第二十二話 決着、稲葉山城

 「越間っ!?」

 越間は素早く地に屈み、顔の前で人指し指を立てる。

 「静かにしろ、今ちょうど斎藤家(おれたち)の兵がこっちに来てる。見つかったらお前、殺されるぞ」

 その時、後ろから草を踏む音が聞こえた。誰かがこちらに近づいてきている。

 「少しだけ待ってろ……」という言葉を残し、越間は立ち上がった。


 

 「これより陣へ救援に向かう!城下が焼き討ちにされておるのだ!越間、其方も来い!」

 「は、直ぐに参りまする。」

 どうやら斎藤家の者の様だ。越間は彼らが城に向かい始めた所を見計らい、俺の顔を見る。


 「清重、くれぐれも気をつけろ。俺は死なないから、お前も絶対死ぬんじゃないぞ。」

 「こしま……」

 越間はふと笑顔を浮かべ、去っていった。



 いつの間にか火矢の攻撃は収まっていた。越間の後姿を目で追いながら、考える。

 「あいつも……戦ってたのか……」


 この時代、戦場(いくさば)で戦うのは武士だけではない。実を言うと、百姓や商人も武士と同じように戦っていたのである。(戦ごとに語り継がれる兵の総数とは、百姓や商人の数を含めたもの。つまり広い土地を所有することと兵の数が比例していることを意味している。)ならば、越間が此処で戦っていると言っても不思議ではない。てっきり戦わずに、城下に居続けていると思い込んでいた俺は、少しだけほっとした。

 

 しかし、ここでまた一つ新たな疑問が浮かぶ。

 (城下の焼き討ちを命じたのは信長だ。なら今、誰がその役目を担っているのだろうか?)


 恒興は第二陣としか言っていない。任されるのは恐らく、織田陣に残っている者のみ。

 それは佐久間か?丹羽か?それとも三鷹か?

 

 様々な武将の顔を思い浮かべている時、遠くから馬の鳴き声を聞く。

 同時に地響きが大きくなるのを感じる。

 (大軍が来てる……っ)

 それは敵か、それとも味方か。


 足音が段々と大きくなる。俺は草むらに身を潜め、じっと様子を伺う。

 音量が頂点に達した時、大軍が、草に隠れる俺の前を勢いよく横切った。



 「好機じゃ!まだ斎藤龍興は城に居る筈じゃ!この期に討ち取るのだ!!」



 光の如く通り過ぎる大軍。その先頭に立つ男。


 俺はその男を知っていた。




 「……ひで……よし……?」





 俺は先頭で多くの家臣を率い、城へと向かう秀吉の姿を捉えた。この時まだ名の知られていなかったであろう秀吉が、信長によって大役を任されたのだ。

 やはり信長の目に狂いはない。それは歴史を知っている、未来から来た自分だからこそ言える。

 

 城に向かう秀吉率いる精鋭部隊の後ろ姿は、遂に見えなくなった。俺はゆっくりと草むらを出ると、城の方から微かに声を聞く。それは雄叫びの様な、男達の声。


 (越間は城に向かったのだろうか。)

 もしそうだとしたら、確実に危ない。

 今あの城に身を投じること、それこそ死と隣り合わせだ。

 

 折角出会えた友を、失いたくはない。

 



 その時、背後の方からガサガサと草を掻き分ける音を聞く。振り返ると、此方に向かって誰かが走ってくるのが見える。

 それは、みすぼらしい衣を着た男。



 「ど……どいてくれぇ!」


 城下から草を通って逃げてきたのか?

 俺の脳裏に、あの言葉が蘇る。



 (向かってくるもの、全て斬れ。)



 俺は刀に手をかける。しかし、手にうまく力が入らない。


 男は怯えながら、俺の様子を伺っていた。




 《殺したくない》


 その言葉が脳内で渦巻く。

 感情が俺の手を止める。

 その様子を見た男は、俺の横を走り去った。



 (やっぱり……俺には無理だ……)

 何が、生きるために、刀を持つだ。

 俺は、遠藤の様に強くはない。


 

 少なくとも、あの人には生きてほしいと、そう思った。



 その瞬間だった。





 「いっ、いやだぁあ!!やめてくれぇぇぇああああぁぁぁあぁああぁぁぁぁああぁぁぁあ!!!!」






 遠くから聞こえた悲痛な叫び声と共に、俺はその場に崩れ落ちる。

 「あ……ああ……」




 死んだ。


 先程の男の声。



 先程まで、俺の前にいた男が、死んだ。




 「やっと分かったか」

 暫くして見上げると、そこには血だらけの恒興が立っていた。



 「既にこの城は織田兵に囲まれて居る。

  逃げることなど無謀だ」

 恒興は睨む。俺はその冷たく凍ったような目から、逃れることは出来なかった。




 「これが戦じゃ。」




 俺は、何も言えなかった。








 八月十四日、信長は城の周囲に鹿垣を作り、城内の兵(並び龍興)を閉じ込めた。

 そんな時、美濃を離れていた安藤と氏家が、久方ぶりに美濃に戻ってくる。


 「少しばかり、遅くなってしまったな。」

 「まあ問題は無かろう。今すぐにとは申しておらぬ筈だ。」


 そんな会話も束の間、美濃に辿り着いた二人は驚愕した。


 「な......なんじゃこりゃ......」

 

 稲葉山城が、無数の柵によって包囲されている。旗印に描かれているのは、織田家の家紋。



 「織田殿!?これは如何なることにございますか!?」

 織田陣に出向かう二人は、信長の横にいる男に目を奪われる。


 「稲葉......」

 稲葉は、直ぐに二人から目を逸らす。




 「驚いたか。」

 信長の目は、驚きを隠せていない二人をじっと捉えていた。



 「信じられぬという様な顔をしておるな。まあ無理もない。其方等は主君を裏切ったのだ。今更龍興を想うことも無いだろう。」



 信長は不敵な笑みを浮かべる。二人は何も言えず、ただ呆然と立ちすくんでいた。



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 そして、明くる日のこと。


 「斎藤龍興!既に城を発った模様!!」

 「逃げられたか……まあ良いであろう。」


 稲葉山城に潜入した時には、既に蛻(もぬけ)の殻であった。

 斎藤家は遂に降伏。龍興は織田家の目を掻い潜り舟で長良川を下り、伊勢の長島へと脱出した。

 これにて、稲葉山城は信長の手に落ち、稲葉山城の戦いは幕を閉じた。

 信長が挙兵して、僅か半月の出来事であったという。




 「稲葉、安藤、氏家、そして重矩までもが、織田に寝返ったと......」

 郎党からの報告を聞き、龍興は気づく。



 もしかすると、稲葉と重矩、二人は元々共闘していたのではないか。

 そうだ、竹中重矩。あの男が、全て仕組んだのだ。




 稲葉と重矩が相反する案を出したことも

 否定された稲葉が怒り狂ったことも

 全て、奴らの演技だったというのか




 龍興は舟の壁を思い切り叩く。

 「龍興様......」


 共に乗り込んでいた郎党は、震える男の背中を見ていた。



 「信長め......覚えていろ......っ!!」


 彼の目は、獲物を見るかのように、鋭かった。



 この後、ある大戦(おおいくさ)において、龍興と信長は再び相対(あいたい)することになるのだが、それはまだ、先の話。



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 「サル、此度の働き、大儀であった。後に褒美を授けよう。」

 「はっ!」


 秀吉は今戦(こんいくさ)の功績によって、《侍大将》の役目を与えられる。それは草履役からの異例の大出世であった。



 遠藤は清重の姿を見る。

 焼き討ちの日から、清重の様子がおかしい。

 何処(どこ)か、喪失感に満ちている。



 

 「達志。こちへ寄れ。」

 「は……」

 皆が陣を片付けている中で、俺は信長に呼ばれる。

 (何の用だろう)

 信長の許へ向かう足取りは、どこか重かった。


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 「何でしょうか……」

 信長は俺の弱弱しい声を聞き、呆れるかのように、一つ大きな溜め息を吐く。



 「そちはこの戦で、何を見た?」

 信長は俺の様子に一喝することもなく、そう訊ねる。


 俺が見たもの。

 それは



 「……ひとの、弱さです。」

 信長は目を細める。



 「戦に関係のないひとまで殺されて、なんでこんなことが起きてしまうんだろうって、なんで俺達は戦うんだろうって、あれからずっと考えて、分かったんです。人は〈弱い〉から、戦うんだと。きっと皆、己の弱さを隠していたいだけなんです。

  俺は、何もできませんでした。目の前にいた人に、刀を抜くことすら出来ませんでした。それも一種の弱さです。でも、誰も死なない世を望むなら、誰も死なない方法を考えればいい。なのに誰もそれをしないのは、戦わないことに恐怖を覚えているから。それもきっと、弱さだと云えると思うんです。だから……」


 「もう良い。この阿呆が。」

 俺ははっと顔を上げた。

 信長は俺の方を睨んでいる。



 「そちの言う通り、人というものは儚く、脆い。しかし我らは、人が死なぬ世を作るために、人を殺める。

 この百年の乱世は、我ら武士(もののふ)にこう命じておるのだ。《民の為に命を懸けて戦え。》と。其れは皆同じだ。

 儂にとっては、戦うことから逃げておる《お前》が、一番の弱虫だと思うがな。

 清重、お前は此度の戦で学んだ。それをこれからも心に留めておくんだな。」



 気付いた時には、俺は涙をこぼしていた。

 見せないように我慢していたというのに。



 「めそめそ泣くな、男だろう。」

 信長はふんと鼻を鳴らし、皆に伝える。



 「皆の者!大儀であった!

 これより稲葉山城に拠点に移す!!」



 信長は笑みを浮かべ、こう続けた。

 「美濃征服に際して、この地の名を《岐阜》と改める!此処が我らの、新たなる世の始まりよ!」


 その言葉に皆が叫び、勝鬨(かちどき)を上げる。

 その様子を端で見ていた俺は、思う。




 俺達の生きた平和な時代とこの乱世は、違う。

 でも、俺は今、この時代に生きている。

 ならば、俺がするべきことは、なんだ?


 なんとなく、わかった気がする。

 俺がするべきこと。

 俺がしたいこと。



 「清重」


 遠藤は清重の顔を見て、頬を緩ませる。

 もう、大丈夫みたいだ。




 俺はぐっと拳を握る。


 俺のしたいこと。

 それは、誰も争わず、誰も易々と死ぬことのない世を、信長(このおとこ)と創り出すこと。


 その為に、俺は逃げない。




 この時代で、俺は生き抜く。





 こうして織田家は

 天下統一に向けての第一歩を、大きく踏み出したのだった。



 続

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