでそう呟く。






 その瞬間









 ぐしゃっ









 鈍い音を聞く。

 何か重いものが落ちたような音。



 達志はその音に驚き、

 ゆっくりとその方を見る。


 彼は固まってしまった。








 辰馬と呼ばれていたお坊さんが、頭から血を流して倒れていた。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 和尚さんを先頭に

 生徒たちは部屋へと戻る。


 「あぁ、そうだ。そういえば私、皆さんに伝えたいことがあったんですよねぇ。」

 和尚さんは笑顔のまま、振り返ってこう言った









 「そなタら......トウぐンか......?せイグんカ......?」









 生徒たちは固まる。先ほどまでの和尚さんではない、恐ろしいほどに低い声。和尚さんの目は、魚のように光を失っていた。




 一月四日 午後五時十分

 異変発生まで、残り零(ゼロ)分



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 「うぁぁぁあぁぁああっっっっ!!!!」



 達志は叫んで腰を抜かす。先程鍋を片付けに部屋を出ていったことは知っている。しかし、彼は屋根の上から落ちてきた。何が起きているのか全くわからない。


 その時、お坊さんはゆっくりと達志の方を向き、目を見開き、にやりと笑う。



 「いザ......アノ......すばラしキ世......へ......」



 掠れるような低い声でそう言って、お坊さんは力が抜けたように動かなくなった。


 訳が分からなくなった達志は、ふらつく足で大広間まで走った。


 「先生っっ......!!せんせえっっ!!!」

 達志は大広間の障子を思い切り開けると、和尚さんが短刀を持って立っていた。和尚さんがゆっくりと達志の方を向くと、にやりと不気味な笑みを浮かべる。


 「やット......ゼンイんそロったな......」



 「おい!何をしてる!?」

 田渕は叫ぶ。和尚さんは短刀を喉に突きつける。田渕や鹿島は呆然とそれを見ていたが、止めようにも恐怖で足が思うように動かなかった。

 


 「いザ......アノ......すばラしキ世......へ......」


 「まっ、まて!!やめろ!!!!」



 

 和尚さんは短刀を思い切り喉に突き刺す。


 奥深くまで差し込み、そのまま横に引く。辺りに大量の血をまき散らし、うめき声をあげながら倒れる。神経を斬ったのか、その場をのたうち回り痙攣する。そして、瞳孔が開き、口と鼻から血を流し、そのまま動かなくなった。





 「いやぁぁぁぁぁぁああ!!!!!!!」

 


 女子生徒の断末魔によって、

 その場にいる全員が混乱状態に陥る。


 「なんだよこれっ......!!」

 その中で男子生徒が吐き気を催し、手を口元に抑えながら縁側に続く障子を開けると、突風と共に凄まじい霧が部屋中を包んだ。


 「っ!?」



 さっきまでこんなに霧深くなかったのに。



 何人かの生徒は急な突風にバランスを崩す。男子生徒はそれにも構わず、外の縁側に出て一度、吐いた。


 「おい、ちょっとまて......!」

 一人の生徒が呆然としている。その霧は徐々に晴れてゆき、生徒たちは徐々にその意味を理解するのだった。


 生徒たちの額から

 止まることなく汗がにじみ出てくる。


 暑い。まるで真夏のような暑さだ。空を見上げると、太陽が強く照り付けている。それに、放課後(夕方)とは思えないような明るさだ。現に太陽が真上に位置している。それに加え、先ほどまで敷地だった場所に木や草が多く不規則に生えている。


 「......は?」


 生徒たちは訳が分からなかった。自分がどこにいるのかすら分からなくなってしまうほど、世界が変わってしまったような心地がした。



 

 遠藤は和尚さんを病院に運ぶために、

 救急車に電話をかける。


 《おかけになった電話番号は、電波の届かない場所に......》




 「なんで!?なんで出ないんだよ!?」




 繋がらない。そのまま警察に電話をかけようとするが、結果は同じだった。

 

 遠藤は携帯の画面を見る。

 先ほどまであったはずの電波が、いつの間にか圏外になっていることに気づく。

 




 達志は呆然と立ちすくんでいた。








 一月四日 午後五時十分

 

 その日、彼らの世界は、一変した。




 続

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