思わぬ再会


 明日はヤイツクをって、再び北嶺山脈を越える旅が始まる。

 今日はゆっくりと寝て体を休めておいたほうがよいだろうと、アゼルたちは買い物から戻ると、差配屋の食堂で早めの夕食をとることにした。

 食後のお茶を飲んでいる時に宿の扉が開き、ひとりの男が入ってきた。

 その男は何かを探すように食堂内を見回し、こちらを見て動きを止めると真っ直ぐに向かってくる。

 アゼルは剣に手を伸ばしたが、その男が誰だか気づくと驚きの声をあげた。

「ジェヤン!」

「探したぞアゼル」

 それはザヤの街で別れた、顔に傷のある男ジェヤンだった。

 思わぬ再会だったがリンボクとレシアの表情は硬い。それも無理はないだろう、この二人とジェヤンは意見が対立してこじれたままだ。

 アゼルは空いている椅子を勧める。

「なにか飲みますか?」

 ジェヤンは酒を頼もうとしたが、アゼルたちが飲んでいないことに気がついたのだろう。自分も茶でいいと言うと、食卓に手をのせ顔を近づけてきた。

「結論から言う。帰りにサルラン峠を通るのはやめろ」

 サルラン峠と聞いて、そこにいる全員が緊張した。

 当たり前だが今ヤイツクにいるということは、ジェヤンもサルラン峠を通ってきたことになる。

「アゼル、おまえはを何だと思った?」

「俺は野盗の斥候だと思いましたがレシアは――」

 アゼルはレシアと一瞬視線を交わす。

「――はぐれ獅子のようなものではないかと」

「はぐれ獅子? なんだそれは」

 アゼルは説明をする。

 驚いた様子のリンボクを見て、そういえばこの話を聞くのはリンボクも初めてだったかと思いいたる。

 それに対してジェヤンは、表情を変えずに聞いていた。

 アゼルの話が終わると、ジェヤンはレシアに顔を向ける。

「おまえには残念かもしれんがアゼルが正解だ。あれは獣なんかじゃない、野盗だよ」

「まるで貴様は見たかのようだな」

「見ちゃいない。だが話なら聞いてきた」 

「話を聞いただと?」

「そのために遅くなったんだ。それを今から話す」

 ジェヤンはお茶を一口含む。

「アレが気になった俺は、ヤイツクに着いてから護衛士や隊商の人間に片っ端から聞いてまわったが誰も知らないという。幸いここには馴染みの情報屋がいる。見つけるのに手間取ったんだがそいつに金を握らせた」

 情報屋とは文字通り、情報を売り買いする人間である。

 もちろん堅気とは言い難く、いわば裏の世界の人間だ。金さえ払えば普通では手に入らない情報を教えてくれる。反面、その情報を聞き出したということを、今度は別の人間に売りつけられることを覚悟しなくてはならない。

 たとえばジェヤンがサルラン峠にいるなにかについて情報を聞き出したとしたら、そのなにかにジェヤンという護衛士がおまえのことを探っていたと伝える可能性もあるのだ。もちろん只ではないが。

 荒事に関わることが多い護衛士でも情報屋と面識を得るのは難しい。アゼルにも知り合いの情報屋は何人かいるが、ヤイツクに顔見知りはいなかった。

白梟シロフクロウという野盗集団を知っているか?」

 アゼルは首を振る。聞いたことがなかった。

「無理もない、だいぶ西の方を根城にしていた連中だからな。俺も初めて聞いた。そいつらのかしらがとにかく慎重で執念深いらしい。自身が潜伏の達人で目を付けた獲物をひたすら監視する。そして絶対の自信がある時だけ襲う。わずかでも自信がなければその場は引く、ただし諦めはしない。十分な戦力なり罠なりを用意して次の機会を待つ」

「サルラン峠にいたのがその白梟だと?」

「おそらくな。理由は西のほうでやり過ぎて目をつけられたらしい。周辺の街が共同で差配屋と護衛士に討伐の依頼をだした。連中のアジトに着いた時には、もぬけの殻で、どこに消えたかはわからなかったらしい。それがどうやら、最近このあたりを根城にしだした。情報屋の話ではそういうことだ」

 沈黙がおりた。

「このことを俺たちに伝えるために?」

「多少なりとも関わっちまったからな。おまえらに死なれたら寝覚めが悪い。それにおまえの師匠のレイナスには恩もある。本人に返せないなら弟子に返すしかないだろう」

 それを聞いてアゼルは思った。ジェヤンはレイナスに対して名の誓いをしたのかもしれないと。

 ジェヤンはアゼルの目を見る。

「いいかアゼル、帰りは北嶺街道を東に迂回してアジ峠を通るんだ。絶対にサルラン峠を戻るなよ」

 アゼルは考える。

 ジェヤンの話を鵜呑みにした訳ではない。だがサルラン峠に脅威があるのは間違いのないことだった。

 事前に危険を避けることこそが護衛士の役目である。護衛士のもっとも基本となる考えだ。 

「リンボク、レシア。ジェヤンの言うとおり俺もサルラン峠は通るべきではないと思う。東へ迂回してアジ峠から戻ろう」

 レシアは何も言わない。賛成もしないが反対もせずに腕を組んでいる。

 不安そうな声を出したのはリンボクだった。

「アゼル、それってどのくらい余計にかかるの?」

 ザヤからヤイツクは十二日だ。きもリンボクの熱で休んだ日を除けばそれだけかかっている。

 ザヤからアジ峠を越えて最初に到達する大きな街は、北嶺街道に接するガンデンという街だった。十四日の行程である。

 そしてヤイツクとガンデン間は七日の距離だ。

 ザヤから見るとヤイツクは南西の方向にあり、ガンデンは南の方向にあたる。

「ヤイツクから東を回ってアジ峠経由だと二十一日だな。サルラン峠を戻るよりも九日遅くなる」

 それを聞いてリンボクは体を強張らせた。

「駄目! そんなにかかるなんて絶対駄目!」

 リンボクの強い拒絶にアゼルは驚く。

「リンボクは北嶺山脈に降る最初の大雪を心配しているのか?」

 それはアゼルも不安要素として考えたことだった。

 ステノハの墓参りをした時にアゼルはリンボクにも聞いた。

 あの時リンボクは一ヶ月よりも遅いだろうと答えた。

 あの日から今日で十五日経っている。サルラン峠を通るなら問題ないが、アジ峠を通るとなると微妙だろう。おそらく手前の村で雪がやむまで何日も足止めされる恐れがあったし、新雪の中を行く峠越えも厳しいのは目に見えていた。

 それでもアゼルとしては、サルラン峠の脅威と対峙するよりはいいだろうと判断したのだ。

「ううん。たしかに大雪も心配だよ、足止めされたらさらに何日も帰れなくなるから。でも足止めされなくてもそんなに日数がかかるなんて駄目!」

 アゼルはレシアと目を合わせる。

 リンボクがここまで意固地になるのはこれまでの道中ではなかったことだった。

「リンボク。なぜ日数がかかるのがそんなに嫌なのか教えてくれないか。もし宿代などが余計にかかることを心配しているなら、それは気にしなくていい」

 それらはアゼルが負担しても構わなかったし、レシアも異存はないだろう。

 だがリンボクは首を振る。

「違う。そんなことじゃない……」

 レシアが隣に座るリンボクの肩に手をかけ顔を覗き込む。

「リンボク正直に言ってみろ。わたしもアゼルもおまえが何を言おうが怒ったりはしない。それはおまえもわかっているだろう」

 リンボクは唇を噛みしめていたが小さい声で呟いた。

「――――から」

「すまない。もう一度頼む」 

 レシアに促されてリンボクは顔を上げて叫んだ。

「心配するから! お母さんも、みんなも心配するから!」

 その大声に驚いたように、食堂にいた差配屋の主人や客、全員がリンボクのことを見た。

 だがリンボクは皆の注目を浴びていることになど気づいていないようで、興奮したように一気にまくしたてる。

「お父さんは毎年きっかり二十五日で帰ってきていた。それでもあたしたちはいつも心配して夜も眠れなかった。あたしは初めての早摘みでそれでなくてもみんな心配しているのに、今年はあたしが熱を出したせいで一日遅れてる。たった一日でもみんな凄く心配するのに、十日も遅くなるなんて絶対に駄目!」

 アゼルとレシアには腑に落ちることがあった。リンボクが熱を出した時に、無理にでも進もうとしたのもこのせいだったのだ。

 リンボクは恐慌状態に陥ったかのように叫び続ける。

「お願いアゼル。真っ直ぐ帰ろう! このままサルラン峠を通って帰ろうよ!」

 アゼルもレシアもリンボクの勢いに押され言葉が出ない。

 その時、手が伸びてリンボクの頬を打った。

 さらにその手はリンボクの胸倉をつかむと引き寄せる。

「ふざけるのも大概にしろよ、小娘。俺たち護衛士は雇い主の操り人形じゃない。野盗に殺される前に俺が始末してやろうか」

 ジェヤンは相手が子供だということも関係なく、全身から殺気を迸らせてリンボクに詰め寄っていた。 

「ジェヤン、手を放してください」

 アゼルが静かな声で告げる。

 ジェヤンは大人しく手を放したが、その視線はリンボクを見据えたままだった。

「いいかよく聞け。護衛士はたしかに雇われてはいるが、だからといって雇い主のための便利な盾じゃない。もし千人の集団に襲われるとわかっていてもおまえはアゼルに自分を守れと言うのか? 最後まで自分を守って死ね。そう言うのか? ましてや襲われることを避けようとしているのを妨げてまで、守ることを強要するのか?」

 アゼルたちだけではなく、食堂にいる人間すべてがジェヤンの言葉に耳を傾けていた。

「護衛士は優秀で優しい奴らほど早く死んでいくんだ。なぜだかわかるか? おまえみたいな馬鹿で自分勝手な雇い主のために犠牲になるからだよ。俺の相棒もそうだった。見捨てて当然の雇い主を相手に最後まで責任を果たそうとしてあっけなく死んだよ。いいか、死にたければ一人で死ね。護衛士を巻き込むな」

 ジェヤンは一息にそう言うと椅子に座った。

 リンボクは青ざめた表情で立ちつくしていたが、レシアに促されてゆっくりと腰を下ろす。

 食堂の客たちも元の体勢に戻り、しばらくすると先程の喧噪が戻ってきた。


 アゼルたちの席では沈黙が続いていたが、それを破ってアゼルが口を開いた。

「まだレシアの意見を聞いていなかったな。どう思う?」

 レシアは目を瞑りしばらく黙考していたが、目を開くと静かな声を出す。

「わたしはサルラン峠を行ってもいいと思う」

「おい、俺の話を聞いていたか?」

 ジェヤンが険しい目つきで睨んだが、レシアはそれを無視した。

「理由は?」

 アゼルがジェヤンを制して尋ねる。

「帰りに峠のアレがいるとは決まっていない。迂回した道でそれ以上の脅威に遭う可能性だってある。それに未知の脅威よりもわかっている脅威のほうが対処はしやすい。仮に白梟という輩だとしたら要は野盗だ。何人いるかはわからないが相手が野盗ならやりようはあるだろう。――というのは建前だがな」

「じゃあ本音は?」

「リンボクとの約束がある。どんな約束かは聞くなよ、女同士の秘密というやつだからな」

 ジェヤンは話にならないというように鼻を鳴らした。

 リンボクはレシアを見る。そして髪を切ってくれた時に交わした会話を思い出した。  

 今度はアゼルが黙考する。

 そんなアゼルを見やり、レシアが口を開いた。

「アゼル、ここで降りても構わないんだぞ。おまえの考えは護衛士として当然だろう。わたしもリンボクも非難するつもりはない。むしろここまで付いて来てくれたことと、旅の知識を与えてくれたことに礼を言う」

 アゼルとレシアの目が合った。

「らしくないな」

「そうか? 本心なのだがな」

「本心ついでに教えてくれないか。リンボクとの約束とはなんだ? どうも女二人にけ者にされているようで、ずっと傷ついていたんだ。リンボクの髪が変わったことも教えてくれなかったしな」

 アゼルの軽口がどこまで本気なのかわからなかったが、レシアは素直にこたえた。

「苦しい時や辛い時に一人で抱え込むなと言った。そして今ならわたしが必ず助けると約束した」

「なるほど」

 だからレシアはサルラン峠を行くと言ったのだ。

 リンボクの心からの叫びを無視することは絶対にできなかったのだろう。たとえその先に待っているのがどんな困難なものだとしても。

 思えば最初に会った時からレシアの考えは一貫している。早摘みに行きたいというリンボクの護衛をしようとしたのも同じ理由なのだろう。

 それがレシア個人の考え方なのか、アストリア軍人のものなのかはわからない。だが護衛士の考え方とは相容れないものだ。

 それでもアゼルはその考え方が間違っているとは思わない。

「苦しい時や辛い時に一人で抱え込むな――か。レシア、今のあんたはどうだ? 

リンボクを守ってサルラン峠を行くのは厳しいはずだ。正直なところを聞かせて欲しい」

「おまえが来てくれるなら心強い」

「わかった。俺もいっしょに行こう」

 いまひとつ可愛げが足りないと思ったが、レシアにそれを求めるのは酷かもしれない。とりあえず満足しておくとしよう。

 アゼルとレシアの間で話は決まった。

 だがリンボクとジェヤンは事態の急展開についていけず、しばらく言葉が出てこない。

「――アゼル、いいの?」

「もちろんだ」

 リンボクはまさに泣き笑いという言葉がぴったりの表情を浮かべた。

「だがひとつだけ言っておく。これは三人で決めたことだ、どんなことが起きたとしても責任の一端はリンボクにもある。それを忘れずに受け止める覚悟はあるか?」

「ある」

 リンボクは即答した。

「……それならいい」

 リンボクとは反対に、アゼルの返事には微妙な間があった。

 収まらないのはジェヤンだ。

「おい、アゼル。血迷ったのか!」

「ジェヤン、ここまでしてくれたことには本当に感謝しています。でも俺は二人といっしょに行くことに決めました」 

 ジェヤンはアゼルの腕を押さえる。その手には強い力がこもっていた。

「本当にそれでいいのか?」

「はい。もし俺が野垂れ死んだら師匠に伝えておきます。ジェヤンは恩を返したと」

 二人の視線が交錯する。

「もう一度だけ聞く。本当にいいんだな」

「はい」

「どうなっても知らんぞ」

「わかっています」

 ジェヤンの顔からいっさいの表情が消えた。

 怒りも、悲しみも、諦めも、嘲りも、憐憫も何もなく、ただアゼルの目だけを見ていた。

「わかった。勝手にくたばるといい」

 そう言い残してジェヤンは宿から出て行った。 



 翌朝、アゼルたちはサルラン峠へ向けて出発した。


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