レシアの冬


 宿の食堂で昼食をすませると、リンボクの家から戻る途中にも冗談めかして言っていた、レシアの乗騎を調達しに貸馬屋へ向かった。

 もしまともな馬が貸馬屋にいなければ、家々を回って探さなければならない。その場合は使えそうな馬がいても貸してくれるとは限らず、それこそ一日がかりになる可能性もある。

 幸い貸馬屋には良さそうな長毛馬がいて無事に借りることができた。胸をなでおろしているアゼルに対してレシアが疑問を投げかける。

「貸馬屋に馬がいるのはあたりまえじゃないのか?」

「そうとは限らない。出ていったきりで戻っていない可能性もあるからな」

 怪訝な顔をしているレシアに説明する。


 貸馬屋で貸した馬が必ず戻ってくるならば、あらかじめ少し余裕をもって馬を用意しておけばそれで足りる。もちろん長期間にわたって借りる人間もいるだろうが、そういったことも計算のうちだ。

 問題は馬が戻ってこない場合だ。

 これは借り主が馬を死なせるとか、持ち逃げするとかの特殊例の話ではない。

 そもそも貸馬屋は組合を作っていて、同じ組合に参加している貸馬屋ならば、借りた馬をどこで返してもよいことになっている。

 基本的にはうまい具合に均衡がとれているものだが、たまにそれが偏ることがあるのだ。そうすると一方には馬が大量にいるのに、もう一方にはまったく馬がいないということがでてくる。

 そういう時には貸馬屋が馬を引き連れて、多いほうから少ない方へとわざわざ移動させなくてはならない。


「運が悪いと馬が出払った、そういう時にぶつかることがあるんだ」

「なるほどな」

 これまでも貸馬屋を使っていれば知っていたのだろうが、レシアは自前の馬に乗っていた。たしかセレーネという名前を付けていたはずだ。あれは良い馬だったとアゼルは思い返す。

 宿に戻る途中に乾物屋に寄って、干し肉や乾燥果物などの保存食を買い足す。

 自分とリンボクの荷物はこれで大丈夫だ、問題はレシアがどれだけの用意をしているかである。

「宿に戻ったらあんたの荷物を確認させてくれ」

 アゼルは当然のことだと思ったのだが、レシアはそうは受け取らなかった。

「……おまえは女の荷を漁る趣味があるのか?」

 目には剣呑な光が宿っている。

 なんでそうなるのだとアゼルは頭を抱えたくなった。   

「都合のいい時だけ女を持ち出すのはやめてくれないか。冬山越えはそれでなくとも荷物が多くなる。さらにかさばるケトランディも運ばなきゃいけないんだ。必要最小限の荷物を分散させて馬に載せなきゃならない。無駄な物や、だぶっている物を持っていく余裕はない、その確認だ」

 理由を聞いてもレシアは不服そうな態度を崩さない。

 アゼルは大げさに溜め息を吐く。

「べつに私物まで見せろとはいってない。野営道具、防寒具、保存食だけ確認させてくれればいい」

「……いいだろう」

 この調子じゃ先が思いやられる。アゼルは暗鬱な気分になった。



 そして宿に戻ってレシアの荷を確認したアゼルは唖然とする。

 野営道具と保存食は少し不足気味ではあるがまあいい。問題は防寒具だ。

「……あんたこれだけでここまで来たのか?」

 どう考えても準備不足だった。

 せいぜい中央平原の冬をなんとかやり過ごせるといった程度で、どう考えても北の地を旅する装いではない。ましてやこれで冬山を越そうというのは正気の沙汰ではなかった。

 そこで思いついたことがあり、レシアを振り返る。

「根本的な質問なんだが、いつから探求者になった?」    

「今年最初の収穫が終わった頃だ」

「探求者になる以前にアストリアから出たことは?」

「わたしは軍人だぞ。辺境警備で国外に出たことぐらいはある!」

 それで納得がいった。

 アストリアは二期作で有名だ。最初の収穫の時期だと約四ヶ月前ということになる。そして辺境といってもアストリアに接する西方のどこかだろう。

 アストリアは一年を通して温暖で気温差が少ない国だ。探求者となって中央平原で過ごした季節は夏から秋にかけて、つまりレシアはそもそも冬というものを経験したことがないのだ。

 それにしてもこれまでに誰か忠告する人間がいなかったのだろうか。下手をすれば凍死していてもおかしくない。

 そこで気づいた。まず本人が聞く耳を持たなければ、どんな忠告だろうと意味はなさないことに。

 戻ってきたばかりだがまた外出しなければならないようだ。

「防寒具を買いに行くぞ」

 レシアの返事を待たずにアゼルは部屋を出た。



 衣装屋に着くと、アゼルはまず毛布と敷物を手に取った。

 毛布は羊毛だけではなく、山羊や駱駝などの獣毛を混ぜた保温性の高いものを選ぶ。敷物は柄などどうでもよく実用性だけで選んだ。

 問題は服だ。

 レシアのマントは高級で品質も高く、中央平原の冬ならばこれだけで十分な逸品だが、さすがに冬山で吹雪かれでもしたらもたないだろう。なので毛皮のマントを選んだ。

 だがレシアはそれを試着するやいなや脱ぐ。

「こんなものを着て剣が振れるか」

 たしかに腕周りなどが制限されて動きにくいのはわかる。

「いつでも着ていろというんじゃない。特に寒さが厳しい時や、野営の時だけでもそれにしろ」

 それでも不満そうなレシアに構わず次に手袋を選ぶ。ひとつは剣を握りやすい革製の薄いものを。もうひとつはその上から嵌められる厚手の毛皮のものだ。

「革のはいつもするようにして馴染ませるんだ。毛皮のはマントといっしょで寒い時だけでいい」

 最後にブーツの上から巻く革脚絆かわきゃはんを選んだ。

 とりあえず一式装備させてどんなものか見た。レシアは相変わらず不満気な顔をしていたが、アゼルはそれを無視する。

「よし、こんなもんだろう」

 代金の交渉をしようと、まとめ買いの客に上機嫌な店の主人を見て気がついた。「……帽子もあったほうがいいな」

 店の主人は見事な禿頭とくとうだったのだ。これでは北嶺の地ではつらいだろうと同情する。

 だがなかなか良いものが見つからない。元からたいして品数がある店ではない、街の規模を考えれば仕方がないことではあるのだが。

 すると店の主人が「帽子かい?」そう言って奥に引っ込んだ。

 禿頭を見て帽子に気がついたことを感づかれたかと思うと冷や汗が出た。

 しばらくすると毛皮の帽子を手に戻ってくる。

「男物なんだがね、すこし小さいんだ。そっちの女性にちょうどいいと思うよ」

 それは北嶺地方よりもさらに北、氷結海に面する北方の国々で使用されるものだった。耳当てがついているがそれが上げ下げ可能で、温度調節や音を聞きやすくしたりすることが出来る。

 形や色も洗練されていたし、手触りもよく上質の毛皮を使っていることがわかる。

 レシアに渡すと胡散臭そうに眺めていたが、それでもおとなしく頭に被る。

「お似合いですよ」

 店の主人が言ったのもあながち世辞ではないだろう。少なくとも今日の買い物では一番レシアに似合っていた。

「ああ、よく似合っている」

 アゼルは素直に称賛したのに、それを聞いたレシアはすぐに帽子を脱いでしまった。そのくせ品物事体は気に入ったのか返そうとはしない。

 相変わらず変な奴だと思ったが、文句もないようなのでそれに決めた。

 その後は店の主人と値段交渉に入る。

 アゼルはまとめ買いの上客なのだからまけろと言い、店の主人は必需品でしょうと足元をみてくる。それでも最後にはお互いが妥協できるところで手を打った。

 値段をレシアに伝えてアゼルは下がる。

 そこで時間が止まったようにがあいた。

 アゼルもレシアも店の主人も動かない。

 誰もが待っている。

 まさかこいつは金の存在を知らないのかといぶかり、アゼルは催促する。

「レシア支払いだ」

 そう言われてレシアがゆっくりとアゼルの方を向く。その表情は何か不思議なことを聞いたかのようだ。

「……ひょっとして、これはわたしが払うのか?」

 それを聞いて今度はアゼルが驚く。

「あたりまえだろう。あんたの買い物だろうが」

 レシアの顔が一気に朱に染まった。

「ふざけるな! ひとの意見も聞かずにどんどんと決めて、あげくに支払いはこっちだなどと貴様は馬鹿か! それともこの店と謀っているのか!?」

「非常識なのはそっちだろう! どこの世界に自分の物を他人に払わせる奴がいる。それともあんたの国じゃそれが普通なのか!?」

 お互いに店の中でなかったら剣を抜きかねない勢いだった。

 店の主人が慌てて仲裁に入る。

 結局、折半ということになったのだが、それについては両者とも大いに不満だった。

 二人の剣幕に驚いた店の主人は、帽子の代金をまけてくれた。

 いちばん割を食ったのはこの禿頭の主人かもしれない。


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