交渉


 アゼルとリンボクが向かっている薬問屋は品物を卸すだけでなく、自前で店も構えていた。

 広い通りに面した立地の良い場所で、付近の店も高価な品物を扱う店構えの大きなところばかりだった。

 アゼルは薬問屋の前を通り過ぎると脇道から裏へと回る。

 表はあくまでも客のためのものだ。

 老馬を引いて裏庭に入ると通用口の扉を強めに叩いた。なにしろ広い建物だ、ちょっとやそっとの音では聞こえない。

 しばらく待ったアゼルが再び扉を叩こうと拳を固めた時、ようやく覗き戸が開いて、陰気そうな目がこちらを伺う。

「ケトランディの取引に来たものだが、話を通してもらいたい」

「……お名前は?」

「俺はアゼル、こっちの子はリンボク。ステノハの代理と言えば通じるはずだ」

「……お待ちください」

 それだけ言って再び覗き戸が閉じられる。

 目元と声からするとアゼルよりも若いと感じる。おそらくは下働きの若者だろうが、ひょっとしたら差配屋の主人が言っていた三代目なのかもしれない。

 かなりの時間を待たされ、再び覗き戸が開いた時には、あたりはすっかり暗くなっていた。

 今度顔を見せたのは、眉が白髪でギロリとした目に鷲鼻、そこに鼻眼鏡をのせた老人だった。おそらく隠居したという初代なのだろう。

「ステノハの代理らしいな」

「この子がステノハの娘のリンボクです。彼女だけでは取引は無理でしょうから、俺が付いてきました。護衛士のアゼルです」

 隠居は名乗るでもなく、疑わしそうにアゼルとリンボクのことを見る。

 アゼルは特に気にすることなくそれを受け流したが、リンボクは居心地悪そうに身じろぎした。

「ステノハはどうした?」

「亡くなりました」

 それについて隠居は何も言わなかった。

「……いいだろう、入れ」

 鍵とさらに閂を外す音がして扉が開いた。

 アゼルは老馬から下ろしたケトランディを持って扉をくぐり、リンボクがそれにつづく。

「剣はそこに置いてきてくれ」

 用心深いことだと思ったが、アゼルは言われるまま腰から鞘を外すと扉の脇に立てかけた。

 狭い廊下を隠居の後をついていく。

 ほとんど明かりはなく、勝手知ったるとはいえ隠居がよくぶつからないものだと感心した。

 代わりにいくつもの薬草が混ざりあった匂いが鼻を刺激する。ひょっとしたら匂いを頼りに歩いているのかもしれない。

 しばらく歩いてから着いたのは四方が棚に囲まれた部屋で、棚に収まりきらなかった包みが床に重ねてあった。それらはすべて薬草の類いなのだろう。

 他にあるのは大きな机と椅子だけで、今アゼルたちが入って来たのとは反対側にも扉があった。位置と距離からしておそらく店頭に繋がっているはずだと、アゼルは見当をつけた。

「さっそくだが見せてもらおうか」

 隠居が机の後ろに回り椅子に座る。

 アゼルたちには座るように勧めなかったが、そもそも他に椅子がなかった。

 別に気にすることもなく、アゼルは荷をほどき油紙と当て布を丁寧に開いてケトランディを取り出した。

 隠居はそれを手に取ると、眼鏡越しの目を近づけて念入りに観察する。

「――少し生育が悪いな」

「まさか。むしろ例年よりも良いはずですよ」

 やはり駆け引きしてくるか。アゼルは表情を変えずにそう思った。

 自分は商人ではないし、正直なところ駆け引きは下手だと思っている。

 だからリンボクには悪いが少しでも値を釣り上げようとは考えていなかった。あくまで相場の値で取引できればよい。

 逆にいえばその妥協できる線を守りさえすればいいので、そこまで難しい交渉になるとも思っていなかった。

 ケトランディを丹念に調べていた隠居が手を放し、椅子に深く腰掛け直す。

「いいだろう。他も荷解にほどきして数を教えてくれ、全部買う」

 アゼルは拍子抜けした。

 もっと色々とふっかけられると覚悟していたのだ。

 だが買ってくれるというのに文句はない。リンボクを手伝わせて残りのケトランディを取り出す。

 誤魔化しがないというように机の上にケトランディを並べて、数を報告する。

 隠居は紙に書きつけて計算をし、その紙を机の上に放り出し値を告げる。

 それを聞いてアゼルの動きが止まった。

「――すまない。もう一度言ってくれるか」

 隠居は先程と同じ値を口にする。

 アゼルは何も言わずに、机の上のケトランディを当て布と油紙で包み始めた。

「おい、何をしている?」

 隠居が慌てたように身を乗り出す。

「何をしている? 見てわからないのか、ケトランディをしまっているんだ」

「おまえはそれを売りに来たんじゃないのか」

「ふざけるな!」

 アゼルの怒声に、隠居よりもリンボクが身をすくませた。

 リンボクはアゼルが怒ったところを見たことがない。自分が早摘みに行きたいと言った時も、必死に止めようとはしたが怒ってはいなかった。

 レシアとやりとりした時も腹は立ててはいたが、あからさまに怒りを表には出していなかった気がする。

 だが今のアゼルは違う。

 怒りを隠そうとしていない。それだけ怒りが強いのだろう。

「あんたの言った値は、春になって運ばれてくる通常のケトランディよりはわずかにましといった程度だ。早摘みの値じゃない」

 何にでも相場がある。

 早摘みのケトランディは通常の倍の値が相場だった。それだけの価値があるから危険を冒してまで北嶺山脈を越えてくるのだ。

 さらに言えばステノハはアゼルが護衛に付くようになってからだけでも、六年もこの薬問屋を贔屓にしている。来年もここにくると約束しているのなら、店としては確実にケトランディ確保の目処がついているのだ。それを考えるともっと色を付けてもいいぐらいだった。

 アゼルが黙々とケトランディを片付けるのを見て隠居も焦り出した。この護衛士は本気で取引をやめようとしているらしい。そう気がつくとなんとか翻意させようと必死に口を開く。

「うちと取引しないでどこに売りに行くというんだ。ヤイツクに薬問屋はここしかない、小売りの薬屋じゃそれだけのケトランディを買い取る余裕はないし、そもそも問屋を通さないと組合の決まりに違反することになる」

「あんたに心配してもらう必要はない。他の街に行く」

 実際アゼルはそうするつもりだった。手間が掛かってもここで売ることに比べれば十分過ぎるおつりがくる。

 アゼルの迷いのない言葉を聞いて、いよいよもって隠居は焦りだした。

 このままでは今年の早摘みのケトランディは手に入らないのだ。これだけの大きさの店であってもその損失はかなり痛い。

「待て、待ってくれ。アゼルといったな。おまえは何か誤解している。おまえはステノハの代理で来たと言ったが、そのステノハは毎年その値で売っていたんだぞ」

 隠居は言った直後に自分が墓穴を掘ったことを悟った。それも這い上がれないほどに深い穴をだ。目の前の護衛士がはっきりとわかる殺意を宿した眼で自分のことを見ていたのである。

「――今なんと言った?」

 アゼルは静かな声で問う。

 隠居は脂汗がしたたり、体が震えるのを止めることが出来なかった。   

 助けてくれと叫びたかったが、喉が渇ききってとてもではないが声が出せない。唾を飲み込むことさえできなかった。

 リンボクも同じように震えていた。アゼルのこんな姿を見るのは初めてだった。

 そしてこの感覚をほんの数刻前にも体験したことを思い出す。

 あの時はレシアだった。だが今のアゼルからはあの時と同等の、いやそれ以上の殺気が放たれている。

 アゼルにはこの瞬間、純粋な殺意があった。

 これほどまでに人を殺したいと思ったのは初めてかもしれない。

 レイナスからは「怒りに身を任せるのは愚か者のすることだ」と何度も戒められた。だから自分を律することを覚えた。

 それでも今の怒りを抑えるのは難しかった。

 もしこの男と二人だけなら殺していたかもしれない。だがこの場にはリンボクがいる。彼女にそんなところを見せるわけにはいかない。

 アゼルは気を静めると再びケトランディを包む作業を再開する。

 隠居はどうやら自分は助かったらしいと胸を撫でおろした。

 だがケトランディが手に入りそうもないという事態に変わりはない。上目遣いにアゼルを見ながら、おそるおそる声をかける。

「……五割増しまでなら出せるんだが」

 アゼルに睨まれ、慌ててつづける。

「違うっ! 足元をみているんじゃない。本当にそれしか金がないんだ」

「だったら今夜中に金を集めてくるんだな。明日になれば俺たちは朝一で出発する。それと値は五割増しじゃない、きっちりと倍だ。毎年の確保が約束されていたとすればそれでも安いぐらいだ」

「待ってくれ、もうこんな時刻だ。いまから金を集めるなんて無理な話だ」

「高利貸しにでも行けばいい。もしくは組合なり近所の店に頼んだらどうだ」

「高利貸しに金を借りたなんて噂が立ったらうちの信用がなくなる。他から金を借りるのだって――」

 そこで隠居は口をつぐんだ。

 差配屋の主人は悪い噂は聞かないと言っていたが、目立つようなことをしていなかっただけで、裏ではそうとうあくどいことをしていたのだろう。

 そうでなければこれだけの店構えを持っていて、金を借りるアテがないというのはおかしかった。

 いよいよ後がないと思ったのか隠居はすがるような声を出した。

「得意客の中にはケトランディを常薬としている者もいる。もしそのケトランディがなければその客が苦しむことになるんだ、下手をしたら死ぬかもしれない。それでもいいのか?」

「そんなに大事な客なら今すぐ他所の街へ行って、小売りの値でケトランディを買ってくるんだな」

 アゼルはにべなく断る。

 それを聞き万策尽きたというように隠居が椅子に沈み込んだ。

 だが援軍が思わぬところからきた。

 作業を続けるアゼルの袖を、リンボクがそっと引っ張る。

「……アゼル、売ってあげよう」

 アゼルと隠居、リンボクの言葉に驚いたのはどちらも同じだったが、立ち直るのが早かったのは隠居のほうだった。

「そ、そうか。さすがステノハさんの娘さんだ、よくわかっている。やはり薬草を扱う者は人助けを――」

「黙っていろ。二度とその薄汚い口を開くな」

 アゼルの殺気を孕んだ視線を受け、隠居は慌てて口を閉じる。

 アゼルは屈んでリンボクの両肩を掴むと、正面からその目を見た。

「いいかリンボク、落ち着いてよく聞くんだ。ここでケトランディを売らなくても俺たちにいっさい非はない。仮にケトランディが必要な客とやらが本当にいるとしても、そんなことに責任を感じることもない。そもそも俺たちが別の街に行っていた可能性だってあるんだ」

 そしてアゼルはできれば言いたくはなかったことを口にした。

「値のこともそうだ。別に俺がふっかけているわけじゃあない。あれが相場で、いままで親父さんは騙されていたんだ」

「騙してなど――」

 口を開こうとした隠居は、アゼルが自分の方を見ようとしただけで慌てて口を手で覆った。

「もし相場の値で取引をしていれば倍の値段だ。つまり毎年、一年分の代金を親父さんは騙し取られていたことになる」

 アゼルはどこまでも朴訥なステノハの姿を思い出した。

 よく考えればもっと早くに気づけたはずだった。

 アゼルが関わってからだけでも六年。それだけ早摘みに来ていれば、もっと余裕があって当然なのだ。毎年早摘みに行かなければならないほど苦しいはずはない。

 筋違いかもしれないがレイナスを恨んだ。

 護衛士はもっと雇い主の事情に積極的に関わるべきではないのかと。

 下を向いたリンボクにアゼルは最後の言葉を告げる。

「もしこの男が相場で取引をしていれば、――親父さんは死ななくてすんだかもしれないんだ」

 リンボクは唇を噛みしめる。

 アゼルは既視感を覚えた。いや、これは実際にあったことだ。

 北嶺山脈の麓、ザヤの街の宿屋でだ。

 あの時はリンボクが早摘みに行くというのを止めていた。

 そしてリンボクの返事はアゼルの望むものではなかった。

 なぜか予感がした。

 おそらく今回も――。

 リンボクは顔を上げ、アゼルの目を見つめ返す。

「……アゼル、ごめん。でもあたしは、売ってあげたい」

 予感はしていたから、それほど動揺はしなかった。

「わかった」 

 アゼルは立ち上がり、隠居の方へと向き直る。

「そういうことになった。すぐに店中の金をかき集めてこい」

 隠居はこくこくと頷くと、店頭側の扉へと転がるように走って行った。


 受け取った代金を数えると五割増しよりわずかに少なかった。

 隠居は、これでも店中の金を集めた、本当だ、確かめてくれていいと必死に弁解をする。

 これ以上不毛なやり取りをする気のないアゼルは、代わりとして店で売っている高価な薬草をいくつか要求した。換金すれば少しは足しになるだろう。

 そうしてアゼルとリンボクは薬問屋を後にした。

 二度とここに来ることはないだろう。



 老馬を引いて差配屋の宿へと戻る帰り道、二人とも無言だった。

 リンボクは悄然としていて足取りにも力がない。

 角を曲がると露店の並ぶ通りに出る。

 途端に良い匂いが鼻孔をくすぐった。

 この一角は食べ物の露店が軒を連ねているらしい。

 持ち帰って家で食べるだけでなく、この場でも食べられるようにいくつもの食卓と椅子が置いてある。

 夕食時ということもあってどこの露店も賑わっていた。

 その中でリンボクと同じぐらいの歳の子供たちが集まる露店があった。

 アゼルは手綱をリンボクに渡すと、待っているように言って、その甘い匂いのする露店へと向かった。

 ほどなくしてアゼルは手に揚げ菓子を二つ持って戻ってくる。これは麦粉に水と砂糖と塩を混ぜて練り上げた生地を、油の中に細長く落として揚げ、砂糖をまぶしたものだった。

 二人並んで空いている椅子に腰を降ろす。

 アゼルがまだ熱いそれを口に入れると、甘さが広がり疲れた体の隅々にまで伝わるようだった。

 だがリンボクは手にしたまま口をつけようとはせず、物思いにふけっている。

「熱いうちに食べたほうが旨いぞ」

 そう声をかけても反応はない。それ以上はアゼルも無理に勧めなかった。

 アゼルが揚げ菓子を食べ終わりしばらく経った頃に、リンボクがぽつりと口を開いた。

「お父さんってやっぱりお人好しだったんだね……」

 それについてアゼルが言葉にできることはない。

「でも、あたしもそうか……。アゼルも馬鹿だなって思っているでしょ?」

「そんなことはない。あのケトランディはリンボクたち家族の物だ。リンボクが決めたことに俺はどうこう言える立場じゃない」

 護衛士は雇い主の取引に関わってはいけない。

 レイナスにも言われた護衛士の不文律だ。

「でもね、あたし思うんだ。お父さんが相場の値で取引したとしても、あまり変わらなかったんじゃないかなって」

 どういうことだという風にアゼルはリンボクを見る。

「たとえば余計にもらったお金を増やそうとして山羊を買うとするでしょ。でもあたしたち家族じゃ増えた山羊の面倒をみられないから人を雇うとすると、今度はその人に騙されたんじゃないかなって思うの」

 アゼルは虚を突かれた思いだった。

 ステノハには申し訳ないが、それは想像にかたくない。

「それで結局、また早摘みに行かないといけなくなるの。だからね、いままでの値で構わなかったんだと思う。お父さんもそれをわかっていたんじゃないかな」

 そう言ってアゼルの方を向いたリンボクの頬には涙が流れていた。

 アゼルはそれをそっと拭ってやる。

 そして思う。どんなに幼くても、血の繋がった人間には敵わないと。

 アゼルよりリンボクのほうが、ステノハのことを理解しているのは明らかだった。

 アゼルの中で燻っていた、行き場のない怒りが今のリンボクの言葉で消えた。

「早く食べないと冷めるぞ」

 リンボクも今度は素直に頷いて揚げ菓子に齧りつく。

「――おいしい」

 夢中で口を動かすリンボクの頭を撫でて、アゼルは気がついた。

「リンボク、髪が変わってないか?」

 はっきりとは覚えていないが出発した時はこんな髪型じゃなかったと思う。

 リンボクは呆れた表情で溜め息をついた。

「アゼル、気がつくの遅い」

 熱を出して寝込んだあの日以来、レシアに教えてもらって髪を編むようにしていた。

 今日で三日も経つのに、アゼルはやっと気がついたらしい。

 これでは擁護してあげたくても、レシアの言うことのほうが正しいと言わざるをえない。

 そこで気がついた。レシアは二人の帰りを待っているはずだ。

「アゼル帰ろう。レシアがお腹すかせてるよ」

「そうだな、文句を言われないうちに戻るか」

 二人は立ち上がると並んで歩き出した。


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