待ち伏せ


 次の日にはリンボクの熱はすっかり下がり、体調も良くなっていた。

 念のためにもう一日休んでいくようにという、老夫婦の誘いを丁重に断ってアゼルたちは出発する。

 村の周辺には緑が多く背の高い樹もあった。

 だがしばらく行くと低い草だけが生える乾いた草原ステップへと景色が戻る。

 それでも道は消えずにちゃんと道とわかったし、一刻も進めば水辺のある緑地オアシスに辿り着く。

 そこで休息をとり長毛馬に水を飲ませた。

 馬の隣で顔を洗っていたアゼルのもとにリンボクがやってくる。

「ねえアゼル。なんでこんなにも都合よく、休息の度にオアシスがあるの?」

「ああ、それは逆だな。道の方がオアシスを辿るように後から敷かれたんだ」

 聞いてみれば当たり前のことだが、知らないとたしかに不思議かもしれない。

 リンボクは「そっか」と照れ隠しのように笑うとレシアのもとへ駆けていく。

 そこで何事かを話して、レシアがそれにこたえると頬を膨らませ、その後は二人で笑い合っていた。

 アゼルはそれを見ながら随分と仲良くなったなと思う。

 昨日、自分が追い出された部屋で何かあったのだろうか。

 まあ、どうせ俺には女の考えることはわからないさと、いささかやさぐれた思いで首を振った。



 大きなオアシスには街ができる。

 今晩泊まるのもそんな場所であり、この旅で初めて宿のある街だった。

 もっとも街道の交差する要所の街とは違って、宿の数も一軒だけ、それも片手間に営んでいる宿だ。

 他人の家に厄介になることはどうしても気をつかう。代金を払ってでも気楽な宿のほうが良いという旅人は多い。

 そういった需要を見越して比較的小さな街にも宿があることは多かった。

 長毛馬を馬屋に預け、宿の主人に挨拶をする。

 部屋をたのむ段階になってアゼルはふと気づいて、後ろを振り返った。

「二部屋か?」

 レシアが何を当たり前のことを、という風に睨みながら頷いたのはまだわかる。だがリンボクまでもが頷いたのには、少なからず衝撃を受けた。

 レイナスと二人で旅をしていた時は一部屋しかとらなかった。

 当たり前だが部屋を多くとればそのぶん金が掛かる。安全面でも何かがおきた時に対処しづらい。

 通常、宿では一部屋に二つの寝台があることが多い。だからといって必ず二人しか泊まってはいけないということはなく、自分たちで寝床さえなんとかすれば、それ以上の人数で泊っても文句は言われなかった。

 さすがに五、六人もで一部屋だと良い顔はされなかったが、混雑している時などは宿のほうから、身内は一部屋でと頼まれることもあった。

 今回も一部屋で――もちろんアゼルが床で寝るつもりだった――すますつもりだっただけに、女性陣の断固たる反対が理解できない。

 野営時は、あの狭い天幕の中でくっつくようにして寝ていたのだ。

 それとどう違う。

 だがそれを言っても、また呆れたような目を向けられるだけということは学習した。数で勝負しても一対二、アゼルに勝ち目はなかった。



 次の日も同じような行程で、同じような宿に泊まった。

 そしてその翌日がいよいよ往路の最終日だった。北嶺山脈の麓、ザヤの街を出発してから十三日が経ったことになる。

 北嶺山脈は遠くなったが、それでもまだ雄大な姿を見せている。この山々の姿が見えなくなるのは、ずっと南に行ってからだ。

 周囲の景色には特段の変化はない。

 それでもたまに人とすれ違うことがでてきた。

 もっとも旅人と出会うことはなく、近隣の村に用事がある地元の人間や、放牧のために羊を連れて移動している羊飼いだけだ。

 リンボクにはそれも不思議なのだろう、アゼルに尋ねてくる。

「旅をするといろんな人に会うものだと思っていたけど、そんなことないんだね」

「それは道と時期が悪いせいだな。今の季節に北へとつづく道を行き来する人間はほとんどいない。東西を繋ぐ街道ならいつの季節でも旅人は多い」

 北嶺地方はこれといった特産物がなく人口も少ない。そのためそもそも交易が盛んでないのだ。さらに冬になれば北嶺山脈に阻まれ、行き来はいっそう困難になる。

「……ひょっとしてあたしの住んでいるとこって、もの凄い田舎なの?」

「どうだろうな」

 悲しさ半分、悔しさ半分といった表情を浮かべるリンボクに対して、アゼルとしては口を濁して曖昧に笑うしかなかった。



 陽が傾くのがわかる頃、アゼルたちは最後の休息を終えた。

「あとは休みなしでヤイツクまで行く」

 リンボクの騎乗を手伝いながらアゼルはそう声をかけた。

「そこが目的の街?」

「そうだ」

 ヤイツクは東西に延びる主要三街道のうち、最も北にある北嶺街道が通る街だった。このあたりでは一番大きな街だが、中央平原にある街としては中規模の、ごく普通の街だ。

 リンボクの表情にも安堵の色が隠せない。 

 なんだかんだいっても緊張と重圧があったのだろう。

 空が赤くなりかけヤイツクまであとわずかといったところで、アゼルは前方にいる人影に気づいた。

 人数は五人。

 畑仕事を終えた農夫でも、羊飼いでもないことは明らかだった。腰には剣を吊っている。

 向こうもこちらに気がついたのだろう。立ち止まっていたのが、こちらへと向かって歩いてくる。あからさまに怪しい動きだ。

 アゼルは道の左側に長毛馬を寄せ、リンボクに自分のさらに左へと来るように指示をする。

 左に寄ったのはもし剣を抜くような場合に、利き手である右側に空間を確保するためだ。

 素早く後ろを見ると、レシアはすぐ背後へと長毛馬を近寄らせていた。

 視線を交わすと、剣をすぐに抜ける状態なのを確認してアゼルはゆっくりと長毛馬を進めた。

 お互いの表情がわかる距離にまで近づく。

 残念だが街の自警団ということはなさそうだ。五人の男たちは一様に服を着崩し、酒を飲んでいるのか顔が赤い者もいる。

 薄ら笑いを浮かべながら近づいてくる男たちにアゼルはいきなり声をかけた。

「こんにちは、仕事帰りですか?」

 虚を突かれたのだろう。男たちは一瞬立ち止まり顔を見合わせる。

 だがすぐに下卑た笑い声をあげた。 

「ああ、そうだ。仕事帰りだ、仕事帰り。今日もよく働いたぜ」

 お互いの肩を小突きながら「疲れた、疲れた」「嘘つけおまえはちっとも働いてねえだろう」などと口にして笑っている。

 道をふさぐようにして数歩先で立ち止まった男たちをアゼルは観察した。

 一番年嵩としかさの男でも二十代後半、それ以外はアゼルと同じか年下だろう。

 剣こそ持ってはいるが使い慣れた感じはしない。

 服装もあまりにも軽装で、予備の武器やなにか道具を持っている様子もなかった。

 年嵩の男を中心としてはいるが、組織として系統だっているとも思えない。

 どうやら野盗ではなく、ただの街のならず者らしい。

 アゼルはそう判断した。

 油断は禁物だが、自分一人でもなんとかなる手合いだろう。こちらにはレシアもいる。

 だが剣を抜くことは最後の手段だ。少しでもリンボクや馬が傷つく可能性のあることは避けなければならない。

 ひとしきり仲間同士で笑い合うと、年嵩の男が質問してきた。

「それでそっちは旅の途中かい。変な組み合わせだが」

「ええ、この子の――」アゼルはちらりとリンボクの方に顔を向ける「ヤイツクでの奉公先が決まったので送ってきたんですよ」

「ふーん、それにしちゃ荷物が多くねえか」

「北嶺山脈を越えてきましたからね、このぐらいは必要ですよ」 

 年嵩の男は何事か考えるように目を細め、アゼルたちの積み荷、特にリンボクの老馬が積んでいる荷を舐めるように見た。

 リンボクが居心地悪そうに鞍の上で座り直す。

「その嬢ちゃんの馬が積んでいるのはケトランディっていう薬草じゃないのか?」

 年嵩の男が、したり顔で口にする。

「たしかに早摘みのケトランディだが、だったらどうする?」

 アゼルは先程までの愛想のよさを消しさり、口調は冷たく、射貫くような目で男たちを睥睨した。

 男たちはアゼルがあっさりと認めたことよりも、その態度が豹変したことに驚いた。そしてアゼルの気に押されて、わずかでも怯んだ自分たちに腹を立てたかのように、怒気を孕んだ表情を浮かべる。

 アゼルとしても穏便にすませる気はない。

 ならず者が旅人から路銀を掠め取ろうとしているだけなら、上手く誤魔化してやり過ごすつもりだったが、この男たちは明らかにケトランディの存在を知っていてそれを狙ってきている。

 この場をやり過ごしたとしても、今後もつきまとわれるのは面倒だった。

 それなら荒事になろうとも二度と手出しをさせないようにする必要がある。

 先程アゼルが男たちを観察したように、今度は男たちが値踏みするようにアゼルたちを観察している。はたしてこいつらは戦っても大丈夫な相手なのかと。

 こういう場合にこの一行は不利だなとアゼルは思った。

 アゼル自身、体がとりたてて大きくもなければ腕っぷしが強そうにも見えない。まだ若く、歴戦の護衛士という貫禄もない。

 レシアは女というだけで舐められる。男たちがレシアのことをアストリアの探求者だということに気がつけば少しは箔がつくのだが、あまり期待しないほうがいいだろう。

 リンボクについては言うまでもない。

 緊迫した時間が続いたが、いきなりそれが破られた。

 全身が総毛立つような殺気が襲ってきたのだ。

 アゼルは棹立ちそうになる長毛馬をなんとか抑えて、リンボクの騎乗する老馬の手綱に手を伸ばす。幸いそちらは足踏みをするだけで、リンボクを振り落とすようなことはなさそうだった。

 すぐに男たちに目を戻す。

 剣に手をかけてはいたが抜いてはいなかった。

 そして全員が目を見開き、アゼルの背後を見つめている――殺気のぬしを。

 アゼルは見なくてもわかった。 

 殺気を放っているのがレシアだということを。

「どうした、相手になってやる。早くかかってこい」

 聞くだけで背筋が凍るような声だった。

 男たちの顔から脂汗がにじみ出て、生唾を飲む音がはっきりと聞こえた。

 逃げようにも足が動かないのだろう。ずっとこうしていても埒が明かない、アゼルは助け船を出す。

「俺たちはヤイツクに行く。おまえたちはこのまま通り過ぎたほうがいいんじゃないか」

 その声で金縛りを解かれたように、男たちはさかんに頷きながら街とは反対方向に走り出した。 

 アゼルはそれを見送って息を吐きだした。

「あんたはこんなこともできるんだな」

 同じように男たちの行方を見ていたレシアが振り返る。

「余計なことをしたか?」

「いや。結果的には剣を抜かずにすんだからな、礼を言う。ただ危険な賭けだったのは否めない。逆上して襲い掛かってきてもおかしくはなかった」

「どちらにしろ戦いは避けられないと思ってやったのだが。おまえもそのつもりだったんじゃないのか?」

「にしてもあれはないだろう。連中よりも馬が危なかった、あやうく振り落とされるところだったんだぞ」

「おまえなら御することができると判断した。リンボクの馬は慣れているし年齢的にそんな力もないと思ったのだがな」

 一応は計算してやったらしいが、肝を冷やした身としては文句のひとつぐらいは言いたいところだ。

「それよりもあれはどういった連中だ。野盗ではないようだが」

「おそらくヤイツクの街のごろつきだろう。どこかで早摘みの話を聞きつけて、ここで待ち伏せていたんだろうな」

 街は目と鼻の先だし、襲撃というにはあまりにもお粗末だ。

 命を懸けて襲う気はなく、上手くいったら儲けものという程度の軽い気持ちだったのだろう。

 そんな連中だから再び襲ってくることはないはずだ。

 アゼルは隣に並ぶリンボクを見た。

「リンボクは大丈夫か?」

「うん、平気」

 たしかに少し顔が青ざめてはいたが、徐々に血色が戻りつつあるようだ。

 そういえば――アゼルは思い返す。この旅で目に見える脅威に接したのは初めてだったか。

 さらに言えば一度も剣を抜くことはなかった。

 これは幸運な旅路だったといえる。

 帰路でもこの幸運がつづくといい。

 そう願いながら残りわずかの道を進んだ。


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