ヤイツクの街
アゼルたちはヤイツクの街に到着した。
といっても街の入り口に門などないし、ましてや通行を監視するような関所があるわけでもない。
他の村と同じように、耕地に混ざって家が建っているのが目立つようになり、徐々に建物の密度が増してそこが街だと実感するだけだ。
今までの村と違うのはその規模と人の多さ、そして商店の数が比べ物にならないぐらいに多いことだろう。
純粋に物を売っている店だけではなく、各職人の経営する修繕屋や、技能を持った人間を斡旋する店などもある。護衛士の差配屋もそういったもののひとつだ。
街の中心部に近づいてくるにつれて、通りを歩く人の数があっという間に増えてくる。
ちょうど夕刻ということもあった。
仕事帰りで家路を急ぐ者に、買い物をする者、これから一杯ひっかけようとする者など、雑多な人々が思い思いに通りすぎてゆく。
アゼルたちのことを物珍し気に見る人間もいない。ここでは旅人の姿も日常の一部だった。
リンボクは周囲を興味深げに見回す。これだけの建物や人が密集しているのを初めて見たのだ。
先頭を行くアゼルが長毛馬を止めて下馬した。
「ここから先は人が増えるから引いて歩く」
おなじように老馬から下りながらリンボクは驚いた。これ以上に人が増えるなんてことがあるのだろうか。
だがほどなくアゼルの言ったことが本当だとわかった。
前方に広場が見えたと思ったら、それは広場ではなくて大きな道だった。
馬車が何台もすれ違えるほどの幅で、道の両側には店がどこまでも連なっている。それでも足りないのか道にはみだすようにして露店が数多く出ていた。
そしてそこを行き交う人の多さ。移動をしている人だけではなく、客引きや呼び込みも多く、その喧噪はうるさいほどだ。
物も言えずにその光景を見ていたリンボクにアゼルが教える。
「これが北嶺街道だ」
中央平原を東西に横切る主要三街道のうちのひとつで最も北に位置するもの。
リンボクにもそれぐらいの知識はあった。
きっと大きいのだろう、行き交う人も多いのだろうと。
だが漠然と想像するものと実際に見るのとではあまりにも違っていた。
特にこれまで旅してきた道が、リンボクの故郷にあるものとたいして変わりがなかったせいで、道とはそういうものだろうと思っていたのだ。
「でも街の真ん中にこんなに大きい道があると危ないよね。なんで街外れに作らなかったのかな?」
思わず疑問が口をついた。
それを聞いたアゼルが笑う。
「始めはそうだったんだ。元々はヤイツクの街の北側に北嶺街道はあった。そのうち商売熱心な人間が道の脇に店を構えるようになって、それがどんどん広がっていったんだ。つまりヤイツクの街の中心はもっと南にある」
そこでリンボクは気がついた。自分たちは北から来た――ということは、
「――今まで見てきたのって」
「比較的新しくできた新市街だな、大きさもそれほどじゃあない。旧市街に行けばもっと賑やかになる」
にやりと笑うアゼルに、リンボクは何も言葉を返せない。
そしてようやく観念した。自分はやはり田舎者だったらしいと。
人にぶつからないように苦労して北嶺街道を横切ると、アゼルたちは旧市街へと足を踏み入れた。
道幅は急に狭くなり、建物の密集具合はよりいっそう凄いものになった。建物同士がほとんどくっついて建てられていたりする。
それが店ならまだわかるが、どうも普通の民家も多いらしい。
庭もなくてどこで洗濯をして、洗ったものはどこに干すのだろうと、リンボクは他人事ながら心配になった。
道幅が狭い分、店のすぐ前を通ることになる。すると愛想のよい呼び込みに必ず声をかけられた。
アゼルは笑いながら軽くいなしていたが、呼び込みは子供であるリンボクにまで声をかけてくる。
そんな経験のないリンボクはうまく返事もできず、顔を赤くして下を向いて通り過ぎるしかなかった。
レシアはどうしているのかと振り向くと、こちらはいっさい頓着せずに無視していた。
それでも引き下がらない呼び込みには――レシアが美人だからだろう、そういう者が多くいた――冷たい一瞥をくれて退散させている。
大人になっても自分には真似できないだろうなとリンボクは思った。
いくつかの角を曲がり辿り着いたのは差配屋の宿だった。
ヤイツクの街には数軒の差配屋がある。その中でアゼルが馴染みにしている差配屋だった。毎年の早摘みの時にもここを利用している。
馬屋に入ると馬屋番の若者が出てくる。
愛想よく挨拶をしてすぐに荷を下ろそうとする若者を止めた。
「その老馬の荷は下ろさないでくれ、またすぐに出かけるつもりだ。レシアちょっと見ていてくれ」
馬屋番の若者を信頼していないわけではない。だがヤイツクの街の手前で遭遇した、ならず者たちのような連中がまだいないとも限らない。
アゼルは今日のうちにケトランディを換金してしまおうと思っていた。
差配屋の宿は通常の宿よりも盗難の危険性は低い。
腕に自信のある護衛士が泊まっているのだから当然だろう。そのため普通の旅人や隊商でも差配屋の宿に泊まる者も多かった。
だが逆にいえば、差配屋の宿には儲け話が転がっていることも多い。この早摘みのケトランディのように。そういったものをあえて狙う輩もいるのだ。
「ちゃんと部屋は二つとる」
不服そうなレシアにそう言い残して、アゼルはリンボクを連れて宿の中へと入った。
アゼルの姿を見て、宿の主人は嬉しそうに声をあげた。
「おお、アゼルか。よく来たな」
早摘みという言葉は出てこない。
主人もどこで誰が何を聞いているのか、わかったものではないことを理解しているのだ。
そろそろ夕食の時間だ。当然、入ってすぐの食堂には客がいる。
アゼルは主人に近づくと声をひそめた。
「少しいいですか」
すぐに訳ありと了解したのだろう。
「奥に行こう」
そう告げて主人は先に立って廊下を進む。
厨房の脇を通りその奥の扉を開けた。
アゼルが中に入るとそこは貯蔵庫だった。甕や壺がいたるところに置いてあり、天井からは干し肉や野菜がぶら下がっている。
リンボクがつづくのを待って、宿の主人は扉を閉めた。
「狭いし臭いかもしれんが、ここなら声が漏れる心配はない」
「ありがとうございます。まずこの子はリンボク、ステノハさんの娘です」
リンボクは主人に向かってお辞儀をする。
なかば事情は察したはずだが、確認というよりは話を進めるために主人は聞いてきた。
「ステノハさんはどうした?」
「亡くなりました」
「……そうか。まだ若かったのに残念だ。それでおまえ、まさかこの子を連れて北嶺山脈を越えて来たのか?」
アゼルは頷く。
「無茶をする。――それで?」
主人はそれ以上リンボクの北嶺山脈越えについては聞かなかった。
差配師は誰でもそうだが、必要のないことは聞かないし言わない。要点だけを手短に話すことのできる者だけが差配師になれるのだ。
「ヤイツクに着く直前に待ち伏せにあいました。それが事情を知っている野盗ではなく、ただの街のごろつきらしい。そういった連中に伝わるぐらい早摘みのことが噂になったりしていますか?」
それを聞いた主人は驚いた様子だった。
「いや、そんな噂は聞いたことがない。もともとこの街で早摘みのことを知っているのは、護衛士を除けば薬屋と差配師ぐらいなもんだ。普通の宿屋だって知っているか怪しい。早摘みには必ず護衛士が付くから泊まるのは差配屋だからな」
「ケトランディを買っている人たちは?」
主人は腕を組む。
「どうだろうなあ。そもそもケトランディは高価だから金持ちにしか手が出ない。そういった人間がいちいち薬草の出どころまで気にするかどうか」
主人の言うことはもっともだった。
なぜあの男たちが早摘みのことを知ったのか謎は残ったが、噂になっているということはないらしい。その点は安心できた。
「それともうひとつ。今回は俺もリンボクに付いていって交渉をしなければなりません。知っている範囲で構わないので薬問屋について教えてください」
「うーん、とはいっても俺も
「ありがとうございます、参考になりました」
話が終わり三人は貯蔵庫を出る。
「部屋は二つお願いします。連れの名前はレシアといいますから、来たら案内してやってください」
「レシア? 今回の相棒は女かい、師匠以来じゃないか」
「師匠とはだいぶ違うので困っているんですよ」
アゼルは力なく笑うと外に出た。
馬屋に戻ると腕を組んで仁王立ちをしたレシアが出迎える。
「遅い。部屋をとるだけになぜこんなにかかる」
「宿の主人といろいろ話をしていたんだ。俺とリンボクはこれから薬問屋に行ってくる。レシアは荷物を部屋に入れておいてくれ」
「ちょっと待て、わたしも付いて行くぞ」
「無理だ。商人は取引する時に護衛士の同席を嫌う。今回はリンボクだけじゃ無理だから、かろうじて俺が許されるぐらいだ」
これは嘘ではない。
商人同士の取引時でも護衛士の同席は嫌われた。
護衛士は各地を旅することで、相場に詳しく世事に長けた者が多い。有利な交渉をしている時に口を出されるのは、商人としてはたまったものではないのだろう。
また護衛士側にも、本分ではないところにまで関わるのは控えるべきだという暗黙の了解がある。
これはレイナスにもよく言われたことだ。
護衛士の仕事はあくまでも雇い主の護衛であると。
だからアゼルが早摘みの交渉に関わったことはない。ステノハを薬問屋まで送った後はずっと外で待っていた。
ステノハも交渉については何も言わなかった。雇い主が言わないことを無理に聞きだすことはできない。
先程にも増して不服そうな顔をしているレシアを残して、アゼルとリンボクは老馬を引いて宿を後にした。
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