信じること
ジェヤンは近づいてくるアゼルに声をかける。
「よく三本目があるとわかったな」
「最初にザヤの宿で会った時に、腰の後ろからその小剣を抜いていましたからね」
あの時のジェヤンはすでに旅装を解いて食堂で一杯やっていた。そのため両腰に鞘は吊っていなかったが、騒ぎがおきて腰の後ろの隠し剣を取り出したのだ。
そういえばあの騒ぎはレシアが来たことでおきたものだ。今では遠い昔のことのように思える。
「そういえば、そんなこともあったか。まさかこんなことになるとは思っていなかったからな。まあ仕方ない」
「レシアの手当てをさせてくれた礼を言います」
「気にしなくていい。俺はおまえと戦ってみたかったんだ」
「俺とではなく、レイナスの息子とでは?」
それにはジェヤンは何もこたえず、軽く笑うだけだった。
「それとこれも返しておく」
ジェヤンが放って寄越したのは、先程アゼルが投げた短剣だった。
それを空中で掴むと腰のベルトに仕舞う。
「いきます」
「来い」
アゼルは長剣を正眼からわずかに斜めに構えて、ジェヤンとの距離を詰めた。
間合いに入るとすかさず剣を振る。
動きが大きくならないように速さと鋭さを意識して、振り下ろし、跳ね上げ、袈裟、逆袈裟、薙ぎ、突き、あらゆる攻撃を繰り出していった。
だがその全てをことごとく受け流されてしまう。
変化をつけた攻撃にもジェヤンは完璧に対応してきた。さらには剣を振るう直前に雪を蹴り上げて目くらましにしても、完全に読み切っていたように難なく躱されてしまう。
「もう終わりか? 今度はこっちからいくぞ」
ジェヤンはその言葉どおり反撃に転じる。
左右から襲いくる鋭い攻撃をアゼルはかろうじて受け止める。
レシアの言うとおりだった。長剣でジェヤンの二刀に対抗するのは厳しい。
アゼルは徐々に後退しながらも必死にジェヤンの攻撃を凌いでいく。
先程のレシアがそうだったように、アゼルにも一筋の勝機があった。その好機がくるまでは耐えるしかない。
だがどんどんと速さを増してくるジェヤンの剣捌きに、ついに長剣では受けきれなくなった。水平に薙ぎ払われた小剣を屈んでかろうじて躱すと、斬られた髪が数本、
アゼルは屈んだ姿勢のまま横に跳んで一回転して身を起こす。
雪にまみれたが何とか間合いを取ることはできた。
ジェヤンは焦ることなく一歩ずつ間合いを詰めてくる。
そして再び二つの小剣が、踊るようにアゼルに襲い掛かった。
先程の再現だった、アゼルは徐々に長剣だけでは受けきれなくなっていく。
次の攻撃は体捌きで躱すしかない。そこまで追い込まれた時、ジェヤンがとどめとばかりに仕掛けてきた。
両の手が斜めに振り上げられ、次の瞬間同時にそれが振り下ろされる。レシアが柄を使って紙一重で受け止めた、あの攻撃だった。
アゼルはこの瞬間を待っていた。
それまでは切れ目のない左右交互の連続攻撃だったのが、この時だけは同時になる。つまり攻撃を揃えるために半拍の
アゼルはそのわずかの隙を逃さず左下からの逆袈裟を跳ね上げた。
しかし次の瞬間、聞こえてきたのは刃同士が激しくぶつかる金属音だった。
ジェヤンは小剣二つを交差させるようにして、アゼルの長剣を受け止めていた。
お互いの視線が至近距離で交錯する。
「おまえが狙っているのはわかっていた」
ジェヤンが不敵に笑う。
その笑みを見てアゼルは咄嗟に飛び
ジェヤンが雪の中でアゼルの足を踏みつけていた。
逆手の右薙ぎがアゼルの顔を襲う。
アゼルは上体を仰け反るようにしてその攻撃をなんとか躱した――が、直後に顔から鮮血が吹き上がる。
完全には躱すことができず、刃先が左頬から眉の上にかけてを斬り裂いていた。
アゼルは長剣を薙いで、ジェヤンの追撃を牽制する。
左目が無事だったのは幸いだった。視力には影響がない。
雪を掴むと止血のために顔にあてる。その雪がすぐに赤く染まり、血の温度のせいで溶けていく。
それを見てリンボクが叫んだ。
「もうやめて! アゼルもういいよ、戦うのはやめて!」
リンボクの目からは涙がいくつも零れ落ちている。
「お金も荷物もいらない。全部渡すからそれで許して。これ以上アゼルやレシアを傷つけないで」
「それはできない」
こたえたのはアゼルだった。
「いまさら金や荷を渡したところでジェヤンは俺たちを生かして返すつもりはない。俺たちが生きて戻れば大陸中の護衛士と差配師に、ジェヤンが護衛士としての資格をなくして野盗に落ちたことが伝わるからだ」
「――あたしたちが黙っていれば」
「俺が話す」
ジェヤンは護衛士としての最大の禁忌を犯したのだ。
雇い主を裏切り襲うという。
たしかに雇われてはいない。それでもこの状況を許すことのできる護衛士はいないだろう。
そして裏切りに対して護衛士は厳しく対処する。
有志を募りどこまでも追いかけ、死でもって償いをさせる。そうしないと護衛士の在り方そのものが問われるからだ。
つまりジェヤンにとって自分が生き残るためには、ここでアゼルたちを殺さなくてはならない。
そしてそれはアゼルたちも同じだ。
生き残るためにはここでジェヤンを殺す以外に道がない。
「……そんな」
呆然と立ち尽くすリンボクを、レシアが支えるように抱き寄せる。
そうは言っても、このままではジェヤンに勝てないのは明らかだった。
アゼルは長剣を鞘に納めると、ベルトから外して雪の中に放った。
ジェヤンは表情を変えずにそれを見ている。
「レシアさっき預けた小剣を投げてくれ」
戸惑いながらもレシアは言われたとおり、アゼルの右手上方へ小剣を投げた。
アゼルは前を見たまま小剣が体を追い越した瞬間にそれを掴む。
「レシアの小剣も貸してくれ」
「――何をするつもりだ」
レシアは自分の小剣を取り出したが、投げることはしない。
「俺も二刀で戦う」
「そんな付け焼き刃で勝てるわけがないだろう!」
「大丈夫だ、俺を信じてくれ」
アゼルの声は気負ったところがなく落ち着いている。諦念というわけでもなさそうだった。
なおも迷ったが、レシアは自分の小剣を投げた。
アゼルは右手に持っていた小剣を回転させるように投げて左手で受け止めると同時に、右手で飛んできたレシアの小剣を掴んだ。
顔の血はなんとか止まっている。
「続きをしましょう」
アゼルは両手に小剣を持ち、前へと足を進めた。
ジェヤンは距離を詰めてくるアゼルを見て嬉しそうに笑う。
「だろうな、アゼル。おまえならそうすると思っていたよ」
いまや武器の間合いでは互角であり、二人は眼前に相手を見据える近距離で対峙した。
そして何の前触れもなくお互いの剣がぶつかり合った。
剣戟の音がいっさいの間をおくことなく響き渡り続ける。
両者とも足を使って避けるということを考えていない。すべての攻撃を剣で受け止めあっていた。
それでも押しているのは、やはりジェヤンだった。
アゼルは完全に防御に回っている。それでも致命的な攻撃をもらうことはなく、長い応酬が続いた。
お互いが合図をするでもなく、同時に引いて間合いを取りあう。
そして激しく息をついた。
二人とも呼吸すらできずに全力で剣を交えていたのだ。
呼吸を整える間もお互いの目から視線を外さない。
だがジェヤンが先程と同じようにどこか嬉しそうに笑った。
「やっぱりおまえはレイナスの息子だよ。だから俺も本気でいかせてもらう」
そう言うと、腰の後ろから三本目の小剣を取り出す。
右手に二本、左手に一本の小剣を持ってジェヤンは足を踏み出した。
アゼルもそれを迎え撃つように前へと進む。
お互いが間合いに入る直前、ジェヤンが右手に持った小剣の一本を二人の中間に投げ上げた。
それと同時に右薙ぎ、左薙ぎと連続攻撃を繰り出す。
アゼルがその攻撃を受け止めた次の瞬間、投げ上げた小剣をジェヤンが右手で掴み上段から振り下ろす。
アゼルはその攻撃を顔先の際どいところで受け止めた――が、次の瞬間にはジェヤンが左手の小剣で首を狙って突きを繰り出していた。
それもなんとか受け流す。
しかし次の瞬間には、右薙ぎを放った後に手を離したはずの小剣を、落下する前にジェヤンが掴み右下から斬り上げてきた。
その攻撃を完全には受けきれず、アゼルの腿を刃先が切り裂いた。
そして次の瞬間には、さっき顔先で受け止めて宙に浮いた状態の小剣をジェヤンの左手が掴み取り、袈裟に斬り落としてきた。
アゼルは受けることができないと咄嗟に判断し、転がるように身を投げる。
それでも完全には間に合わず、右肩が斬られて服に血が滲む。
信じられない連続攻撃だった。
三本の小剣のうち一本は必ず宙に浮いている筈である。
それを落下する前に掴み、左右の手で交互に攻撃してきているのだ。
曲芸師まがいの技だが、ジェヤンにはそれを可能にするだけの速さと剣捌きがあった。もちろん一朝一夕ではできない修練を積み重ねた技だ。
だがここで引くことはできない。
アゼルは立ち上がると自ら前へ出る。
ジェヤンは三本の小剣をお手玉するように投げ上げて待ち構えていた。
そしてアゼルが間合いに入った瞬間に小剣の一本を頭上に投げ上げ、同時に右からアゼルの顔を狙って斬り上げる。
それを受け止められると握っていた小剣を放し、同時に左から薙ぎ払う、それが受けられた瞬間に右手で頭上の小剣を掴み斬り落とす。さらに最初に右からの斬り上げにつかった小剣を左手で逆手に掴み、逆薙ぎを払う。
連続攻撃どころではなかった。
受けているアゼルにとっては、いっさい切れ目のない攻撃がずっと続いているようなものだった。致命傷こそないが、またたく間に体中に斬り傷がついていく。
アゼルは斬られるのを覚悟で強引に跳び退って距離を取った。
案の定、下がる瞬間に横薙ぎが腹を斬りつけたが、間合いを離すことはできた。
見ると服が一文字に裂かれていて、刃先がかすったのか腹から血の雫が零れていた。それでもたいした傷ではない。
アゼルは体の熱さとは反対に冷えた頭で考える。ジェヤンのこの技は手捌きだけで完結しているといってよい。
雪が積もっておらず、足捌きや敏捷性で勝負できるなら戦い方はあるが、この状況ではどう考えても不利だ。
アゼルは覚悟を決める。
「リンボク。馬の荷から蒔き割り用の
リンボクは急に声をかけられて驚いたが、言われたことに頭が追いつくと、慌てて長毛馬へ向かって駆け出した。
「おい、何を考えている!」
大声を出したのはレシアだ。
アゼルはそれにこたえなかったが、何をしようとしているのかはレシアにも容易に想像がついた。
――この男は本当に馬鹿だ。
確かに二刀はなんとかなった。それだけでも瞠目に値するが、ジェヤンのあの技、三刀使いはどう考えても不可能だ。
あんな芸当はレシアも初めて見たし、それはアゼルも同じだろう。
知識として知っている二刀とはわけが違う。
さらに致命的な問題がある。
そこにリンボクが鉈を手に戻って来た。
手渡されたそれを見て、やはり無理だとレシアは思う。
ジェヤンの三本の小剣は全て同じ物だ。重さや形状に違いがないから、握り替えても違和感がなく、同じ力加減で扱うことができる。
だがアゼルの使っている二つの小剣は、アゼルとレシアそれぞれの物で長さや重さが違う。
そこにこの鉈だ。
小剣ならまだしも、この鉈はあまりにも違い過ぎた。使いこなせるわけがない。
「レシア投げてくれ」
だがアゼルはそれでもやるつもりなのだ。
レシアは唇を噛むと、アゼルの右手上方へ鉈を投げた。狙った軌道からわずかにそれたのをアゼルが手を伸ばして掴み取る。
ただ投げるだけでも思うとおりにいかなかったというのに。
だがレシアは祈ることはしない。
代わりに信じることにする。俺を信じろと言ったアゼルのことを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます