第十五話 本当の意図

 稲葉山城の廊下を、西美濃三人衆の一人、稲葉良通(一徹)が早足で歩いている。眉間にはしわが寄り、その表情は険しかった。


 「待て稲葉殿!何をする気じゃ!?」

 後ろから別の男が彼を止めようとする。男の名は氏家直元(卜全)。稲葉は氏家の手を振り切る。


 「儂はもう我慢できぬ!直談判に行く!」


 「確かに殿は道三殿には劣るやもしれぬ!しかし殿は我らに多くの領地を与えてくださっておるのだ!これ以上望む事などない!ここは堪(こら)えるのが健全にござるぞ!」


 稲葉は氏家を睨んでいた。実を言うと、数年前に稲葉山城を占領した者の中の一人は、この稲葉良通である。その頃から、家中で重要な役割を担う者にも、龍興への不満が募っていたことが分かる。


 「ならばどうすればよい......!城を乗っ取ったというのに殿は一向に変わってはおられぬ!このままでは斎藤家は御仕舞いじゃ!氏家!其方も分かっておるのであろう!」


 氏家は芯を付かれた様に黙り込んでしまう。そもそも何故龍興に信望が無かったのかという問いには、いくつかの理由がある。


 一つは信長に何度も侵攻を許し、重臣たちを多く失ってしまったこと。一つは有力家臣の相次ぐ流出。そして極めつけは、家臣や乱世を見る目を持っていないということ。それらが主に挙げられる。


 「......何処へ行く?」

 弱弱しい声で言う氏家を、歩き出した稲葉は再び睨み、吐き捨てる様に言った。


 「少し田畑に出向くだけじゃ。見回りをしなければならぬ故な。」


 いくら政治や戦に功を奏しているとはいえ、家中の士気が下がっているのは、言わずとも目に見えていた。




 市は賑わっていた。まるで家中の動乱がないものであるかのように。


 稲葉は心の中で迷っていた。このまま龍興を信じて良いものかを。稲葉の言う通り、龍興には軍才が無い。斎藤家は少しずつ衰退の道を辿っているのは言うまでもないが、龍興殿の父、義龍殿が道三殿を討った時から始まっていたといっても過言ではない。


 再び稲葉の眉間にしわが寄る。真面目で頑固な性格の稲葉は事態を人一倍重く感じていた。


 市を通り抜け、田畑へ向かう。その時、稲葉は歩いて来た男とぶつかる。


 「おぉっとっと......」

 ぼろぼろの着物を着て、誰が見ても見窄らしい男が、彼の目の前でよろける。


 「いやはや、すみません」

 男はぺこぺこと頭を下げる。腹が立っていた稲葉はその行為に再び腹を立たせた。


 「気をつけよ」

 吐き捨てる様に一言言って、稲葉が再び歩き出した時。



 「まぁお待ちくだされ。稲葉一徹殿」



 その声に目を丸くした稲葉は振り返る。男は笑みを浮かべながら、稲葉を見ていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 「ここが、美濃......」


 俺は感嘆の息を吐く。長い間森の中を彷徨っていた彼にとって、開けた場所に出たのは、何処と無く嬉しいことであった。


 しかし、これで終わったわけではない。むしろここからが本番なんだと、俺は自分に言い聞かせる。気を抜く瞬間は一秒たりともない。それは昨夜、秀吉が教えてくれたことだ。


 御付きの者は二人に三人衆の特徴を伝える。稲葉は白髭を生やした頑固そうな男。氏家は丸顔の温厚そうな男。もう一人の安藤守就は秀吉も長年見たことがない為、顔すらも忘れてしまった。その為先に稲葉、もしくは氏家を城外に誘い、誘き出すという策を利用することとした。


 「清重、遠藤。其方らは茶葉を買え。道中でそれらしき者を見かけた際は、直ぐさま儂に伝えよ。良いか、呉々も無理はするでないぞ」


 そう伝え、秀吉は別の場所へ向けて歩き出す。二人は御付きの一人と行動を共にすることとなった。


 「清重、遠藤というのか。儂は弥助と申す。以後、宜しゅうござる」

 弥助によると、彼は一時期美濃の偵察を行っていた為、この辺りには詳しいのだという。


 「三人衆は恐らく今丁度、田畑に見回りがおるはず。儂が見た時と変わっておらぬ限り、三人衆が城から出るのはその時のみじゃ」

 「では、秀吉さまはそれを狙って、昨日の早朝に?」

 「あぁ、その通り」




 だとしたら、三人を誘き出すのに自分達は必要ないんじゃないのか。


 よくよく考えて、時代的に考えれば、秀吉はまだ名の知れていない男であるのは間違いない。ならば我らではなく、秀吉の御付きの者に頼めば良かったのではないか。それに先程の秀吉の行動を見る限り、一人で三人衆に接触を図るようにしか見えなかった。


 秀吉の《本当の意図》が、この時の俺には分からなかった。




 三人は茶屋に入り、差し出された茶を飲む。

 「はぁぁ、うまいなぁ。」

 俺達は茶の作法などの知識は何もなかったが、楽にしても良いと言われ、気兼ねなく飲むことができた。喉が渇ききっていた俺達は生き返るような心地がした。


 「弥助さん。どうして秀吉さんは、俺たちをここに連れてきたんでしょうか......」

 遠藤は俺の言葉に首をかしげる。

 「え?三人衆ってのを探す為じゃないのか?」

 「いや、違う」


 遠藤は弥助を見る。弥助は茶を飲み干すと、ふうと息を吐いて湯呑みを置いた。


 「......そうか、其方は気づいた様じゃな。まあ、丁度ここで話そうと思っていたところだ」

 「ど、どういうことですか?」

 遠藤はどうやらまだ分かっていないらしい。弥助は遠藤殿のためだと、ゆっくり話し始めた。


 「昨日(さくじつ)の朝、出立前に秀吉殿は申された。秀吉殿が我らを此処へ連れて来たのは、三人衆を誘き出す為ではない。もしそれだけが目的ならば、儂らのみで十分、其方らは必要ない。しかし其方らを此処に連れて来たのは、その後(のち)に必要となるであろう《あること》を、其方らに頼む為だと」


 「あること......?」

 「儂にも良く分からぬ。しかし、秀吉殿は最後にこう申されたのだ。《この景色、しかと目に焼き付けておけ。》とな」



 目に焼き付けておけ。それはどういう意味だろうか。自分たちに茶葉を買わせるのも、何か意味があるのだろうか。



 何か不吉な予感がするのは、俺だけだろうか。

 



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 一徹。その名を庶民が知っているはずがない。何故なら彼の号を知っているのは、家中の者だけだからだ。


 「......何者だ?」

 そして気づく。彼のボロボロの着物に小さく描かれていたのは、六甲紋。それは言わずとも知れた、織田家の家紋。


 「貴様っ!織田の者か!!」

 稲葉は刀を取り出そうとするが、その男は動じなかった。


 「いつまで意地を張るつもりじゃ。稲葉殿」



 その言葉に稲葉は固まる。その男、〈木下秀吉〉は鋭い眼光で稲葉の目を捉える。


 「......どういう意味だ?」

 「其方らと、ちと話がしとうござりましてな。そうじゃなぁ、三人で話せるような大きな屋敷に案内してはくれませぬか」



 三人という言葉に稲葉は気づく。三人衆と話がしたいという織田からの要望に。稲葉は刀を鞘にしまう。


 「......儂に用があって来たのか?」

 「はい、しかし龍興殿には内密に」

 「何故じゃ」

 「話を聞いて頂ければ、

  直ぐにでも分かりまする」


 ならば聞くしかない。稲葉はため息をつき、分かったと返答する。織田の者ならば美濃の偵察が居たとしても不思議ではない。美濃の一徹という名を知っていることも納得できた。


 「......日暮れの刻に案内する」

 そう言って、稲葉は田畑に向かって歩き出した。

 

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 夕方。烏の鳴き声がどこか遠くで聞こえる。


 城で待つ氏家の元に、三人衆の一人である安藤守就がやって来た。


 「氏家。稲葉は?」

 「田畑に向かった様だ。

  じきに戻って来ると思うのだが......」


 氏家の素っ気ない態度に、安藤は顎に手を当てる。


 「儂の居ぬ間に、また言い争ったか。氏家」

 「......っ、知っておったのか?」

 「知らぬ。しかしその言葉を聞く限り、図星の様だな」


 鋭い。長年過ごしているせいか、何となくでも分かってしまうのかも知れない。安藤に隠し事はできないと、そう思った。



 「......儂とて殿を信じきれん部分は多々ある。しかし、それを口に出してはならぬものじゃ。確かに稲葉殿は思うたことを口に出す男じゃが、近頃は特にひどい。儂らで食い止めなければ、いつ殿の耳に入るかも分かったものではない。のぉ安藤、そうは思わぬか?」



 氏家の言葉に安藤は頭をかく。その時、障子をばんと開く音に二人は驚く。


 「氏家、安藤。少しばかり良いか」


 そこには稲葉が立っていた。走って来たのか息を切らしている。



 何やら深刻そうな顔をしていると感じた二人は、彼にしばしがた付き合うことにした。



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