終章
舞い散る雪の中、アゼルたちは北嶺山脈を下っていた。
ジェヤンの遺体は凍った土を三人で掘り、サルラン峠に埋葬した。
ジェヤンが騎乗していた馬はそのままにしておくこともできず、いっしょに連れて来た。借り馬だろうから貸馬屋に返せばいいだろう。
残りの道中では誰もが口数が少なかった。おそらくそれぞれに考えることがあったのだろう。
ザヤを出発してから約一ヶ月、寒さも厳しくなってきて今では雪がすべてを覆い、地肌が顔を見せることはない。
降り続けた雪はザヤに到着する日の午後になってようやくやみ。雲も流れ去って久しぶりに陽が射しこむ。
その太陽が西に大きく傾く頃、麓へと到着したアゼルたちはそのまま街外れのリンボクの家へと向かった。
遠景からでも家の前に人が集まっているのがわかる。
リンボクの弟妹たちだろう。こちらに気がつくと大きく手を振りながら、高い声で姉の名を呼ぶのが聞こえてきた。
一日遅れでの到着だ。昨日もずっとこうやって待っていたと考えると、リンボクが家族を待たせたくないと言った気持ちもよくわかる。
一刻でも早く家族のもとに辿り着きたいリンボクは、老馬から飛び降りると雪の上を駆け出した。
アゼルは老馬の手綱を握ると、ゆっくりと進む。
長い距離を走りきったリンボクはその勢いのまま、母親のミツスイの胸へと飛び込んだ。
リンボクは泣いているのだろう。ミツスイは娘の頭をずっと撫でている。
弟妹たちは、姉が初めて見せるそんな姿に戸惑っている。
家の前に腰かけた祖父母は、良かったというようにしきりに頷いている。
アゼルとレシアは家の近くまで来たところで長毛馬を降りると、一定の距離をおいてその光景を見ていた。
今は家族だけの時間だった。誰にも邪魔はできない。
しばらくして母親の胸から顔を上げたリンボクは、ミツスイと長いこと話していた。
そして二人並んでこちらへとやってくる。
「アゼルさん、レシアさん。本当にありがとうございました」
ミツスイは深々と頭を下げた。
「いえ、無事にリンボクが帰ることができてよかったです」
アゼルはそれだけを言う。
そして預かっていたケトランディの代金を手渡した。
ミツスイはそこからアゼルとレシアの報酬と、差配師に払う手数料を分けると、あらためて礼を言いつつアゼルとレシアにそれぞれ手渡した。
ミツスイは苦労をかけた礼にと余計な報酬を加えることはしなかったし、アゼルもこれから御苦労がおありでしょうからと報酬を辞退するようなことはしなかった。
決められた報酬で護衛士としての責務を果たす。そこに情を始めとしたそれ以外の要素が加わってはならない。これも護衛士の不文律だ。
アゼルはもちろんそれを知っていたし、ミツスイもステノハを通して聞いていたのだろう。
アゼルとしてはレシアがどうするかが気になったが、レシアは礼を返しながら素直にそれを受け取った。
今回の旅でレシアにもその金がどういう意味を持つものかわかったのだろう。
金銭のやりとりが終わると、リンボクがアゼルの前に立つ。
「あのね、アゼル。来年は早摘みの護衛には来なくていいから」
「わかった」
アゼルは表情を変えずに頷いた。
「さっきお母さんと相談したんだけど、春になったらあたしたち家族で、どこかの大きな街へ引っ越そうと思うの」
「俺もそうしたほうがいいと思う」
それはアゼルもずっと考えていたことだった。ステノハがいない来年以降はケトランディを採集するのは難しいだろう。それならば早摘みの代金があるうちに、生活基盤を他所に移したほうがいいはずだ。
「ヤイツクの街で見てたけど、同じ歳ぐらいの子たちが働いていたし、あたしにもできる仕事があると思う。お母さんを助けてみんなで暮らせるように頑張るつもり」
リンボクがヤイツクの街で、しきりに働き手を観察していたのはそういう理由だったらしい。ということはあの時にはすでにこのことを考えていたのだ。
「ああ、リンボクだったら大丈夫だ。俺が保証する」
安請け合いではなく、賢く強いこの少女なら多少の苦難はものともしないだろうという確信があった。
リンボクは真っ直ぐにアゼルを見つめる。
「アゼル。本当にありがとう」
アゼルは微かに微笑んで、リンボクの頭を撫でる。
リンボクはレシアのもとへと歩み寄る。
「レシアもありがとう。あたしレシアがいっしょで本当に嬉しかった」
レシアは驚いているような、困惑しているような、照れているような、なんとも複雑な表情でリンボクを見た。
「わたしが言ったことを覚えているか?」
「うん、覚えてる。苦しい時や辛い時は助けてってちゃんと言う。誰かがそう言った時はあたしが助ける。レシアがそうしてくれたように」
「ああ、それともうひとつ」
レシアもリンボクの頭を撫でた。
「誰かさんみたいな馬鹿な男には引っかかるなよ」
リンボクは目を丸くして瞬いたが、すぐに悪戯げな笑みを浮かべた。
「うん、そっちも覚えてる」
レシアも笑い返すと、懐から小物入れを取り出してリンボクに渡した。
「レシアこれって」
リンボクの髪を切るために使った、あの鋏や櫛が入っているものだ。
「せっかく美人なんだ、それを使って身だしなみを整えるといい」
「でもレシアが困らない? それにこれって凄く高いんじゃ」
「国に帰ればいくらでもあるんだ、気にしなくていい。わたしとリンボクの――友情の証だ」
お互いが優しい目で見つめ合う。
「ありがとう。宝物にしてずっと大切にするね」
レシアは頷いた。
ミツスイに別れの挨拶をするとアゼルとレシアは踵を返す。
長毛馬のところまで来て鞍に手をかけようとしたところで、駆け寄ってくる足音がした。
振り向いたアゼルの腹にリンボクが飛び込んでくる。
「アゼルごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
リンボクは叫ぶようにして泣きじゃくる。何について謝っているかは明白だった。
アゼルはリンボクを一瞬だけ抱きしめるとその肩を持って体から離す。そして屈んで目を合わせた。
「ジェヤンが死んだ責任はリンボクにもある、それはもう変えられないことだ。俺はそのことについて誤魔化そうとも慰めようともしない。だがこれだけは忘れるな。リンボクが背負ったものと同じものを、俺とレシアも背負っていることに。もし思い出して苦しい時は、俺たちも同じ思いをしていると考えればいい。そうすれば苦しさも三人で分け合っていると思えるはずだ」
リンボクは泣きながらアゼルの目を見つめた。
そして唇を噛みしめ力強く頷く。
アゼルはリンボクの目元をそっと拭った。
泣きやんだリンボクを雪上に残して、アゼルは長毛馬の鞍に跨る。
リンボクはアゼルを見上げた。
「アゼル。また会えるよね」
「俺は大陸中を旅する護衛士だからな。リンボクがどこにいても縁さえあれば会えるさ」
アゼルは手綱を操り、長毛馬を回すと歩を進ませる。レシアがそれに続いた。
リンボクは二人の姿が稜線に消えるまで手を振り続けた。
宿へと向かう緩やかな斜面をアゼルとレシアは無言で下っていた。
わずかに平坦な場所にさしかかると、その沈黙をレシアが破る。
「アゼル、頼みがある」
アゼルはある予感がしていたので、聞こえないふりをしてそのまま馬を進める。
だがレシアは馬を寄せると、アゼルの手綱を握って長毛馬を止めた。
仕方なく隣を見たアゼルの視線をレシアがとらえる。
「わたしをおまえの弟子にして欲しい」
予感は当たった。
だから聞こえないふりをしたのだ。
「俺は弟子をとるつもりはない」
手綱を繰ろうとしたアゼルの手を止め、レシアはさらに言葉を継ぐ。
「頼む」
「悪いが断る」
どこまでも真っ直ぐなレシアの目を、アゼルも正面から受け止めた。
二人の視線が激しくぶつかるがどちらも引くつもりはない。
「せめて理由を教えてくれないか」
「理由を聞けば諦めるか?」
「聞いてみないとわからない」
駆け引きではない。レシアは本音で話していた。
アゼルにもそれがわかる。ならばこちらも本音を話すしかない。
――理由。そんなものはひとつしかなかった。
考えてみれば護衛士に一匹狼が多いのは不思議なことである。
危険と隣り合わせの仕事だ。信頼できる仲間と組めば安心して背中を預けられるし、苦しい時や弱っている時に仲間がいればそれだけで心強い。
仕事の度に初対面の人間と組むことは想像以上に面倒なことだ。
相手の技量、性格、そもそも信頼してよい人物なのか、それらを見極めなくてはならない。それなら最初から気心の知れている仲間で組んだ方が効率的なのは明らかだ。
それでも護衛士の大半は一人だ。
「俺はもう――」
アゼルはレシアの瞳の中に映る自分を見る。
「大切な人を失うことも、残された者のことを思いながら死んでいくのも、どちらも絶対に御免だ。それが理由だ」
レイナスはアゼルの腕の中で死んだ。謝りながら。謝る必要などいっさいなかった。それでも謝ったのだ。「すまない、アゼル」と。
あの時のレイナスの表情をアゼルは一生忘れることはない。
一匹狼の護衛士は、そのほとんどが同じような経験をしているのだろう。
ジェヤンも相棒を失ったと言っていた。その悲しみが歪んだ考えを生み出したのだと思う。
「――わかった」
レシアは俯いてそう返事をする。
あっさりと引き下がってくれて助かった、アゼルがそう安堵できたのは一瞬だけだった。
再び顔を上げたレシアは、先程よりも強い光を宿した瞳でアゼルを見る。
「ならばわたしは誓おう! レシア・ガルバルハサム・サヒーム・アルバの名にかけて、おまえを死なせはしないし、おまえを残して死んだりもしない! だから頼む。わたしをおまえの弟子にしてくれ」
レシアのどこまでも真っ直ぐな強い視線。
アゼルはそれに対抗できるものを持っていなかった。
初めから勝ち目のない勝負だったのだ。
何かを前向きに強く決意した人間に対して、後ろ向きの考えでそれに抗うことなどできはしない。
「わかった」
アゼルは諦めてそうこたえると、呆然としているレシアから手綱を奪い返して長毛馬を進める。
我に返ったレシアが隣に並ぶ。
「いいのか?」
「そう言った。嫌ならやめていいぞ」
「嫌ではない! そうか、いいのか。……感謝する」
願いが叶ったくせにあまり嬉しそうでもないレシアを横目に見ながら、アゼルは考える。
幸いレシアは探求者だ。長くても二、三年で国に戻るだろう。その間を大過なく乗り切ればいい。自分にそう言い聞かせた。
それにしても――。
「レシアとは真名だったのか。なんで偽名を名乗らなかったんだ?」
先程のレシアの言葉。まさか偽名に誓うことはしないだろうから〈レシア〉は真名だということになる。探求者が真名を名乗るのは珍しいことだ。
「……思いつかなかったんだ」
レシアが憮然とした顔で呟く。
アゼルはまじまじとその顔を見て――直後に笑い出した。
そういえば最初に名乗り合った時にレシアは言いよどんでいた。あれは偽名を考えていたらしい。
それでも結局は思いつかずに真名を名乗るあたり、なんともレシアらしかった。
そこで気づく、あの時に二人が戦ったのはたしかこの場所だ。
懐かしさが口を軽くしたのか、アゼルは重ねて尋ねる。
「そういえばレシアはいくつなんだ?」
同世代だとは思いつつも、ちゃんと聞いたことはなかった。
だがレシアは不機嫌そうな表情でアゼルを睨む。
「師匠になったとたん、不躾なことを聞いてくるのだな」
「そんなつもりはない!」
単に知っておいた方がいいかと思っただけで、無理やり聞き出そうとは思っていない。師弟の力関係を利用していると思われるのは心外だった。
「二十一だ」
それでもレシアは素直にこたえる。
「年下だったのか。意外だな」
アゼルのひとつ下である。話しぶりや態度から何となく年上だと予想していた。
だがそれを聞いて、レシアの表情がますます不機嫌になる。
「ことごとく無礼な奴だな。おとなしく歳を教えれば、今度は老けて見えると言うのか」
「そうは言ってない!」
ああ言えばこう言う。いったいどうしろというのか。
今度はアゼルが憮然とした表情で口を閉じた。
そんなアゼルを見てレシアが怪しく微笑む。
「ちょうどよい。おまえから護衛士の心得を教えてもらうかわりに、わたしは女に対する礼儀を教えてやろう」
「断る!」
「遠慮するな」
レシアが不敵に笑った。
アゼルはそれを見て、弟子にしたことを早くも後悔した。まったく厄介なものを抱え込んでしまったものだ。
――だが、それも悪くないかもしれない。
アゼルは苦笑する。少なくともひとりでいるよりは退屈しないだろう。
振り返ると北嶺山脈が落日の陽を浴びて赤く輝いていた。
〈了〉
ケトランディの絆 皐月 @Satsuki_Em
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます