第二十三話 その後、新たなる足音
戦の後は何もなかったかの如く、普段通りの日常が始まるものだった。
「遠藤、清重の様子を見てこい。」
久方ぶりに聞いたような男の声。ゆっくりと瞼を開けると、そこには遠藤の顔。
「えんどう……」
「驚いた、相当疲れてたんだな。お前」
其の言葉の意味を知った俺は、微かに苦笑した。
あの戦の後、信長から帰還の許可を貰った俺と遠藤、そして秀吉は赤坂の屋敷に戻る。信長が稲葉山城へ拠点を移したことを、赤坂に伝える為である。
しかし屋敷の門をくぐった瞬間、俺はその場に倒れてしまったらしい。今の今まで、丸一日ずっと眠っていた様だ。
俺が眠っている間に、秀吉は赤坂に全てを話したらしい。無論赤坂は、信長が斎藤龍興を下したことを知っており、共に美濃に向かうことを決めた。
《この屋敷とも暫くはお別れだな。》
その時の赤坂は、少し寂しそうだったと、遠藤は言った。
「水、飲むか。」
俺は手渡された湯呑を持ち、ぐっと飲み干す。
「目が覚めて良かった、落ち着いたら広間に来てくれ。俺は少し外に出てくるから。」
俺はその言葉に頷き、遠藤は立ち上がって部屋を出て行く。
俺は開けられた障子から外を見る。
立派な庭園が、そこに広がる。
あれほど慌ただしかったことが、嘘の様に穏やかだった。
(まるで夢の様だな。)
そうだ、俺は夢を見ているのかもしれない。
今までも、そしてこれからも続くだろう、長い長い夢を。
俺は首をふるふると振るう。
また、理想に逃げていた。
もう逃げないと決めた筈なのに。
俺は立ち上がり、広間へと向かう。
「お、目覚めたか。」
赤坂が此方を見て微笑んでいた。
こうして俺は元の日常を、改めて実感するのである。
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「其方が目覚めたということは、恐らく明日には此処を発つことになろうな。」
久方ぶりに屋敷で食事を摂る俺に、赤坂は言う。どうやら自分が眠っていたことで、美濃に戻る時期を少しばかりずらしていたようだ。
「そういえば、秀吉さんは……」
「藤吉郎なら、既に此処を発っておる。今は儂と其方と遠藤の三人じゃ。」
恐らく、戦後の処理に追われているのだろう。俺は秀吉と初めて出会った時のことを、改めて思い返す。
あの日と同じことを、今もやっているのだろうか。
「あの、赤坂さんはどうして、戦に参加しなかったんですか?」
俺の質問に赤坂は動きを止める。
「……儂も以前は加わっておったのだが、ある戦の傷で、左足を槍で刺されてしもうてな。」
「あし……?」
「普段過ごす位ならば支障はないのだが、いざ他国の遠征となると痛みが増してのぉ、傷口が持たぬのだ。そんなことでは、戦など出来る筈が無かろう?」
どうやら赤坂が戦に参加しなくなったのは、最近のことの様だ。
「このままだと刀を振る感覚を忘れてしまうと思うてな、以前刀を持ってみたのだが、既に忘れかけてしまっていた。故に近頃は暇さえあれば刀を振っておるのだが、やはり直ぐには戻らぬものじゃ。それでも、織田家家臣として居られるのは、誠に有難いことであるな。」
赤坂重国、彼はきっと信頼されているのだろう。
この人がもし織田家家臣としてこの地で出会っていなければ、今頃こんな風に飯を食べることも出来ていなかった筈だ。
「しかし、やはり戦は好かぬ。」一言だけそう言って、笑った。
この人の為に、何か出来ることは無いだろうか。
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「殿、佐久間にございます。」
佐久間の声を聞き、外を眺めていた信長は、脇息に肘を置いて向き直る。
「其方は《足利義昭(あしかがよしあき)公》を知っておるか?」
突然の問いに、佐久間は少々驚いてしまった。
「義昭公……にございますか?」
「佐久間、あの男をどう見る。」
「どうと申されましても……何故そのようなことを?」
「分からぬか。あの男こそが、織田家の行先に関わる重要な一手と成り得るのだ。」
流石の佐久間にも、直ぐには分からなかった。
(義昭公とは幾度か相見えたことはあるが、会ったのみで話したことは無いからのぉ……)
腕を組み唸る佐久間の様子を見て、信長は息を吐く。
「問を変える。もし儂が此処で〈あやつら〉を追討すると宣言したならば、其方はどうする。」
「……!」
その時、佐久間は気づく。
「〈あやつら〉とは……かの《三好勢》にございますか?」
「そうじゃ。美濃に続く二つ目の三人衆、奴らの事よ。」
二年前の一五六五年 (永禄八年)、京付近での影響力を伸ばしていた三好長逸、三好政康、岩成友通の三人(
「もしや、義昭公を次期将軍に立てた暁として、京に上洛すると?」
「その通りじゃ。佐久間、此れを見てみよ。」
信長が取り出し、佐久間に突きつけたのは一枚の紙。そこに書かれていた四文字の言葉。
「天下……布武……」
信長は笑みを浮かべる。
「此れは沢彦殿に頂いたものじゃ。善い響きであろう。」
沢彦(たくげん)宗恩(そうおん)は、信長の幼少期からの世話係として、後の参謀として活躍した人物。稲葉山城を落とした際に改名した《岐阜》という地名は、沢彦が信長に進言したものだという説もある程、信長に深く関わっていたのである。
「領地を広げる為にと、近隣諸国に目を向けすぎる。そんなことではこの乱世を終わらせることなど到底叶わぬ。そうであろう。」
佐久間は、内心恐怖を覚えていた。
殿には、自分達に見えないものが見えている。
この御方は、本気でこの乱世を終わらすつもりだ。
背中にぞくりと寒気を感じた佐久間は、無理に笑顔を浮かべた。
「だが、其の為には支度をせねばならぬ。佐久間、我らはこれより、近江の浅井氏と同盟を結ぶ。」
近江は美濃の隣、今の滋賀県に位置している。織田家にとっては、京への道筋として重要な場所であるのは違いなかった。
「浅井家当主、浅井長政の元へ嫁がせる。」
「何方(どなた)を嫁がせるおつもりで?」
「決まっておる。儂の妹の市だ。」
「お市様を......」
信長は目を細める。
「まぁ京への道筋を創る為だ。安いものよ。」
お市の方。言わずと知れた、信長の妹である。戦国一の美女と謳われる彼女は、近隣諸国でも有名になる程美しかったという。
「信盛、先程のことを全て、サルや可成に伝えておけ。」
「は、秀吉殿に?」
「奴には侍大将の役を与えた。今や可成と同格じゃ。」
(確かに奴の此度の働きは、光るものがあったな。)
佐久間は腕を組み、感心した。
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「よし、着いたぞ。」
赤坂は俺達に声をかける。以前とは違い、馬に乗った俺達は半日ほどで着くことができた。
「いてて、乗りっぱなしで尻が痛い......」
「まさか馬に乗れるようになるなんてなぁ。」
俺たちはお互いの目を見て、苦笑した。
「赤坂殿、お久しゅうございますなぁ。」
言葉をかけられる度に、赤坂は相槌を打つ。俺は其の様子を見ていた。
「赤坂さん、信頼されているんですね。」
「元は組頭として隊を率いておった故な、其の名残じゃ。」
馬を降りた時、三人は男に声をかけられる。
「赤坂殿......と御一行殿。長旅さぞお疲れでしょう。ささ、こちらへ。」
男は俺達を城下の屋敷に案内する。
「今宵は此処へお泊りになって下され。」
「あぁ、疲れたぁ。」
遠藤は荷物を置き、大の字に倒れた。
「思うたよりも城下が完成しておったな。流石は我が殿じゃ。」
城を奪ったのはほんの三日前。しかし焼き討ちを行った城下には既に多くの屋敷が建ち、賑わいを見せ始めていた。
〈ちょっと見に行ってみようかな。〉
そう思い立った俺は、遠藤を誘ってみた。
「もう少し休みたいよ」
俺は仕方ないと思い、一人で城下へ赴くことにした。
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(お店までやってるのか。すごいな。)
所々に、尾張で見た様なお店が並んでいる。
「この辺りかな......?」
俺は〈ある場所〉で立ち止まる。
そこは、越間と初めて出会った場所。
目の前に(今は焼けて消滅した)、越間が働いていた店があったはずだ。
越間は、大丈夫だろうか。
あの草むらで偶然の出会いを果たしてからというもの、音沙汰もなく、生きているのか死んでいるのかも分からない。
折角出会うことが出来たというのに。
〈俺は死なないから、お前も絶対死ぬんじゃないぞ。〉
その言葉を脳裏で反芻する。
越間は生きてるはずだ。いや、きっと生きてる。
根拠はない。でも、また会える気がする。
俺はふと笑い、ゆっくりと歩き出した。
「そこの人、ひとつ買っていかないか?美味いぞ。」
店主に声をかけられた俺は、その店に歩み寄る。そこには色とりどりの野菜が並べられていた。
「いいな。どれも美味そうだ。」
俺がそう言うと、店主は笑う。
「そうだろう。俺達が丹精込めて作った野菜だからな。」
その声に、ぴくりと反応する。
聞いたことのある声。
「......っ!」
俺はばっと前を向くと、そこにいたのは、俺の知っている人。
「また会えたな。清重。」
越間が、俺を見て笑っていた。
「越間......っ!?なんで......!?」
「あの時と同じような反応を見せやがる。」
そう言って越間は、うすら笑みを浮かべた。
「あの戦の後、信長が幾人かの美濃の雑兵を取り込んだんだ。俺はそれを利用して、自分から捕らわれに行った訳だ。幸い俺のことは織田には知られてなかったし、反織田と主張もしてなかったからな、信長にも了承を頂けたのよ。」
「て、ことは......」
越間はうんと大きく頷いた。
「俺たちはもう敵じゃない。仲間だ。」
俺は身体中の力が抜け、その場に尻餅をついてしまう。
「何だ?驚いたか?」
思わぬ展開に、俺は苦笑する。
このことを、一早く遠藤に伝えたかった。
続
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