第二話 前兆②
校長室の前へ辿り着いた二人は、ドアを二度叩いて入る。そこにいたのは、校長ではない一人の男。
「あれ、教頭先生?」
そこでは、教頭先生が校長室の掃除をしていた。掃除機をかけていたためノックの音では二人の入室に気づかなかったが、二人の姿に気づくと、にこりと笑う。
「ああ、校長先生ならついさっき会議で出て行ってしまったよ。もしかして何か用があったのかな?」
「あ、はい、」
「そうか。恐らくしばらくの間ここに戻ってこないだろうから、私が要件を聞こうか?校長先生に伝えておこう。」
(まあさっさと終わらせたいし.......)と、遠藤は段ボールを下ろす。それをじっと見ていた教頭先生は、顎に手を当てる。
「君たちは確か剣道部だったな……なるほど、もしかして君たちは、田渕先生に頼まれて来たのかな?そうだねぇ、何か許しを得に来たとか。」
「!」
一瞬でバレた。二人は教頭の洞察力に感服する。同時に校長を接待する手間が省けた。
二人は正直に言ってしまった方が早いと考え、今使っている防具が傷んでしまったという名目で、田渕に予算を上げて欲しいと頼まれたことを伝える。
「そういうことなら分かった、伝えておくよ。
ただ本当に上げてくれるかどうかは分からないけどね。」
「は、はい!ありがとうございます!」
二人は頭を下げる。教頭先生は再びにこりと笑みを浮かべるのだった。
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「物分かりが良い人で良かったな、遠藤」
「まあな、でもお陰で昼飯の時間がなくなっちまった......」
教室へと帰る道の途中で愚痴をこぼす遠藤は何かを思い出したかのように立ち止まった。
「そういえば、放課後に山の上の神社に行くって話、今日だったっけな。」
「ん?ああ、そうだったな。」
「変な話だよなぁ、一年前に合格祈願だなんて。全く、気が早いっての。」
二人は顔を見合わせて、苦笑いを浮かべた。
毎年二年生は新年の恒例行事として、新年最初の授業がある日に校舎の裏側にある山に建つ神社に向かう。受験を一年後に控える二年生を対象に、合格祈願を行うのだ。遠藤の言う様に気が早いと考える人は多いが、それだけこの学校が受験に対して本気だということなんだろう。
「俺、神頼みとかあんまり好きじゃないんだよね。欲深い奴だって思われそうでさ。それにまず前提として、あの神社に学問の神様がいるかもわかんねえのに。」
「はは、確かに。」
達志にとって遠藤の言葉はもっともだと思った。その神社は普段は立ち入り禁止で、合格祈願の時のみに開放される。一昔前 (まだ合格祈願の行事が始まる前)は草がそこら中に生い茂り、道があるのかどうかさえも疑うほどだったが、現在は近くのお寺の住職が管理している。
しかし、その神社には多くの謎がある。神社の名は不明、誰が建てたのかも分からず、何の神様が祀られているのかすら誰も知らない。地史が記載されている資料のどこにも、その神社について載っていないのだ。そこで以前、達志はその神社についてネットの地図を調べてみたことがあるが、無論何も表示されない。本当に神社と呼ぶべきかどうかも危ういところだ。
「でも結構面白そうじゃない?地図にも載ってない神社なんて。」
「そういう面では多少興味はある。でも今日バイトあるからさっさと帰りてぇんだよなぁ。」
本来この学校にはバイト禁止という規則が存在するが、遠藤の家庭事情をふまえ、学問の妨げにならない程度にという条件で学校から特別に許可をもらい、働いている。
そんな遠藤の一言。それを聞いていたのは、神か仏か。
ただその願いが叶わぬものとなることを、今はまだ、誰一人知る由もない。
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一月四日 午後一時四十七分
午後の授業が始まり、田渕は一人で校舎裏に向かう。誰もいないことを確認し、胸ポケットから煙草とライターを取り出して火をつける。ふうと吹いた煙が宙を舞う。
「教師が煙草なんて、よろしくねぇなぁ。」
「っ!?」
突然の声に振り向く。田渕はそこにある人影を見るや否や、ため息をついた。
「いやぁすまんすまん、
脅かすつもりはなかったんだよ。」
「......タチ悪(わり)いぞ、鹿島(かじま)。」
右手に缶コーヒーを持った鹿島と呼ばれた男は軽快な足取りで田渕の横に並ぶ。田渕は不満そうな顔をしながらも場所を開けた。
鹿島権太(かじまごんた)は体育教師、兼二年三組の副担任を務める。田渕とは昔からの知り合いで、数年間の自衛隊勤務の後、体育教師となった。田渕にとって最もプライベートでの付き合いが多いのが、鹿島である。
「今回のテスト、剣道部は悲惨だったみたいだな。顧問もなかなか大変だ。」
「他人事だと思いやがって......」
田渕は煙草を口に加える。思ったことをすぐ口に出してしまう鹿島の性格を田渕は十二分に理解しているつもりだ。悪気がないことは分かっている。田渕は鹿島に学校以外で練習できる場所を調べてほしいと頼むと、快く了承してくれた。やはり持つべきものは友だと、そう思った。
鹿島は缶コーヒーを飲みながら校舎の壁にすがり、空を見上げる。雲一つない快晴。昨日までの雪が嘘のように無くなってしまった。
「......今日は二回見たぞ。」
突然発せられた鹿島の言葉に田渕はピクリと反応する。
何も答えず田渕も空を見上げた。
「気味悪いよな。
一体何なんだろうな。あれ。」
分からん、と田渕は煙草を携帯用灰皿に押し付ける。その時のジュウという音が、妙に心地よかった。
あの現象について田渕は本で調べようと、普段嫌悪感を示す様々な医学書を手に取り読み漁(あさ)ったが、どこにも載っていなかった。田渕達が経験しているそのような映像はデジャヴのような、何かしらのきっかけや、過去の経験が含まれているものではない。さらに集団で同じ現象が起こっていることを記述(証明)してくれるようなページなど、あるはずがなかった。
「全く不可思議なこともあるもんだ。」
鹿島は腕を組んで頷く。彼の能天気な言葉を横耳に田渕は考える。田渕(かれ)には、何者かによって弄ばれているような心地がしてならなかった。
「......あ、そういえば、剣道部の生徒の親?がお前と縁があると聞いたんだが。」
急な話題変更に田渕は少し戸惑ったが、しんみりとした空気を解消するにはいいきっかけだと、二本目の煙草に火をつける。
「ん、あぁ、あいつのことか。」
田渕は胸ポケットにライターをしまい、煙草をくわえる。
それは清重達志。彼の父のことだ。鹿島は清重の名前を聞くと、あの子かと手をぽんと叩く。
「清重って俺らのクラスの生徒じゃなかったっけな。そうか、そいつの父親と縁があるのか。じゃあ今まさに感動の再開を味わってるわけだな。いやぁ感慨深いねぇ。」
「オーバーだよ。」
彼は吹き終わった二本目の煙草も灰皿に押し付ける。
清重達志の父、彼にはとてもお世話になった。その息子と会えて嬉しかったのは事実で、息子も剣道を続けているということが、何よりも嬉しかったことを思い出した。
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一月四日 午後三時十分
異変発生まで、あと二時間
「さて、これより神社に向かう。皆、ちゃんと動きやすい靴履いてるな?よし、じゃあ出発するぞ。」
放課後、二年三組の生徒は玄関へ集合する。夕方まで午後の授業が詰め込まれた達志たちの顔は、どうやら疲れ切っているようだ。それに加え外の急激な寒さによって、彼らの足取りは更に重く見えた。
「おぉ、達志君じゃないか。」
生徒たちの集団の最後に位置していた達志は校門を通り過ぎたところで、男に話しかけられる。
「飯島、さん?飯島さんじゃないですか!うわぁ久しぶりですね!」
達志の言葉に、自転車を持つ飯島という男は、にっこりと笑った。
飯島宗八。彼は元警察官であり、清重政虎(きよしげまさとら)の親友だった男。その為、達志のことを昔からよく知っているのだ。達志にとって飯島は、やさしい叔父さんのような存在だ。しかし最近はめっぽう会うこともなくなり、ここで会うのは小学校を卒業した五年ぶりである。
「偶然だなぁ。通りすがりで出会うなんて。いやぁ子供みたいに小さかったのがつい昨日のように感じるが......見ないうちにこんなに大きくなっちゃったんだな。身長もすぐ追い抜かれそうだ。」
そう言って飯島は達志の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「流石親子だな。
まるで政虎を見てるみたいだ。」
その言葉をかけられた達志は、飯島の目を見る。その目は、あの頃と変わらない澄んだ瞳だった。
飯島はこれから何をするのかと達志に問う。達志は校舎裏の山にある神社に向かうことを伝えると、飯島は腕を組んで考える。
「神社......か、あぁ、あの地図にない神社だな。そういえば毎年この時期は開放しているんだったっけか。昨日までの雪が解けて足元がゆるいかもしれない。気を付けてな。」
達志は分かったと頷くが、こうして話している間に、集団が見えなくなってしまった。飯島も達志と話すのが夢中でそのことに気づかなかった。飯島はすまなかったと苦笑いを浮かべる。
「さあ、行ってこい。達志君。」
飯島は達志の肩をぽんぽんと叩き、自転車に乗る。その声は別れを惜しむかのような、どこか寂しそうな声だった。飯島は自転車をこぎ始める。
達志は飯島の背中を見送る様に眺め続け、遂に見えなくなったのを確認し、走り始めた。
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「全く......どうしてこの歳になってこんなとこ登らなければならんのだ......」
まだ誰も到着しないうちにと、授業中に出発した教頭は息を切らしながら、長い階段を登り続ける。毎年、校長と教頭もこの行事に参加することになっているのだ。昔は空手で全国大会へ出場したほどのスポーツマンでも、今は階段を上るだけで一苦労だ。やはり老いには勝てない。
歯を食いしばって一歩一歩登り続けている教頭の後ろで、校長が別の先生と共に登っている。
「校長先生、一度休みますか?」
校長と共に階段を上る今吉(いまよし)先生は心配そうに訊ねるが、校長はその度に笑って、大丈夫だと言った。
「教頭先生も頑張っているんですから、
私も頑張らないと。」
校長は教頭に負けじと、同速で登り続ける。もうじき到着だと、それだけを考えながら、一心不乱に登り続けるのだった。
続
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