譲れぬ戦い
戦いはジェヤンがいきなり抜いた小剣を、レシアが
ジェヤンの使う小剣は片刃で特徴的な湾曲をしていた。それを両腰に吊っていて長剣は持っていない。
レシアも腰のベルトに小剣を吊ってあるが、あくまでも予備の武器であり、この場でそれで戦おうとは思わない。
小剣は室内や森の中などの狭い空間では有効な武器だが、広い場所ではどうしても間合いの関係で不利になるからだ。
それでもジェヤンが小剣を使うのは、それだけ自信があるということだろう。間合いの有利を過信してはいけないとレシアは心に留めた。
ジェヤンは上体を低くして一気に間合いを詰めてくる。
それをレシアは横薙ぎを一閃して迎え撃った。
だがジェヤンはさらに上体を屈めてそれを
そしてレシアの懐に入ると小剣を下から振り上げた。
こうなると
しかし雪のために思うような足捌きができない。
ジェヤンはそれを逃さずレシアの懐に入ったまま小剣を振るいつづける。
ぎりぎりのところでそれを躱していたレシアだが、ついに体勢を崩して右に傾くように倒れた。
だがジェヤンはそれを見た瞬間、追撃をせずに間合いを空けた。
次の瞬間――倒れ込むようにみせたレシアが身をひねり、低い体勢からの回転斬りで一瞬前までジェヤンの胴体があった空間を薙ぎ払った。
二人の視線がぶつかり動きが止まる。
しかしそれもわずかな間のことで、再びジェヤンが体勢を低くして間合いを詰めてくる。
扱う武器の差で接近戦になればジェヤンに分があることは最初の攻防で明らかだった。
レシアはそうはさせまいと、ジェヤンの足を払うように牽制して間合いを保つ。
そしてジェヤンが攻めあぐねた一瞬の隙を逃さずに前に出た。
初撃でジェヤンの軸足を狙い動きを止め、次に鳩尾を狙って体勢を崩し、最後に喉を貫く渾身の突きを繰り出した。
目にも止まらぬ三段突きだった。
決まっていてしかるべき攻撃だったが、ジェヤンは体勢が崩れた瞬間、傍らの雪を掴みレシアの顔めがけて投げつけた。
そのためわずかに踏み込みが甘くなり、際どいところでジェヤンは最後の突きを躱すことができた。
「……なるほど。言うだけのことはある、さすがはアストリア軍人といったところか」
ジェヤンが間合いを取り薄く笑う。
だがレシアはジェヤンの軽口に付き合うつもりはない。攻めを継続する。
ジェヤンも今度は安易に懐に入ろうとはせず、慎重に隙をうかがう。
しかし間合いが空けば武器の差でレシアが圧倒的に有利だった。
一方的に攻め立てるがジェヤンはその攻撃を受け流しつつ、雪が深いほうへとレシアを誘いこむ。
今では膝が完全に埋まるほどの場所で二人は戦っていた。
こうなるとレシアの長所である敏捷性が失われる。
戦いは膠着したが、時間はレシアの味方だった。
アゼルが戻ってきたのだ。
アゼルは長剣を抜いて、ジェヤンのことを挟み撃ちにするような位置に立つ。
半身でアゼルのことを見たジェヤンと目が合うが、お互いに何も言わない。
すでに敵同士だということをどちらも理解している。
だがレシアが口を開いた。
「アゼル。ここはわたしに任せてくれないか」
「できない相談だ」
アゼルは即答する。
これは騎士の決闘ではないのだ。人数の優位を手放す気はない。
ましてや敵はジェヤンだ。レシアの強さは認めるが一対一で簡単に勝たせてくれるほど甘い相手ではないだろう。
レシアもそれをわかっているはずなのに簡単には引き下がらなかった。
「頼む」
「――そこまで拘る理由は?」
「こいつが許せないからだ」
レシアはそう言うと構えを解いて間合いを空けた。
アゼルとジェヤンもわずかに気を弛め聞く体制に入る。
「説明してくれ」
レシアは深く息を吐く。その息は降る雪を見えなくするほどに白かった。
「先程こいつからわたしたちを――違うな、リンボクを狙う理由を聞いた。反吐が出るほどにくだらない理由だった」
それを聞いてジェヤンの眼つきが険しくなりレシアを射るように見る。
だがレシアはその視線を真っ向から受け止めた。
「雇い主の身勝手が許せないだと? そんなことはどこの世界でも同じだ。人間はそもそも身勝手で理不尽な生き物なんだ。それでも生きていくためには、それらと折り合いをつけていくしかない。ましてや食うため、金を稼ぐためなら、身勝手を相手にすることが当たり前だろう。そうじゃない仕事があるのなら言ってみろ」
いつしかリンボクも長毛馬の傍を離れ三人の方に近づいてきていた。
「それを貴様はなんだ。子供のように自分だけが悲劇の中心にいると思い込んでいる。それだけならまだしも、自分の考えを正当化して雇い主を始末しようなどとは神にでもなったつもりか」
雪に覆われた峠にレシアの声が響き渡る。
「護衛士に早死にが多いのはそういう仕事だからだ。決して雇い主のせいではない。死んでいった者たちもそれをわかって、それでも護衛士をしていたはずだ。貴様のしていることは護衛士の誇りを汚す行為でしかない。死んだ相棒とやらに貴様は顔向けできるのか!」
「……女。死にたいようだな」
ジェヤンの顔つきが変わった。眼だけがどこまでも冷たく、それ以外の表情が消える。
「初めて意見が合ったな。わたしも貴様のことをこの手で殺したいんだよ」
レシアの目はジェヤンとは逆にどこまでも熱く、強い怒りを宿している。
「そういう
アゼルはそれでも逡巡したが、剣を納めるとリンボクの隣へと移動する。
「――アゼル、いいの?」
リンボクが心配そうな声をあげる。
アゼルは黙って頷いた。
おそらくレシアには言葉にしていない、ジェヤンの考えを許すことのできないもっと深い理由があるのだろう。
軍人をしていれば上官の命令、王の命令は絶対だ。それがどんなに理不尽で残酷なものであっても。それでも国のためにはそれらに折り合いをつけていかなければならないのだ。
レシアとジェヤンは再び間合いを詰めて対峙する。
だがそこでジェヤンが左手で、右腰に吊った鞘から小剣を引き抜いた。それは右手に持っているものとまったく同じものだ。
アゼルもジェヤンが長剣を持たずに、小剣を両腰に吊っていることには気づいていた。だがそれは予備の剣というわけではなかったらしい。
「レシア気を付けろ。二刀だ」
アゼルの言葉が耳に届いたのかはわからない。
レシアは集中してジェヤンを視界に捉えている。
ジェヤンは雪の中を無造作にレシアに近づいて行った。
レシアの
初撃を返されるとレシアは上体の円運動で左右からの斬撃を繰り出していった。
リンボクの家に向かう途中、腕試しとしてアゼルと戦った時と同じ動きだ。
あの時も足元はぬかるんだ地面で、レシアは得意の敏捷性を出せなかった。
今は雪が膝まで埋まっていてさらに条件は悪い、それなのにレシアの攻撃の速さはあの時以上だった。
だがジェヤンはそれをことごとく受け流していく。
いくらレシアの剣が速くても一刀だ。ジェヤンは右からの攻撃は右手だけで、左からの攻撃は左手だけで防いでいる。
片手持ちの小剣ということを考えると力負けしそうなものだが、小剣の湾曲を利用して、攻撃の力を巧みに受け流していた。
じりじりとだが確実にジェヤンが距離を詰めていく。
そして小剣の間合いに入ったとみるや攻撃に転じた。
レシアは必死に受けるが懐に入られ、
ジェヤンの左右からの攻撃に、片方はなんとか剣で受け止め、もう片方からの攻撃はぎりぎりで体を躱すしかなかった。
そして次の瞬間、ジェヤンが左右から同時に小剣を振り下ろした。
それまでの左右交互の攻撃から一転しての挟撃であり、その変化にレシアはついていくことができず、剣で受けることはできても体を躱すのは間に合わない。
剣と剣がぶつかる高い音の他に、わずかにこもる鈍い音がした。
「レシア!」
リンボクが叫ぶ。
だが二人の動きは止まったままで、レシアが倒れるようなことはなかった。
「良い目をしてやがる」
ジェヤンが忌々しげに言葉を吐き出す。
レシアは左からの攻撃を
ほんのわずかずれていれば柄を握っている右手の指が落ちていただろう。
レシアは剣を振り払うようにしてジェヤンを押し返す。
今の攻撃こそ何とか凌いだもののレシアの不利は明らかだった。
レシアの矜持を傷つけることになるかもしれないが、加勢をするべきだとアゼルは判断した。
だがそんな思惑を読み取ったかのようにレシアが先に口を開く。
「アゼル手を出すな。わたしにはまだ勝機がある」
実際にレシアの目はまだ光を失っていなかった。
それを見てアゼルは踏みとどまる。
剣を下段に構えレシアがゆっくりと前に進む。
ジェヤンは自然体でそれを待ち構えていた。
そのまま二人の距離が詰まり、小剣の間合いに入った瞬間ジェヤンが動いた。
右上からレシアの首を狙った鋭い斬撃が振り下ろされる。
レシアは素早く手首を返すとその小剣に向かって
受けに回った場合には小剣でも
しかし崩れた体勢でもジェヤンの左手が斜め下から振り上げられる。
それを防ぐ
だがレシアは自らその攻撃に当たりにいった。
レシアは即座にその腕を己の右腕で抱え込む。
ジェヤンは右手の小剣を失い、左手を封じられた状態になった。
その機を逃さずレシアが左手一本で
その刹那アゼルが動いた。
「レシアもうひとつくる!」
叫ぶと同時に短剣をジェヤンに投げつける。
ジェヤンは腰の後ろから取り出した小剣を握り、振りかぶって隙だらけのレシアの首を狙って、小剣を横に払うところだった。
アゼルの声を聞いてレシアが咄嗟に左腕で庇ったことと、投げつけられた短剣を躱そうとジェヤンの体勢が崩れたことが幸いした。
小剣はレシアの首には届かず、肩から上腕にかけてを斬りつける。
レシアは何とか倒れずに持ちこたえたが、それでも服にはまたたく間に血が滲んだ。
アゼルは剣を抜いて駆けつけ、ジェヤンを牽制する。
だがジェヤンは自ら距離を取ると、飛ばされた小剣を雪の中から拾い上げた。
アゼルはレシアを抱えるようにして後ろに下がると傷を確かめる。かなり深くまで斬られていて、このまま放っておくと危険だった。
アゼルはマントを切り裂いてそれでレシアの左肩の付け根を縛る。さらに自分の小剣を取り出すとその鞘を縛った隙間に入れ、ねじるようにしてきつく止血をした。
手当ての間も目を離さないでいたが、ジェヤンに攻撃してくる意志はないようだった。
「大丈夫か」
アゼルはレシアの顔を覗き込む。失血の影響か顔が少し白かった。
「すまない。不覚をとった」
「すぐに縫わないと駄目だな。少しの間だけ辛抱してくれ。リンボク、レシアを頼む」
リンボクが青ざめた顔で頷く。
「待てアゼル、あいつと戦うつもりか。おまえでは無理だ」
「大丈夫だ。レシアが手の内を暴いてくれたからな」
「そんな問題ではない。奴の二刀にこの雪の足場と長剣で対応するのが、そもそも勝ち目がないんだ」
必死に止めようとするレシアに対してアゼルは微笑む。
「俺がレシアを信じたように、今度はレシアが俺を信じてくれ」
何と返せばいいのかわからず、レシアはただアゼルを見つめた。
レシアがひとりで戦ったのは、もちろんジェヤンが許せなかったということがある。
だがもうひとつにはアゼルを戦わせたくなかったということもあった。アゼルがジェヤンに共感している部分があることがわかっていたからだ。
もしアゼルが勝てるとしても、それはジェヤンをその手で殺すということを意味している。甘い考えかもしれないが、できればそうはさせたくなかったのだ。
そんなレシアの想いを見透かしたように、アゼルは優しく微笑む。
「俺の仲間はジェヤンじゃない。レシアだ」
「……わかった」
その強い力を放つ瞳に見つめられると、そうこたえるしかなかった。案外こいつは女たらしなのかもしれない、場違いながらレシアはそんなことを思った。
「鞘がないからその小剣は預かっておいてくれ」
アゼルはそう言って立ち上がると、ジェヤンと対峙するために歩き出した。
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