第九話 強さ
赤坂に案内されたのは、川から十五分ほど歩いた場所にある市場の近くの、大きな屋敷である。
「儂の着物を貸そう。さて、上がってくれ。」
見知らぬ人に声をかけられ、何処か変な場所に連れて来られるのではないかと心配していた俺達は、思った以上にしっかりした住居に案内されたことに驚いていた。俺達はそのまま屋敷に上がり、居間へ案内される。
「すまぬ、古物しかなくて埃が凄いが、それでも良いか?」
「はい、ありがとうございます......」
俺達は着物を受け取る。学校の制服のような上等な素材ではなかったが、それでもかなり精巧な作りだ。
もしかして、いい人なのかな。
ここ数日で、俺と遠藤は人間不信になっていた。出会うもの皆が敵のように感じ、緊張し続けていた自分に気づき、力が抜ける。
「おぉ、似合うではないか。大きさも丁度だな。」
着物の着付けを終えた二人を見て、赤坂は笑顔を浮かべる。
その後、彼は俺達の為にご飯を作ってくれた。炊飯器で炊いたご飯しか食べてこなかった俺達は、生まれて初めてかまどで炊いたご飯を食べたが、本当に美味しかった。それは空腹のせいか分からなかったが、俺達は何杯もお代わりをし、赤坂はそれを快く受け入れてくれた。それに加えて、久方ぶりのご飯に、少しだけ涙が出そうになった。
「すいません、一つ聞いてもいいですか?」
飯を食べながら、俺は訊ねる。赤坂は俺の方を向いて座った。
「今って西暦何年ですか......?」
「せいれき?何だそれは?」
俺はハッと気づいた。この時代には西暦という概念はない。この時代は時間を年号で答えているのを時代劇で見たことがあった。俺は「今は何年ですか」と、改めてそう問い直す。
「今は確か......永禄十年の七月だが」
永禄という年号を聞き、俺の頭の中にある授業風景が浮かぶ。いつかの日本史の授業で聞いたこと、尾張の織田信長と駿河の今川義元が戦った桶狭間の戦いは確か永禄三年。西暦で言えば一五六〇年。つまり、永禄一〇年はその七年後、一五六七年となる。
「......赤坂さん、桶狭間の戦いをご存知ですか?」
「桶狭間......あぁ、かの今川家を討ったあの戦だな。そうか、あれからもう七年も経つのか。まことに早いものだな。」
やはりそうだ。ここは一五六七年の日本。俺たちは、四五〇年前の日本へタイムスリップしてしまったのだ。
「あの、赤坂さん......は、どうして見ず知らずの俺たちの為に、こんなことをしてくれるんですか?」
今度は遠藤が質問をした。赤坂は顎に手を当てる。
「そうじゃなぁ、強いて言えば、懐古の念にかられたことだな。」
赤坂の答えに、遠藤は首をかしげる。
「其方らの様に昔、川で溺れかけていた童(わっぱ)がおってなぁ、聞くと親元を離れ行く宛がないと言うから、儂が養ってやったのだ。」
(溺れていた訳ではないのだが......)
「そいつぁ中々凄い奴でな、殿の下で頭角を現したのか、みるみるうちに出世を遂げてな、今や殿のお気に入りとなっておる。」
殿。俺はその言葉に反応する。赤坂(このひと)は自分のことを織田家家臣と名乗っていた。彼の言う殿というのは、恐らく〈織田信長〉のことを指している。そして恐らく、ここは織田の領地、尾張の地。
その時、ふとある予感が頭をよぎる。
もしかして、赤坂の言う童って……
「只今戻った。」
門の方から聞こえた男の声。
「お、戻って来たな。」と赤坂は立ち上がる。
「全く扱いが酷うございますよ赤坂殿。拙者は忙しいというのに......」
男が居間に入ってきた瞬間、俺達は固まった。
「......其方ら、何故ここにおる......?」
そこに立っていたのは、俺と刀で斬り合った、木下秀吉だった。
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「なっ、なんでこいつがここにいるんですかぁぁぁ!!??」
遠藤は思わず叫んだ。
「藤吉郎、この者達と知り合いか?」と赤坂は尋ねると、秀吉は頭をかき、その場に座る。
「まさかこの二人、先の戦の後に斬ろうとした者達ではなかろうな?」赤坂の問いに秀吉は何も答えなかった。赤坂はその反応に感づいたのか、一つ大きなため息をつき、秀吉を睨む。
「......馬鹿者。むやみに人を斬るでない。それこそ武士としての恥じゃ。」
秀吉は頭を下げ、申し訳ござらぬと一言、弱弱しい声でそう言った。彼は赤坂に頭が上がらないらしい。赤坂は一言だけ叱り、俺達の方に笑顔を浮かべた。
「いやはや、誠に申し訳ない、まさかあの者達だったとは。どうか、儂に免じて許してくれ。」
やはり思った通り、赤坂の言う童というのは、秀吉の事だったのだ。気まずい空気が続く。赤坂はそれを察知したかの様に、手をパンと叩いた。
「ようし、其方遠藤といったか、今から市に行ってこい。藤吉郎!案内してやれ!」
遠藤と秀吉は驚いた。
「は!?ちょ、お待ちください赤坂殿!それは......」
「なんだ、儂の言うことが聞けないか?」
秀吉はそう言われると黙り込んでしまった。遠藤もいい感じはしなかったが、仕方なく屋敷を出ることにした。
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市場は人で賑わっていた。言うまでもなくほとんどのが着物を着て、草履を履いている。遠藤と秀吉はその中を歩く。まだ二人の距離は遠いままで、顔を合わせようともしなかった。
「......済まなかったな。其方らを残党と勘違いしていた。拙者の失態じゃ。」
突然秀吉は口を開く。遠藤は秀吉の方を見るが、ふんと息を鳴らす。
「......許すわけがないだろ。現に今吉先生はお前に殺された。それを許すわけにはいかない。」
「いまよしせんせい......あの男のことか」
秀吉は暫く何も喋ることはなかった。沈黙が続く。せりの声、話し声、騒がしく多くの人が行き来する中で、二人だけが時が止まったように静かで、寂しい。
全ての店を見終わった後に、秀吉はふと立ち止まる。
「そうじゃ。」
秀吉は着物の袖からあるものを取り出し、遠藤に差し出す。それを見た遠藤は目を丸くする。
「これ、って......」
それは、清重達志の学生手帳だった。
「なんでお前が持ってんだよ!」
遠藤は彼から手帳を奪い取る。秀吉は再び頭をかく。
「先日の帰り際に拾ったのだ。恐らく拙者の前から逃げる際に落としたのだろう。中身を見て理解した。どうやら清重の持ち物みたいじゃな。其方から渡しておいてくれぬか?」
秀吉は笑みを浮かべる。遠藤はそれをポケットに入れようとするが、着物の為ポケットがないことに気づき、袖に入れる。
「......拙者が憎いか?」
秀吉の言葉に、遠藤は反応する。
「拙者は罪を犯した。当然の代償だ。しかし、拙者は其方らとここで会えたことに何か不思議な縁を感じておるのだ。否、そう思いたいだけなのかもしれぬが、決して罪滅ぼしなどではない。遠藤とやら、拙者のことは許さずとも好い。しかし、儂にはそう思わせてくれ。頼む。」
秀吉は頭を下げる。
「冗談じゃない。俺はお前とここで会えて本当に不運だよ。」
吐き捨てる様な口調と共に、遠藤は歩き始める。秀吉は何も言わず、ただ遠藤の後姿を見ていた。
〈拙者のことは許さずとも好い。しかし、拙者にはそう思わせてくれ。〉
遠藤は歯を食いしばる。許したくない。許してはいけない。しかし、その秀吉の言葉は、どこか寂しがっているように聞こえた。遠藤は思わず足早になる。ふいに目を細める。許したわけではない。しかし、心のどこかに彼の慈悲な部分が見え隠れしていた。
「秀吉......」
遠藤は立ち止まり、振り返る。秀吉は付いてきていたが、遠藤に名を呼ばれ、その場に立ち止まる。
清重は言っていた。この世界は誰かを殺さないと生きていけない、そんな世界なんだと。秀吉も生きるために誰かを殺して生きてきたんだ。やはり、彼と俺達では生きる概念が違う。それを互いが理解できないのは当たり前なんだ。
でも、秀吉(かれ)はそんな遠藤(じぶん)を理解しようとしてくれていた。それに対して、自分は自分の常識を押し付けようとしていたところもあったのかもしれない。
「俺はお前のことを許したわけじゃない。きっとそれはこれからも変わらない。でも分かったよ。お前は、優しい奴なんだな。」
今回は、自分にも非があったな。遠藤は心の中でそう思い直す。遠藤はその言葉を聞き、少しばかりほっとした面持ちになる。
「のぉ遠藤、其方に一つ頼みがある。」
遠藤のもとへ近づく。秀吉は彼の肩を掴んでこう言った。
「其方らに会ってもらいたいお方がおるのだ。」
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「只今戻った。」
秀吉は玄関の戸を開ける。赤坂は近くの畑へ行っており、屋敷の中で一人待っていた俺は、居間に入ってきた二人を心配そうに見ていた。
(あれ、なんか緩和されてる?)
秀吉との距離が少しだけ縮まっていることが見て取れ、少しほっとした。
「清重、其方に少しばかり話がある。」
秀吉はそう言って俺の前で胡坐をかく。
「其方は我が殿、織田信長様を知っておるか?」
達志は頷く。当然だ。四五〇年後の世界なら誰だって知っている。信長も秀吉のことも。
「そうか、ならば単刀直入に言う。」そう言って、秀吉は前のめりになる。
「清重。どうか、我が殿に会ってもらいたい。」
は?
「拙者は以前、殿の傍で話す際に其方らについて伝えたのだが、その際に殿が会ってみたいと言っておられたのでな。」
なんで俺達のことを言ったのかと聞こうとしたが、秀吉の話はこれで終わりではなかった。
「殿は特に清重、其方に興味を持っておられる。いつか其方らに会えた時にでも話そうと思っていたのだが、まさかこんなに早く出会えるとは思っておらなかったのだ。清重殿、どうか我が殿に会ってくれ。この通りだ。」
秀吉は頭を下げる。遠藤は俺の方を見て頷く。俺にはどうして信長が見ず知らずの自分に興味を持っているのかが分からなかった。それについて秀吉に尋ねてみたが、彼にも分からないということだった。
「あと、一つだけ言っておく。決して殿の前で無礼な真似はするな。其方を脅すわけではないのだが、殿は気の短いお方でな、少しでも無礼な働きをすれば、その場で切り殺されてしまうかもしれん。」
それを聞いて、俺はあることを思い出していた。それは一年の時、日本史の授業で織田信長について調べるという課題を出された際に、図書館で信長についての資料である〈信長公記(しんちょうこうき)〉を現代語に訳した本を読んだことがあったこと。そこには、焼き討ちや子供や女性の虐殺など、恐ろしい面が多々書かれていたのだ。
俺の中で、やはり会うのはやめようかという気持ちが芽生え始めていた。
「清重、俺も確かに怖いよ。でも、ここにたどり着いた以上、会いに行かなければ部外者扱いされてしまう。そうなれば俺達だけじゃなく、かくまってたって理由で赤坂さんも殺されてしまうかもしれないんだ。清重、頼む、俺たちと一緒に来てくれ。」
遠藤も深々と礼をする。遠藤の言葉は確かに理にかなっている。達志には断る理由が見つからなかった。
確かにその通りかもしれないな。
「まあ断る理由も見つかりませんし、別に良いですけど......」
そう言うと秀吉は笑顔になり、俺の手をぎゅっと握る。
「かたじけない、誠にかたじけない!」
秀吉の手は、ふっくらとして温かかった。天下統一を成し遂げ、歴史に名を刻んだ人物が今、目の前で自分の手を握っている。俺にはどうも変な心地がしてならなかった。
「それで、いつ出発なんですか?」
「明日だ。」
急だなぁとも思ったが、俺はその言葉をそっと、心の中にしまっておくのだった。
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その日の夜、俺達は居間に布団を敷いた。枕は木でできており硬かったが、久方ぶりの布団はとても快適だった。赤坂と秀吉は、壁にすがって座りながら眠っている。
「清重、起きてるか?」
遠藤の声を聴く。俺は小さな声で返事をするが、遠藤は弱弱しい声で言った。
「......俺達、本当に帰れるのかな、元の時代に......」
「何言ってんだよ今さら......」笑いながらそう言った時、ふと気づいた。
遠藤が、泣いている。
「......おれ......帰りたいよ......ひ......っ......父......さん......かあさ......ひぐっ......あいたいよぉ......えぐっ......ひうっ......」
俺は気付いてしまった。遠藤は我慢してたんだ。本当は誰よりも辛かったのかもしれない。怖かったのかもしれない。強くなくちゃいけないと、自分の中に押さえつけていたんだ。俺は知った。遠藤公靖、彼は決して強くないということを。
誰にも言えない。言ってもきっと信じてはもらえない。俺たちは、違う世界を生きてきた人間なんだと、理解してくれるはずがない。
それは本当に辛く、本当に苦しいことだ。
「やめろよっ、泣くな......!」
俺の目にも、うっすらと涙が溢れ始めていた。俺は唇をかむ。一度溢れてしまうと、もう、止めることはできなかった。
木の枕が濡れていく。俺達は泣いた。秀吉たちに気づかれないように、夜中枯れるまでずっと、静かに泣き続けた。
自分たちは決して強くない。この時代に来て、強く思い知らされたのだった。
続
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